樽さんの部屋アップしました

   たるさんの部屋             令和元年、9月

            竜二(播戸)が引退しました

  竜二が9月13日吹田シタジアムで長年在籍したG大阪と一日契約ををして
 「引退セレモニ-」で盛大な別れをG大阪、鳥栖ファンらと催してもらった。
 そのあとサプライズに立ちあえた。
 多くの人々に囲まれ幸せなサッカー人生のフィナーレを見ることができた。感無量!

 ※竜二と出会い
  福崎高から琴丘高に転勤が決まり、むりに無理がたたり医者から寿命を切られ
 ペースメ-カ-を埋め込み何とか命を繋ぐ有り様。
 サッカーや体育教師を続けるより生きることさえ不安な日々。
 そこから1年半何とか「夢」を持ち直して前へ歩みだせた。
 津田卒である前田、柳川、三木一、赤木や他中学から渡辺、古井らが入学して3年目。
 兵庫県でベスト4シードを獲得(阪神淡路大震災で大会中止)ができて少しづつ
 「生きる希望」が出始めた頃の24年前。
 香寺中学から「何かやりたい」と目を輝かせて飢えた「ガキ(飢鬼)」そのもので
 第一印象。「この子はおもしろくなる」と予感が、、、、
 「夢は?」と聞くと即、「ガンバ大阪入団」とキッパリ答えたのも鮮烈。

 ※竜二の琴丘高時代
  積極的で常に前へポジティブ。振り返らない。落ち込まない。私とは真逆の性格。
 彼らの頑張りで姫路の琴丘高が兵庫の琴丘へ(県総体3位、県選手権準優勝)。
 近畿大会で3位になり兵庫の琴丘から関西の琴丘へまっすぐに突き抜けるように。
  朝の自主練習は一番先に、居残り自主練習は最後に学校を出て夜9時過ぎの
 播但線で帰ってうた。今思えばプロ向きの性格に練習好きの日頃から地道な
 所謂「努力の天才」であったからこそ中学年代まで無名だった子が3年間で大化けし
 兵庫国体代表として輝き出した原動力だったのかも知れない。

 ※「夢実現」・・・ガンバ大阪入団
  近畿大会や国体で注目の浴び数多くの大学からの勧誘を受ける中、なんと夢を叶える
 「G大阪入団!!」ただ練習生で月額10万円、しかも香寺から弁当持ちで約2時間を
 かけて万博練習場まで通った。「そこから苦しむかな?」と思えたがすぐにJデビュー
 半年も経たないうちに「プロ契約」をするや否や、今度は「U-20の日本代表」に。
 アジア大会予選でも活躍し一躍シンデレラボーイに。そして世界への舞台に立つ。
 ユースメンバーは小野、高原、小笠原、遠藤、中田ら日本の黄金世代の一員に。
 ワールドユースでも決勝に進出。なんとシャビらのスペインに戦う姿に我を疑った。

 ※50才を迎えた私は
  日本から世界で戦う竜二をみて刺激を受け「このままでは、、、」と考えはじめ
 これ先は教育界やサッカー指導も大きな変化を迎え、絶対に変革が必要な時期が来る。
 古い時代を踏襲していては取り残される予感がし違う角度から指導をしなくてはと、、
 心理学の勉強を始め、6年かかりで教育カウンセラー資格の取得までこぎつた。
 そして誰もが楽しめる体育の授業をめぜし、学年主任を引き受けながらサッカー部も
 やり方を変えながら取り組んだ結果、竜二ら以来の県総体準優勝を果たした。
 かたや代表を務める津田SCも30周年を経て4度の全国社会人大会へ出場すると
 クラブチーム選手権では優勝!ついに〔アマチュア日本一〕になれた。
 その一方で姫路の中学年代をなんとかしたいと仲間らとエストレラの立ち上げに
 サポートさせてもらい現在も理事長として側面から支えさせてもらっている。

 ※ワールドユース後の竜二は
  G大阪から元全日本岡田監督に請われJ2札幌へ。得点ランキング2位の実績を。
 そして大好きな憧れの三浦カズ氏と一緒にサッカーがやりたくてV神戸へ。
 V神戸では得点ランキング上位に位置し不動のスタメンを勝ち取るまでに、、、
 カズさんが移籍すると当時Jトップレベルにいた敢えて競争の厳しい古巣ガンバへ。
 宮本、橋本、遠藤、加地、山口、明神、今野、マグノ、ルーカスやそうそうたる
 メンバーと水を得た魚のようにここでも得点上位の実績を積み上げる。
 6試合連発ゴールや幾度かのハットトリックなどニュースには事欠かず
 国立競技場で延長決勝ゴールを決めて「天皇杯制覇!」
 横浜国際競技場「トヨタクラブ選手権準決勝」ではルーニ-、ロナウドの
 マンチェスターUの一戦を真近で家族や孫らと観戦し大興奮。
 ACL(アジアチャンピオンリーグ)でもアジアクラブNo1に。
 その活躍がオシム監督の目にとまり、ついについに「日本代表入り!〕を果たす。

 ※30才(2010年)からの竜二とその頃の私は、、、
  当時J1復帰したC大阪ではチームを上位に押し上げ、鳥栖に移籍すると
 ネームバリューを上げるとともにJ1の強豪チームの一助に。
 大宮をJ1に琉球をJ2の昇格に貢献。「昇格請け負い人」の面目躍如。
 その頃私は還暦を迎え、津田、福崎高、琴丘高らの卒業生らを祝ってもらう前で
 「退職後にサッカー場(人工芝)建設」を公言、平成28年に完成し竣工式の
 ゲストには竜二に参列してもらった。

 ※竜二の人なり、、、とこれからの竜二
  45年近くサッカーに携わり多くのサッカー関係者(監督、指導者)と交流ができ
 あらためて人生「出会い」ということを痛感する年代になった。
 その中でも著名な大御所と言われる指導者が竜二への「人なりの評価が高い」
 何時会っても積極的で熱く、日本のサッカーの将来などを多方面から考え、
 それを有言実行する行動力は凄い、人としても義理堅く、人を大切にして
 とくに同期や後輩への気遣いなどは素晴らしいと語っていただける。
 嬉しいことです。

 これからの竜二は日本のサッカーの「応援団長」として寄与、貢献し
 盛り上げてほしい。
 今後の第二のサッカー人生の活躍をおおいに楽しみにして影から応援したい。
 本当に楽しませてもらった。
 お疲れさまでした。

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   たるさんの部屋             令和元年、盛夏

  あまりの暑さに、、、、でも。
 エストレラのグラウンド(エストパーク)とクラブハウスの完成。
  慣れないことが続き少し疲れも、、、ここでもう一度原点に戻ろう。
 それは子どもとおること。子どもと遊べる日々に期待に胸をふくらませること。
  その原点は毎日朝練にやってくる子どもを迎えるために校門を開けて
 子どもより大きな声で挨拶し迎えること。
 そして今は夏休み「子どもと一緒に居れる幸せ時間が多く取れる」

 夏合宿では寝食を共にし汗を流し、がんばる子どもの「思い出作り」の一助となる。
 義理の息子作の秘密基地では幼児や低学年と幼児用プール、平均台、跳び箱、すもう、
 ターザンロ-プ、さまざまな遊びを工夫して共におおはしゃぎして童心に戻る。
 サッカー以外の川遊びに連れて行く、また遠征先での自然遊び。
 何か理由をつけてパーティを開催。手品、日本昔バカ話、紙芝居、お笑いなどの
 企画を考えるだけでワクワクする。
 一方では子どもに対しては体調を整え、年寄りくささが出ないようにみなりを
 きれいにして接する。
 一人一人を見落とすことがないよう目配り、声をかけ続け、うまくいったり
 がんばったら褒めて褒めまくっては触れ合いスキンシップをはかる。
 特に準備や、かたづけ、人のためにやれば全員の前で称賛の拍手とほめ言葉。
 しかし約束を破ったりダメなことをやれば本気で(余裕を持って)叱り飛ばす。
 だが怒ったあとは倍返しでほめる、抱きしめる。怒ったままでは帰さない。

 生きている限りは少しでも人の(子ども)ために役に立ちたい。
 子どもが失敗しミスするたびに心の中で「ヤッタァ~」と喜んでしまう。
 それは意地悪ではなく子どもは失敗しミスするもの。失敗しない人間なんかいない。
 そこから成功にどうつなげるかを楽しみに見守る、、、、
 だが時間がかかる。が、待つ、我慢する、あの手この手をその子に
 (出すぎないように)アドバイスしながら、、、、そしてうまくいって
 楽しそうに帰る後ろ姿を(よかったな)と見送るとこちらまであたたかくなる。

 サッカーに勝って喜び、選ばれて社会から評価を求める子ども(いや親かな?)が
 多くなった今日この頃
 人のために喜んだり、悲しんだり、人との交わりの中で<生き甲斐>を見つける
 子どもでいてほしい願う。
 グラウンドを見渡すと45年前に出会った子どもがいて、私自身が夢を追い続けた
 各年代の教え子たちもスタッフとして同じ道を子どもと共に歩んでる姿を見ると
 なんとも言えない安堵感(繋がり、絆)を感じる。それはサッカーを通じて
 「子育て」を「一途に迷わず続けてきた結果かな」とも思う。

 これからも体の続く限りつつましく一所懸命に〔子どものために〕生きていきたい。

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   たるさんの部屋             令和元年、5月

  また嬉しい報告があります。
 前回「たるさんの部屋」で告知しました通り、エストレラ「クラブハウス」が
 完成しました。
 私はエストレラの理事長、フットボール部門のセンター長の立場として
 現場や選手と携わることは多くありませんがスタッフたちの20年近くにわたり
 粘り強い地道な努力が実を結びここに花咲いたと心から嬉しく思うと共に
 スタッフたちに労いと感謝をしたいです。

 以下は理事長としての「竣工式」挨拶文です。
  本日は公私ともお忙しい中を姫路市長清元様、衆議院議員松本剛明様、
 山陽電気鉄道株式会社米田様。姫路市まちづくり振興機構理事長南都様を
 はじめとする多数のご臨席を賜りスポーツクラブエストレラ「クラブハウス」の
 竣工式を迎えることができました。ほんとうにありがとうございます。
 感無量でございます。
 NPOスポーツクラブエストレラを代表致しまして一言ご挨拶を申し上げます。

  2000年にエストレラ姫路フットボールクラブとして立ち上げ
 翌2001年特定非営利活動法人スポーツクラブエストレラを設立致しました。
 テニスクラブ、健康教室、パワーズなど多種目にわたり誰もがスポーツを楽しめる
 環境作りをめざし、姫路周辺の青少年を地域の人たちが育て、育った選手が
 地元に戻りスポーツに関わることができる活動内容を2016年スポーツ振興くじ
 助成事業に申請をしたところ高い評価を得て高額の補助金を受けました。
 エストレラの保護者やOB,又サッカー関係者を中心に支援の輪も大きく広がり
 現在西側に隣接する「エストパーク」として専用人工芝サッカーグラウンドが
 完成しました。

  2017年には選手、子どもたちのアカデミィー(教育)の場、すなわち
 体力作りやケアー、他のチームとの交流やコミニュケーションの場として
 また学習の場や心の成長を促すメンタルセミナーを常時開講する一方では
 指導者講習会や研修の場、そして保護者対象の「子育て学習会」の目的とした
 「クラブハウス建設」をスポーツ振興くじ助成事業に申請をしたところ
 その主旨に対し再び高い評価を得てグラウンドに続き高額の助成金を受け
 本日2019年5月18日クラブハウスの完成に至りました。

  現在エストレラはサッカー部門では指導理念、指導方法や運営において
 民間クラブとして全国屈指の団体として高い評価を受けています。
 今後はその評価に恥じなることのないようスタッフ、関係者一同は
 日本の将来の宝物である青少年たちの育成になお一層の努力をしていく所存で
 あります。

  今後ともスポーツクラブエストレラへあたたかいご支援をお願いするとともに
 本日「竣工式」にご参列いただきました皆様方の益々のご健勝とご活躍をお祈りして
 挨拶と致します。本日はまことにありがとうございました。

  尚:エストクラブハウスはエストパークグラウンド東側に位置しており
 山陽電車「大塩駅」下車南へ3分ほどです。
 お近くにお越しの際にはぜひともお立ち寄り下さい。

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   樽さんの部屋                     31、4、14
            春です!!新学期がスタート

      今回は(子どものため)に生きる人々を紹介します。
*エストレラスタッフ*
  私はエストレラ2000年立ち上げから理事として10年を経たのち
 理事長に就任してまもなく10年を迎えます。
 現場に立つことはありませんが側面からできるだけ支援をしてきました。
 スタッフたちは当初から選手の強化、スクール活動、団の運営から経営まで
 苦労の連続だったと思いますがその甲斐あり現在は高い評価を受けています。
 そのスタッフを始めOB、保護者たちの悲願でもあったエストパークが完成して
 僅か1年半。この5月にはクラブハウスの「竣工式」を迎えようとしています。
 また大きな財産が出来ました。ほんとうにおめでとうございます!!
 20年間のエストレラの利他の精神を繋ぎ我慢強く「プレーヤーズファースト」
 を継続してきたスタッフの「生きざま」が結集された場となりました。
  今後はエストパーク同様、選手たちのアカデミィー(教育)の場が中心となり
 笑顔とコミニュケーションの取れる憩いの場でもあることを切に願っています。

*「森のわんぱく冒険塾」F先生*
  同級生のF先生が高校を退職して子どもを自然の中で「逞しく育てる」という
 理念、コンセプトを持ち「NPO森のわんぱく冒険塾」を立ち上げられて3年。
 峰山高原の別荘地を拠点に、佐用町ではキャンプ場をベースに活動。
 保育園、幼稚園、スポーツ団体には冒険塾の教育方針を熱く語られ興味関心を引き
 その結果賛同を得られ多くの子どもたちが自然に触れ大歓声をあげています。
  彼のバイタリティ(行動力)と人脈の広さは半端ではなく尊敬に値する人物です。
 私も微力ながらアンバサダーとして啓蒙活動をさせていただいています。
 津田の少年たちも四季それぞれに自然遊び体験をし、卒団時の「思い出」を
 宝物のように語っています。本当に楽しめますのでぜひ訪れてみて下さい。

*波賀町I氏*
  人口減少、少子化、過疎が進む波賀町に安定した公務員の職を捨て
 地元の未来の子どものために波賀町のみならず宍栗市全体に目を向け
 サッカーを通して少年を地域で育て地域に戻す取り組みを始められたI氏。
 「先が見えず不安でしょう?」と尋ねると
 「これから起こることにワクワクして楽しみで仕方がない」との回答。
 エストレラ津田サッカークラブとの活動の理念、方針が一致して姉妹提携を結び、
 友好を誓い合いました。
 私利私欲で生きる人が多い中、こういう人と出会うと嬉しくなります。

*我が津田サッカークラブスタッフ*
  津田サッカークラブも46年めに入りました。
 仕事を持ちながら少年16名、ファミリースタッフ9名、ジュニアユース7名が
 ボランティアスタッフとして登録し新体制がスタートしました。
 そこは私の「安らぎ(安住の地)」でもあり大人の「学びの場」でもあります。
 一番上の孫が成人式を過ぎ、勤務しながら少年スタッフに加わり3年目。
 その下の孫もエストユースに所属し時間があればキンダーや低学年の子どもたちに
 かかわってくれています。孫たちと同じグランドに立てて幸せなことです。
 長女はスタッフと保護者の「橋渡し役」次女は「事務局」を担当してくれています。
 「樽本ファミリー」が人々のお世話ができ子どもの成長が見れる場所に居れる
 ことに感謝しながら私自身今までにない景色を味わう1年にしたいと思っています。

 たくさんの新メンバー加入(キンダー、少年、中学生、社会人)をお待ちしています。

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   樽さんの部屋                     31、1、11
           あけましておめでとうございます。

  今年も元旦は津田SC少年部、2日は津田、福崎、琴丘、市姫のOB会に続き
 3日はエストレラFCと「初蹴り三昧」で幸せな年始でした。

 毎月行っている津田SCスタッフ会議では以下のように年始挨拶をしましたが
 全ては自分にいい聞かせる内容でテーマは「謙虚」です。

 子どもは年齢が低ければ低いほど指導者が言うこと、することは全て正しいと
 思って信じて付いてきます。
 半成人式(10歳ごろ)までは指導者の影響は非常に大きいです。
 子どもが初めて出会う大人が指導者ならなおさらです。
 ですから指導者は「謙虚」な心で子どもに接しなければいけません。
「挨拶や返事」も大きな明るい声で心を込めて交わす必要があります。
 ピッチでの姿勢、服装、立ち居振る舞い、声質などは子どもが「親の後姿」を
 見て育つように指導者そのものを真似をします。
 指導者の考え方や行動、言動が子どもの心に一生残ります。
 指導者が結果を求めて誇りやステータスを得るために子どもを使ってはなりません。
「心の傷」となり子どもの頃は怖くて言えずに大人になって話しを始めるという
 悲しいことも多く起こっています。
 指導者の年齢、実績、地位、キャリアには関係なく「この人と居たい」と
 子どもが心から慕ってきてくれる指導者でありたいものです。

*ゴールデンエイジを過ぎると思春期に向かい「魔の14歳」に突入します。
 この頃(少年期)は親や大人、社会に対して「疑心暗鬼」になる年頃です。
 人言えず明るく振る舞うものの自分を卑下し葛藤し、いじめと戦って
 いるかも知れません。
 そこを救うのは教師ではなく「指導者」でありたいものです。
 少年期は「信じる」ことが大事で「信じること」=「認めること」です。
 必ず「良いところ」を見つけ「ほめて」できたら「評価」をすることです。
 それを伝えるタイミングがまたポイントで重要ですが。。。

*子どもたちが大人になって「あの時あの頃たるさんとの思い出が〔宝物〕」と
 そんな話を聞かされると本当に嬉しいものです。

*高校サッカー現場から離れて少年サッカーに戻って3年。
 45年前の立ち上げの「原点(初心)」に返ることができてました。
 要らぬ忖度や自己営利目的や保身のために擦り寄る大人より
「純粋無垢」な子どもたちから「学び」を得られる幸せを感じます。
「学び」に終わりはありませんね。

 子どもらしくとんがった個性やアイディアを思い切り発揮できる環境を作り
 子どもと「夢」を見て「笑顔」で未来を語りあう少年サッカークラブであるべき
 と年頭にあたりあらためて感じました。

          本年もどうぞよろしくお願いします。

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      たるさんの部屋              H30、12月末日

  1年が「アッ」と過ぎると感じる年齢になりました。
 各方面や出会った人々、1年間本当にお世話になりありがとうございました。
 教え子から学生時代に「先生からの言葉やもらった手紙、家に呼んでもらったこと、
 そばにいて寄り添ってくれたこと」などかかわった思い出話を聞くたびに
「少しは影響を与えられたのかな、、、」とあらためて懐かしく思う一方で生徒たちが
 いい大人へと成長ぶりには驚かされてます。
 最近はサッカー少年たちと過ごすことが生活の中心です。
 損得、邪悪な心が見え隠れする大人と居るより純粋さときれいな心が頂けます。
 一生懸命さや頑張りに心が震える感動をたくさんもらいました。

*少年たちには2つの「ありがとう」を伝えています。
 1つはお世話になった人への感謝「ありがとう」(義理を欠かさない大人になる為)
 2つめは「ありがとう」と言ってもらえる生き方(人のために、利他の精神で)

*45年間姫路のサッカーを何とかしなくてはと思い続け頑張ってきました。
「全国」にあと一歩で、、、と体験を幾度かしてはいつも悔し涙を流したものです。
 私が指導にかかわった生徒は本当にまじめで頑張れ尊敬できます。
 抜群の気遣いと何事も「やる!」決めたら「ここまでやるか?!」までやります。
 しかしこれだけ頑張っても頂点に届きませんでした。
「何が足りない?あと一歩の原因?」やはりそれは「技術の差」です。
 少年期に身につけていければならない(個人技)が不足していることです。

*高校サッカー現場(退職)から離れ約3年。
 原点である少年期指導に戻るとあらためて気づくことがいっぱいできました。
 少年期に足元の技術がつけば余裕、落ち着きができ周りが見えはじめます。
 身体的成長であるスピード、パワー、フィジカルは大人になるにつれ付いてきます。
 そこに目を向けることより少年期(ゴールデンエイジ)は「神経系」いわゆる
 <バランス、瞬発力(すばしっこさ)巧ち性(うまさ)ボールコントロールなど>
 が発達する時期でそれを伸ばしてやらないと上記にあるように子どもたちが
 高校年代や大人になり苦しむことになります。

*子どもも親も指導者も勝てば気持ちがいいし嬉しいものです。
 だが目先の勝利に捕らわれ「勝つ方法」を子どもに与え続けてたとしたら
 子ども自身が考え「自立」をしようとする将来をも奪うことになります。
 子どもは失敗やミス、敗北をしてもいい権利があり繰り返して成長します。

*スポーツ界も「トップダウン指導」の時代から大きく変わりました。
 姫路も変えなくては、、、それには夢と希望を持った若き指導者たちが不可欠です。
 スポーツの原点は「遊び」「遊び」は楽しい「楽しい」から続きます。
〔押しつけや命令〕では続かず、子どもが考え自分でするからうまくなります。
 指導者が「夢」を持ち、子どもに「夢」を語り、子どもたちが未来へ羽ばたく
 ために考え工夫し寄り添い支えるサポートをお願いしたい。やりましょう!

 私もたくさんの人から助けをいただき今日があります。
 それに対し「恩返し」をしなくては。。。。ですが自分ができることは
 姫路のサッカーのために子どもたちと若き指導者をサポートすることしかできず
 またそれが「恩返しかな?」と思っています。
 年末大寒波がやってきそうです。お体に留意され良いお年をお迎え下さい。

※卒業生との「初蹴り」1月2日10時~:エストパークで楽しみに待ってます。

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             たるさんの部屋        H30・10・1

 ◆乳児、幼児◆
・赤ちゃんは親の目しか見ない。親がどんな目をしているか見てる(だからこわい)
・母親は赤ちゃんを産んで3ヵ月、いらだち、腹を立てやすい。この頃が大事。
 その3ヵ月頃に発する(泣く、喜ぶ、叫ぶ、、、)信号の出し方を覚えておくと
 大きくなってもその時の信号であった表情、しぐさで何を求めているかわかりやすい。
・生活や経済的なこともあるができる限り3~4歳までは親が「躾け」をする。
・顔を見るだけでいとおしく目に入れても痛くないほど可愛いい子どもの笑顔で
 何度も救われる。親はこのことを絶対に忘れてはいけない。
・子どもの好きな言葉や話があればそれをくり返しくり返し話してやる。
・そばにいれる時間が少なければちよっよでも手をつなぐ。抱っこ。常にさわり触れる。
 ◆家 庭◆
・子どもがつらく悲しいのは夫婦ゲンカを見ること。
・家はおりやすくゴロゴロできてゆるやかに休める場所。
・母親は家事炊事、家庭の仕事、役割をおろそかにせず手を抜かない。
・主人は妻に「ありがとう、お疲れ、たいへんやろ」と労う。子どもがそれを見て育つ。
・子どもは母親の「嘆き、ぐち」父親の高圧的な「文句」には耐えれない。
・子どもは照れ隠しがありほとんど〔本音〕は言わないことを理解しておき
 だから子どもは素直に表現できないものと思った方がうまくいく。
・中学生が試験中は親は携帯もTVも見ない子どもより先に寝ない。
・「おまえのためにやってやってる」という〔恩着せ〕は子どもが最もきらう。
・子どもは親や先生から「愛されている」という幸福感がいる。
・「おはよう」はハッキリと。「おやすみ」はおだやかに交わせる家庭習慣を。
・子どもが挨拶をしなくても返さなくても親から先に丁寧にいい続ける。
・忘れ物をした時は長々と説教はいらない。「忘れた」しか答えようがないから。
・遅刻は親が恥ずかしいと思わない限り子どもは遅刻を繰り返す。
・「美味しいものを作ってあげようかな?」と思わなくなったら子どもは荒れ始める。
・子どもは力いっぱい遊んでお腹いっぱい食べてグッスリ眠ることで成長する。
・子どもが食事を楽しみをするようにバランス、栄養を考え一生懸命作る。
・食事は楽しく食べる。子どもにイライラさせたり不満を持たせながら食べさせない。
・「孤食」は全国民の44%(経済、生活上仕方がないが、、)
 一人の時親の智慧、工夫がいる。献立を親子で作成したり塾への手弁当に心を込める。
 ホワイトボードに伝言、連絡、メッセージ交換などをして「孤立」させない。
 しかし「不憫(ふびん)だ、かわいそうだから」と金や物で解決しない。

 ◆躾け◆
・物を壊したり大事にしない子どもは説教や理屈では直らない愛情でしか。
・小学1、2年は「遊び」この頃遊べない子が危ない「遊び」は子どもの生命力。
・小学3、4年から少しづつ「学力」この時期から学習習慣づけをする。
・子どもには「手書き」がいる。くり返しくり返し正確に書かせる。
 書くと脳が活発化する。聞きっぱなし言いっぱなしはよくない。
・小学生も中学生も「学校がおもしろい」と言っている間は大丈夫。
・子どもの頃の「躾け」のポイント3つ
 (1)自分で考え自分で行動(自立)
 (2)何事もやると決めたら一所懸命にやる(努力)
 (3)人に対して素直に「ありがとう、ごめん」が言える(人間関係の構築)
・子どもが大人に成長するのは経験。しかも自立(自分で)のできる経験値。

 ◆親の役目◆
・両親がそろっているから子どもが育つとは限らない。
 父親(厳格、決断、勇気)母親(慈しみ、愛、優しさ)の役目を果して子どもは育つ。
・一人親、母が仕事、施設育ちなど両親不在でも、その子が安心して愛して
 くれる人がそばにいれば子どもは育つ。
・子どもは親に一番にほめてもらいたい。次は大好きな先生に。
・子どもに言って「聞かせる」ことより子どもから「聞くこと」を怠らない。
・子どもを愛するとは「かかわる」ことである。
・母親は毎日同じことで腹を立ててはいけない。同じことを言っても効果はない。
 だが月に1度は厳しく叱る。ただ落ちついて余裕のある時に限る。
・親は子どもが「学校が好きや」というのを聞くのが嬉しくなるのはなぜだろう?
・子どもは勉強や試験は大切だと誰もが思っている。だからひっつこく言うことない。
 余計にイヤがり反発「そんなに言うならやめた!」と親子ゲンカになるのがオチ。
・核家族の「核」が減った。中核とは=父親=とは判断、決断ができる人。
 父親は子どもに嫌われても勇気を持って「ダメなことはダメ」と言えるかどうか。
・親の取り替え交換はきかない。子どもは親や先生を選べない。
・親が自分の時間を作るために子育てに手を抜いたり「面倒くさいなあ~」と
 思いかけた時から子どもとの関係の崩壊が始まる。
 結果:親が「ホッ」としたい年齢の時にとんでもない労力と苦しみが待っている。
・子どもは子ども社会で傷つき苦しんでいる。その苦しみは「母の愛」で落ちつく。
・親は自分が昔子どもであったことを忘れない。イヤだったことを子どもにしない。
・親離れは愛情で満たされて自立し始める。幼い頃「過保護」と言われるくらいに
 可愛がっていないから愛が満たされずいつまで経っても「親離れ」ができない。
・教育講演会や教育書物、教育番組が子どもを育てるのではない。
 子どものために「何がいいか?」と考え失敗しながら進むことが子どもを育てる。
・子どもに対してグチや文句や理屈を言っても解決にはならない。
 あれこれ考えず理屈抜きでやさしく接して寄り添ってやればそれで解決に向かう。
・愛情不足からくる精神的飢え(後天的)と発達障害(先天的)とは違う。
・場当たり的に叱るな。その時子どもは親は感情的になってると見抜いている。
・子どもは親がそばにいてくれるだけで楽しく嬉しいもの。
・親に何か都合の悪いことがあると子どもに物やお金で機嫌を取る。
 もらって嬉しいから黙ってはいるがうすうす「何か変、親って勝手」と感じている。
・子どもが大人に成長するのは「経験」だから親は自立させる「経験」を積ませる。

 ◆不登校◆
・ふつうの子は学校へ行けば家のことを忘れるが不登校生は家のことを忘れられない。
・中学1~2年に多い。
・不登校には優等生でまじめ。繊細でよく気がつく、いい子がなりやすい。
 いいかげんで人の気持ちが読めない、わからない自己中心の子は不登校にならない。
・親との関係がうまくいかないと不登校になりやすい。
 学校へ行けず家にいる時にできるだけ話を聞く(傾聴)「親子修復」のチャンス。
・30年程前には女子のアル中はいなかった。登校拒否もいなかった。なぜ今は?
・子どもが愛情がほしい時にもらえず、構ってほしくない(自立の開始)時に
 してもらっても子どもの成長にはよくない(親の子離れ)

 ◆問題児、非行◆
・人と変わったこと異常なことをしないと認めてもらえないから問題を起こし気を引く。
・子どもから目をそらすな!「この子は困ったな」と親の態度や目に出ると
 それを子どもはいち早く察する。
・子どもの「万引き」は一過性の病気であることが多い。早いうちに。
・親の言葉、態度で子どもは「目標、夢」を失いやる気をなくしあげくは非行に走る。
・女子が荒れるのは父親のありがたさを知らない。父親が良くない父親の修行不足。
・誰でもがする平凡な普通のことが耐えられなくなると非行に走る。
(好きなことしている時)「がまん(忍耐)」をすることを教える。
・何度も人に迷惑をかけ、その上親に見捨てられた子はどこへ行く?。。。
・子どもを見たくも触りたくもない時(思春期)がある。黙って見守る時期。
 毛虫は気持ち悪い(思春期)がやがてきれいな蝶となり羽ばたく前と思えばいい。
 蚕(かいこ)の時(思春期)気持ち悪いならまゆ(繭)になり絹になれない。
・いつまでも同じことで怒り続けない。
「さぁ、もうすんだ、次へ向かおう!」ポジテイブな希望のある言葉をかける。
・子どもに腹が立ったら:いいところ(長所)を探せ:可愛かった頃を思い出せ。
・子どもの命の根幹を切る(ネガティブ)言ってはいけない言葉。
「もうこの子はもういらん」と親があきらめはじめ
「こんな子は生まなければよかった」と思った時から子どもはくずれかけ
 言葉を口に発した瞬間から非行に向う。
・日本がアメリカより非行が少なく学力が高いのは
 幼い頃から添い寝や川の字で手を握りながら寝る習慣によることが大きい。
 安心感からくる無意識の「情緒安定(家族愛)」が非行を防いでいる。
・朝ごはんの準備と心のこもって弁当を用意してもらえる子どもは幸せ。
・親以外でも子どもがそばにいる人(親族、先生ら)と愛情関係できたら
 不安や恐怖から守ってもらえて落ちつき、嘘や問題行動、非行がおさまる。
・親が感情的に叱る、脅し、力づくで押さえつけていると子どもの頃は
「怖い、怒られるから」と我慢をする。やがて思春期から高校、大人へと
 体も大きくなるとそれまでたまった不満がエネルギーとなって爆発し反抗が。。。。
 驚いた親が子どもの機嫌を取り始まるともう家庭内は暴力化する。
・叱る時は幼い頃より
「そのうちにわかる、大人になったらわかる」など抽象的な叱り方をしない。
「なぜ?注意しているか」わかりやすく明確に伝える。
・問題行動、非行からの脱皮できる*母から子どもへの最高の言葉*
「まわりの人が何と言おうが
      あんたは私の子、あんたに何があっても私が守る」

◎H14年~「子育て」のテーマのポイントをまとめてみました。
 〔内容〕は勤務高校生徒のアンケート、毎年3~6回開講した「子育てママ塾」
 各地での「講演会」のふり返り文や悩みの相談や感想などが主です。

たるさんの部屋アップしました

 たるさんの部屋                     30年8月盛夏
                「200」超え

  本当に暑い日が続きます。何年かに一度の異常気象が毎日のように各地で起こる。
 人間の「業(ごう)」に神様や自然界からのお怒りかも。謙虚にならないと。

 世の中に何かでお返ししたいとは思うのですが、、、、
 心臓にペースメーカーを埋め込んで以来体力に自信がない。
 体のいたる所に痛みがでるし耳は遠くなるし、、、
 手先は不器用で機械関係などは全くダメ。
 友人が運営している「森のわんぱく塾」も作業や木工、物作りにも何一つ手助けに
 ならず子どもと遊びことしかできない。
 では事務系はというと未だにワープロでパソコンさえできない。
 結局は「お役に立ちたい」と思うだけで何もできない自分がイヤになります。

 その中でわずかに自分のできることとして
 うち(拙宅)を訪れてくれる人の悩みの聞いてあげることぐらいしかできません。
 退職後2年半で面談記録が「200」を超えました。
  サッカーの指導者、先生、保育士らは子どもへの関わり方や指導内容、保護者対応
 チームでは運営方法、組織、役割など悩まれています。
 悩みを抱えたおかあさんたちも多く来られます。
 子どもが障害を持つ、不登校や家庭内暴力に対して人知れず苦しみを一人で抱える
 お話には涙して聞かせてもらうしかありません。
 少年や中学生の悩みはサッカー、進路、勉強、人間関係(友人、先生、親)で苦しみ
 繊細で優しいばかりに学校させ行けずに苦しんでる子どもも増えました。
 大学、高校生や卒業生らは進路、就職相談が主で「ゼミ受けてる感じ」との感想。
 でもせっかく来てもらっても悩みにいい答えを出すことができません。

 帰る際玄関から出た時にスッキリした顔と「楽になりました」の言葉で救われ
 時には泣きの涙で抱き合って別れることもあります。
 見えなくなるまで「こんな私を頼って来てくれてありがとう、どうか幸せに」と
 思いを込めて見送ります。     いや知らない人も
「たるさんの部屋」を見た私の関係者や卒業生もぜひ、、、いや知らない人も。
 来てもらえることが嬉しいので美味しいコーヒーと共に待ってます。

「悩み」がなければどれほどいいか、、、とつくづく思います。
 相手に「対敵」という怒りの気持ちが無くなればどれだけ楽かとも思います。
 未熟な私は特に次の2つの(怒り)が悩みの比重を大きく占めてます。
 私のおもしろくない〔オヤジギャグ〕を使ってその2つを説明すると
*一つめは「(上)から目線の(下)ごごろ」
 プライドとステータスで人を見下して自分の思いとおりに人を動かそうとする
 今流行の(自分に都合のよい)「忖度」を求めるいい歳をした大人。
*二つめは「おもて(表)なしのうら(裏)工作」
 擦り寄ってきて人をおだててうまく取り入り人を利用しながら利益を企む大人。

 そんな(人)のことで悩むのは馬鹿らしいですね。
 いろんな人が世の中いると割り切らないダメなんですがまだまだです。
 でも純粋にサッカーに打ち込む少年や若者。目を輝かせて自然遊びをする子ども。
 そんな子どもたちと居れることの幸せに感謝しないと。
 自分のできることを子どもたちにしないと子どもたちが私の背中を見てますね。
 まだまだ暑さが続きます。みんなで爽やかな汗を流せるいいことをしましょう。

たるさんの部屋アップしました

  たるさんの部屋                       30年5月

  新年度が始まりました。またすごく嬉しい出来事が。。。。
 NPOスポーツクラブエストレラが「toto助成金」にクラブハウス建設申請を
 したところ補助金(6000万円)が決定しました。
 一昨年にはサッカーグランド(人工芝)建設の補助金(6800万円)を
 いただいたばかりなのに2年間でこんなに大きな金額をいただけるなんて、、、
 これは2000年に立ち上げからエストレラスタッフの努力の賜物です。
 選手のがんばりとその活動を支援をいただいてる多くの方々のおかげでもあります。
 本当にありがとうございました。
 クラブハウスは教育の場(アカデミー)として人材育成に寄与していく覚悟です。

*無数にあるクラブチームの中から「なぜ?」こうして多額の支援をいただけるかと
 いうとエストレラはサッカーのみならず
  (1)総合型スポーツ事業<フットボール・テニス・健康教室>
  (2)スポーツ教室事業 <サッカースクール>
  (3)スポーツ支援事業 <障害者支援・スポーツフエスティバル開催、支援>
  (4)指導者支援事業  <指導者養成・レフリーアカデミー・指導者派遣>
  (5)子育て支援事業  <子育て塾・講演会講師派遣・メンタルセミナー>
 以上のような地域、社会貢献をめざした活動に対し高い評価を得たものと思われます。

*スポーツクラブエストレラ理事長である私ができること。
 (1)エストレラスタッフや選手たちが「夢」に向かって活動できるサポート。
 (2)NPO活動として最も大切な会員数の獲得。
 代表である津田サッカークラブのキンダー、ジュニア、Jrユース、社会人の
 登録者とOBを加入し、福崎高、琴丘高、市姫路などの卒業生に呼びかけて
 会員数(本年度約300人)を500人の目標としています。
「たるさんの部屋」をご覧になった方で「よし!エストレラを応援してみよう」と
 思われましたら会員になっていただきご協力をよろしくお願いします。

*退職して3年目に入り教え子たちと会う機会が増えました。
 私は臆病でサッカー経験がない劣等感の塊(かたまり)。
 なのに根拠のない自信と子ども(教え子)が好きでかわいくて仕方ない。
 一緒にいたくてたまらない。(できもしないのに)面倒をみないと気が済まない。
 その上お節介やきという面倒くさい性格。
 年老いても「生きがい」と「夢」を見つけては喜んで行動していく中で
 自分のキャリア(プロフィール)に次々と思い出が残こせるのはまぎれもなく
 教え子たちのおかげであります。。
 教え子は仕事を持ちつつ自分の利益を考えずにボランティア活動を実践してくれ
 各方面で活躍する話を聞くたびに「すごい」と感動する日々です。
 こうした私の生き方「人のために」の精神は昔も今もそして将来も変わることのなく
 つないで未来の子どもへと託してくれるでしょう。

※そういう教え子らと年を取っても過ごせるのは本当に素敵な人生だと思うし
 あらためて「私は人に囲まれ幸せだなぁ~」とつくづく思う。

たるさんの部屋

 たるさんの部屋                    ・30年3月

 ◆「自立」の定義
  子育てのテーマは「自立」。社会に出ても子ども自身が「意志」をしっかり
  持って一人で強く逞しく生きていく力を付けることです。
  人は生まれて何度も親離れ体験(反抗)を繰り返して成長します。
  「10歳」(★半成人式迎えて)から本格的に「親離れ」を開始します。
  思春期(中学生)に入る頃には子ども自身が意志表示をする力を持たないと
  サッカーをしても・勝負弱い・逃げる・顔色を見て助けを求め指示を待つ
  ・失敗を恐れる・自分で向かわない・泣く、すねる(幼児退行)を起こします。
  意志が弱く解消できずに続くと神経系や身体に異常な症状が出てきます。

 ◆「自立」を始めた時親は後方からサポート
  子どもは経験不足のため情報が少なく判断する材料が乏しいものです。
  親は情報を集めて子どもに知らせて一緒に解決策を考えることが不可欠です。
  それには親の押し付けではなく子どもが意見がいいやすい環境を作り
 「これはどう?これもあるよ」と子どもに問いかけ(親子の信頼関係)を
  作ることです。
  そして子ども自身が決めることが大切。そこで始めて「自立」が始まります。
  あくまでも親は後方支援からのサポーターになり先導や誘導をしてはいけません。
  特に思春期(中学)年代は子どもが「判断して決定する」ことが重要なんです。
 *15歳で慣れ親しんだ「友との別離=自立」を経験して
  18歳で「家族との別離」をして「真の自立=大人」へと旅立ちます。

 ◆親の敷いたレールに乗って子どもは何処へ行く?
  多くの親は「子どもが将来困らないように幸せに暮らしてほしいから」と。
 「親の言うことを聞いていれば大丈夫、だからこうして、、、」とレールを敷き
 「勉強して○○高校に大学は○○へ、そして会社は○○あなたの終着駅は○○」
 「まわりから笑われないよう(世間体)すごいと思われるように(見栄)」とも。
 「はい!」と付いて来る子は可愛いくて「素直な子」だと勘違いします。
  子どもも親の言うことを聞いていれば親も喜ぶし自分も悩まず「楽(らく)」です。
  親離れができず「自立」が遅れていくものです。

 ◆レールは子ども自身が敷くものです。
  親に敷かれたレールに乗せられ問題なく一時は進んではいくように見えるが、、、
  やがて「僕の思いは?やりたいことは実は、、」と「何か違う?」と気づく。
  その時期が*思春期?高校?社会人?いつでしょう?
  親に意見も言えず我慢し耐えていたのが不満が<マグマ>のように溜まり
  やがて爆発して反抗、暴言、暴力、非行等の反社会的行動に。
  それでも親が怖くて外へ出せず内へ、中へ。
  苦しんで無口、孤立、閉じ込もり、社会から閉鎖して非反社会的行動に。
  自分の意志を持ち旅立てる日は来るのでしょうか?

 ◆人生、各行停車あり、途中下車あり。
  子どもには新幹線や急行ではなくゆっくりと各行停車で進ませたいものです。
  乗り換えをしてもいい時には降りて途中下車でも寄り道もいいものです。
 「壁、失敗、挫折」という停車駅で止まりながら、もがき、苦しみ
 「経験」というキップを手にして「自立」という駅へ向かってほしいです。
  各駅で「気づき」「夢」「人と出会い」をお土産品を手にして遠回りだが
  自分の手でつかんで心豊かな人生を楽しんでほしいものです

 ※わが子は自分の子どもであっても一人の人間として尊重すべきだ

 ◆親の敷いたレール「終着駅」名は
  サッカーに携わって45年。いろんな親子と出会いました。
  幼児なのにすでにうまい。リフテングもドリブルも群を抜いて目立つ。
 「すごい、天才」「将来は、、、プロ」こう言われると子ども以上に親も嬉しい。
  ビデオを撮り、親が手取り足取り家で自主トレ、居残り練習を指導。
 〔小学低学年〕子どももそうしてくれる親の姿が嬉しい(いじらしい)
  子ども以上に親はだんだんエスカレート。中毒のごとくもっともっと。
  親の敷いた(夢)レールの「終着駅」名はプロ、日本代表、世界進出か。

 *どうみても他の子より先に徹底して教え込まれたに過ぎないと思えるが、、、
 〔小学中学年〕になると親は(子どものために)と必死に。
  そこに遊びのサッカーで育ち自分で考え工夫してじっくり基礎を身につけて
  力を付けてきた仲間が追いついてくる。
  それをみた親は「ウム、これは、、、いかがなものか」と焦りだす。
  その結果親は自分の子が伸びてないと子どもへ文句や愚痴、罵声が増える。

 ◆親の敷いたレールから外れた子どもは、、、、
  思う通りにならない親は子どもに「なぜ?俺のいうことを聞かないんじゃ!」
 「まだ甘い!もっとやれ!!俺が子どもの頃にはもっとやったもんだ!」
 「これだけ言ってもおまえは出来ないのか!」「いい、もう知らん!」
  親は子どものためだと言うが果して「子どものためかな?」とも思える行動に。
  親のエゴ、プライドが見え隠れしその結果子どもが犠牲に(かわいそうに、、、)
 「これだけしてやったのに(恩に着せ)誰のためにしてると思ってるんや」
  ついに興奮のあまり言ってはならない言葉(禁句)が子どもの心に突き刺さる。

 ◆親の敷いた違うレールに乗り換えて
 「津田にいると伸びない。全国には行けない、トレセンに選ばれない」からと
  同じ思いの人たちとの情報交換をしてチームを移籍。
  私は子どもとふだんからコミニュケーションを取ってるので本音が聞ける。
  元気がないので「どうした?」と聞くと
 「試合に負けた日やうまいこといかない時に親と帰る車の中が一番イヤ」
 「叱られる、親が怖い」「家に帰ったらまた練習が待ってる」
  親は子どもの苦しい思いを知るよしもなく次へ次へと急行列車を探す。
 「親が敷いたレールに乗り親の〔夢〕という「終着駅」に着かなかったこの子は
  今はどうしてるかなぁ~~」
  子どもは自分で「何か違う?」と*気づくのは思春期?高校?社会人?
 <参考>気づいたらどういう行動になるかは*印で先述しました。
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 ◎話は変わりますが。いよいよ卒団式が近づいてきます。
  ここ1ヵ月は子どもと過ごしたメモや日記を見て涙してます。
  卒団式には「さよならは言わない、また会おう」といつも言います。
  でもほとんど生徒とは会えません。それどころか卒団後たまに会うと私を見て
  避けます。子どもごころに「会わす顔がないんかな?」胸が痛みます。
 「中学になってもたるさんらとサッカーがしたい」と
  泣きながら話してくれる「思い」を宝物として大切にします。
  この子たちともっと一緒にいてそばで力になりたいと思います。
  この「思い」が起こるには共に過ごした子どもへの「礼儀」であり
  一生懸命子どもに対してやれたという「証」だと思っています。
  これは私の毎年のわがままですが、変えるつもりはありません。
  人のことをこう思うのが私であり津田サッカークラブだと思うからです。

  悲しい別離ができたことが私の幸せでもあると言い聞かせていますが、、、