たるさんの部屋UPしました

たるさんの部屋                   H:28、11、27
ついについに夢実現が叶った!!

いつも重要な行事には必ず雨が降る「雨男」の私の真骨頂か、、、
朝から冷たい雨が、、、嬉し涙の結集ということにしょう。
時は11月27日(日)。神棚に向かい「感謝の心」で手を合わせ家を出る。
1年前の11月に計画を始めて1年後の今日。ついにこの日を迎えました。

降り注ぐ雨対策用テントが設営されシートが敷かれている。
ずぶ濡れになりながらの準備作業にかかる方々やユースの選手に心が痛みます。

◆9:00~ 「神事」大塩天満宮の宮司により無事執り行われました。
◆10:00~「式典」は雨天のため大的市民センターへ移動。
急な会場変更で大変だったと思われるが見事に準備が完了されていました。

ーーー私の祝辞は津田HP、エストパークコーナーに掲載しましたーーー

式典は地元選出の井川市議会議員の乾杯の発声で開始されました。
エストレラのコンセプトに賛同され支援をいただいてる石見姫路市長の祝辞。
応援いただいてる松本衆議院議員のお祝いの言葉。
来賓方々は西村健稔衆議院議員(代理)。姫路まちづくり振興機構南都理事長。
土地を提供していただいた山陽電気鉄道(株)米田取締役。
活動提携を結ぶ予定のシーサイドゴルフ新井社長と姫路大学野畑副学長。
地元からは自治会、漁業組合支所長、老人会、子ども会、公民館長。
大塩小学校及び大的中学校長とPTA会長。スポーツクラブ21。
JA大的支店、大塩ゴルフリンクス社長。
お力添えをいただいている播磨大塩病院。井野病院。隣接する地主梶原様に山本様。
その他の数多くの方々にも列席していただきました。
グランド建設に大いに助けていただく一方、親しくお付き合いさせていただいてる
関西電力の多田所長や面々の方々。きんでん。神鋼エンジニアの皆様。
最高のグレードの人工芝を入れていただいた住友ゴムの井坂常務。
その人工芝工事に携わったいただいたスポーツテクノ和広の皆様方。
難工事だったと土地をものの見事に完成していただいた施工業者の皆様。
参列者は総勢100人を越える人々で祝賀会会場は埋まりました。
ほんとうにありがとうございました。

◆11:00~パネルデスカッション(前田先生司会進行)
パネラーは日本サッカー協会グラスルーツ推進松田部長。
ブラインドサッカー釜本理事長。ろう者サッカー鈴木会長。
地元大塩出身で元プロ野球選手(現在野球評論家)黒田氏の方々。
デスカッションは非常に有意義で聞く者の心を引きつける熱いお話に感動し
この地を障害スポーツの拠点にしなくてはとあらためて思い直しました。

◆11:30~ブラインドサッカー
雨にも関わらず行われ多くの見学者が目の不自由さを感じさせない選手のプレー
一つ一つに感動し見入っていました。
子どもも、初めて目にする大人も何かを感じていただけたと思います。

◆12:30~「昼食会」
大的市民センターへ戻り
大宮アルティジャーから教え子である播戸竜二(元:日本代表)がかけつけてくれ
懇親会では来賓の方々の交流でおおいに盛り上がりました。

◆1:30~サッカー教室
人工芝グランドではLEDナイター照明を点灯。
指導講師は関東からわざわざかけつけていただいた
・山口泰弘氏(元日本代表主将、元横浜FC監督、TV解説者など)と
・羽戸康弘氏(元日本代表、横浜マリノスアンバサダー、淡路出身)でした。
共に横浜フリューゲル時代解散直前の天皇杯を制覇したメンバーです。
約50名の4、5年生対象に雨をも吹き飛ばす熱気で歓声が沸きました。

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※5年前に教え子たちに「還暦のお祝い」をしてもらった日の挨拶で
サッカーグランドと自然パークを作ると
話した通り思いは念ずれば「夢は叶う」有言実行ができた一日でした。
正直疲れました。でも心地よい疲れでした。
妻(みっちゃん)と二人で静かに「お祝い」を「ありがとう」の感謝を込めて。
その夜は予想通り朝方まで何度も何度も目が覚め幸せ感がよみがえりました。
お世話になったお一人お一人の顔を思い浮かべながら手を合わせました。

でもほんの第一歩です。
今日大塩で産声を上げたにすぎません。
皆様の愛情という肥料で地ができました。これからはこの地に種をまき芽を出させ
その芽を大切に粘り強く耕し(育て)続け、多くの人々に大きな花と咲くように
見守っていただき健常者、障害者一体となってこの地がスポーツ文化の町と
と呼ばれるように次に進むスタートの日でもあります。
人に喜んでいただけるように頑張ります。
今後ともよろしくお願い致します。

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*なおこの度「竣工式」の様子をメディアに取り上げていただきました。
「竣工式」予告:11月24日付の神戸新聞一面に掲載され
(*紙面は津田HP、エストパークコーナーに掲載)
「竣工式」の模様
・11月27日当日サンTVでニュースとして。
・11月28日付の神戸新聞と毎日新聞の姫路、播磨版を載せておきます。

神戸新聞

 

毎日新聞
・Winkが後日放映していただくようです。
機会がありましたらご覧下さい。

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生徒という名の先生
*各年代のメモから
「自立、なぜ?」

大学を出て新卒教師の着任先が今思えば「ラッキー」な定時制高校分校。
生徒数約100人足らずで1~4学年まで1クラス。専任教師は7名。
規模は丁度いいが何もわからないままスタート。
いきなり2年生担任。体育主任(体育教員私1名)。生徒指導主担当(私1名)
当時教育界は紛争が大学から高校に移りまさに学校は「荒れた」状態。
高校は大手、中小企業が連なる姫路南西部(網干地区)の播磨工業地帯。
生徒の仕事内容は何千度という溶鉱炉内で汗や油まみれの作業。早朝出勤をして
職場の準備から清掃や片付けなどに精を出す職業訓練生や初心者労働が多い。
進学理由は高卒免許取得希望者。勉強だけでなく仕事をして家計を支える者。
遠く離れた地から来姫し仕送りをしている者などすでに「自立」ができている
生徒相手に新米の私が進路指導、キャリア教育、生き方指導などできるはずがない。
だが私の職業は「教師」。教師として何もできず悩み苦しんだ。

生徒から学びながら自分らしく自分しかできない自分のできることをしよう。
自分ができることは生徒と一緒に楽しんでやることと決めた。それしかできない。
するとメチャクチャ楽になった。
週末になるとうちに集まり「HR合宿」まがいなことをやり同じ時を過ごした。
夕食を作って食べて職場や上司、同僚、家庭、故郷などのたわいもない話から
整備士、タイヤ関係、販売、セールス、大工、飲食店、銀行など仕事は多種に
渡って仕事の話(仕事内容やしくみ)大人社会での生き方などを話し込んだ。
私にとって全てが新鮮で尊敬に値する生徒たちであり多くのことが学べた。
この生徒たちには私の「結婚祝賀会」を手作りで催してもらい感謝感激。
その結果この6年で自分の「教育指針」を見つけ退職するまで43年間通した。
その(教育指針)とは自立。見つけることができまさに「ラッキー」だった。

「なぜ?」
一方でもう一つ「ラッキー」だったことは昼間は講師として播州地区で
有数の進学校姫路西高、姫路東高と私学の賢明女子学院で教鞭をとれたこと、
早朝と週末には地元で少年サッカーを指導できたことである。
定時制高校の生徒たちの経済的なこと、アパートでの一人暮らし、寮、住み込み等
の生活ぶりが上記三高校とは圧倒的なこの違い。これは生徒のせいだろうか??
そこから「なぜ?」と常に考える機会となった。
もし定時制の高校生の実態を知らずに普通高校に新任として勤務をしていたら
校訓を掲げ校則を厳守させ「学力向上」を目標に進路実績を上げ世間から
「いい学校」と評価を得るための教育指針に重心を置いて「勉強=高学歴」こそが
人生の勝利者だとしたら「勉強しろ!有名大学に進めないぞ、一生困るぞ!」と
ハッパをかけ学習や教科を厳しく指導し親や世間からも評価の拍手を送ってもらえる
教師をめざしていたかも知れない。
一人一人の生徒と向き合い「なぜ?」とは考えない教師になっていたかも。。。

学校でしか通用しない勉強(知識)は「学力」ではないと思う。
「学力」とは自立(社会性)を養うために身につけることだと思う。
そして得た「学力」を社会貢献に使うことこそが人間として幸福に生きること。
「自立」=「決断」であり学校の指導や職場上司の指示を待って決めるのではなく
自分で堂々と意思表示し自分で「決断」し行動できることこそ「自立」。
福崎高ではサッカー部や授業、クラスで徹底して「なぜ?」と考えられる人間と
して鍛えたつもりだがなかなかうまく伝えられず時には反発されたり反骨心を
持たれたりした。あきらかに教師力不足。また悩んだ。

勉強せずに遊んでばかり道徳心も乏しく秩序を乱し問題行動を起こす生徒と出会う。
教師や周りの大人は「ホンマにこいつらは、、、」と眉をひそめ冷たい目で見る。
(正論)を言い上から目線で説教を続ける。高校生にもなれば(正論)が正しいことは
わかっているはず。

「なぜ?」と生徒の気持ちをわかろうとせず生徒に「わかったか」と従属させ
「ハイ」と返事がないとボロくそに文句を言い続け「なんやその態度は、、、」
思い通りに素直にならないと怒鳴り、あげくの果て「もういい、帰れ!」と。
荒れる生徒にはなおも強権な手段、力で抑えにかかる。
生徒が「ハイ」と黙ると「よし」と教師の自己満足。
一時的に収まったように見えるが「もうこの教師に言ってもムリ、あかんわ」と
嵐が通りすぎるのを待ってるだけ(実は生徒は見抜いてる)
かたや「注意しておきました」といっぺん通りの指導しかしない教師。
親まで「先生のいうことをまじめに黙ってよく聞け!勉強さえすればいい」と。

新米で赴任した定時制高校ではそういう指導が全く通じず意味をなさないことが
わかったことがほんとうにラッキーだった。
生徒の心の奥底に隠れてるなぜ?に気づこうと。

不遇な家庭生活(離婚、別居、死別、経済的、虐待)が原因として生徒が荒れ、
問題行動をたびたび起こし教師が解決できる教育レベルではないと判断すると
教師は踏み込まない、いろんな理由をつけて(教師は理由付けがうまい)
私はなぜ?を心に問題行動を起こし反抗、逆らうのはこちらを試してる
私に向かってのメッセージである。
それを知らせるための問題提起であり私に助けを求めている行動と真っ正面から
受け止める。うまくいかずとも気持ちは絶対に通じるはずと信じて。
この生徒はこの世の中にたった一人しかいない必ずいいところがある。
見落さず注意深く(気づき)受け入れた。
そうすると出会ったほとんどの生徒が心を開いてくれ今も付き合いが続いてる。
それどころかそういう生徒は定時制生徒と同じく尊敬に値する能力、優しさ
男らしさ、気配りを持っている。やはり尊敬は年齢に関係ない。
だが私の若さや経験不足、不安、余裕のなさからうまくいかないと感情的になり
たくさん迷惑をかけ反省の連続の(30歳~福崎高)12年間だった。

琴丘高へ転勤が決まったが無理にムリがたたり生死を彷徨い「寿命」を切られ
恐怖と不安の入院生活。社会復帰できるか、、万が一できたら。。。。
琴丘高でも「人のために(社会貢献)」と自立を教育指針にして
「一所懸命ひたむきに」目の前のことを手を抜かず頑張ることと
「気づき」をテーマにして職場復帰をした(41歳)

授業では体験談を語り、サッカーを通じて体験させミーテングやサッカーだよりで
思いを伝え生徒にはレポートを書かせては気づかせてきた。
テーマ通りできたかどうかは23年間ともに過ごした琴丘高生が出してくれるはず。
その答えを福崎、琴丘の卒業生と食事会を持って聞かせてもらっている。

最後の教員3年間は姫路高。そこには多くの教員志望の生徒がいた。
子どもが親以外に初めて出会う大人=「先生」子どもにとって重要で大切なので
「きれいにさわやかに」を掲げ人に愛される人間形成を求めた。
一方で枠や型にはめず、手取り足取り指導をしないで生徒になぜ?と。
また本物の大人と多く出会わせ感性を磨き、問題を投げかけ答えを待った。
「自分はどうするか?どうあるべきか?」と考えさせることに重点を置いた。
サッカー部員も数多くが教員志望。いつの日か教育論を語りあいたいものだ。

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 たるさんの部屋

         「監督」ではなく「教師」

 卒業式や送別会で「ありがとう」って言ってもらえること。
 卒業後もサッカーで「夢」を一緒に追いかけてくれること。
 教え子がうちを訪ねて来てくれること。これこそが教師冥利に尽きます。
 退職した今、各年代の卒業生らと食事会を持てる幸せ感満載。
 「監督」は結果(勝利優先)を出さないといけないから大変。
 結果が出ると「すごい監督」と周りから称賛を受けることもあります。
 だが自分がやったかのように勘違いや錯覚を起こし人格まで変わるのはイヤですね。
 結果が出なかったからと生き方まで否定されたくはない「たかがサッカーです」

 私は自分の<生き方=方針>を変えてまで勝ちたいとは思いません。
 少年前期(養成期)⇒少年後期、思春期(育成期)⇒高校、ユース(強化期)と
 輝く貴重な年代に寄り添えるだけで幸せなことです。
 養成、育成期間から心身共鍛えないといけない強化(ユース)年代で出会い
 子どもたちが成長した結果勝てればいいんです。

        <生き方、方針(コンセプト)>
 〔1〕やる気(モチベーション)
 チーム一体感(たるさんファミリー)を出す作るメニューを緻密に考え実施時期を
 うまく図り決めたら「やる!」チームのために粘り強く「やる!やり続ける」
 私は褒めたりアドバイスはほぼしない主義だが「努力」は見落とさない。
 日々の活動に手を抜かず「努力」する子どもを信じて疑わず接し「信頼関係」
 を作っておくことが「やる気」を起こさせる基本中の基本。
 そのためには繊細な気づきで一人一人を把握し日常生活(仕事、掃除、準備、整備、
 片付け、裏方、雑用、学校生活など)を見逃さずメモして記憶に留めておくこと。
 そして「利他の精神=チームのために」行動した時は褒め讃えて出場機会を与える。

 〔2〕気づき
 高校入学すでに「気づき」を持っている者(将来のキャプテン、主要ポジション候補)
 高校3年間(ミーテング、サッカーだより、経験、体験など)で気づく者。
 高校3年間で気づかない者は卒業後、社会で、家庭で、さまざまな人間関係の中で
 「ああ、これが高校時代にたるさんが言ってたことか、、、」と気づけばいい。
 サッカーを指導する「監督」より「気づき」を知らせる「教師」でいたい。

 〔3〕人知れず
 少年、Jrユース、ユース年代はスーパースターは不要。作るとチームが崩壊する。
 サッカーだけで注目を浴びて強化(高校、ユース年代)に来た選手は厄介。
 注目を受け目立ちたいと「自分が、、俺が、、」と一人よがりのプレーの連続。
 そういう奴は褒めないとしないし自分が注目されないとやらないパターン。
 (コーチ=権威)にはいい顔(機嫌をとり)擦り寄り裏表を作る人間になっていく。
 人知れず雑用や裏方の仕事はまずしない。こんな子がやがてサッカー生活を終え
 一般社会に出て大人になるとどうなるか?、、、、想像がつく。
 プライドをなくし「自己中」を消して「他者貢献」の大切さを説いてやりたい。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 「監督」が結果を得るために子どもを特別扱いやゴネ得を許してはいけない。
 「監督」は結果を得るために子どもを利用してはいけない(プレイヤーズファースト)
 結果を出したいと思う「監督」より選手の将来を考え指導する「教師」でいたい。
 だが最近親も「子どもの将来を考えてるか?」と疑問に感じることが多くなった。
 親が目先の結果(勝利優先)を選ぶ傾向にあるとしたら、、、子どもたちの未来は?



                理不尽?

  各年代の卒業生らと食事会で出る話は、 、、「厳しかった、辛かった」という
 思いで話が中心。苦しかった時代を笑顔で話してる。
 出てくる話をまとめると、、、今思えばやはり「理不尽かな?」
 少年、中学とあまり技術が高くない者と多くの初心者を抱えたメンバーで高校で
 兵庫県でトップレベルと対等に戦うには「普通のことしていては、、、」
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 *思い出話は必ず「100本ダッシュ」。走ったことしか記憶にないとは、、、、

 *福崎高校のロードワーク。グランド使えない日、走り込みシーズンには
  高岡小往復(4km)か金剛城寺往復(8km)か甘地経由(16km)か、、、

 *市川高校への「練習試合へ行くぞ!」は地獄だったらしい。
  市川高へ走って(約5km)行って試合。あと坂ダッシュして走って帰る、、、、
  ある日あまりに帰りが遅いので車で様子を見にいくと街角で座り込んでいた。

 *新舞子での春強化合宿。御津中(約3km)までランニングで行って練習。
  練習後宿舎まで走って帰る。そのあと約200mの砂浜ロングダッシュ。
  「この手の中にいくつか小石がある。小石がなくなったら終わり」と本数知らせず
  全てが無くなり「終わり!」と言った途端全員砂浜に顔から伏した(47個)

 *校内合宿(練習練習開始夜中3時)
  「近所に迷惑かかるから静かに黙ってやれ!」だが朝方お巡りさんがやってきて
  「ポンポン音がし、タッタッタッと不気味な足音」と近所から苦情が。
   当時は私に質問できる状況になく食事会でやっと質問が「なぜ夜中3時?」
  私:「滝川二高が夜練習してる夢を見たから」

 *雨対策
  次の対戦は技術は関西でもトップクラスの相手。対戦日の天気予報は雨。
  カンカン照りでもないのに1週間グランドに水をまいて雨対策練習。
  当日大雨に「やった、勝った!」相手は当然イヤな顔。結果は勝った。

 *真夏の遠征(宿舎につくと必ず探すところ=坂ダッシュができる場所)
  練習マッチ前相手の監督が「たるさん、多くの生徒が手に何か巻いてるけど?」
  私:「いや、知らん」。聞くと試合の合間に坂ダッシュを「上半身も鍛えろ」
  坂ダッシュの合間に手押し車を指示。ところが猛暑の中アスファルト道路の坂の
  温度はハンパじゃない高温。結局原因は「やけど(火傷)」だった。

 *ランパス
  私の得意のメニューの一つ。2人組で延々走ってパスして走るランパス
  (ふだんは約10~15分)始めてしばらくして「電話です」と校内放送が。
  長話になりすっかりランパスを忘れていて戻るとまだやってる(約40分)
  「長電話で遅くなった、すまん」とは素直に謝れない30歳台半ばの頃。
  「休憩したら後半や」結局、前後半40分ハーフのランパス。

 *オールコートプレス(バスケットからヒント)
  前線からボールを追う(プレス)ボールに近い者は何人でも激しく寄せる。
  ボールがパスがされればまたそこへ猛ダッシュでアプローチして囲い込む。
  引いて下がって守る(リトリート)時間をかけ遅らせ守るのはタブー。
  うちのサッカーでない。それでバテるようなら走り込みを増やせばいい。
  強烈なプレスをかけ続ければ普通の高校生ならミスしてボールは取れるので。

 *縦一本
  試合開始後、相手監督が「蹴ってくるぞ」相手選手も「蹴るだけやで」と余裕。
  でもうちはそれしかできず延々シンプルに単純にゴールめがけて縦へ蹴る。
  後半になると相手が「また蹴ってきたぞ、、」と不安そうな声になっていく。
  相手が「バテた」と見るや「そろそろ、走らんかぇ」と外から檄。
  「残り時間ランパスや、やり切って終わるぞ」でさらにヒートアップ。
  雨やロースコアーのゲームや延長になれば「しめた!」もの。

 *起きろ!
  100本ダッシュや時には150本超ダッシュをすると足がつる、過呼吸など
  さまざまなことが。走り終えた後倒れ込みなぜか半笑いの顔で眠ってる。
  ある日、自転車で一人で帰るのがやばそうな者が出て車で送ることに。
  家の近くまで来たが家がわからず本人は寝込んでる「起きろ!」でもなかなか、、

 *吐くまで走れ!
  学校裏に墓地があり旧中学跡地まで「坂」が続く。ダッシュには最高の「坂」。
  本数を決めて「吐くぐらい走れ!」でノルマが終わったが「誰も吐いてない、
  やり直せ」すると墓場のそばの溝で吐く者が「バチあたり!墓の周りで吐くな」

 *整備とは居場所作り(手間をかけきれいにすると鍛練の場に愛着がわく)
  やせこけたグランド、小石が多く砂地も少なく固い。朝練整備後や休憩時間に
  石拾い(長い間やってると石が無くなり砂を拾っていたとの証言)をやる。
  鉄工所に依頼し重くて頑丈な鉄のトンボに代え整備しながら筋トレをさせる。
  トンボを押す者は(相撲の)股割りのように腰を深く落とし摺り足で下半身強化。
  引く者も時には鉄トンボに人を乗せて引き整備しながら上半身強化。

 *水抜きのチャンピオン
  グランド状態が悪いので少々の雨ですぐに水がたまる。だから「水抜き」は常。
  一致団結誰もさぼらないので「水抜き」があらゆる道具を駆使して異常に早い。
  年末に強豪高校が関東遠征帰りに練習試合にやってくるその日は薄氷が張ってる。
  スポンジを有るだけ広げ、足りない所は部室や教室からありったけの雑巾を敷く、
  それでも足りない。時間がない。すると自分のウインドブレーカーやピステを敷く。
  同時にベンチ、テント、真っ直ぐにライン。ものの見事に間に合わせた。
  2階体育教官室から進行状況を見て私も感動、少し胸が震えた。さすが!!

 *ライン一本のこだわり
  フェスティバルや大会などの会場準備、当番をよくわが校が担当にとお願いする。
  仕事をすると将来役に立つので。ある日私が到着するとまだ準備ができていない。
  主将らを呼び「何でこんなに遅いんじゃーー」「すみません、すぐにやります」
  そこへ中学校の顧問から「昨日の大会があり使ってもらおうとそのままに」
  しかし部員がライン一つ分(約5cm)内だと気づき全てを消して整備し引き直し、
  これには会場にいた先生方や大会役員らが感動されたが、うちにとってはふつう。
  ライン一つのこだわりは当然でしょ。それが仕事。社会に出て役に立つ。

 *怒ってもらえない。
  周りに見られない場所に集合し試合前の檄(ゲキ)ビンタ。
  久しぶりの食事会で「自分だけビンタされない日があり悲しかった」と語ってる。
  わめかれ怒鳴られ、メチャクチャやられた部員に「ええなあ~たるさんに本気で
  怒ってもらえて、、、」と羨ましく怒ってもらえない寂しさを口にしてましたが
  これって今の時代「体罰」ですよね。

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たるさんの部屋                H28、10、1(66歳誕生日)

週末になると各赴任高校先だったサッカー部の教え子と自宅で食事会をもっている。
この再会が今の私の「楽しみ」であり教師としての確認でもある。
久しぶりに会ってもその時、その頃、その時代に一気に戻れるのは不思議。

福崎高校に(30歳)転勤しサッカー部を持った時に決めたこと。
うまくなる、勝つ、全国出場などはモチベーションの一つにすぎない。
サッカーを通じて「自立性」「社会性」を身につけさせる。
*自立性 (1)逞しく生きる=生命力
(2)乗り越える力=忍耐
(3)はねかえす力=挑戦
*社会性 (1)人間関係でもまれて育つ。
(2)人のために(利他の精神)
そしてサッカー部のスローガンに「人のために」を掲げた。
「偽善者」「きれいごと」などと思われているかも知れないが、、、。
赴任した各高校サッカー部のスローガンにして現在も続けている。

人のために
(チーム、仲間のために)
・生きてる限りは人助け  → 何かしてあげたいと思う気持ちでワクワク生きる。
・他者、社会貢献     → 見返りを求めないでさせてもらう
・気配り         → 気配を感じ相手の思いを馳せる。
・心配り         → 心配性になるほどに相手のことで悩む。
・気遣い         → 気を使うトレーニングを習慣にする。
・人が喜ぶ顔がみたい   → 人と共に喜ぶと楽しさ倍増。
・困っている人をみたら  → ほっておけない、お節介でもいいので関わる。
・出会った全ての人に   → 感謝の「ありがとう」。出会いは奇跡。
・他人、相手の幸福を祈る → 相手は敵でない。敵など世の中にいない。
・自分のことは別にして  → 「人のために」動く、まず動く。

◇人間関係をうまくやるには上下関係、年齢、地位、立場はあるとしても
相手を尊敬、信頼して相手から学ぶ気持ちで接すれば絶対にうまくいく。

◇自分を犠牲にして「人のために」するとよくない。なぜなら、見返りやねたみ、ひがみが出て自分の
ためにしてしまうから。まずは自分が幸せになること。

◇自分が幸せになるために「居場所」を作ること。
「居場所」をきれいにして「ありがとう」を言いつづけることで「居場所」が
好きになり愛着がわく。「居場所」ができれば「人のために」できる。
※「居場所」=クラブ(部活)家庭、家族、会社、仲間、サークル、、、。

*再会して生徒たちが現役時代も卒業後も「人のために」したことをイキイキと
話してる姿を見ると嬉しい。
教師としての思い(教え)は通じていることが確認できた。
これからも「人のために」生きてくれることを念じて生徒の幸福に手を合わせる。

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たるさんの部屋

★星になった教え子★(3)
*琴丘高サッカーだより第84、85、86号、神戸新聞記事から

「先生よかったね。準々決勝進出やね」と夕陽がきれいな練習後。
「さよなら」と笑顔で別れたマネージャー〔めぐ=藤井恵〕がその帰りに
交通事故に巻き込まれ瀕死の重体に。
びっくりして緊急搬送された病院へ。すでに集中治療室(ICU)内で危篤状態。
生死を彷徨いながら〔めぐ〕の戦いが始まっていた。
医者からは「いつダメになっても不思議ではない」と。

〔めぐ〕は暑い中でも凍えるような寒い日でも部員のためにグチや文句一つ言わず
黙々と裏方の仕事をコツコツやるタイプ。
料理や掃除、かたづけが好きで家庭的。洗剤負し皮膚がただれても口には出さない。
物静かで誠実。私の話やミーテングも一生懸命聴いてくれる。
オカッパ頭で背筋を伸ばして膝を軽く曲げて歩き「~~ですよねぇ」が口癖。
うつむいて歩く姿勢がふだんと違うと気になって「〔めぐ〕何かあった?」
と私に読まれる。だがどんな時も「いえ、大丈夫です」と心配かけまいと。
逆に私がちょっと疲れ気味の時は必ず「大丈夫ですか?」と。
自分が気を使われることは嫌うがマネージャーの仕事の合間にさりげなく
後方にいてくれ私に気づかい。
熱すぎず冷たすぎず季節に応じたお茶が絶妙のタイミングで出てくる。
1年時は私のクラスで集団訓練や文化祭も体育祭もよく遊んだ。
イジッても女生徒特有の「気づかい」も〔めぐ〕には無用で話しやすい。

*事故翌日10月29日
〔めぐ〕の状況を部員に伝える。
部員の驚きは計り知れずショックでボールを蹴るどころではなかった。
部員は私に内緒で〔めぐ〕の両親と病院に懇願(ICU)に入り〔めぐ〕の戦う姿を
見て、病院が閉まるまで待合室で手を合わせ立ちすくんでいたとのこと。
朝7時から5分間三女好美(琴丘〔めぐ〕の一つ下のマネージャー)と面会に。
毎日〔めぐ〕の笑顔がもう一度見たいと祈るように。だが進展はない。

*11月5日
朝いつものように面会に行くと家族がそろっていた。状況は予断を許さない。
そして1週間戦い続けた〔めぐ〕が一度も意識が戻ることなく力尽きた。
朝練をしている部員に「訃報」を伝える。
グランドは紅葉と澄みきった青空。それを〔めぐ〕は見ることが、、、、。
その日の放課後部員は部室で泣く崩れて練習に出てこないと思われたが
部室の中から「〔めぐ〕のために戦うぞ」らしき部員たちの声が響く。
きっと〔めぐ〕も部員へ
「大事な大切な大会が8日にある。なのにここ数日私のせいで練習できてない。
それはマネージャーの私が困る、練習してくださいよぉ~」と〔めぐ〕が
独特の口調で言ってるはず。〔めぐ〕の意志に応えるように部員はグランドに
整然と整列をし大声でアップ。気持ちがいつも以上に入る感じの練習。

練習後に好美とみっちゃん(嫁)を連れて〔めぐ〕の実家に。
そこには1週間戦った形相はなく薬と延命補助器具から解き放された
お人形さんのようなきれいな〔めぐ〕。
人を包み込みそうな「仏さん」のような安らかな顔で眠ってた。
クラブ中「先生~お茶です」と差し出してくれたいつもの〔めぐ〕の顔が。

●11月7日 永遠の別れ
出棺前、柩(ひつぎ)にいっぱいの花を入れてる時きれいに化粧された〔めぐ〕の
目から頬へ一筋光るものが、、キラキラ輝く宝石の涙をみんなに見てもらった。

弔 辞◇                  ー藤定るみ子ー
こんなかたちで〔めぐ〕ちゃんに手紙を書くのはつらいです。
思い出を話すときりがないね。高校入学してずっーと私の隣にはあたりまえのように
〔めぐ〕がいた。あたりまえのようにサッカー部に入ってあたりまえのように
同じ時を過ごしたね。お互いの口癖は「家族より長くいっしょにおるよな」
つらいことも一緒。楽しいこともいっぱい、いっぱい笑って、いっぱい泣いて。
〔めぐ〕の隣が私の最高の居場所でした。言葉で言い表せないほど大切な人です。
いっつも笑顔でからかいたくなる性格やから誰からも好かれ思いやりが人一倍あって
頼まれると「イヤ」と言えない。
でも私らの最後の頼みを〔めぐ〕は聞いてくれなかった。       .
「卒業式後にまた会おうな、一生の友だちでいような」と誓ったのに。

人を思いやる〔めぐ〕だからこれからも〔めぐ〕らしい笑顔で家族や私たちを
見守ってくれると信じています。
藤井恵という人と出会えてことを心から感謝してます。
なのにこんなに早く別離れなくてはならないことが悲しくくやしいです。
知り合えてよかった、親友でいさせてもらってほんとうによかった。
ありがとう!!大好きな〔めぐ〕ちゃんへ。

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<11月10日・神戸新聞記事>
琴丘、初の決勝進出!!
〔県高校サッカー〕神戸弘陵のV3阻む

○琴丘イレブンはユニホームのそでに「喪章」を着けてプレーした。
3年生女子マネージャー「藤井恵さん」が今月5日交通事故で亡くなった。
7日の葬儀にはサッカー部員がひつぎを運んだ。
その悲しみを乗り越えての決勝進出である。
後半神戸弘陵の猛反撃に耐え1点差を守りきった。
「マネージャーの分まで頑張ろうとみんなで誓い合った。しんどくなったら
喪章を握って自分を奮い立たせた」と播戸主将。
神戸弘陵の連覇を阻んだ裏には亡きチームメートの後押しがあった。

<11月16日・サンTV放映・神戸中央球技場(現ホムスタ)で>
琴丘、全国へあと一歩
〔県高校サッカー〕滝川二高に逆転で敗れる。

○ベンチには私と好美の間には笑顔〔めぐ〕の遺影が。
サンTV放映では〔めぐ〕の紹介が。
琴丘イレブンはユニホームのそでに準決勝と同じ「喪章」が。
ユニホームの下のアンダーシャツには部員から〔めぐ〕へのメッセージが。
〔めぐ〕のおかげで滝川二高相手に実力以上のサッカーが展開できた。
〔めぐ〕ほんとうにありがとう!!

◆エストパーク建設の中、神様〔めぐ〕からの御告げがあった。
「心からエストパークができること喜んでます」とのこと。
〔めぐ〕とその場に一緒にいたい。         ーー合掌ーー

 

★星になった教え子(卒業生編)★

高校を卒業し、さぁ人生これから、、というのに。生きたかったはずなのに。
教え子の葬儀に出るほど辛いことはない。

〔A男〕
琴丘が一番強く結果が出た学年。60人余りの部員の年代。
背が高くいつも胸を張って姿勢がいいものだから余計に大きく見える。
パワーにもあふれ激しい守備には迫力があった。
もう少し柔さと技術があればレギュラーを奪え近畿大会にも出場できたのに。
優しすぎる性格で一歩も二歩も下がって前に出ない。全てに遠慮勝ち。
笑うといつも細い目がなくなってしまうほど優しい笑顔が今も消えない。
ーー合掌ーー

 

〔B男〕
琴丘が県の上位の常連となり伝統高となりつつある時代。
毎年大人数が入部するがその年わずかに10名。姫路市民大会すら取れない
弱小チーム。その学年に〔B男〕は少年、中学と姫路を代表するGKとして入学。
だが弱小学年が「まじめさ」を武器にして兵庫県新人戦でベスト4に。
<1回戦>1ー1(PK勝)<2回戦>1ー0<準々決勝>1ー1(PK勝)
*3試合で得点3点、わずか2失点で。しかも2試合はPK勝ち。
まさにゴールを死守した〔B男〕の存在が奇跡のベスト4の原動力となった。
かわいい子どもが生まれ幸せの絶頂にいたはずが、、、勤務途上中バイク事故。
残された子どもがあまりに、、、本人が一番悔しいやろうな。
ーー合掌ーー

 

〔C男〕
遠く校区外からはるばるJRを乗り継いで。英文科(当時)に成績トップで入学。
出身中学校の監督二人はともに私の教え子。その先生がそろって
「明るくて性格も抜群によく、その上頑張り屋」まさにその通りの生徒。
シャープでスピード豊かなプレーと同じく「ハイ!」と気持ちのいい返事。
私のジョークにはいつも真顔で(通じない)まじめ。バカがつくほどまじめ。
うまくいかないとすぐに顔に出る何度も悩み、落ちては何とかしないともがく。
プレーも性格もまっ正直で不器用そのもの。その必死さで何度も胸が打たれ感動する。

本当に気持ちのいい「スカッ」とする印象が強烈に残った生徒であった。
難関私学も合格し将来悠然とした人生が待っていたはずが、、「・・病」に。
残念ながら闘病生活は一切知らされずそのことが私や同級生を苦しめた。
〔C男〕のことだから病魔とも正面から向き合い戦ったであろうと想像がつく。
もちろん聞いたところで何もできないのだが、、、
せめてせめてそばには居て苦しみを分かち合いたかった。
仲が良く私の大好きな学年の一人であっただけに卒業後何度も何度も会えるものと
信じていただけに、、、。
ーー合掌ーー

 

たるさんの部屋UPしました

たるさんの部屋

☄星になった教え子(1)

*琴丘高サッカーだより第539号から*

平成24年暑い夏が終わり2学期早々兵庫県選手権西播予選でまさかの敗退。
着任して20年以上続いていた県大会出場が途切れた翌日の出来事。

*9月11日:新チーム始動の日
「桝本和成(呼び名=ます)」が練習後倒れた。
姫路循環器センターへ緊急搬送。病名は・・・・・。危ない。
搬送先は私が21年前に心臓停止寸前で意識を失い戦った集中治療室(ICU)。
なんという巡り合わせ。
即、緊急手術。医者は危ないが手術ができれば望みが、、、手術開始午後8時。
そこから7時間の大手術。全ての手は尽くされ悪いなりに症状は安定へ。
手術後は脳のダメージを休めるために眠ることになる。
部員には夏の疲れが出てしばらく病院で静養してるので「心配するな」と。
私一人で抱えるのは辛くて学年主任、副主任(共にサッカー部顧問)には逐一報告。
本当に両先生には助けていただいた。

*9月16日
医師からは「本人とつながりが強くある人から呼びかけてもらうと少しでも
早く麻酔から覚めますので」とのことで〔ます〕の呼びかけに(ICU)へ。
「ます~、起きろ!!練習に遅れるぞ、みんな待ってる、ボール蹴るぞ」
耳元でわめき続け手を握り体をさすり続けるが私は涙が止まらない。
私もペースメーカー埋め込み手術の際に麻酔をかけたあと記憶がなくなって
いったことを鮮明に覚えてる。
そんな状況でも聴覚と皮膚感覚は最後まで生きてると信じて叫び体をさする。
やがて〔ます〕の目からうっすら涙が、、、「ます!聞こえたら手を握り返せ」
すると人指し指が微かに動いた。そばにいたお父さん、お母さんもビックリ。
右肩が動き起き上がろうとする。通じた。さすが頑張り屋の〔ます〕
だが「1週間以内に再発すると危険」と言われたその矢先に最悪の事態が。。

*9月17日
またも4時間をかけて大手術だが状況は危険なまま。
両親に「もう私一人の力では無理。どうか仲間に会わせてやってほしい。
部員のパワー、力がいる。あいつらが何も知らないまま、このまま、、、」
とお願いをして両親と病院からの面会の許可をいただく。

*9月18日
放課後3時30分に緊急ミーティングを開き今まで伏せていた病状を伝える予定。
5時45分に部員も「ICU」へ入り面会できるまでに何とかこぎつけた。
だがミーティングまで待ってくれず〔午後3時〕危篤状態に陥り家族が招集される。
両親にせめて一目だけでも部員にと懇願。
学年集会中の部員たちを学年主任に依頼して急遽「ICU」へ。
何も知らない部員の目の前のベットには〔ます〕の強烈な信じがたい姿が。
あ然、ぼう然。やがて泣き出しベットの横で崩れる。驚きで声も出ない。
やがて我に返り〔ます〕の体をさわり、さすり、手を握り。そして絶叫。
「ます!ますーーッ」「サッカーしょー」「ます!ます!」、、、修羅場、、、
だが無情にも看護師の「家族だけの時間にして下さい」との声。
待合室や緊急出口で手を合わせて祈り泣くしかできない。
あきらめて帰った夜「みんなに会ったあと血圧が上がり心臓も動き出した」と。
あきらめない〔ます〕まさに「琴丘魂」

*9月19日
「ICU」大人数での面会は無理なのでグループに分ける。
3年の先輩にも声をかけるが初めて聞く話にショックで動揺を隠せない。
播戸竜二(C大阪)増川隆洋(名古屋)の琴丘大先輩から激励FAXを枕元へ。
〔ます〕の憧れの播戸選手が翌日練習後、大阪から見舞いに来てくれる。ありがたい。

●9月20日
だが祈りも届かず9時21分。お父さんから「ダメでした」と。絶句!!
昼休み。悲しい話を部員に伝える。ただただ泣くしかないできない。
◇10日ぶりに我が家に帰った〔ます〕は安らかないい顔。
〔ます〕はいつも穏やでイヤ味を言ったり人を傷つけたりしたのを見たことがない。
仕事は手を抜かずまわりへの気遣い、気配りは痛いほどできる。
〔ます〕のきれいな心のまま「美しいきれいな顔」で戦い疲れて眠っていた。
19日に部員との面会後、夜中に「ダメです」とまたも「宣告」を受けたそうだ。
お父さんが「和成、、明日な、播戸選手が来てくれるで!」と耳元で話すと
右肩を動かし起きようと朝まで頑張ったらしい。

お通夜も告別式もたくさんの仲間に囲まれ旅立った。
悲しみの中でも毅然とした部員の態度、立ち居振る舞いには感銘。
小学、中学の多くの級友にも囲まれた〔ます〕の人柄の良さがここでも表れていた。
[和成]・・・和を以って事を成し遂げる
その人の価値は「亡くなってはじめてわかるもの」とよくいわれる。
名誉、財産、地位ではなくどれだけ多くの人々から「惜しまれ」見送られたかで決まる。

学校の計らいで1年後の「卒業式」には笑顔の〔ます〕がいたそうです。
その後の月命日には同級部員の誰かが〔ます〕の部屋に。
大好きだったAKBの曲もいつも流れ、戦った琴丘ユニホームもポッキーもそのまま。
「成人式」も部員全員が集合。
いつ行っても半分照れた〔ます〕らしい笑顔がそこにある。
ご両親曰く「和成はもうこの世にはいませんがたくさんの息子が我々にできました。
この子たちの成長を楽しみにしてます」と。
またいっぱい悪ガキ連中がお邪魔しますがよろしく。

ーー合掌ーー
※平成28年9月20日午前9時21分記

 

 

星になった教え子(2)

〔ます〕を見送った3か月後。
*11月の練習中、走り方がおかしいので医者に行くようにすすめるが「接骨院では
大丈夫と言われました」と、でも見るからに痛々しく頑張る1年生がいた。
それが〔石原歩〕。
琴丘サッカー部のスローガンである何事も「一所懸命ひたむきに」
モットーである「人のため、チームのために」さぼったり手を抜いたりはしない。

*冬休み最後の練習日「大丈夫です」しか言わない〔歩〕に「病院で検査をしないと
年明けの練習に参加させない」と強制的に大きな病院へ行かせる。
その夜、電話口では〔歩〕の涙声。診断は「骨肉腫の疑い」と。絶句!!

*翌日30日。朝一番でみぞれまじりの寒い中〔歩〕の所へとんでいく。

*正月3日。明石ガンセンターに入院をする〔歩〕を樽本家で「壮行会」を開く。

*翌4日から長く辛い闘病生活、抗ガン剤治療が始まった。
寒かった季節が病棟の窓の外はいつしか春が、、、でも治る気配がない。
私が行くと「たるさんが来るからちゃんとしないと」と準備して明るく気丈に。
私が帰ったあとはグッタリと寝込んでたそうだ。
苦しくつらいはずなのに気を使ってくれる。〔歩〕らしい。
二人の会話内容は病気の話は禁句。夢を語り世間話やバカ話などたわいもない話。

*3月末悲しいかな琴丘から転勤話が、、、このタイミングでそんなバカな。
管理職や教育委員会にも頼んだが、、、〔ます〕も〔歩〕も置いて行くなんて。

*5月の連休に退院という言葉を信じて〔歩〕は戦い続ける。
だが試す抗ガン剤が効かない。医学ってこんなものかな(不信感が)
それどころか「膝から下を切断」という酷な宣告。これでもか、、と〔歩〕を襲う。
それでも会うと「ペースメーカー装着の俺と義足の〔歩〕とサッカー指導にいこう、
審判をコンビでやるか?パラリンピックでは金メダル狙うか、、」
顔にこそ出さないが恐怖で胸が張り裂けそうだったと思う(辛いやろうに、)

◇残酷な手術前。
一時帰宅を許可された日。樽本家で再び「壮行会」を。サプライズ3つ用意。
(1)つめは私の得意料理「お好み焼き」
(2)つめは樽本宅でサッカー仲間が待ち受ける。
(3)つめは〔歩〕の香寺中の先輩で琴丘高入学志望動機だった「あこがれ」の人。
播戸竜二先輩が練習後大阪からかけつけてくれた。
ユニホームのプレゼントや一緒に写真をとったりサッカー話に華が咲いた。
竜二はネガティブな話を一切さずふつうに接してくれた、さすが。
〔歩〕の嬉しいそうなが顔が強烈に残った。いい一日だった。

*それも束の間。すぐに過酷な現実へ。
片足切断後も見舞いに行く度「目標は琴丘へ戻るぞ。修学旅行に行くぞ」
人目に触れることさえ恥ずかしいはずなのに無神経にも無理難題を(すまん)
だがそれに応えるように琴丘高校へ1週間通学。でも、、、、
この時ほど琴丘高校にいたかったと思ったことはない〔歩〕のそばに、、、、

*一向に症状はよくならない。石原家はついに決断してかすかな可能性にかけ
「金沢大学病院」へ転院。その頃はまた寒い季節がやってきていた。
金沢へ見舞いに行くと義足で颯爽と歩く姿をたるさんに見せると必死にリハビリ。
その姿が「動画」にあった。かっこう良かった。

〔歩〕は現実を受け入れ自力で生きる道を選ぶ。
少しでも日常生活ができるようにと香寺から明石までリハビリに通う。
※ここまで頑張れる17歳はいるだろうか、、、しかも笑顔で。

*新しい年を迎えるが病院からは「延命治療に入る」と。
家族は〔歩〕にはそのことは伝えない。だが〔歩〕のことだから気づいてるはず。
高校は琴丘、市姫と違えども私のできることをしなくては、、、
クラスメイト〔A子〕。〔歩〕が入院中もあえて隣の席になり〔歩〕の机を拭いて
帰る日を待ち続け、授業ノートをとり私が見舞いに行く時に手紙とノートを託して
奇跡の生還を願う〔A子〕に早速相談。
急きょ「たるさんクラス」を作る。クラスメンバーを募集。〔歩〕が委員長。
〔歩〕にメンバーと役員を知らせると「僕が委員長ですか?」と照れくさそう。

*終業式あとに「第1回クラス会」(3月20日)
その頃の症状はなおも悪化、起きることさえ厳しい。呼吸器も常時必要。
内臓各箇所に水がたまり心臓を圧迫。クラス会参加はムリかも、、、、、
でも〔歩〕は「笑顔」で車椅子でやってきてくれた。
大好きな仲間、先輩たちとの「クラス会」そこには涙も暗さもない。
明るくギャグ好きな〔歩〕がしょうもない芸やお笑いに思い切り笑ってくれた。
楽しいことは時間が過ぎるのが早く、あっという間の1時間。もっともっと、、、
会の準備に奔走してくれた〔A子〕は保健室で布団をかぶって寝込んでいた。

*その夜なおも一段と悪化。医者からついに「日にち」を切られた。
そこで〔歩〕と石原家は病院を出て自宅で家族と暮らす決意をする。
私の三女(好美)がつきっきりで石原家にいて〔歩〕を支えてくれた。
数日と宣告されてから約1ヵ月家族と過ごしお父さんといっしょにお風呂まで。

*5月2日
姫路高校で授業の間、悪い予感がして携帯を見ると○○病院へ緊急搬送と。
姫路高校の生徒に事情を話しとんでいく。そこには集中治療室で戦う〔歩〕。
だが呼びかけには応じてくれない。〔ます〕と同じ〔歩〕にも涙があった。
悔しい、悔しいやろうな、何でこんないい奴が、、、
〔歩〕が悪いことでもしたか、、、?
気になりながら姫路高校へ戻る車中「訃報」を聞いた。涙で前が見えない。

※告別式は「第2回クラス会」になった。
クラス会の参加人数は小、中、高校の仲間、級友などものすごい数。
ホール、玄関にも入りきれず式場を取り巻き延々と焼香が続く。
私が弔辞を読ませてもらった。
〔歩〕は笑顔、気配り、優しさ、頑張りなど何をとっても最高の教え子やった。

*今〔歩〕は大好きな秋祭り、屋台が奉納される神社横でみんなを見守っている。
ゆっくり語れる座石がありそばを播但線が通り一望できる素敵な場所で。

亡くなって初めての〔歩〕の誕生会は
お母さん曰く「今までで一番盛り上がった最高のバースディ」だったそうだ。
〔ます〕のおうち同様〔歩〕のおうちもみんなの「たまり場」になっているそうだ。
私から「あまり迷惑かけるなよ、遠りょしいの〔ます〕〔歩〕が困ってるぞ」

ーー合掌ーー

 

たるさんの部屋UPしました。

たるさんの部屋

*今回は私が43年間機会あるごとにおかあさんへ伝えたことをまとめました。
平成16年から今も続いている「子育てママ教室(塾)」をはじめ
「地域教育講演会」「あすなろ教室」「職員研修会」などを持ちましたが
その時にテーマにしたものを列挙しました。

<子育てのポリシー>
・悪い子どもは絶対にいない、子どもを悪くする大人はいっぱいいる。

<子育ての基礎,基本>
・子どもは「親に愛されてる」という幸福感が絶対にいる。
・子どもは「親がそば」にいてこそ楽しく嬉しい。
・子どもは「親の愛情」があって初めて落ちつく。
・子どもを「愛するとはかかわる」ずっと関係を持ちつづけること。

<家庭(躾け)基礎、基本>
・「おはよう」は明るくハッキリと「おやすみ」はおだやかに。親から。
・「ありがとう」と、ねぎらいが飛び交う家庭に。
・子どもが悲しいのは「夫婦ゲンカ」と親の「不機嫌な顔」
・子どもは家を出ると家のことを忘れるが「不登校生」は家のことが忘れられない。
・物を壊したり大事にしない子どもには説教は通じない。「親の愛情」しか。
・子どもにとって家は「ゴロゴロしてゆっくり休める、居やすい処」
・親の仕事(家庭の仕事、家事)を一切手を抜かない。
・整理、整頓がなされた家に「きれいな心」が育つ。
・中学生が考査中は親もテレビを見ないように。親も書物を読む絶好のチャンス。
・子どもは手書きが必要。繰り返し書かせる。聞きっぱなし、言いっぱなしはダメ。

<問題行動、非行>
・問題行動は異常なことをしないと認めてもらえないから起こす(試してる)
・親が「この子は困った子や」と目や態度に出るといち早く子どもは気づく。
・イジメは小学3、4年から、不登校は中学1年ごろから多くみられる。
・「万引き」は初期に何とか見つけたい(「万引き」は一過性)
・子どもには「照れ隠し」がありうまく表現できないことが多い(傾聴)
・女子が悪いのは父親に原因が多く男性の「良さ、価値」を感じないから。
・誰もがすべきあたりまえの日常はきちんとさせる(忍耐、我慢強く)
・子どもがすることには時間がかかり、手直しもいる(イライラせず気長に)
・「おまえのために、誰のために、、、」という恩着せは子どもは嫌う。
・親の態度、言葉で「やる気や目標」を失い、急に「不勉強」になる。
・忘れ物に長々と説教しない。「何で忘れた?」は答えにくい。
・親が非常識を「恥ずかしい」と思わない限り子どもも非常識な行動を繰り返す。
・30年前には女子のアル中も登校拒否もほとんどいなかった(なぜ?)
・「産まなければ良かった」と親が思いかけた時子どもは崩れ始める。
・「おまえなんかいらない」と親が口に出した時から非行に走り始める。
・「もういい!」と親があきらめた時、子どもはどこへ行く?
・子どもの命の根幹を切った言葉を口にしない(一生心に傷となり残る)
*誰をどう信じて生きればいい<子どもの心の叫びを聞け!>

 

<不登校の3パターン>
・優等生でまじめ  ・親との関係性のまずさ ・細やかな神経の持ち主。
<親のアイデンティティ>
・オヤジの様な父親に、おかあさんの様な母親なりたい。と子どもが思うか?
・親の生きざまを見せる。正直に生きる。人のために生きる後ろ姿を見せる(道標)
・頼む時は「ごめんやけど、、、悪いけど、、、助けて、、困ってる」と頼む。
・毎日同じことで腹を立てない(聞かなくなる)
・月に1、2度は向き合ってきちんと叱る(親の心が落ちついた時)
・興奮して怒ると言わないでいいことを言ってしまう(口は禍)
・生きてる限り「人助け」身を持って「世のため、人のため」示す。

<3つ子の魂、、、>
・3歳まで「過保護」と言われるくらい力いっぱい可愛がって甘えさせて。
・「甘える」と「甘やかす」とは違う。
・幼い頃に「愛情」が足りないと親離れできない(満たしてあげて)
・ギャングエイジ(5、6歳)に遊ばせる。徹底して(遊ぶ=生命力)
・チャイルドエイジ(7、8歳)が学力の基礎、基本をつける時。

<第二反抗期(思春期)>
・いろんなことに気づき、疑い、大人や社会への不信を持つ時期。
子どもが急に悪くなったわけではない(成長段階)
・幼い頃はあんなに「可愛く素直やったのに」は禁句(繊細な時期だけに)
・親も昔は子どもであり反抗期があったことを忘れない(誰もが通る道)
・毛虫が気持ち悪いでは「きれいな蝶」は見れない。蚕(かいこ)が見たくもないなら
繭(まゆ)もできない。すると絹の着物は作れない。
・反抗期はいつか過ぎる(一過性:だから親の言動で子どもの傷を広げないで)

<オカン、おかあさん、母>
・「理屈ぬき=無償の愛」で子に優しく接する、寄り添う。
・「何があってもあんたは私の子ども」絶対にあんたを守る。
・子どものために手を抜かず「子どもを信じ」振り向かずに前へ進み続ける。
・日本がアメリカより非行が少ないのは「オカン、おかあさん、母」の存在。
添い寝、抱っこ、おんぶ、手をつなぐ、川に字で寝る→安心感、情緒の安定。
・おかあさんは最強のカウンセラー。
・親の取り替えはきかない。

<食事、家事>
・朝ごはん、弁当の用意ができる家庭に非行に走る子どもはまずいない。
・子どもの仕事は勉強というなら家庭の仕事、家事に一切手を抜かない。
・この子に「何を食べさせてやろうかな?」という間は大丈夫。
・今、孤食経験の子どもは実に43%。
・食事は楽しく、できるだけ多くで食べるのが最高の献立。
・子どもは力いっぱい動いて遊んで腹をすかすことが仕事。
・理由があり食事が作れない時は親の智恵、工夫がいる。
→献立表を作る、弁当に心を込める、伝言、メッセージなど添え心を通わせる。

<楽しむ>
・育児書、専門書、評論に振り回されないように。おかあさんらしく。
・おかあさんはおかあさんです(そんなおかあさんが子どもは好きなんです)
・待ちわびて生まれて来てくれた瞬間のあの喜び「生まれてくれてありがとう」
・何度も何度も子どもの「笑顔」に助けられて「ありがとう」
*全てひっくるめて「感謝」「いてくれるだけ幸せ」

たるさんの部屋UPしました

*津田ホームページ* 「たるさんの部屋」

NPO法人スポーツクラブエストレラ
エストパークの基礎工事が進み防柱約40本エスト「みどり色」にみんなで塗装。
徐々に進む現場11月完成が楽しみ。
今回「たるさんの部屋」はエストレラ立ち上げの経緯を掲載したい。

1996年津田SC社会人が全国クラブチーム選手権優勝(アマチュア日本一)
翌97年琴丘高サッカー部が現Jリーガー2名を擁し滝川二高と全国をかけて、、
あと一歩のように感じるが、、、姫路がサッカー後進地であることに変わらず
阪神、神戸地区どころか他地区にも置いていかれる危機感を長年持っていた。
その頃は私が高校に力を注いでいたため津田少年には指導が手薄で低迷。
白鳥(下山理事)安室(当時指導者森、清水:現エスト)が台頭し姫路をリード。
だが折角育てていただいた子どもたちが高校まで繋がらない歯がゆさを感じていた。
ジュニアユース(中学年代)を強化しないことにはその先は、、、、。
西播高校は琴丘高、飾磨高、太子高の三校が兵庫でベスト4~8あたりに位置。
琴丘高、飾磨高は交互に滝川二高に挑み決勝へ進出するが、、、、。
松本(飾磨監督;現エスト)前田(太子監督)両先生も私と同じ悩みを持っていた。
前田先生が琴丘高校赴任。私は高体連(技術委員長)の強化をするので先生には
姫路のジュニアユース、ユースの強化を図ってほしいと懇願。
前田、松本両先生は兵庫県国体監督を歴任するなど指導力はトップレベル。
お二人は設立意義やビジョン、コンセプト作りに夜を徹し丸2年かけて立ち上げへ。
設立メンバーには木村理史(飾磨高卒:現ユースコーチ)森啓三郎、清水靖志
(福崎高卒;現Jrコーチ)そこへ木村祥典(白鳥→福崎高卒:現姫路技術委員長)
中山(福崎高卒)高須(琴丘高卒)前田雅、溝口(太子高卒)らがコーチとして参加。
前田先生の行動力、発想、企画力、加えて人脈から人を動かす力はダイナミック。

※〔2000年〕エストレラ誕生
世代や国境を越えて温かい交流の場と一人一人が目標にチャレンジでき感動できる
機会に出会えるクラブライフを「ビジョン」に掲げて誕生。

〔2001年〕NPO法人化
理事長には当時姫路サッカー協会長宇野津先生に就任していただいた。
先生は生涯プレーヤーでもあり指導者でもある現場主義。気配りが素晴らしく
「たるさん、姫路のサッカーのためにいつもありがとう」と労いの声をいただいた。
市、県協会特に社会人連盟に強いパイプのある前田晋吾氏が副理事長に就任。
理事にはマーケティング、情報、リサーチなどに詳しい小野氏にアドバイスをいただき
高藤氏には「なでしこ」など女子サッカーの情報源として就任を依頼。
事務、裏方全般には藤田ルミ先生にエストを愛しむように支えていただいた。

選手たちは当初悪環境にも「明るさ」を持って「夢構想」に向かっていた。
ジュニアユースは関西大会常連の力を付け全国出場。ユースは二度も全国へ。
選手、人としてチームとしても兵庫を代表するクラブに成長していった。
チームの根幹である「利他の精神」「感謝、リスペクト」の魂は前田、松本先生の
教育のポリシーが選手に浸透している証である。

前田先生のアイデア、企画力は止まることを知らず「フランス遠征」を実現。
トップレベルの海外指導者や全国屈指の指導者を招き研修会、講習会を開催。
スポーツ探検隊では子どもに「夢」を与え、障害者スポーツ支援にも展開
それがパワーズ(知的障害者サッカー)誕生へと繋がる(福本理事監督)
総合型スポーツとしてはテニスクラブ、お散歩クラブも充実(水田理事)
健康を願う人々には健康教室(矢野さん、高田理事、久呉さんら)を開講する一方
医学講演会(中村理事:脳外科医、久呉理事:小児科医)を開催し地域貢献も実現。

エストの現場に携わることできない私はエスト誕生の年(50歳)に
自分を変えるために「カウンセラーになりたい」と老体にムチ打ち勉強を開始。
同時に「子育てママ(塾)教室」開講。白鳥FC、津田SCの保護者たちに支えられ
カウンセラーの実技として研鑽。その様子が各方面に広がりPTA、あすなろ教室、
地域教育講演会、指導者研修会や学校内の研修会講師として招かれるようになった。
資格を6年かけて修得。今は様々なユースチーム対象にメンタルセミナーを実施。

※こうした15年以上のエストレラの活動、取り組みに対しての評価結果が
toto助成金」平成28年度全国で最高額を受けることとなる。

「プロ」作るものでなく生まれるもの
〔プロ〕とは人から尊敬される人物、チームであるべきというのが私の持論。
自分の楽しみ、趣味、鍛練は自前の「会費」アマチュア精神で。
日本サッカー界のアマチュア最高峰がJFL。だからエストレラの目標はJFL。

理念は「姫路のサッカーを何とかしたい」
私はキッズ、少年、ジュニアユース、ユース、高校、社会人のカテゴリーを自ら
立ち上げ、指導し今も実践し続けている。
その時間43年余り。かけた時間と情熱は誰にも負けないつもり。
「たるさん、姫路にプロ誕生はまだか?、、、」とよく聞かれる。
私はまずはサッカーファミリー(サッカー家族)を作ること。
そのファミリーを大家族にすること。
サッカー少年の親、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、仲間、友だち
近所のおっちゃん、おばちゃんたちが「あんたらやったら応援したるで」と。
立ち居振る舞い、言葉、挨拶、「きれいな心」で町の方々との心の交流が最優先。
「魂込めて」プレーして見る側が感動していただくことで地域の方々に理解され
ファンになっていただき支援が始まってこそ〔プロ設立〕の権利が得られる。
これがないと単なるアマチュア〔プロ〕として続くわけがない。
「少ししかお金出せないけど、、、」とポケットマネーから出資してもらえる。
そんな人が徐々に徐々に増えていき「エストレラはわが町のシンボル」となると
おのずとその先は〔プロ〕へと誕生となる。
お城の石垣のように一つづつ一つづつ、丁寧に丁寧に土台から積んでいき、
世界遺産天下の名城「姫路城」がそびえ立つようにたくさんの人に支えてもらう。
決して「あわてない、あせらない、でもあきらめない」

私には2000人近い(津田、福崎、琴丘、市姫など)たるさんファミリーがいる。
教え子たちには「一生懸命にひたむきに」「人のために」と伝えてきた。
そこへエストレラも加わってくれれば5年後に1万人会員の大家族(ファミリー)に。
10年後に2万人会員、、50年、、、、ひょっとすると100年以上かかるかも。
だが何年かかろうがそんなことは問題ではない。
みんなが「夢」を受け継いでさえくれれば、、、、繋がっていく。
ヨーロッパでは人口4、5万人規模の小さな町に愛される〔プロ〕が山ほどある。
姫路もサッカー文化にしたい。まずは姫路から日本各地へ発進したい。

人と人が「」でつながると本当に強い絆になる。
退職して4ヵ月の今思うことは人とのつながりをあらためて気づかされる。
次はどんな人と、、、(ワクワクの日々)
今まで大変な苦労をされたエストレラスタッフ、関係者へ「感謝とお礼」を込めて
エストパーク建設や環境整備、組織、人の集まりなどに全力を尽くしたい。
そしてエストレラ立ち上げの「ミッション」である
サッカーを通して姫路に笑顔を増やし、姫路を愛し誇りに思える町に変えたい。

たるさんの部屋UPしました

たるさんの部屋

ゴールデンエイジ(小学高学年)

琴丘高勤務時代、平成17年からゴールデンエイジ児童対象に「J塾」を開校。
心身とも輝き成長する時期に「人間のプロめざして」月2回琴丘高サッカー部員と。
整列から「黙想!」きれいな「挨拶」から約100人が一つにランニング。
まわりからはよく「たるさん、自衛隊か!」とイヤミを言われるランニング。
決して「並べ!そろえろ、声を出せ」と訓練したり強制はしない。
走ってる前の部員を直視し列を揃え、気づき、息づかいを感じ、足音に耳を澄まし
五感を生かして「心」を一つにして走る(福崎、琴丘から市姫へと伝統に)
少年、高校関係なくグランドでは「一所懸命、ひたむきに」戦う姿勢を感じさせる
というのが目的。最後に整列、黙想!挨拶、グランド整備やトイレ掃除を学ぶ。
メンタルセミナーも不定期に開催「気づきや振り返り」を。
夏は「海体験」冬には「年末合宿」で裏山登山。寒さの中で日の出を迎える。
J塾卒業メンバーのほとんどがエストJrや津田Jrへ進む。
高校でも姫路地区で中心選手となり活躍。「J塾やってよかった」と。
残念だが姫路高校勤務中は一時中断となったが本年度「こころ塾」として復活。
津田以外の他のチームのゴールデンエイジもぜひ参加し「心の鍛練」を。
*詳細は津田HPの「こころ塾」参考に

「J塾」では交換ノートもおこない2年間で多い者で5、6冊になっていました。

 

「おかあさん特集」*J塾交換ノートから

*カレー
おかあさんが仕事から帰ってきたが、かぜひいて熱が出てねこんでしまった。
ぼくはせんたく物をとりいれてからカレーを作ろうとがんばった。
おかあさんが気がついて起きてきた。「おいしい」といってくれたけど
ぜったいにおかあさんのカレーの方がうまい。
夜ねていてもおかあさんのかぜが気になった。

*母の日
「おめでとう」といおうとしたけどおとうさんとおにいちゃんがいてはずかしいので
いえなかった。寝る前にふとんの中で「おめでとう」と言ってねたら
夢の中におかあさんが出てきた。

*ごめんね
ぼくが宿題もせずにおそくまで遊んでいておかあさんにしかられた。
「ごめんなさい」がいえずなかなかねられなかったが、おかあさんがそーっと
部屋に入ってきたのでねたふりしてたら「今日はおこってごめんね」と
頭をなでてくれた。おかあさんが部屋から出たあと「ごめんなさい」といえた。

<裏話>
この子のおかあさんが私が主宰している「子育てママ塾」に来てくれました。
「怒りすぎた、感情で怒った」と、あとで「しまった!」と思ったら
可愛い寝顔見て「ごめんね」と言って下さいっと話をしたら、
早速実行されたそうです。(いいですねぇ)

 
*J塾交換ノートでは週末おかあさんが書くコーナーがあり、以下は
心あたたまる親子のやりとりです。今もこのおかあさんと3人の子どもが
私の誕生日を祝ってくれるなど交流があり「この親ありてこの子あり」です。

<おかあさんから>
前から時々、自分でユニホームを洗ってくれていたけど
「J塾」に入ってからより一層自分で進んでユニホームを洗うようになったね。
きれいに洗えてるストッキングを見ておかあさんは涙が出ました。
一生懸命洗ったんだろうな、、、手は擦り切れていないやろうか、、、
おかあさんが洗うより数段きれいになっていたんで恥ずかしくなった。
この気持ちこれからも大切にね。

<子どもから>
けさ、4時に両親は法事で静岡へ行ってしまった。
おかあさんがいないので大いそがしでした。
おかあさんがいないと「たいへん」だと思い知らされました。
朝のうちに昨日のせんたく物を洗濯機に入れてまわして学校へ行きました。
帰って急いでせんたく物をほしました。「夜には帰るから、、」と言ってたけど
思ったよりおそく本当に忙しい一日でした。

<おかあさんから>
「家はどうなってるんだろう?」と心配でしたが、
朝ご飯をタイマーで炊いてくれたり洗濯物を干してくれてたね。
干した洗濯物を一つ一つながめながら「工夫して考えながら干したのだろうなあ」
と思いました。
残りご飯をボウルに入れてきっちりラップして冷蔵庫に入れてたのを見たときは
感動しました。おとうさんが「おかあさんいなくても大丈夫やな」って。

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ゴールデンエイジ(小学高学年)の子を持つ
*おかあさんへ*

・子どもを深く思い過ぎると苦しめるかも知れませんね(負担、プレッシャー)
・「正しい」からって子どもに何を言ってもいいはずないですね。
・「嘘」をつくの子は:いい子でいたい:親を悲しませたくないことからの嘘も。
ふだんから安心して良いことも悪いことも話せるような家庭の雰囲気作りを。
・「あんた、なんでそんな性格?」と言わないで、、、だってお母さんの子どもです。
・お母さんだからこそ、他人にわからない我が子のことを見極められます(か?)
・子どもの苦しみはお母さんの「支えと優しさ」に触れて乗り越える。
・もし自分の子どもが誰かに何かしらで「問題児」扱いされても一切気にしないで。
そう言った人(尊敬に値しない)が逃げ出すために作った言葉に過ぎないから。
そんな人や噂話、信用のおけない話で我が子を責めることは絶対にしないで下さい。

★私が生徒と向き合う時心に決めてること★
*「悪い子はいない、悪い子にする大人はいっぱいいる」
性善説とか性悪説とかの問題ではなく子どもはいいものに決まってる。
誰一人「悪いまま一生終わりたい」と思う子どもはいない。
子どもが悪いことをするのは「教師力」や「親の愛情」のお試し期間。
悪いことやってみて、その時無視したり頭ごなしに押さえ感情だけで怒ったら
(あぁ、この先生、うちの親はあかんわ、むり)と思い本格的に「ワル」に走る。

樽さんの部屋UPしました

たるさんの部屋

*雨などで体育実技ができない時に「メンタルセミナー」をよくやりました。
内容は生徒からの意見、アンケート、レポートが中心でした。
特に「最近むかつくこと、腹の立つこと」書かせるテーマにしました。

○アンケートのうちに一つ
「題:家がおもしろくない、帰りたくないと思うときは、、、」
そのうちの「ベスト5」をまとめてみると
・夫婦げんか ・家でホッとできない ・おかんのぐち
・最後まで話を聞いてくれない    ・誰のために(おまえのために)

●今回の生徒のレポート「家族をテーマ」で括ってみました、特に「母親」で。
まずは少しご紹介します。
*「ようわからんけど、、(会いたい)」
親が離婚して3年。
お母さんの手料理の味が忘れつつある。
すごくさびしい。
いっしょに暮らしているおとうさんが「最近お母さんの味ににてきた」と。
うれしいやら、、、かなしいやら、ようわからん。

 

*「抱きしめて」
おかあさんは小さい時から、なにかあると「ぎゅー」とだきしめてくれた。
大きくなって恥ずかしいから「やめて」と言っても「ぎゅー」と。
「おかあさんは、あんたをこうするのが一番好き」
最近おかあさんはおとうさんやおねえちゃんとよくケンカしている。
学校から帰ったら、せんたく物たたみながら泣いていた。
後ろから「ぎゅー」とおかあさんをだきしめた。
やっとおかあさんに返せた気がした。

 

*「いっしょにいたいのに」
おかあさんはふつうに話しててもいつの間にか説教にかわる。
「いつまでも、そうしとらんと二階へ上がって勉強しぃ」
もう少しいておかあさんと話ししたいのに。
だんだん最近いっしょにいたいと思わなんようになってきた。
「はよ、帰ってきぃ」と言われるけど寄り道したくなる。
こんな気持ちおかあさんはわからへんやろうな。高校になって必要なこと以外
話さんようになってすぐに自分の部屋へ上がる。でも一人はさびしい。

 

*「おはよう」
おかあさんは、朝「おはよう!」ってどんな時も明るい声で。
家を出る時は「いってらっしゃーい」と大声で。高校生になり近所に恥ずかしい。
今日も「寒いけど、がんばれー」って手を振って。
「しんどいなぁ、行きたくないなぁ」と思うけど背中を後押しくれる。
返事はしないけど、私の気持ちはわかってくれてるよね。
私の夢は恥ずかしくて言えないけどおかあさんみたいになること。

 

*「大切なもの」
私の家は自営業です。
おかあさんはおとうさんの仕事を手伝っています。
働くだけでもたいへんなのに家事を絶対に手を抜きません。
どんなに疲れていても手作りで食事を作り洗濯機をまわし掃除機かけて。
「今日は何かあったん?」といつも私の話を聞いてくれるし
特に「今日は学校でたるさんどんな話したん?」と聞いてきます。

ダメなことをしたら真剣に本気で怒ってくれます。
でも「あぁしろ、こうしろ」と命令されたことがない。家事を手伝おうとすると
「これはおかあさんの仕事、気ぃ使わんとき」といつも返してくる。
おかあさんのそばにいたいのに。
おかあさんは幼い頃に両親と死に別れ「おとうさんと出会ったから
今の幸せがあり、あこがれの家庭というものができた」と。
おかあさんは「私の一番大事なものはおとうさんとあんたらやで」が口癖。
たるさんに「会いたいわ」っておかあさんが。。。

 

*「いつまでも」
恥ずかしいけど、時々おかあさんと寝ています。やっぱし落ちつく。
ただ一緒に寝てるだけやど、その時間がサイコー。

 

*「家族会議」
兄弟けんかして、そのせいでおとうさんとおかあさんが大げんか。
おかあさんが「私は家を出る」。
泣きながら兄弟でおかあさんを止めた夜。みんなの思いやふだん言えなかった
ことをいっぱい兄弟で話して、おとうさんとおかあさんに聞いてもらった。
おとうさんとおかあさんも泣きながら黙って聞いてくれた。
おかあさんが「冗談でも家を出るって言ってごめん。私は絶対にあんたらとおる」
その日以来家族が一つにまとまった気がする。その日が今までで一番。

 

*「特効薬」
最近のおかあさんとのベストディ。
ちょっと前、熱だして学校休んだ。おかあさんは仕事休んでそばに一日いてくれた。
「大丈夫?何か飲む?食べれる?」ずっと気にかけそばにいてくれた。
久しぶりにおかあさんに甘えられた。おかあさんの「大丈夫?」が一番の薬。

 

*「おかえりー」
私が帰ってもみんな仕事やから「おかえりー」って言ってくれる人はいない。
おかあさんが仕事がなく休みの日は「おかえりー」って言ってくれるので嬉しい。
朝「おかあさんな、今日休みやで」って聞いた日は帰るのが楽しい。

 

*「バースディーケーキ」
誕生日の朝、わざわざ「もう大きくなったんやからケーキ買ってこんからな」と。
家に帰って冷蔵庫開けると「おめでとう」とプレートに書いてあるイチゴのケーキ。
いっつもこうしてしぉーもないことするんやから。でも大好きや。