たるさんの部屋   (令和4年・春・第1号)

            

たるさんの部屋   (令和4年・春・第1号)

○3月末の卒団式は28名が旅立ちました。
 「涙のお別れ」ができたのは親、子、指導者が一体となり続けてきたからです。
  一方で新年度が始まり津田も48年めを迎えます。
 こんなに長く続けたのは私の夢を共に歩んでくれている「つながり」である
 教え子たちの支えの賜物であり「感謝」しかありません。
 卒団した子たちも「つながり」共に夢を追いかけることができますように、、、

○48年の指導暦から気づくこと、、、、
  親やコ-チの期待に応えようするあまり押しつぶされそうな少年や
 自分の弱さから抜け出そうともがき苦しむ高校生を多くみました。
 その子たちの共通点はまじめで我慢強いがうまく表現できないところがあります。
 その子たちも今40歳半ば~60歳手前になり生き方に苦しんでいます。
 <昭和は遠くになりにけり>の時代を象徴するかの大人、親、教師のパワハラに
 近い躾け、指導で「男は黙ってやれ、耐えろ!」と教え込まれてきた。
 朝早くから夜遅くまで入社したら退職までと仕事に縛られ猛烈社員として
 会社に尽くす者こそが「美徳」と昭和の上司から刷り込まれる。
 家庭や自分の余暇を楽しんだり将来も考える余裕もなく日は過ぎていく。
 高校時代の「部活」も同様で、その「理不尽さ」にあまり抵抗がないのが悲しい。

 だがここ20年。世の中は現代の社会や若者の生き方、価値観は大きく一変。
 入社時には熱い思いがあり仕事にも勢いがあったがいつの間にか中年となり
 苦手なSNSが主となり対面でのコミュニケ-ションが取れなくなってきた。
 若者たちは自分の時間や権利を主張、ノ-残業を理由に付き合いが悪くなってくる。
 昔話で居場所があった歓送迎会、飲み会や慰安旅行などがもなくなりつつあり
 「うざい、きもい、自慢話の長いおっさん」扱いにされ生き辛くなってきた。

○昭和後期育ちの者(教え子)たちへ
 むりするな。職場や会社に居場所を求めず自分のために生きていこう。
 部下の行動や言動も受け入れ自分が困れば意地を張らず「できない、ムリだ」と
 助けを求めるよう。それは恥ずかしいことではなくそうすることで
 今まで言えずに我慢し悩んでいた若者たちや女性たちも、そして最も大切な
 家族さえも楽(らく)になり互いに言いたいことが言えるはず。
 頑固なプライドを捨て考え方を「変えよう」きっと人は変われるはず。

○(時代の変化を受け)ここ数年津田が導入していることは、、、
◆キンダ-(幼児)少年低学年、障がい者サッカ-指導からの学んだことは
 子どもが自由に楽しめるように指導することです。
 自分で考えてやる(ので)楽しい(ので)続けられる(ので)うまくなる。
 特に(幼児、低学年)には「頑張れ、我慢してやれ!」と追い込むより
「ミスしていいよ、緊張してあたりまえだよ、あがっても大丈夫」
「弱くないはないよ、優しいんだよ」苦しくなったら「助けてぇ~」と呼んで。
「いっぱい失敗してOK」「さぁ、つぎやろう」と笑って送り出し
「できたね、うまい、いいねぇ~」とほめ言葉が溢れるピッチにと心掛けています。

たるさんの部屋(私事の振り返り号)【令和3年12月】

*「70歳」の夏。胃と腸周辺に突然激痛が走り救急搬送「腸閉塞」と診断され
 即、緊急手術。で、何とか、、、もう少し遅ければ危なかったそうです。
 人生振り返って「大病」の連続です。
*「30歳」福崎高に転勤する半年前の夏に急性肝炎で約3ヵ月入院。
 退院後は福崎高からの帰りに1年近く点滴治療にはほとほと参りました。
*「40歳」今度は琴丘高へ転勤する1ヵ月前の冬に心臓に異変が、、、
 尋常ではない苦しさ。「あと3週間の命」と医師から宣告に「死の恐怖」を。
 検査を繰り返し、結果は心臓に<ペ-スメ-カ-を埋込み>身障者生活に。
 長い闘病期間中に自律神経失調症から「鬱病」。精神的にもきつかった。

 この間正月だと思ったのにもう年末です。1年経つのが早く感じる年齢に。
 コロナで誰も予想できない日々となり生活ぶりを変える工夫が必要でした。
 迎える新年もどうなることやら、、、対策を取りながら日常を戻したいですね。

※その後は食事から生活習慣などに配慮をした生活を。その後病もなく
 安心していた矢先のこの夏の緊急入院手術にはかなりのショックでした。
 しかし病からまたまた学ぶことがありました。
 今回学んだことは「休む」こと「できないことはできない。後回しにでも、、」
 予定、計画通りやらなければならないことはそう多くないことに気づきました。
 「残り人生ゆっくり行こう」と。
 自らを追い込み「負けてたまるか!常に勝負!結果を出す」と意気込んだ時代から
 「サッカ-はこんなに楽しい自由遊び」と思えるようになれたのも
 キッズや小学低学年、放課後ディサ-ビスの子たちとのふれあいのおかげです。
 その一方で子育てで悩むお母さんたちの声や思春期まっ只中の中学生から
 進路相談を受け夢や挫折(苦悩)などを聞かせてもらえる機会があり、
 そのたびに「長年の教育経験を生かせているかな」と思えるのも喜びの一つです。

◆11月にはエストレラユ-スが関西クラブユ-ス地域リ-グ戦で優勝。
 「全国クラブユ-スサッカ-<TOWNCLUBCUP>」に出場決定。
 その大会に長女の次男はじめ津田少年卒業生も数名出場なので応援に。
 教え子たちの頑張りのおかげでいい年末になりそうですし、昨年の「X’mas 」に
 誕生した5人めの孫も加わり賑やかになりそうです。

○来年は私は「年男(寅)」です。
 寅年が6人もいる樽本家がみなさんのお役に立てる機会がありますように(祈)
 お正月(元旦)には恒例の津田少年、ジュニアユ-スの<初蹴り>を。
 (2日)には津田、福崎、琴丘、市姫各OBらとエストパ-クで<初蹴り>を。
 多くの懐かしい教え子に会えることを心より楽しみにしています。

 今年1年ほんとうにお世話になりました。皆様方もよいお年をお迎え下さい。
 来年も一人でも多くの教え子に会えますように。。。

樽さんの部屋 -盛夏号-

救急搬送、即日緊急手術。みんなには心配とご迷惑をかけました。

お陰で?久々の夏休み。「人のために」頑張ってきましたが「自分のために」休むことも取り入れようとやっと気づきました。

以下に、非常勤講師である放課後デイサービス「どんぐりの里」の機関紙を掲載します。是非ご覧ください。

樽さんの部屋 更新しました         

樽さんの部屋              令和3年5月

『3度目の緊急事態宣言が延長に』

 昨年のGWは活動休止となり子どもに会えない寂しさから各家庭に手紙を
配ったのに2年続けて今年も活動休止とは、、、
これまでも一斉休校や友だちとのふれあいの制限からの不安が生じたり
多くの大会がなくなりストレスを抱えていることなどが心配です。

※私は教師時代「情熱、熱意」を持って生徒と接することを心がけていました。
授業、クラブ、HRなどは勿論、離れていても「どうしてるかなぁ~、
怒ってごめんなぁ~」などその生徒への思いを馳せながらメモっていました。
 退職後は純粋無垢な少年たちと過ごせる幸せを実感しながら過ごせています。
こんな非常時であるからこそ時間が許す限り「一人一人〔個〕」を大切にしたいと
あらためて思っています。

※話は変わりますが日本のサッカ-は今や世界へとはばたく時代となりました。
少年サッカ-(低学年)に携わってここ数年「世界に通用する〔個〕を育てたい」
と思うようになりました(遅いかも知れませんが、、、、)
 血気盛んな若い頃は「チ-ム優先団結重視」を掲げ結果にこだわっていました。
今振り返るとその影響で多くの選手の〔個〕を消していたかも知れません。
これからは〔個〕を伸ばすために子どもの一人一人の性格や特性を見つけ
(欠点を修正することより)特長を伸ばすことに心がけるつもりです。

※指導には情熱、熱意が必要ですがもっと大切なことがあることに気づきました。
それは「楽しさ」です。
子どもは「楽しければ」イキイキと時を忘れて没頭しやり続けます。
楽しそうに目を輝かせ取り組む姿こそが指導の善し悪しの判断材料になります。
だから指導者の自己満足やチ-ム勝利最優先(エゴ)で子どもの「楽しさ」を
奪ってはいけないことを肝に銘じるつもりでいます。

※心(メンタル)ですが子どもは〔予期不安〕を抱えて日々過ごしています。
生きてることは悩むこと。試合も試験もケガや病気など思い通りにならなく時には
悲しい出来事も、、、そうした経験を経て大人への階段を少しづつ昇って行きます。
その時に絶対不可欠なのが「自己肯定感」です。
子どもは「僕は大丈夫!」「お父さん、お母さんやコ-チはいい所をほめてくれ
認めてくれる、だから僕はできる!」という肯定感が必要です。
*大人からのポジティブで明るいプラス言葉をシャワ-のごとく浴びることで
不安を解消し自信をつけ積極的になり「笑顔」が増え「自立」していけるように
寄り添いながら将来「大器」となるように育てていきたいものです。

 今後も指導プログラム作成を子どもからのアイディアやヒントをもらいながら
私自身の生きる力である「子ども大好き」は変わることなく情熱、熱意を忘れずに
子どもが「夢や希望」が持てる手助けをさせてもらおうと思っています。
 一日でも早く子どもの歓声と笑顔に包まれる場所に戻れることを願っています。

樽さんプロフィール

  エストレラ津田サッカ-クラブ代表
       樽 本 直 記
 <プロフィ-ル>
「生年月日」1950年10月1日生
「学歴」1968年:私立白陵高等学校卒業
    1972年:日本体育大学体育学科卒業
「職歴」1972年~兵庫県立姫路北高等学校勤務
    1979年~兵庫県立福崎高等学校勤務
    1991年~姫路市立琴丘高等学校勤務
    2013年~姫路市立姫路高等学校勤務
「現職」(一社)姫路サッカ-協会:社員、技術委員会及び審判委員会アドバイザ-
    1974年~エストレラ津田サッカ-クラブ創立(~代表)
    2007年~NPOスポ-ツクラブエストレラ理事長
    2017年~NPO森のわんぱく冒険塾アンバサダ-
    2020年~社会福祉法人あいむ「どんぐりの里」非常勤講師
「主宰」子育てママ塾、中学生対象:メンタルセミナ-、少年対象:こころ塾
「元職」NPO日本教育カウンセラ-協会公認中級教育カウンセラ-
    日本体育協会公認2級トレ-ナ-及び公認スポ-ツ指導員
    関西協会公認2級審判員、兵庫県審判員委員会インストラクター
    姫路サッカ-協会技術委員長、兵庫県高体連西播サッカ-委員長
「受賞」兵庫県及び姫路市スポ-ツ少年団永年指導者賞、優秀指導者賞
    兵庫県及び姫路市サッカ-協会永年表彰
    兵庫県知事「こうのとり賞」「のじぎく賞」
    姫路市長「しらさぎ賞」姫路市教育委員会保健功労賞
 <指導歴>                                       
(1)エストレラ津田サッカ-クラブ(1974~)*記録は兵庫県ベスト4以上
 「ジュニア」
  ・関西少年サッカ-大会  :出場4回
  ・兵庫県スポ-ツ少年団  :ブロック優勝4回
  ・近畿スポ-ツ少年団   :出場5回/ブロック優勝1回
  ・兵庫県少年サッカ-大会 :準優勝3回/ベスト4:1回
  ・全日本兵庫県予選大会  :準優勝1回/ベスト4:2回
 「社会人」
  ・全国クラブチーム選手権 :優勝1回(鹿島)※「アマチュア日本一」
  ・全国社会人サッカ-選手権:出場4回(福岡、香川、仙台、埼玉)
  ・関西クラブチーム選手権 :出場3回
  ・天皇杯関西サッカ-大会 :出場3回                        
  ・兵庫県社会人1部リ-グ戦:優勝9回
 「選抜選手」関西U-12(5名)関西U-15(3名)兵庫U-12(5名)
(2)兵庫県立福崎高校サッカ-部監督(1979~1991)
  ・近畿高校サッカ-選手権 :3位1回/ベスト8:1回
  ・兵庫県高校総合体育大会 :準優勝1回/三位1回/ベスト8:1回
  ・兵庫県高校サッカ-選手権:準優勝1回/三位1回/ベスト8:3回
  ・兵庫県高校新人大会   :ベスト8:2回
  ・前期&後期西播大会   :優勝6回/準優勝4回
  ・西播高校サッカ-選手権 :優勝6回/準優勝2回
 「個人特筆選手」
  ・小林直樹(日本ユ-ス代表候補)・石塚一博(県代表マルセイユ派遣)
  ・長尾光弘(ヤンマ-、C大阪、京都)
 「選抜選手」国体出場5名(松居=国体優勝、古井、長尾、小林、井川)
       兵庫県トレセン(選抜)選手(10名)
(3)姫路市立琴丘高校サッカ-部監督(1991~2003)
  ・近畿高校サッカ-選手権 :3位1回/ベスト8:1回
  ・兵庫県高校総合体育大会 :準優勝1回/三位1回/ベスト8:1回
  ・兵庫県高校サッカ-選手権:準優勝1回/ベスト8:2回
  ・兵庫県高校新人大会   :3位2回/ベスト8:2回
  ・前期&後期西播大会   :優勝7回/準優勝6回
  ・西播高校サッカ-選手権 :優勝7回/準優勝1回
 「個人特筆選手」
  ・三木一磨(京都)・吉田和平(県代表韓国派遣)                   
  ・播戸竜二(G大阪、札幌、神戸、C大阪、鳥栖、大宮、琉球)
       ※元日本代表※元日本ユ-ス代表(Wユ-ス準優勝メンバ-)
  ・増川隆洋(福岡、名古屋、神戸、札幌、京都※Jリ-グベスト11)
  ・家木大輔(讃岐/現:FC東京フロント)
 「選抜選手」国体出場3名(播戸,増川、室田)
       兵庫県トレセン(選抜)選手(7名)
 「審判員」・松井健太郎(1級/現:J担当)・樽本好美(元:女子1級)
      ・俵 元希(1級)・関西公認2級審判員(7名)
(4)姫路市立姫路高校サッカ-部監督(2013~ 2015)
  ・前期西播大会      :準優勝1回
  ・兵庫県高校総合体育大会 :ベスト16
  ・西播高校リ-グ戦    :3位(県リ-グ入れ替え戦出場)
(5)NPOスポ-ツクラブエストレラ(理事長職)
  ・2016年:専用人工芝サッカ-グラウンド(姫路市大塩町)
        「エストパ-ク」(ナイター照明設備付)建設
   総事業費(totoスポ-ツくじ助成金含)1億5000万円
  ・2018年:専用クラブハウス建設(姫路市大塩町、エストパ-ク東側)
   総事業費(totoスポ-ツくじ助成金含) 8000万円

樽さんの部屋

  たるさんの部屋                   令和3年1月
          「寒中お見舞い申し上げます」

 また緊急事態宣言が発出されました。
阪神淡路や東日本大震災をはじめ未曾有とか想定外といわれる自然大災害が
たびたび起こる中、今回の新型コロナ感染症は別次元の苦しみを人々に与えています。

 大惨事の時は救助者やボランティアの救護活動で多くの人々が助かりました。
自助でどうにもできない高齢者や障がい者たちも救われています。
援助者の自分をことを後にし率先して動く「利他の精神」には頭が下がります。
日本の良さである支え合い、助け合いを感じずにはおれません。
 しかし新型コロナ感染症は「お互い様」の精神さえも打ち消します。
人との接触であるあたたかさ、ぬくもりさえも断絶し恐怖に陥れる「孤独感」は
感染する以上に悲しく辛い社会に引き込んでいく気がします。

 私は「人と出会い」こそが人生だと思っていますが
中学生対象の「メンタルセミナー」少年対象の「こころ塾」も中断して1年になり
「子育てママ塾」も悩んでるお母さんとのカウンセリングの機会も減少してきた今
何ができるか自問自答しています。。。

 津田設立当初から過去に勤務した高校(福崎高、琴丘高、姫路高)でも
「一所懸命ひたむきに」「人のために」をスロ-ガンに掲げ47年になります。
津田の子どもたちには生きづらい緊急事態の今だからこそあらためて
「一所(今、この時)」「懸命(一途に全力で)」「ひたむき(集中して)」
困難がきても立ち向かい強く生きる勇気を持つこと。
苦しんで誰かが助けを求めている時こそ「人のために」役に立ち「ありがとう」と
感謝される生き方ができるように導くことこそ自分の役目だと思っています。

 その一方で暗くなりがちな日常の中で「安らげる」時があります。
それはキッズ(4、5歳児)と放課後等ディサービスである「障がい者」との
「触れ合い(愛)サッカー」です。
そこにはつねに「笑顔」があり自らが学べる場であり救われる場でもあります。
それこそこの子たちに「ありがとう」の感謝しかありません。

 ネガティブになり落ち込みがちな今ですが、こんな時こそ
「笑顔で、いいこと考えて、希望を持って前向いて行きましょう!!」
悲しい思いもよらないことが起きても「これには、きっと意味がある」と
考え方、見方、やり方を変えてみるのも一つの手段かも知れませんよ。

 それでは「お元気で」と言いつつも、、、
70歳(高齢者)の私が一番かかると危ないですよね(笑)気をつけます。
いつかみんなと大手を振って会えますように(祈)

樽さんの部屋

   たるさんの部屋                   令和2年12月中旬
               「光陰矢の如し」
 1年が本当に早いです。年老うと余計です。
感染症の出現で先が見えず、不安で暗くモヤモヤさせられた1年でしたね。

◆そんな中でとんでもなく嬉しい知らせが飛び込んできました。
理事長を務めているエストレラユ-スが「全国Jユ-ス大会出場!!」とのニュ-ス。
日本のトップレベルであるJリ-グの高校生年代と対決できる凄い!!ことです。
地方の街クラブでありながら「魂込めて」戦い全国出場を得た選手のがんばりと
選手たちを手塩にかけて育ててくれたエストレラスタッフには頭が下がります。
※姫路の少年や中学生に「希望の光」を灯してくれました。
また出場登録者の1/3の選手が津田サッカ-クラブの卒業生です。
チ-ムの勝敗より個人の技術修得を主として子どもの「やる気」を引き出し
失敗を恐れずチャレンジし自分で解決できるように総勢21名ものスタッフが
小・中一貫して粘り強くかかわり寄り添ってきたことが報われました。
津田の指導方針が「間違いなかった」ことが実証され更にこれからも頑張れます。

◆私事ですが70歳にしてまた新しい発見がありました。
前号(古希)では必死にがんばってきた時代から苦しく困難な時に乗り越えようと
もがいていた時代など10年刻みの生き方を紹介しましたが
その余裕のなかった時代と全く違う世界観が現れました。
ノ-プレッシャ-、ノ-ストレス、ノ-アンガ-の3つの「No!」の世界。
そこはキッズ(4~6歳児)少年低学年やディサ-ビスの子たちとの出会いの場。
(1)勝負にこだわらなくていい、結果を出さなくていい〔ノ-プレッシャ-〕
(2)うまく指導しようと思わないのでイライラすることがない〔ノ-ストレス〕
(3)一緒にいるだけで楽しく笑いがある。だから怒ることがない〔ノ-アンガ-〕
*心が安らいで穏やかになれる場である「朝練と週末のサッカ-」が待ち遠しくて、、、

◆死ぬ直前まで変わることができるかも?
何才になっても違う自分との出会いがあるものです。こういう思いになれたのは
キッズ(4~6歳児)少年低学年や障がい者放課後ディサ-ビスの子たちとの出会い。
これからの人生もこの子たちに負けないよう「夢と希望」を持って生きようと思います。

◆利他の精神
これからもどこに居ようがいくつになろうが自分のやれることをやろう。
一所懸命に地道に子どものために社会のために人のお世話をさせてもらおう。
生き方を理解してくれ、ずっと付いてきてくれる教え子たちと過ごせた幸せ感に
「来年も一緒におれますように」と手を合わせながら年の瀬を迎えます。

最後に、、、この1年本当にお世話になりました。
コロナ感染症により今までとは違う生き方をしなくてはならないかも知れません。
でもこうなるのには「何か意味がある」と考え、新しい日常の生活をするために
物事をポジティブに考えて前向きに捉えようと思います。

来年も皆様にとっていい年になりますように(祈)

樽さんの部屋

   たるさんの部屋                    令和2年10月1日
              「古希」になります。
         (国民健康保険高齢受給者証が届きました)

*23歳:姫路北高校勤務/津田少年立ち上げ初期~
 「見上げてごらん夜の星を」を聞きながら定時制分校(夜間高校)に新着任。
 初心者を集めてサッカ-部を結成。これがサッカ-との出会い。
 星空(薄暗い照明)を見上げて夢中にボ-ルを追い県定時制大会3年連続準優勝。
 昼間働きながら夜は勉学と2足のわらじを履く若者たちの「頑張り」に共鳴し
 私も教師だけでなくもう1足履こうと津田校区にスポ-ツ少年団を立ち上げた。
 その津田サッカ-クラブが46年今も脈々と続く。それこそが古希の歳まで
 やってこれた原動力となり私の人生の主流を占めるに至っている。

*30歳台:福崎高校勤務/津田少年充実期
  夢を持ち目標に向かって「一所懸命、ひたむきに」ひたすらにバク進。
 経験が乏しく視野も狭く感情が先走る指導で生徒を追い込むだけだったが
 「こんな私によくぞ付いて来てくれた」と振り返ると生徒には感謝しかない。

*40歳台:琴丘高校勤務/津田少年低迷期
  難病に罹り生死をさまよったが、それでも生きるチャンスをいただいたのは
 どこかで誰かが自分を必要とされているかも、、、ならばもう少し生きよう。
 「生きているだけで儲けもの、人生人助け」と思うまでに1年半を要した。
 これを機に自分を変えたいと思うがなかなか変えることができず苦しむ。
 この年代の時も「子どもといて教師、子どもを何とかしたい」という思いは不変。
 結果が出た時は生徒の力、ダメな時は自分の力不足と戒めながら部活を指導。

*50歳台:(続)琴丘高校勤務/津田少年(伝統復活)期
  教師の幅を広げ教育相談部門を充実させるためにカウンセリング資格習得を
 めざし研修を繰り返したが、そのことで自分を見直す絶好の機会になった。
 「夢」を繋ぐには人(組織)が不可欠。育てるポイントは付いてくる生徒に
 「人のためにイキイキと生きる<後ろ姿>」を見せること。
 「子どもは宝」と肝に銘じ子どもから教わることの大切さがわかる年齢に。

*60歳台:姫路高校勤務時代/新しい津田少年時代に、、、
  好きなことをやり続けられたのはまわりの人達のおかげにやっと気づく。
 「夢」を繋ぐ多くの教え子たちに囲まれ「生かされてる」幸せ感。
 生徒たちから「サッカ-を楽しむ」ことを学ぶと肩の力が抜け楽しくなった。
 すると考え方まで楽(らく)になり還暦すぎて「新生!たるさんの誕生」

*70歳:今日、明日(人、物、事)の「出会い」
 目標を掲げるより、その日一日ゆっくりとまわりを見ながら時には立ち止まる。
 すると従来には見えなかった(人、物、事)「出会い」に気づくとおもしろい。
 自分が嬉しいより「人を嬉しがらせる一日になりますように」と祈りながら
 次にどんな夢「出会い」があるか期待して生きてます。なので
 ※生徒たち(卒業生)へ:〔こころが動いたら〕また会いに来て下さい。

樽さんの部屋アップしました

 エストレラ津田サッカ-クラブHP             (令和2年5月末)
               「樽さんの部屋」

               ◆教え子たちへ◆
  古希を迎える年にとんでもないことになった。
 100年にあるかないかの不幸な歴史的危機を迎え今後も暗い影が続きそうだ。
 経済活動も生活様式も学校(教育)も今まで通りには戻れないかも知れない。

 *教え子たちは「元気かな?家族は、、、」身体だけは気になる。
 全ての人々が同じ状況の中で「教え子」なら今までとは間逆の考え方や知恵と
 行動力を持って気づきの感性を磨き〔人のために〕生きてくれると信じている。
 *5年前に退職してから津田SCの幼児や少年たちと暮らす日々だが
 米や作物さえ作ったことも大工仕事などもできず、41歳で大病してから
 がんばりの効かないこの身体では何の役にも立たない老人になった。
 唯一無二できることは「子どもたち(教え子)といること」
 なのに新型コロナの今の現状ではそのことすらできない。
 子どもといるのが当たり前だった日常が突然、しかも3カ月もなくなった。
 時間ができたものだから部屋の整理をしていたら毎年年度末の授業終わりに
 一人一人に手渡していた手紙の返事が6000通余り出てきた。

 *「宝物」を読み返していると懐かしが(俺にとって遅い青春だが)一気に蘇る。
 福崎高、琴丘高の生徒やJ塾(中学生)との交換日記。
 バ-スディカ-ドや贈り物に添えられたメッ-セージが続々と。
 福崎サッカ-通信、琴丘サッカ-だより(555号) 市姫サッカ-だより(100号)など
 書き残したものが次からと次からへ。
 今の子どもたちに「できることはないか?」と悩んだいたが「これだ!」と。

 *早速、低学年の子どもには一軒づつ手紙を書いて配達し、中、高学年の子には
 笑いと元気を取り戻してほしいと「おもしろクイズ」や「日本むかし話」
 (たるじいさん、たるこばあさん)の〔紙芝居〕を動画で。
 ミルクボ-イをタルクボ-イ(私の似顔絵付)として漫才ネタを創作し
 「母の日」に親子あてにメッセ-ジとして発信。
 5、6年には「こころ塾」として日記をつけることと続ける大切さを伝えて
 中学生には「メンタルセミナ-」として家庭でできる心の強化プログラムを配信。
 この試みが収束をしこの子たちが何年か経ったあとに「宝物」となってくれれば。
 長い休校でストレスが溜まるお母さんにお役に立ててもらいたく「子育てママ塾」
 としてストレス解消法と「ねぎらい」を発信。

 *新型コロナ期に家族が一緒に過ごすことで「家族の絆」の大切さをあらためて
 考え直すいい機会してもらえたら悪いことばかりではない。

 *一日足りとも一人で過ごすのは苦手で到底無理。
 大勢の「教え子」に囲まれた生活がなくなるなんて。。。
 会いたい時はいつも心の中にいるのでいつでも呼び出せるけど、、、、
 やはり実際に会えるのとはまた違う。今は会える日を楽しみに少し我慢しょう。
 *この「樽さんの部屋」を目にしたら同級や先輩、後輩に伝えてほしい
 「落ちついたら会いたい」と樽さんが言ってると、、、

イベントのご案内

教育講演会

関連サイト http://chsevent.com/archives/schedule/002