樽さんの部屋更新しました

「たるさんの部屋」より
                          *2014’春号(1)

  また、また悲しい報告をしなくてはなりません。
 琴丘高に残してきた教え子が5月2日に亡くなりました。まだ17歳です。

 一昨年冬に骨肉腫が見つかり1年半闘病の末、帰らぬ人となりました。
  この生徒はいつ見舞いに行っても笑顔で接してくれました。
 葬儀では最後のミーテングとして「弔辞」を読ませてもらいました。
 40年間サッカーを指導してきて一番「芯」の強い部員だったと思います。
 亡くなる前日に「なんで俺がこんな目にあわないといけないのか」
 という言葉を残したそうです。前日にです。それまで一切ぐちを言わず耐えて、、、

 何度もの苦しく抗ガン剤治療に耐えに耐えたのに効果があまりないと知らされる。
 生きるためには片足を切断しなくてはならない最悪の治療をも彼は受け入れました。
 切断後には「たるさんの前を義足を付け颯爽と歩いてみせる」と目標を決めて
 リハビリを頑張っていました。

  母と捜し当てた金沢大学病院への転院で最後の抗ガン剤治療に望みを託しましたが
 ここでも効果はなくついに医者から見放されました。
 それでも「なんで、、、ぼくが、どうして俺が」とグチ、文句を言わない。
 そして医学から別れ自宅へ戻り家族と共に戦うことにしました。
 なんとお父さんと一緒の入浴をしたそうです。
 私は会うたびに「琴丘へ戻るぞ!」「修学旅行へ行くぞ!」と檄(げき)をとばし
 「ペースメーカーを入れた俺と義足のおまえとで少年サッカー指導に回るぞ!」
 「障害者サッカーの選手になり東京でのパラリンピック出るぞ!」と無理難題を
 言い続けましたが彼は「イヤ」とも言わずに作り笑顔で答えてくれてました。
 最後の日すでに会話ができる状態ではなかったがいっぱい涙を流してくれました。
 私が行くのを待っていたかのように息を引き取りました。
 おだやかできれいな顔でした。彼の心の中そのものでした。
 よく戦ってくれました。「お疲れさま」しか言えません。
 一生記憶に残る誇りに思える強い生徒でした。

 昨年は琴丘高サッカー部卒業生が21歳で白血病で世を去りました。
 優しくて人のことばかり気にして気配りができるかわいい俊足のFWでした。
 彼は病魔を伏せて一人戦ってました。いっぱい仲間がいるのに、、、

 一昨年夏の終わり(9月始め)には当時現役の琴丘高サッカー部員が練習後に倒れ
 「生存率1割」と告げられました。まじめで誠実な練習態度と変わらず
 見舞いに行くたびに何度もあきらめない執念で持ち直し「奇跡」を信じていました。
 彼の生命力には医者も驚き、必死に頑張る姿に我々は悔し涙するしかありません
 一週間戦い続けましたが一度も意識が戻ることなく力尽きて「輝く星」となりました
 人が良くて悪口を決して言わないため誰にでも好かれるあたたかい部員でした。
 イジるとニタっと笑う可愛さにずっとそばにおいておきたい奴でした。
 葬儀は多くの部員や先輩たちみんなでお手伝いしてAKBの曲で見送りました。

 亡くなる悲しさももちろんですが家族が辛いのは子どもが忘れ去られていくことが
 一番の寂しさだそうです。

 最近は毎朝手を合わすことが増え悲しいことが数多く起こりますが
 私の役目は教え子を心にとめて語り継いでいくことだと思っています。

 

 

 

                         *2014’春号(2)

  琴丘高校から昨年転勤し姫路高校での2年めが始まりました。
 あたたかい雰囲気と挨拶、礼儀正しい校風に気持ちよく学校生活を送っています。
 姫路高の気づきも琴丘高に負けないくらいにあり自分のポリシーに合っています。

  先日も琴丘高校卒業生のいくつかのグループが姫路高校での生活を気にかけて
 「たるさん元気?」って集まってくれました。
 ここでも琴丘高校の優しさに触れあえます。
 仕事に就いた卒業生は就職の報告と同時に私から受けた授業した内容や配付した
 プリントを部屋内に貼ったり、携帯に取り込み苦しくなったら見直しているとの話に
 嬉しくありがたい気持ちにさせられます。

 今年も姫路高校には福崎高校時代の教え子の子どもが数多く入学し
 似ている顔だちや仕草を見ると教え子を思い出して思わず思い出し笑いが、、、
 「一期一会」。出会った生徒を大切にしないと、、とあらためて思います。

 今年も日々の生活は大きくはかわっていません。
 最近目覚めが早くなり5時半すぎには一日のスケジュールを確認。その日の授業内容、
 練習メニューや出会う予定の生徒や部員、人々に対しての下準備をしてます。
 6時30分すぎに家を出て津田小学校グランドでの少年の朝練へ。
 前を走っていく孫を後ろから追いかけて一日が始まります。
 少年たちはまじめにコツコツと練習を続けている成果が表れ、早速5月の
 全日本姫路地区予選を突破。来週15日(日)に全国かけて兵庫県大会があります。
 今年から地域の大会からリーグ戦を実施するよう指示がありたくさんの試合が増え
 スタッフも大変ですが子どもたちの成長のためにがんばっていきたいものです。
 子どもがたくさん経験をしそれが宝物となりその子が将来人生を幸せに送れるように
 つねに「子どもファースト」でサポートをしたい。
 とにかく子ども一番です。

 今年は勤務がない毎週木曜日には気分転換としてサッカーから少し離れて
 さまざまな所へでかけようと思っています。
 山、花や草木など自然から「癒し」をもらえるように、、、
 また木曜日の夕方からエストレラユースのナイター練習に顔を出しています。
 清水コーチが20分ほど時間をくれて40年間の実録版を伝えています。
 メニューは過去のすごい選手の高校時代や私の体験を語り継ぐことにしています。
 真剣な眼差しで聞き入れてこの子たちが必ず将来へと繋いでくれると信じて。
 一所懸命にイキイキと雑用も準備ももちろんのこと必死に練習にも打ち込む姿に
 自分自身が失いそうになっている「魂」の原点を見せてもらっています
 津田少年時代に全国をめざしずっと一緒に戦った子たちが現ユースに所属し
 少年時代津田でなくとも私が開校していた「J塾」で心を鍛えようと入塾してくれ
 交換ノートや道徳の勉強、冬合宿を共に過ごした多くの子どもたちもユースに所属。
 そのユースが今週日曜日「全国出場」をかけて関西クラブリーグ決勝戦を戦います。
 まじめにやってるエストユースを神様はきっと応援してくれると思います。
 たくさんの楽しみが週末にあってワクワクします。ありがたく幸せな毎日です。

 ユースの練習を見るたびに姫路高校へ転勤後くすぼってた闘争心がメラメラとまた
 マグマのように燃えたぎる熱いものが出始めました。抑えるのはやはりムリです。
 姫路高校サッカー部も長く指導することはなく期間限定ですが自分らしく
 「熱く戦って高校サッカーを終えよう」と決意をしているところです。
 失いかけていた大事なものに気づかしてくれたエストレラユースのナイター練習。
 また子どもたちに教えられました。感謝しなくては、、、

 

樽さんの部屋「気づき」

たるさんの部屋

       「気づき」

  また新学年が始まります。
 いい一年にしたいものです。
 イキイキと楽しく「いい顔」でサッカーに取り組む子どもたちの顔を見ると
 こちらまで嬉しくなります。
  でも子どもたちはいつもどこでも「いい顔」とは限りません。
 子どもたちは子どもたちなりに(子どもの世界)戦っています。それが学校や家庭や
 仲間の中で出てくることも理解しておかなくてはいけまんせん。
 こちらから見て「あんないい子が、、、」と思える子どもが実は学校では
 先生や友だちから嫌われる行動をしていることは多々あるということを。
 子どもたちがスタッフの前で見せる顔と違う顔なんです。
 でも決して我々スタッフに「嘘」をつこうとか「騙そう」としたのではなく
 「いい子でいたい」「好かれたい」一心なんです。
 事前情報で子どものことを知ることは大切ですが偏見や先入観は絶対いけないこと
 あり子どもが一番嫌うことです。
 甘いかも知れませんが子どものいうことを受け止めてやりたいのです。
 表面で見せないからといって疑ったり「こいつは裏では、、、、」というではなく
 見えるまま感じたままを信じて40年間教育現場にいました。
 私の教育スタンスは子どもは悪いことをするものです。でも子どもは悪い子では
 ありません。
 いつもそう思い問題行動をしてきた生徒(子ども)に生徒指導をしてきました。
 我々大人だってズルをしたり誤魔化したりこれぐらいなら?と悪いと思えることを
 やるものです。大切なことは子どもには未来があり将来大人になっていきます。
 悪いことをしたその時に向き合い、認めて直していくために寄り添い信じて
 やりたいのです。
 過去、すんだことは戻りません。大事なことは今その時と未来なんです。

 サッカーを通じて子どもたちが5年後、10年後の「夢」を子どもたちと語り
 子どもたちが目標を定めてがんばり達成感を得るためにイキイキとやり続け
 次世代を生きていくためにサポートをすることなんです。

 我々大人(スタッフ)の役割はいつもどんな時も「子どものために」なんです。
 そのために何より周りのことに気づいて全体のバランスを崩さずきちんと子どもの
 動きを見ることなんです。
 その時一人よがりの感覚でなくまたお節介にならずにさりげなくタイミングよく
 子どもに対応する力を身につけることなんです。
 実に難しいですがそれが「先生、コーチ」と呼ばれるに値する「大人」だと思います。

 上記に書いたように子どもたちが不安とイラだちに中で戦っている時に
 「頼ってもらえる」大人になるように成長したいと思っています。

 ことしは私の大好きな親友(尊敬できる)と子どものために学校作りに精力を
 尽くします。ぜひご期待下さい。

 

たるさんの部屋

<エストレラ津田サッカークラブ・ホームページ>ーたるさんの部屋ーより

    ◆平成26年2月6日(木):大阪ガーデンパレスホテルにて
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  関西地区の往年の大学、高校の監督、報道関係者の「親睦会」がありました。

  現在「静岡:時之栖(御殿場サッカー場)」GM阿部先生(元;大淀高)が

  発起人をされる第一回めにおこがましくも私も参加させていただきました。

  年齢は60歳以上。関西サッカー界ゆかりの「名伯楽」が一同に会されましたが

  やはりその輪の中心は上田先生(大商大)。上田先生ゆかりの名監督たちの

  昔話やサッカーよもやま話で花が咲きました。

  元日本代表監督加茂周(関学)さんをはじめ、28年ぶりに大学日本一に輝いた

  大体大坂本先生。私の教え子である古井が卒業後20余年携わっている京産大の

  また京都サッカー界の重鎮である田中先生。それに大経大の野路先生。

  そして本当にお世話になったびわこ成渓大松田先生(元:守山高、守山北高)。

   高校界では大御所木村先生(作陽)小阪先生(福井丸岡)増井先生(京都洛南)

  今回は事務局としてお世話になった悦勝先生(高槻南)竹内先生(大商学園)らとも

  懐かしい再会になりました。

   播戸(現:鳥栖)増川(現:神戸)らを要した琴丘時代、たびたび遠征に行った

  北陽高野々村先生には長らくのご無礼を許してもらうしかないが上田先生同様に

  繊細な気配りで快く話相手をしていただいた(恐縮の限り、、、。)

   元NHKサッカー岡田アナウンサー、高校サッカー読売TV一丁田アナウンサーや

  報道関係も含めると30名越える大先輩らとかけがえのない一日を過ごしました。

  私にとって大商大遠征に出かけ始めた30歳台半ばから40歳台後半にかけた

  あの「青春時代?」が一気に蘇ってきました。(感激、、、)

  大体大北村コーチ、時之栖;阿山(大商大OB)さんらにはまだ若い年齢にも

  かかわらず準備に奔走され今回の催しにはお心遣いをたくさんいただきました。

  こうした上田先生の信条である「出会い」に(感謝、、、)です。

  振り返ればサッカーど素人の私がこの場に居れることが「摩訶(まか)不思議!」

  ただやってきて「良かった」続けてきて「良かった」、、、とつくづく思う。。。

 

 

ーたるさんの部屋ー

 

    反省、、(後悔はしないが)、、反省、、、

   特にサッカーに関して。

   姫路のサッカーが他地域から大きく「差」をつけられ置いていかれている現実を

   目の当たりにして反省、、、出るのはため息、、、

   姫路でサッカーに関わり始め興した津田サッカークラブが今年で40年周年。

   姫路協会で技術委員長を35歳から20年間任され「何をしてきたのかなぁ~」

   自分では「姫路のため」と思いながら姫路に光が当たるように、結果を残そう、

   他地域に離されないように、、、、と焦っていたのかも知れない。

   少年期に基礎技術を徹底して身につける指導しなかったことが今となっては

   人口55万人の都市に日本で通用する選手がほんの一握りしかいない現実。

   その少年期に身体能力や縦へ早くスピードを生かしたり戦略を教えて姫路で

   勝つために。遠回りでも地道にボールがしっかり持て「奪わない技術」を教え

   周りを見ることが最優先で「奪われず見えたら」あとは子どもたちの判断や

   アイディアに任せばいいものを、、、、その技術の先に結果や勝利があるのに。

   姫路地域で「負けない、勝つ」という狭い了見が40年たった今、

   どうしようもない技術の遅れで少年たちが年齢が進むにつれ他地域へ。

   「変わろう」とにかく自分が。。。。今までやってきた業績、成績とやらは

   一応評価はしても封印して先を見よう。

   ただ救われるのは姫路には素晴らしい若い指導者やたくさんの教え子がいる。

   姫路の少年の中にもいっぱい宝石がいる。宝石を磨き輝かせるのも自分の

   「エゴ」や「こうだ!」というものに捕らわれず指導方針を思い切り

   大転換して今までとまるで違う「間逆」の発想の自分に出会いたい。

   そう考えていたお正月。偶然(必然かな?)教え子が凄い本のプレゼント。

   「教え子、生徒たちのためにも〔目を覚まして下さい〕」という言葉を添えて。

   64歳。さぁこの歳になってワクワクしてきた。新しい自分に出会えそうで、、、

   年の初めにも書いたが、もう一度「新生たるさんに」こうご期待を!!

たるさんの部屋

◇たるさんの部屋◇(9月)

            夏を振り返って(大山合宿を主に)
           ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 新しくなった大山の人工芝、天然芝を初め今年は全てに気持ちがよかった。
 特に「大山登山」が天候まで味方して頂上での絶景。一人の落伍者もなく。。。

6年生
 こんなに穏やかで落ちついた6年生が今までいただろうか、、、、ケンカはなく
 時間は守る、怒ることが少ない。毎年6年生になっても何かしでかす者はいるのに。
 サッカーも同じ。一人一人が確実に力をつけている。22名に技術の差がなく横一線。
 6年の特徴である派手なことはできないがコツコツ努力し積み上げることができる。
 この「努力の天才」はいつかきっと大きな花を咲かすと信じてる。
 大山登山も完璧。先に行ってしまう者や列を離れ遅れる者もなく先頭から最後尾まで
 一つになってコンパクトに。これが今年の6年生。

5年生
 ギヤングエイジ(5、6歳~9歳)ふうの者が多数いる。人のことは考えない。
 腹が立ったらケンカ。思いどおりにいかないとスネる。言ってはいけないことを
 平気で言う(悪気はないと思うが)。この事実を親は気づいているのだろうか?
 だがチームであずかった以上は何とかしなくては、、、こういう合宿で「躾ける」
 絶好の機会、チャンス。夜遅くまでミーテングをしながら。でもスタッフは疲れる。
 必死に何とかしようとしているスタッフには「すまない」という気持ちが強い。
 逆に言うと子どもらしさの塊(かたまり)かも。子どもたちに寄り添いながら丁寧に
 してあげたい。ポテンシャル(潜在能力)の高い子どもが多く期待出来るのだから、、

4年生
 小学1、2年いや3年の初めまでは「どうなるか?」と思えるメンバーが多く存在。
 開始すぐ「いつ終わる?」虫を追いかけサッカーどころではない。心配した初合宿。
 ところが意外や意外。食事の用意もかたづけ。床にはいつくばり雑巾がけ。
 練習も大声出してがんばる。サブメンバーの成長が著しい。県大会姫路予選で「優勝」
 した頃から良くなってきたとは思っていたが、、、ここまで良くなるとは、、、。
 いい方に驚いた大山合宿になった。だから全体が確実にうまくなり伸びてきた。

3年生の朝練3週間
 久しぶりに元気がありイキイキとサッカーができる。現在高校2年生のメンバーが
 6年生の時に全日本兵庫県大会準優勝したメンバーの3年生時代に似ている。
 激しくボールを「奪う」というサッカーの一番大事なこと(根)ができる。
 ボーッとせずに戦える。動いてる。だからおもしろい。教えたことをすぐにやろうと
 するしすぐにできる。だがそれに付いていけないメンバーとのが温度差があまりに
 大きく、その子たちが続くかが心配。

◆津田ユース(高校の部)解散◆
 3年前に高体連サッカー部に居場所がなく立ち上げたユース(高校の部)。
 最後のリーグ戦は保護者も多く観戦する中、今まで出番の少なかったメンバー全てが
 得点しチーム一丸となり大いに盛り上がり大勝。3年間の役目を終えた。
 昨年は姫路市民大会高校の部で見事「優勝」西播高校リーグ戦でも2部で「準優勝」
 関西クラブリーグでも堺スポーツセンターで「決勝トーナメント」に進出するなど
 華々しい記録と確かな記憶を残して解散となった。
 入江監督、下前コーチ、畑森GKコーチ、川口トレーナーお疲れさまでした。
 そして選手のみんな「ありがとう!」琴丘高サッカー部と数々の遠征、合同練習など
 楽しませてもらった。いつか社会人でも一緒にやろう。そして全国社会人大会へ。
 待っている。

 

 

 

    ちいさな あったかい ”ぬくもり” が、、、消えた

ジュニアユース3年生
 後半初めに退場者が出て10人で戦った。だが10人になり結束が見えた。
だがあと2分。ついに力尽きた、、、、タイムアップ。泥田のピッチで座り込む姿、、、
試合後濡れたユニホームを脱ぐことすら忘れて嗚咽(おえつ)し泣きじゃくる姿、、、
高円宮姫路予選県代表決定戦。終わった。「いい涙、、、」キラキラ光ってる。
大会はいつか終わる。大事なことは終わり方。がんばった者しか流せない貴重な涙。
この涙をどう生かすかサッカー人生はこれから。生かさないともったいない。

 3歳からの親子が一緒に触れ合うサッカー教室で私と出会ったこの子たち。
体より大きなボールにつまずき泣いていた土曜日の夕暮れどき。それが今中学3年生。
そのまま津田のジュニア(少年)に入部。それから約9年。思い入れの強い学年だった。
少年3年生から始まる早朝練習も私が担当。
よく叱った、よく怒った。でもよく遊んだ、、、。勝てばうち(樽本宅)でパーティー。
ヨッシーピッチでも遊んだ。プールも。大山でも、、。楽しい思い出もいっぱい、、、。
いいか悪いかは別として3年朝練からバルサのパスサッカーを教えた。
3年で初めて行った高砂遠征ではパスサッカーを。最高におもしろく今も記憶に残る。
池内コーチから章(長谷川)コーチにスタッフが代わり少し戸惑いも、、、。
全日本で県大会。市民大会はあと一歩。友好リーグでの一致団結など思い出は尽きず。

 そしてジュニアを(寂しいが)離れジュニアユース年代へ。
ジュニア時代の中心だった、とうま(松井)しゅん(田村)ゆうせい(福島)ふうが
(末崎)まこ(岩田)らはエストに入ってくれてワンランク上へ勝負に旅立った。
「やさしさと弱さは紙一重」を絵に書いたように争いごとを嫌い甘くて弱い控え気味な
(「もっとやれよ、戦えよ、向かっていけよ」=我々スタッフの影の声)だが優しい
メンバーが実に14人もが津田ジュニアユースへ入団してくれた。
嬉しくて章(長谷川)コーチやチャオとジュニアユース入団式をワクワクして
迎えたのを覚えている。
このメンバーに林田校区から片道1時間半をかけて、まお(三村)が。ルゼルから
個人技に秀れた隼士(吉田)が加わる。遠く福崎地区から身体能力、性格も抜群の一真。
年度途中からこれまた福崎から俊足海斗がレギュラー入りして選手層を厚くしてくれた

一方でこの子たちの性格に合う指導者をと?考えた。
そこで(琴丘高の教え子である)中田にコーチを要請した。
中田コーチは独特のサッカー理論を持ち勝つことが最優先(勝利第一)でなくボールを
扱うことの大事さを、うまく扱えるとサッカーは楽しくなると教えてくれ、そのことが
将来に役立つという独自の考えを持っている。このメンバーにはピッタシ、、、である。

いろんな経験をさせた。淡路の最高の芝生。最後の大山合宿も新しい天然芝、人工芝。
1年生では静岡県、富士山の麓の御殿場サッカー場という日本一の施設で合宿を。
進学、塾など各自、各家庭でさまざまな目標があり、なかなかチームが一つになれず
必死に大会に向かう者や中田コーチには苦悩の日々もあったことだと思う。
 でも最後の最後に中学(ジュニアユース)年代に貴重な涙を流す体験。
座り込む姿を見た時「救われた」気持ちになった「やってきて良かった」と。
今後の「夢」はエストレラへ行った5人を含めこのメンバーとユース年代か無理なら
社会人チームでもう一度「全国」を狙い一緒に戦いたい。夢をもう一度。
 私の特徴はあきらめず粘り強く「夢」に向かうこと。
だからあきらめずに待ってる。最後に、、〔ありがとう!!〕たくさんの思い出を。
これから親にも友だちにも言えない苦しいことがあったらたるさんちへ来いよ。
それがたるさん一番の楽しみだから、遠慮せずにな。またな。

 

 

たるさんの部屋

たるさんの部屋
  ーーーーーーーーーーーー
 ◆林田町愛護育成会教育講演会
        題名 子どもの心音(こころね)が聴けたら

           ー講演内容のまとめー

        ◇大人の使命感、親の役割、母親の慈しみ◇

*子どもは宝物

・子どもは将来の日本を守り我々大人は面倒をみてもらわなくては生きていけない。
 だから大人は使命を持って子どもを愛し護り育てていかなくてはいけない。
・大人は子どもには正直に一生懸命努力することが「偉い(エライ)」と教える。

*団塊世代の大人や今の親が子どもに「背中を見せて育てられるか?」

・団塊世代の大人は戦乱の中で命がけで生き抜いた親や大人の背中を見て育った。
 団塊の世代は高度成長期で夢を栄光を手に入れるために自分の成功を主にして
 仕事を命に家庭を省みずに必死に、、、働くことが生き甲斐にしてきた。
 やがてそれが泡となり泡沫(うたかた)の時代を生きてきた。
 その(後ろ姿)背中を見て今の親(30台後半~50台初期)たちは育ってきた。
 その年代が育てているのが今の子どもたち。果して「背中を見て育つか?」

*「母親像(母親の慈しみ〕」

・戦中、戦後の母はおかん、おふくろ。
 子どもにひもじい思いをさせたくなくごはんをおなかいっぱい食べさせるために
 母親は必死に働いた。朝から晩まで。
 明日の生活さえわからない時代でも「笑顔」でいることを教え、どん底の貧しさの中
 でもプライドを持ち、盗みや罪を許さず「人さまに迷惑をかけるな」と教えた。
 近隣、地域一体となって支え「お互いさま、お蔭様の精神」で互いに助け合い
 人を大切にすることを子どもたちに伝えた。
 少しのシャレ気とユーモア、家庭に明るさを。子どもがイタズラ、ごんたをしたり
 失敗をしようが「元気が一番」と目をほそめ見守り大きく包み込んでいた。
・ほんの小さなことに感謝しいつも手を合わせ拝んでいた。
 働いて荒れた手で子どもの手を握り、幼子をおんぶして夕日のをながめつつ一日を
 終える。おふくろの手のぬくもり、背中こそが一番のやすらぎに場所。
・学校のできごとを母に聴いてほしく息をはずませ、走って帰った幼いころ。
 内職のまた炊事の手を止め、膝に抱っこして真剣に聴いてくれた子どもの心音。
 母を助け手伝いをするのは日常。その姿をみて
 子どもが親を思い、また親が子どもを思う「無償の愛」は育っていく。

*「何を幸せに感じるか」

 貧しく苦しかった時代から現在は生活は豊かで何でも手に入る。
 なのに心が貧しくなり家庭内、親族同士の憎しみから事件へと毎日のように起こる。
 親子の間に大人の世間体、見栄が子どもへの「無償の愛」を見づらくして苦しめる。
 現在に子どもも無気力、無関心、無感動の「三無主義」で適当に暮らす毎日。
 今こそ大人が使命感を持ち親が役割を果たし母親の慈しみを子どもの与えないと
 これから日本がもっと住みづらくなりはしないか、、、、。

 

 

 

樽さんの部屋UPしました。

    たるさんの部屋   「贅沢(ぜいたく)三昧の暑い夏スタート」
 
  とにかく今年は暑い。6月末から猛暑日、熱中症対策に気をつける異常な日々。
  いつもの夏とは少しちがうスタート、、、、遠征が極端に減った。

◇西日本強化高校リーグ戦
  琴丘高から市姫路高転勤を機に委員長をさせていただき10年以上続いた
  西日本強化高校リーグ戦を辞退。
  岡山遠征(下山、田淵、近藤先生)広島遠征(山陽高田中先生)四国高松遠征、
  徳島市立遠征がなくなり全国常連の米子北高(城市先生ら)と出会えなくなり
  15年以上お世話になり続けて静岡御殿場「時の栖」(阿部先生、阿山さん)
  など恒例の遠征がなくなった(正直寂しい)

◇8月1、2、3日は「第29回姫路サッカーフェスティバル高校招待大会」
  第1回めを35歳で始めた。その年の参加はわずか16チームで。
  当時は福崎高、のち琴丘高監督時代にたくさんの指導者と「出会い」ができ
  その「縁」で多い年には約150チームが集結していただいた。
  監督会議、全体の懇親会のあとの「二次会」は拙宅(樽本宅)へ。
  夜遅くまでサッカー談義で花が咲き指導者同士の出会い場となり互いの交流と
  広がる場となれたのは嬉しい。
  私自身も多くの先輩諸氏に育ててもらった恩返しと思い20年以上も続けてきた。
  人生を豊かにしてくれたこの大会もいつか去らなくては、、。(これまた寂しい)

◇恒例の夏
  朝6時半に家を出て津田小学校への朝練習へ(来年40年になる)
  小学3年生がこの夏休みから朝練習開始。毎年初練習の学年を担当する。
  3年生の最初が大事。まず「躾け」挨拶、集合、集中。正直1時間でも疲れる。
  朝5時すぎから準備とパワーを貯めて出かけないと3年34人には勝てない。
  今年の3年は楽しみ。3年後どれだけ伸びるか楽しみ。5年前全日兵庫県予選決勝
  まで進出した学年を越えたい(ということは全国出場かな、、、)

◇津田ジュニア4年生
  7月には第1回兵庫県少年サッカー大会姫路予選(今までは姫路市民大会優勝
  チームが代表だったが今年から出来た新しい大会)
  スタッフの仕事の都合上、私が1、2回戦、準決勝を担当することになった。
  少年の公式戦をあずかるのは何年振りだろう、、、。
  姫路の4年生は4、5チームが横一線でどこが勝っても不思議でない力関係。
  5月28日新チーム開始から大会初戦まで40日間の綿密な計画プランを練った。
  まず自チームを知り相手チームを分析(スカウテング)。持っている能力を
  最大限引き上げ大会を制するために。オーバーだが40年間(社会人、高校、
  ジュニアユース、少年の全日県準優勝2回、県大会準優勝3回をも思い起こし)
  の指導ノウハウを引き出し整理してまとめて勝負に出た。
  奇しくも4年生の主将は2番目の孫(おじいと孫との戦略をたびたび日常会話で)
  難しい相手が続いたが結果は5試合で総得点29点、失点6点。優勝できた。
  私自身が監督をし勝負がかかるとムキになり一切の妥協を許さない。
  一番の勝因は予想以上に子どもたちが伸びたこと。
  「たかが4年の子ども相手に、、、」と思われるかも知れないが、、、
  徹底した厳しさの40日間。それでも見事についてきて成長した。 、
  孫はきっと何とも言えないプレッシャーがあったと思う。大会が近づくと口数が減り
  口のまわりに吹き出物を作り、優勝したその日には疲れ切って寝込む姿に
  毎日厳しく叱りとばして、、、、「おつかれさま」

◇津田ジュニア6年生
  4年連続関西大会出場がかかった県スポーツ少年団大会は準決勝で惜敗。
  手がかからないやさしいいいい子たち。この子たちの特徴である「まじめさ」は
  あきらめず続けていたらきっといいことがあるとを証明してあげたい。

◇津田ジュニアユース
  スタッフが仕事の都合みてあえて暑い最中に練習時間を変えて鍛えてくれている。
  Jrユースの子どもたちがスタッフの熱い思いを受け取って逞しくなってほしい。
  今まで地味で目だたなかった中3の初孫が体を張り積極的にチームを引っ張ろう
  とする意識が出てきた(おじんバカだが、、、)素直に嬉しい限り。
  盆の「大山合宿」で一皮も二皮もむけ成長し夏の終わりの高円宮杯では県大会出場
  を果してほしい。中学時代の良き思い出を作ってくれたら、、、と願う。
  合宿では姫路高校と合同でまた今年総体鳥取代表の米子北高サッカー部2年生に
  新設になった人工芝、天然芝の大山合宿先「山香荘」に来てもらい鍛えるつもり。

◇姫路高校サッカー部。
  転勤して3ヵ月。新チームになって1ヵ月。
  今までは校則で遠征や合宿が許可されなかったが今年から運良く合宿の許可が出て
  大山合宿へ引率することに。27名が一つになり人のことチームのことが考えられる
  私の生き方である「利他の精神」を寝食を共にして学ばせてやりたい。

◇エストレラユース
  6月。アディダスカップ(全国クラブユース選手権)全国をかけ関西代表戦を
  ガンバ大阪ユースと。だが、やはり力の差は大きく0ー6。いつかJユースに、、、
  秋には2年連続Jユースカップ全国出場を果してほしい。
  エストユースメンバーの中心が津田卒業生となり前勤務していた琴丘高に
  在籍生徒が11名となった。ユースチームがまとまりいい雰囲気での活動している。
  ユースには「メンタルセミナー(学習会)定例会」を月一回催し
  サッカー選手である前に人として高校生として生き様を伝えている。
  エストや津田の中心スタッフの多くを私が福崎高、琴丘高の選手時代に徹底して
  鍛えた魂、心、しみ込んだ人生観を今度は現役エストユースに伝えている。
  この子たちが将来エスト姫路の中心となり「J3」誕生の基盤とならなくては
  いけないからである。

◇エストジュニアユース(中学)
  恒例となっている、我が家への夏訪問。
  エストの夢、目標、個人のテーマを確認、初心に戻ることと夢への再確認。
  エストユース同様に「メンタルセミナー(学習会)」に真剣なまざなしで
  取り組んでくれている。将来の姫路の宝物を育てなくては、、、。
  12年前にエストレラを立ち上げながら私自身が中核にならず任せっきり状態。
  近いうちに早急にエストレラに戻り「立ち上げ時の初心に戻りたい」
  63歳だが体と心が折れないうちにエストスタッフのそばにいてやりたい。

◇エストレラ姫路(社会人)
  9度の県社会人リーグの優勝を果たし関西リーグに最も近いと言われながら
  まさかの2部リーグ落ち。これも新生エスト姫路には必要なことと考えている。
  メンバーもここ3、4年琴丘高サッカー部主将経験した生徒を在籍させ、学生時代
  私が伝えた思いを新生エストチームに浸透させたい。
  2部を前期首位で折り返し、この夏全国クラブユース選手権を96年以来2度目の
  アマチュア日本一を目標にがんばろうとしている。期待したい。

  遠征は減ったが楽しみは増している。幸せなことだ。
  新しいチャレンジが「伝統をつなぐ」という思いで挑戦していきたい。

樽さんの部屋UPしました

「 たるさんの部屋 」

                気づき

 「器(うつわ)」

  先人だけでなく最近わかったことは(気づくのが遅いが、、、)
  子どもでも生徒でも「器」の大きい、小さい人がいる。

  愚痴やいやみを言わず人の悪口さえ。仮に周りがそう言ったとしても
  笑顔で接してあいづちや賛同をせずに普通のことのように相手している生徒。

  人と出会って
  誰かの伝え聞いた話を自分がしたかのように話す人
  話をおもしろおかしく広げて興味、関心を引こうとする人
  人よりわずかに先に知ったことを自慢げに話す人

  「何かいいことないか?」「何か儲かることや得になることないか?」と
  つねに会話の中に随所に出てくる人。
  人の話や情報に気づいていれば、いい話はいっぱいあるけど、、、、
  上のように自分が利益を得たいと常に思ってる人には見えないかも知れない。
  人の噂や悪口、おもしろ話にはすぐに気づき楽しげに話するのに。

  会って第一印象。5分くらい話すとだいたい上のような違いに気づく。
  これを「器が大きい」と取るか「器が小さい」と感じるか、、、
  「もう一回会いたい」とか「以前どこかで会ったような」と親近感を
  感じる人と出会うと嬉しい。

  気をつけよう、、、(自分自身に)
  不安が年齢を重ね経験することで少しづつ少しづつ「自信」を得ていく。
  その自信がだんだん増えるといつの間にか「過信」になり
  その過信に気づかないでいると「慢心」になり大失敗し人も失っていく。

  人には「誠実に」接していたい、、、(自分自身に)
  貧富の差、年齢の違い、職業によって態度を変えるほど見苦しいことはない。
  だが実にこうして生きている大人が多い。
  何の目的でそうするのか?、、、きっと自分の利益(得)を考えるんだろう。

 

 

樽さん部屋UPしました

 「 たるさんの部屋 」      H25・6

〔※〕転勤して2ヵ月
  *自分一人の力で教師になれたわけではなく、生徒や子どもたちのお蔭で
   多くの貴重な体験ができ素晴らしい人生を送ることができ成長させて
   もらっているとあらためて認識する毎日。

    ーーーーーー *生徒と接しながら気づきこと ーーーーーーーーー

〔1〕「明るさ」
  *見えないものを見てあげると
  「明るさ」の裏側に・自信のなさをみせない・(不安からくる)みせかけの明るさ
           ・カラ元気・作り笑顔・目が笑ってない。

〔2〕「嘘」
   嘘は「泥棒の始まり」と誰だって嘘をつくことは悪いと知っている。
  *聞こえない心の叫びに耳を澄ませば、
   「つかなくてはいけない嘘」とは・おかあさんを悲しませたくない・板ばさみ
                  ・大切な人を苦しめたくない・いい子でいたい
   「助けてぇ」と心の叫び、つかなくてはいけない嘘から解放してあげたい。

〔3〕「それはゴジャやろ、、、」
   と突然わけのわからない、ヒステリックな行動をとる生徒。
  *それは抑圧された感情が行き場を失って体に表れて行動に出てくる。
   「大人はこうでもしないと」わかってくれないとわかりやすい行動に出てくる。
    それくらいまわりの大人が鈍感になり気づかない。

  <原 因>
 (1)大人も忙しすぎて何かに追われゆっくりと子どもに寄り添えないのかも。
 (2)うまく話せない子どもは多くは、、、、
    気持ちを抑えに押さえて自然に感情を表現するのが苦手。
    自分自身の感情をコントロールできないで苦しんで子ども。
    いやなことをされたら「イヤ」と腹を立てて怒ればいいのに。
    辛いこと悲しいことを耐えてばかりいるから。たまりに溜まっ、、、、。
    「がまんしなくていい」と甘えられる人と出会うとなど信頼できる大人
    先輩、仲間たちとの共有体験をさせてあげるといいが、、、。
 (3)「苦しい」ちょっと休みたい。
   *幼いころから親や身近の人々にいい子にみられたい。
    がんばってほめられ続けたい。大事な大好きな人からご褒美がほしい。
    休むことなくがんばり努力し続けて自分自身を維持している子どもに
    気づいてあげて。少し休んで、たまには「ゴジャ」して甘えていいよっと。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ◇私のできること、生徒への恩返しは
  *子どもの観察、声かけ、かかわっていく。
   子どもがやる気(モチベーション)が起こるアドバイスを
  ・ほめる・出番を作る・頼むな(信頼のモチベーション)・役割を与えるなど

 

 

        「気づきのメモ」(H25・6月の津田SCスタッフ会議より)

<自分自身に>
 ・やりすぎると「嫌われるぞ!」気をつけて。
    *ほどよい度合い、いい加減が大切。世話の焼きすぎ、お節介に要注意。

 ・「運が悪い」とすぐ言うのは言い訳、逃げ口実?
    *ホンマに「運」だけが悪い?

 ・人生に「絶対、、、」はあり得ない。ビックリすることばかり、、、。
    *山、谷、嵐、、、壁、挫折、、、乗り越えることが実に多い。(でも)
     だから人生はおもしろい。と思える心に余裕と自信が今ある?無い?

 ・荒れ地には作物や花は咲かない。耕して種まいて水やって、四季、年月かけて
    *心は荒れ地になってないか(おごり、ぜいたく、さぼり)はないか?

 ・「勝つため」だけに子どもを指導してないか?「勝たせるために」
    *自分がいい思いをしょうとすると子どもも自分も「理性、人間性」を失う。

 ・スタートはいつも「0」。何かあったらスタートラインに立つ。
    *うまくいかなくなれば「0」に戻ればいい、またやり直せば(ダメもと)。
     それは自分の一番特性、長所のはず。いつも「さぁ次や、次やるぞ!」
    *年取るってことは新しいことに挑戦すること。

<会社経営者や退職された企業人とお会いして>
 ・リーダーとは部下の特性を生かす。
    *部下の特性を知らないどころか、部下をつぶしていることすら、、、

 ・上に立てないと不快感を表す上司。
    *資質も能力のないのに権威的な上司。

 ・幸福(幸せ感)をどこにおくか
    *「何を幸せに思うか?」で出会った人の「ゆとり」が全く違う。

 ・人生の先輩(高齢者)から学び続けること。
  人生の後輩(若者、少年、ガキ)から情熱をもらい続けること。
  若い時に老人のいい所に気づき老人になったら若者のいい所を見つけよう。
 ・やさしくなりたいなら歳を取れ、、、

<子育てに悩まれている母親と会って>
 ・スーパーマザー(アメリカ)=良妻賢母(日本)
    *最近少なくなった。いや、いなくなった(おかんはどこへ?)

 ・子どもに不自由なく悲しい思いをさせたくない(自分が貧しかったため)
    *過保護で金品を与えられて何不自由なく育ち知恵をしぼり汗を流して
     労働で金をかせぐことを知らず自立心、忍耐力が育っていない子。
     犯罪?に手をそめるしか、、、、。この子の将来が心配。

 ・やはり良い家庭にしか良い子は育たないのかな?
    *良い家庭とは金銭的に裕福ではない「心の裕福さ」なのに。
     子どもにとって「心の裕福さ」とは親、兄弟、家族との和

樽さんの部屋UPしました

たるさんの部屋        平成25年5月1日
        ーーーーーーーーー
 ◇3月中は
  多くの教え子たちに心配をかけ電話やメール、それにわざわざ家にまで
  俺の顔を見るために来てくれて励ましをくれる卒業生もいた。ありがとう。
  こんなにたくさんの教え子やサッカー関係者がこんな私を気づかってくれて
  いることにあらためて驚きと感謝。教師生活40年の歴史ですかね。

 *琴丘女生徒の
 「こっとんは終わってもたるさんは終わりではない、きっと市姫路にもたるさんを
  必要とする悩み不安を持っている生徒のためにがんばれ!っていう神様の御告げ
  です。私らの自慢のたるさんを市姫でもわかってほしいです」
  というメールに背中を押され

 ◇さぁ4月。62歳にして新たな挑戦。
  大切な何かを横にやるか捨てないと前に進めないと決め
  新しい赴任高、市立姫路高校に着任した。

 *一般の生徒の気持ちいい挨拶と堂々とした校歌斉唱に驚き、
  津田の指導理念である「子どもが将来幸せになる」そのために「笑顔で挨拶」という
  大テーマの大切さを市立姫路高校の生徒を見てあらためて感じた。
  やはり周りをあたたかくし気持ち良くするには「笑顔で挨拶」やな。
  もう一度初心に戻り指導していこうと決意した。

 *サッカー部員も今まで長期に渡り指導者不在に悩み自分たちでやってきた市姫。
  指導者が一番悩む元であるモチベーション「やる気」はすでに部員にはあり
  目を輝かせて俺の話を聞き全てのことを受け入れようとする部員の思いが
  ヒシヒシと伝わってくる、この子達は「待っていてくれたんだ」と。
  生徒の清々(すがすが)しさを久しぶりに感じた。
  しばらく忘れかけていたこの感触、、、、。新鮮、、、。
  あらためて自分自身を問いなおすいい機会になりそう。
  環境を変えるということはこういうことなんだなとつくづく。

  それだけでも嬉しい限りなのにまだたくさんのお土産がついてくる。
  つぎつぎと懐かしい出会いにまた驚きの連続。
  福崎高時代の教え子(今40歳から50歳)の子どもが次々と声をかけてくる。
  姫路西、姫路東高講師時代の生徒だった子どもまで。
  「先生、あのね、うちのおとうさんが、、」「おかあさんが先生の、、、」と。
  そればかりかサッカー関係でもたくさんつながっている生徒たちであふれている。

  上に書いた別れの文と同じになるけど40年の教師生活、39年間のサッカ-生活を
  粘り強く続けてきた結果こうして「人という財産」が残っていたことを転勤してみて
  あらためてわかった。
  残り人生、自分に与えられた使命を今一度思い起こし次の財産を残せるように
  やっていきたい、いや!やるぞ!!

  心配をかけた卒業生、今そばにいてくれるチーム関係者、サッカー指導者仲間。
  たるさんは大丈夫。今毎日がワクワクし新任の頃を思い出している。
  また応援よろしく。迷惑をかけ心配かけた分、何かで返す、きっと。
  乞ご期待を!!