たるさんの部屋 ・30年3月
◆「自立」の定義
子育てのテーマは「自立」。社会に出ても子ども自身が「意志」をしっかり
持って一人で強く逞しく生きていく力を付けることです。
人は生まれて何度も親離れ体験(反抗)を繰り返して成長します。
「10歳」(★半成人式迎えて)から本格的に「親離れ」を開始します。
思春期(中学生)に入る頃には子ども自身が意志表示をする力を持たないと
サッカーをしても・勝負弱い・逃げる・顔色を見て助けを求め指示を待つ
・失敗を恐れる・自分で向かわない・泣く、すねる(幼児退行)を起こします。
意志が弱く解消できずに続くと神経系や身体に異常な症状が出てきます。
◆「自立」を始めた時親は後方からサポート
子どもは経験不足のため情報が少なく判断する材料が乏しいものです。
親は情報を集めて子どもに知らせて一緒に解決策を考えることが不可欠です。
それには親の押し付けではなく子どもが意見がいいやすい環境を作り
「これはどう?これもあるよ」と子どもに問いかけ(親子の信頼関係)を
作ることです。
そして子ども自身が決めることが大切。そこで始めて「自立」が始まります。
あくまでも親は後方支援からのサポーターになり先導や誘導をしてはいけません。
特に思春期(中学)年代は子どもが「判断して決定する」ことが重要なんです。
*15歳で慣れ親しんだ「友との別離=自立」を経験して
18歳で「家族との別離」をして「真の自立=大人」へと旅立ちます。
◆親の敷いたレールに乗って子どもは何処へ行く?
多くの親は「子どもが将来困らないように幸せに暮らしてほしいから」と。
「親の言うことを聞いていれば大丈夫、だからこうして、、、」とレールを敷き
「勉強して○○高校に大学は○○へ、そして会社は○○あなたの終着駅は○○」
「まわりから笑われないよう(世間体)すごいと思われるように(見栄)」とも。
「はい!」と付いて来る子は可愛いくて「素直な子」だと勘違いします。
子どもも親の言うことを聞いていれば親も喜ぶし自分も悩まず「楽(らく)」です。
親離れができず「自立」が遅れていくものです。
◆レールは子ども自身が敷くものです。
親に敷かれたレールに乗せられ問題なく一時は進んではいくように見えるが、、、
やがて「僕の思いは?やりたいことは実は、、」と「何か違う?」と気づく。
その時期が*思春期?高校?社会人?いつでしょう?
親に意見も言えず我慢し耐えていたのが不満が<マグマ>のように溜まり
やがて爆発して反抗、暴言、暴力、非行等の反社会的行動に。
それでも親が怖くて外へ出せず内へ、中へ。
苦しんで無口、孤立、閉じ込もり、社会から閉鎖して非反社会的行動に。
自分の意志を持ち旅立てる日は来るのでしょうか?
◆人生、各行停車あり、途中下車あり。
子どもには新幹線や急行ではなくゆっくりと各行停車で進ませたいものです。
乗り換えをしてもいい時には降りて途中下車でも寄り道もいいものです。
「壁、失敗、挫折」という停車駅で止まりながら、もがき、苦しみ
「経験」というキップを手にして「自立」という駅へ向かってほしいです。
各駅で「気づき」「夢」「人と出会い」をお土産品を手にして遠回りだが
自分の手でつかんで心豊かな人生を楽しんでほしいものです
※わが子は自分の子どもであっても一人の人間として尊重すべきだ
◆親の敷いたレール「終着駅」名は
サッカーに携わって45年。いろんな親子と出会いました。
幼児なのにすでにうまい。リフテングもドリブルも群を抜いて目立つ。
「すごい、天才」「将来は、、、プロ」こう言われると子ども以上に親も嬉しい。
ビデオを撮り、親が手取り足取り家で自主トレ、居残り練習を指導。
〔小学低学年〕子どももそうしてくれる親の姿が嬉しい(いじらしい)
子ども以上に親はだんだんエスカレート。中毒のごとくもっともっと。
親の敷いた(夢)レールの「終着駅」名はプロ、日本代表、世界進出か。
*どうみても他の子より先に徹底して教え込まれたに過ぎないと思えるが、、、
〔小学中学年〕になると親は(子どものために)と必死に。
そこに遊びのサッカーで育ち自分で考え工夫してじっくり基礎を身につけて
力を付けてきた仲間が追いついてくる。
それをみた親は「ウム、これは、、、いかがなものか」と焦りだす。
その結果親は自分の子が伸びてないと子どもへ文句や愚痴、罵声が増える。
◆親の敷いたレールから外れた子どもは、、、、
思う通りにならない親は子どもに「なぜ?俺のいうことを聞かないんじゃ!」
「まだ甘い!もっとやれ!!俺が子どもの頃にはもっとやったもんだ!」
「これだけ言ってもおまえは出来ないのか!」「いい、もう知らん!」
親は子どものためだと言うが果して「子どものためかな?」とも思える行動に。
親のエゴ、プライドが見え隠れしその結果子どもが犠牲に(かわいそうに、、、)
「これだけしてやったのに(恩に着せ)誰のためにしてると思ってるんや」
ついに興奮のあまり言ってはならない言葉(禁句)が子どもの心に突き刺さる。
◆親の敷いた違うレールに乗り換えて
「津田にいると伸びない。全国には行けない、トレセンに選ばれない」からと
同じ思いの人たちとの情報交換をしてチームを移籍。
私は子どもとふだんからコミニュケーションを取ってるので本音が聞ける。
元気がないので「どうした?」と聞くと
「試合に負けた日やうまいこといかない時に親と帰る車の中が一番イヤ」
「叱られる、親が怖い」「家に帰ったらまた練習が待ってる」
親は子どもの苦しい思いを知るよしもなく次へ次へと急行列車を探す。
「親が敷いたレールに乗り親の〔夢〕という「終着駅」に着かなかったこの子は
今はどうしてるかなぁ~~」
子どもは自分で「何か違う?」と*気づくのは思春期?高校?社会人?
<参考>気づいたらどういう行動になるかは*印で先述しました。
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◎話は変わりますが。いよいよ卒団式が近づいてきます。
ここ1ヵ月は子どもと過ごしたメモや日記を見て涙してます。
卒団式には「さよならは言わない、また会おう」といつも言います。
でもほとんど生徒とは会えません。それどころか卒団後たまに会うと私を見て
避けます。子どもごころに「会わす顔がないんかな?」胸が痛みます。
「中学になってもたるさんらとサッカーがしたい」と
泣きながら話してくれる「思い」を宝物として大切にします。
この子たちともっと一緒にいてそばで力になりたいと思います。
この「思い」が起こるには共に過ごした子どもへの「礼儀」であり
一生懸命子どもに対してやれたという「証」だと思っています。
これは私の毎年のわがままですが、変えるつもりはありません。
人のことをこう思うのが私であり津田サッカークラブだと思うからです。
悲しい別離ができたことが私の幸せでもあると言い聞かせていますが、、、
たるさんの部屋 ・H30年2月
姫路ライオンズクラブ定例会講演(要旨)
先日「Jリーガーを育てて」というお題をいただき講演をしてきました。
「私が育てたのではなく彼らが育っていった」のです。
付け加えるとしたら以下の2点かも知れません。
(1)私がサッカー未経験で素人のため強豪高校や大学へ遠征に出かけては
多くの指導者から指導を仰ぎ資格を修得し勉強ができたこと。
(2)子どもが大好き「どのように伸ばしてやれるか」と日夜考えたこと。
*子どもたちと流した涙(嬉しい、悲しい、悔しい涙)の量には自信があります。
◆指導の理念としては
サッカー選手である前に「人間として育てる」ことを重視しました。
(1)「利他の精神」すなわち人のためチームや仲間のためにどれだけ動けるか。
(2)サッカーはもちろん好き。練習も準備も片付け(雑用、気づき)も好き。
ベンチで仲間を応援することも好き。とにかくチームが好き。
こうなるとチーム(結束)力となって接戦が勝利へと繋がる。
(3)レギュラーになる選ばれる勝つことのみの「個人第一主義」にはしない方針。
◆指導者(上に立つ者)は時代の流れを読み取ることが必要。
(1)1980年代(福崎高校勤務)の生徒は(今40代半ば~50歳半ば)
・自分で気づけ(見て覚えろ)・黙ってやれ(我慢)・何事も耐えろ(忍耐)
(2)1990年代以降(琴丘高校勤務)の生徒=「ゆとり教育」を受けた生徒
・頭ごなしの指示、命令、指導は通用しない。
・予定(計画、夢)を立て・やらせて(行動)・できれば褒める(賞賛)
・事後の感想を語らせ(言葉で)・まとめさせ(書き残す)・評価する(認知)
◆最近の若者はと・・・嘆く前に(子どものせいではない)
・失敗から学ぶ(3割バッターでよい)・チャレンジ・モチベーション
・成功体験・自信・(粘り強く)成長を待つ
※指導者が子どもを取り巻く教育環境や社会も大きく変わったことを理解して
若者(子ども)と接しないと「温度差」が生まれ、それが不信感となり
育つどころか付いてこなくなり、ついには辞めて逃げ出す。
◆そうした中でも成功を修めた子ども(選手)たちは以下の「共通点」がある。
<Jリーガー5名、日本代表1名、日本ユース代表2名、国体県代表12名など>
(1)高いポテンシャルや身体能力の持ち主ばかりではない(普通の生徒)
(2)「決めたことを続ける(努力の)才能」を持っている
(3)人として素晴らしい3つの性格を持っている。
ア;「これをやればきっと成功する!」と決めたら信じて疑わずチャレンジ精神。
苦しいこから逃げずに果敢に挑む生徒。
イ;グチや文句を決して言わず人や周囲のせいにしない。
ウ;「感謝の気持ち」を持っている。
◆最後に
御社にも磨けば輝く人材がワンサといるはずです。
どんな人間も光輝く能力を絶対に持っています。
今時の若者は「ダメ、ムリ」と「蓋」をして自ら可能性を消しています。
その社員が(上司)に出会え、才能を見いだしてもらえれば人生が変わります。
社員が変われば御社も未来が広がり業績アップにつながり明るくイキイキとした
企業になると思います。
サッカーも企業も組織はすべて人なりです。「人が動くと金なり」ですね。
*ご静聴ありがとうございました。
たるさんの部屋 ・H30年1月
あけましておめでとうございます。
新年のご挨拶が遅くなりました。お正月は恒例行事「初蹴り」の3が日でした。
・元旦;津田少年(約150名)
・2日:卒業生たち大集合(この日も約150名)
津田Jrユース、OB、福崎高、琴丘高、姫路高の教え子たちと会えた日でした。
・3日:エストレラFCの「初蹴り」には今年が初参加。
楽しいお正月が今年も過ごせました。
一緒に過ごせる相手がいることはありがたいことです。
一昨年は私の夢であった子どもの「自立」をめざし青少年の夢実現や鍛練の場で
あるエストパーク建設「完成」のためにアッという間でした。
昨年は好きな時間に好きなことができる今までにないゆったりとした年でした。
エストレラFCや津田SCの指導者も成長し姫路のサッカー界では一大勢力として
名を馳せるまでになりました。
あとは彼たちに任せて「もう大丈夫」という気がしています。
私の本年の目標は人の役に立ててこそ自分の生きる道「人のために」という
生き方の原点にもう一度立ち返りたいと思っています。
教員をしている時から持ち続けていました「教育の場=学校を作りたいなぁ~」と
あらためて思い始めていますが、ちょうどそこに高校を退職した同級生が
彼は同級生といっても尊敬ができ私が教員になれたのも彼のお蔭で恩人です。
現職時代から「ここまで生徒のためにやるか、、、」とマネができないほど
「利他の精神」の持ち主。
儲けようとか自分がいい思いをしょうなどの私利私欲が全くなく心の底から
「子どものため、教育のために」と生きている人物です。
その彼が自然を通して逞しい子どもの育成というコンセプトを持って2年前に
NPO法人「森のわんぱく冒険塾」を立ち上げました。
同じ志を持つ信じあえる「大親友」と一緒にいると心から落ちつけます。
「森のわんぱく冒険塾」冬バージョンに早速2月には津田の少年、中学生を連れて
「雪遊び体験」を自然の中で自分たちで考え工夫して楽しませたいと思ってます。
3月には少年卒団行事として6年生を1泊2日で宿泊をさせる取り組みをやります。
今後も四季それぞれに自然の中で子どもを育て「自立」をさせたいと思っています。
私も自然と子どもたちに囲まれストレス解消をしようと思っています。
春、夏バージョンができましたらまた告知しますね。
考えるだけでワクワクしてます。皆さんもぜひお越し下さい。
※津田サッカークラブHPから姉妹提携団体「NPO森のわんぱく冒険塾」を
ご覧下さい。
たるさんの部屋 ・H29年12月末
(1年間の)お 礼
はや1年が経とうとしています。
昨年は退職直後、エストパーク建設のために教員生活と全く違う分野などで
たくさんの人たちに恵まれた出会いのおかげで「あっ」という間に「完成」の
運びとなりました「強運」を感じた1年でした。
今年は多忙な昨年と比べゆったりとした自由な時間が過ごせました。
穏やかなこの1年を待つかのように2つの大きな出来事がありました。
*1つめ:6月父親が他界。
父は昭和初期を代表する職人気質(かたぎ)の生き方。
人が好きで私の友人や教え子が来宅すると「上がって飯でも食べていけ」
「ゆっくりしていけ、わしが送ったる」遅くなると「泊まっていけ」が口癖。
津田小学校で試合があるとメジャーやラインカー、石灰、ロープなどを軽トラに
積み込んでライン引き。ゴールネットや整備用具の修理にとおお助かりでした。
弔問客の多くが「お父さんには本当にお世話になった」の声にあらためて尊敬。
オヤジの性格(DNA)がそのままに私の中に脈々と生きています。
死の前日。歩けなくなった父が私のおんぶに初めて甘えて乗っかってくれた。
最後の夜は家族がオヤジと二人っきりにしてくれ、夜中手を握りさすっていたら
悟ったかのよに旅立っていった。眠るように、、、、
残念なことはエストパークを見てもらいたかった。
「よくがんばったな」と言ってもらえたかな?
*2つめ:11月三女好美が結婚
家族を失う一方で新たな家族も出来ました。
琴丘高サッカー部のマネージャーとして通学。卒業後はエストのスクールコーチを。
審判活動では私の夢を追うように史上最年少(21歳)で日本最高峰の1級資格を。
丁度なでしこが「Wカップ優勝!」など日本女子サッカーが最高潮の時期でした。
だが度々の病やケガに手術、入院等を繰り返し10年近く苦しみどん底を味わう。
その経験から自己と向き合い幾度か断食を繰り返し全国の神社仏閣を巡るかたわら
「食」の大切さから自然食マイスターの資格を取る。また心理カウンセラーや
ヒーラーとして終末施設で末期ガン患者に寄り添い「人のために」過ごしていた。
その好美が※大塚晴弘さんと挙式を。
結婚式当日は生徒や部員ではなく「娘:好美」に涙する一日でした。
現在は人の体と心に優しい「※オーガニックカフェ」の開店準備に向けて
奔走中です。また覗いてやって下さい。
*私の1年は45年目になる津田少年の朝練(6時30分出)から一日が始まり
地域や学校、施設関係などから講演依頼を今までの実体験を中心にお話させてもらっています。
ずっとやりたかった教育カウンセラーを生かせた活動もいい感じでできました。
1年間ほんとうにありがとうございました。
来年度も樽本家、津田、エストレラをどうぞよろしくお願い致します。
※「カフェ(AMETUTI)」(1月11日オープン)
大津イオン南500m(大津小学校東道路を大津イオンに向かって右側すぐ)
※「大塚晴弘=ハルさん」は昨年までプロレフリー、国際審判として活躍。
週末はJリーグ担当の傍ら好美と次の人生(似顔絵書き)を歩み始めました。
たるさんの部屋 H・29・12
変わること(53歳にして得た収穫)
当時監督をしていた琴丘高校に津田の少年やジュニアユース時代にかかわった
多くのメンバーが入部してきました。
技術は姫路地区では高い方でしたが県レベルまではいかないレベル。
私自身の指導の特徴で子どもたちを見つづけることで性格を把握していく。
勝負時の大事な時はかわし、体を張らないプレーに明るく行動的で自己表現が
できる一つ上の先輩たちとどうしても比べてしまう全体的に「甘い」学年でした。
*この子たちを見抜いてるという以前からの妙な自信から実際に指導していて
「こうなるだろうなぁ?」「そろそろミスするぞ」「このあたりで大失敗に、、
「そうやろなぁ、、、そうなるやろなぁ」と。あれも、これもと予感は的中。
過去の指導実践(偏見、予断、先入観)からおおよそ予想がつく。
すると疲れ、気が休まらずイラつく自分。これでは今までと変わらない。
生徒たちも同様にミスができない、うまくやらないと、、、と息が抜けず過緊張に。
すると失敗を恐れチャレンジしなくなる。これまた今までの生徒と変わらない。
◇50歳・カウンセラー資格獲得の志の理由は?、、、、
「生徒を指導して強くして結果を出してやりたい」「生徒を何とかしたい」という
おこがましさ、お節介な性格が現れる。これでは以前と変わらぬ状況に。
自分を変えたいと飛び込んだのが志の理由のはずなのに。
■そこで思い切って「信頼し任せよう」と決断。
「ミスも失敗も生徒のサッカー人生。そうしながら成長するもの」だと割り切ると
すると少し楽になり、失敗すると「なんで?」と尋ね、ミスした時鋭く突いてたのを
見ない振りをするのもありかな?と方法(やり方)を変えてみた。
元気がない者には「どうしたん?」尻込みの者には「まずやってみては、、」と促し
アドバイスを控えながら役割や責任を少しづつ与え生徒たちでやらせてみる方針に。
私の指導方法のあまりの変わりように最初は生徒に戸惑いも、、、、
だが次第に失敗しても「ええんや」と感じ始め、生徒間で「あーしよう、こうしよう
これはどう?」と互いにコミュニケーションを取りはじめる。
失敗しても「ゴメン」と切り替え次に向かう。うまくできると自信にあふれた顔に。
ほめて認めて「なんでできた?」と聞くと嬉しそうに答えが返ってくる。
すると人に頼っていた「甘さ」が消えて自分に厳しくなり目つきが変わっていく。
朝練も居残り自主トレも競争心が芽生えグランドに活気が、、、
〔今までにない光景と体験。これは強くなる気配、手応えが、、、〕
*練習から全員やることから、スタメンもベンチもサブもチームが一つになり
その年度の兵庫県高校総体(インターハイ)予選を活気に溢れたまま勝ち進み、
準々決勝、準決勝も実力高校との接戦を粘り勝ち。交代出場選手がヒーローに。
そしてなんと誰も予想しない決勝の舞台へ。相手は全国屈指の強豪滝川二高校。
今までやってきた持ち前の粘りで延長戦へ。最後は力尽きグランドに伏したが、、、、
持っている力を全て出し切って「さわやかに」ピッチを後にした。
半年前には甘く弱かった生徒が臆せず堂々と一生懸命、ひたむきに輝き戦った。
そのピッチには長い間不登校の苦しみから脱した者もいてくれた。これがまた嬉しい。
※子どもは変わるもの。
その後生徒たちは学校生活も歩く姿さえもカッコよく見えました。自信ですね。
勉強も将来に向けチャレンジし進路希望も手に入れました。凄いです。
◆53歳にして得た最大の収穫。それは私自身が変われたことです。
自分が変わることで相手も変わるということがわかりました。
お蔭で常備していた睡眠薬、胃薬、頭痛薬に頼ることもなくなりました。
たるさんの部屋
歳を取ってわかったこと
*「平凡」
毎日同じことの繰り返し、こうなると一日が早くあっという間に歳を取る。
「平凡」なあたりまえの毎日の中で「何かおもしろいことはないかな?」と
少しの変化を見つけることができる歳になった。
すると見ている空、太陽、夕日、星、時には雨音などの自然に対しても
家族にもふだん会う人の見方を変えるといろんな変化があることがわかった。
「今日は何かが起こる!」とワクワクと生きてみると「平凡」な生活にも
おもしろいことが起こるということが歳を取ってわかった。
*「人生楽しむ」
この歳まで生きてきたのだから人生楽しみたい。
楽しむためには好きなことをやろうと思える歳になった。
若い頃何でもネガティブに考え悲観し落ち込んで苦しんだものだが
「辛」という字を一画変えれば「幸」に。
「悲」は心に非ず、嘆かずに心の持ち方一つで楽しくなることがわかった。
*「自然」
春に苗を植えても収穫は秋。いくら急いでも夏の収穫はむり。
豪雨や台風、日照りなど自然には勝てない。
若い頃は結果が欲しくて焦ったものだが物も人も育つには時間がかかり
「自然」と「人の心」は変えれないとこの歳になってわかった。
*「身を委ね」
若い頃は「夢」持って、目標を立て、叶えるために頑張って頑張って、、、
だがあれこれ尽くしてもうまくいかないと焦り、失望し、嘆く。
こんな時ジタバタせずに身を委ねて「時」が解決することもあるとわかった。
*「輝く」
長く生きているときらきらと輝いてる人(生徒)と出会うことがある。
その人のまわりには多くの人が集まる。
その人は味わい深くおもしろく、時にはスリルがあって魅力的でまた不思議。
その人は「うまくいかない時こそ、チャンス、かけがえのない瞬間」と語る。
その人はつねにまわりに心を配り気遣いをしていることを歳がいくとわかった。
*「気づき」
ふっとした瞬間、ちょっとしたことに「気づく」こと。
小さな発見が自分を変えてそのたびに自分が成長することを知った。
「気づき」は新発見と感動を生むこともこの歳になってわかった今
もっともっと成長していい年齢を重ねたいものだ。
たるさんの部屋
(前号の「普通」って、、、)に続く
「普通」でまじめな子危ない!!
*「普通」でまじめな子は
苦しくても一生懸命がんばっていればいつかいいことがある。
汗水流して必死にやればやっただけ報われるもの。
おかあさんやまわりの人の喜ぶ顔が見たいからがんばる!
「人のために」何ができるか工夫し考えがんばる!
できないのは「自分が原因」と自分を責め悩む。
弱さや甘さを出さずもっとがんばらないと、、、と自らを叱咤激励。
*「普通」でまじめな子は手を抜いたり休むことはしない。
授業をさぼったり、宿題や課題も忘れることもなくきちんと提出する。
言い訳、校則違反、遅刻、ズル休み、適当でええかげんなことなどもできない。
まじめに必死にやって親に認めてもらいたいが「もっとできるやろう」と。
それどころか「卒業後は、夢は、将来は、、、」と次々と期待される。
まわりも「あの子はまじめやから大丈夫!!」と勝手にレッテルを貼られる。
「何が大丈夫なん?、、私もさぼりたいし、休みたいわぁ~~
時にはワーッと叫んだり、助けを求めたり弱音も吐きたい、、、しんどい。
でもおかあさんを悲しませたくないから、、、、我慢しか。。。」
「友だちは大切。何でも相談できる子を選びとよく言うけど、、、、
その友だち関係が難しく厄介なんや」
携帯やラインのやりとりなど周りからは「孤立」し無視されないことが一番。
仲間外れやイジメにあうなど一人ぽっちが最大の恐怖。
甘えたりわがままを言い許しあい安心できるのが親友のはずが
周りに同調し作り笑顔で対処して無事平穏に過ごすこととなると疲れる。
*「普通」でまじめな子は
さまざまなことをきちんとやらないとと自らを追い込んでいく。
それがうまくいかず解消できず抱え込んでいくとストレスとなる。
寝不足になり徐々に疲れがたまり心身共ボロボロに。
やがて、、、、
誰もいない世界へ行きたい、現実から逃げ出したい。
鍵をかけ家に閉じこもり一人になりたい。
親もまわりも「えぇ-突然どうしたん?今までふつうやったのに、、」
と驚くが突然ではなく積もり積もったものがマグマのように、、、
そんなに苦しいなら「言えよ」と簡単に言うけど
*「普通」でまじめな子は「言えない」
心が折れ、我慢の限界に、やがて起きれない、アレルギー、喘息、自律神経など
さまざまな症状となり出てくる。そして「鬱(うつ)」に。
こんなに苦しいなら死んだほうが「楽」かな?って考え始める。
悲痛な心の叫びのサインを何度も何度も出すが、、、
親は気づいてくれるかな??
親は「あの時気づいておれば、、、」とはならないようにと願う。
*一番苦しんでいるのは「普通」でまじめな子かも知れません。
※世の中「命より大切なもの」はありません。
たるさんの部屋
おかあさんの後ろ姿(1)
躾け(しつけ)・・・親の(おしつけ)・・・子どもに(つけ)が、、、
子どもが起きる前朝早くから仕事へでかけるおかあさんからの書き置き。
朝食の食卓に「おにいちゃんへ。帰ってきたらおやつを買って」とお金が。
帰ると近くの駄菓子屋で妹と弟の分を買うが自分の物は買わず貯めておく。
理由は時として「このお金でおやつを、、、、」の書き置きがない日のために。
大人になって振り返ると僕は好きなサッカーができるからしんどいと
思ったことがない。
辛く苦しかったのはおかあさんかも知れない。
それでもおかあさんのグチや文句を聞いたことがない。
そういうおかあさんを見て育ってきた。妹も弟もきっとそうだと思う。
授業参観や運動会。サッカーの試合も見に来てくれることはなかったが
寂しいとは思わなかった。おかあさんの大変さを知っているから。
僕には先生や友だちがいたし、なにより好きなサッカーがあったから。
特に先生や友だちにはよく家に呼んでもらって「おやつ」などいっぱい
食べさせてもらったし。
そんな話をしたら、おかあさんが「ごめんね」と言われるのが辛かった。
おかあさんはほんとうに優しかった。
「勉強しぃ」とか「お手伝いしろ」とか絶対に言わなかった。
おかあさんが家で休んだりTVを見たりゆっくり新聞や雑誌を読んでる姿を
見たことがない。
家事をしてるか仕事で疲れて帰っても内職をいつも物静かにやっていた。
そういうおかあさんがそばにいてくれるだけでよかった。
僕はいつも全力でがんばった。
自分でできることは自分でしようと思っていた。
友だちやみんなに「あれしろ、こうしろ」とえらそうに言ったことはないし
文句も言ったことがない。
自分ががんばっていればみんなもわかってくれる仲間だったから。
それはおかあさんがそうだったのを見てきたから。
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*彼はいつも笑顔で厳しい練習も雑用も何一つ文句を言わず黙々とひたむきに
打ち込む生徒だった。だから仲間も後輩も先輩までもが、また他のチームからも
尊敬され慕われていた。未だかって彼を悪くいう人物に出会ったことがない。
私の人生訓である「一所懸命、ひたむきに」は彼がくれたのかも知れない。
おかあさんの後ろ姿(2)
その生徒は練習前や遠征中、部室前でもスパイクを磨いて手入れを怠らない。
雨、芝生、固いクレー、その時々にスパイクが違う。
「こだわりか、、、?」ここまでやるにはある意味プロ意識か、、、
ある日、大雨の泥田のようなグランドでの試合後女子トイレから出て来た
おかあさんたちの会話が聞こえてきた。
「すっごい雨やったね、田植えみたいや。さぁ~今日はいっぱいの洗濯物の
お土産があるわ、、、」と楽しそうに。
そんな会話を耳にすると誰のおかあさんか気になるものです。
引退試合でそのおかあさんと話す機会がありました。
「先生、これで子育ても終わりました。
子どものおかげでほんとうにサッカーが好きになり楽しませてもらいました。
好きなことに打ち込んでる姿を見るのが誇らしく親として幸せでした。
あの子らに感謝です。これからも子どもたちは好きなように生きてほしい。
2年後主人が退職です。
子どもに迷惑をかけたくないのであとは主人の実家で暮らします。
子どもらは姫路がいいらしいので先生あの子たちを頼みます」
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卒業後、うち(自宅)で打ち上げ。少し酒が回った時その生徒との会話。
「子どもの頃から几帳面?きれい好き?いつもスパイク磨いていたしグランドに
よって履き替えていたし、、、」と質問すると
(返答は意外にも、、)
自分の部屋は片付けないし、おもちゃもほったらかし、全て出しっぱなしでした。
それでも学校へ行くときは「靴」がピカピカに綺麗に拭いてある。
泥だらけで遊んで帰っても(母)「泥だらけやな、靴も服も、何して遊んだ?」
と楽しそうに聞いてくれたらしい。
一度だって「汚いなあ、もう、、汚すなよ」と怒ったことがなく次の朝は綺麗。
スパイクを買い初めの頃はいつも(母)が拭いて磨いてくれたそうで
「このスパイクで何点取った?今度点取れるようにお祈りしながら磨くわ」と
おかあさんが言った日からサッカーの話をしながら一緒にスパイクを磨いたと。
ある日「雨や芝生やグランドによって違うわ」と言うとおかあさんが
「一足履きつぶすよりいろんな形を2、3足使ったようがええんと違うか?」
と、すぐに一緒に買いに行ってくれた。
その日なんと3足も買ってもらったが子ども心に「うちはお金持ちでもないのに
すごい金額や、悪いなぁ~」その日から「物は大事に使おう!」
手入れもして用具を粗末にしたりほったらかしにしなくなった。
その日からいろんな物を大切にする気持ちが大人になった今でも続いている
おかあさんから「物を大事にしなさい、もったいない、綺麗にしなさい」って
言われた記憶はないが大人となって今生活していても掃除、洗濯、料理など
苦痛ではなく何でも一人でできる。
そういうふうにさせてくれたのはやっぱりおかあさんかな。
たるさんの部屋 2017、10、1(67歳)
〔普通〕の子
長い教師生活でよく耳にした言葉です。
今までにも掲載しましたが勤務していた各高校の卒業生と食事会などを催し
久しぶりに出会うと懐かしい学生時代の昔話に話が弾みます。
その中で生徒たちがよく質問してくることがあります。
それは、、、
◆先生、クラス分けの時はどのような方法でクラス替えをするんですか?
仲間うちで俺らきっとたるさんのクラスになるで、、、ってよく話してた。
◇なんで?
◆だって俺ら〔普通〕やないし、、、
◇なんで〔普通〕と違ううん?
◆勉強できない落ちこぼれやし。校則破るし停学も。問題児でワルのレッテルを。
素直やないから先生らに嫌われとうし。
◇自分で言うかぁ(笑)よぅわかっとうやんか~~
おまえたちの〔普通〕って何?「問題児」って何が問題なん?
「落ちこぼれ」って誰が判断して〔こぼし〕とん?それは先生か?
おまえらは校則違反だと知っておきながら守らへんのやろう?
逆らうのは理由があるけど「どうせ言ってもわかってもらえない」と言わないし
その上うまく伝えられないし。
それでイライラして切れて態度に出て不貞腐れて余計に印象を悪くする。
エネルギーがあふれすぐ感情的になって気持ちが押さえられない。
真面目になるとかっこう悪いと思うから素直になれない。
妙に先生にすり寄り機嫌をとって賢いふりなどできない。
へんな意地があるし。まぁ思春期、高校生はこんな時期やろう。。。
〔普通〕ではないおまえらのちょっと生意気がちょうどいい感じで好きやったで。
それこそ〔普通〕の日などなく変化あって毎日がおもしろかったわ。
※〔普通〕の生徒ではなかったと言っていた生徒たちがいい大人いい男に。
バリバリと仕事をこなしイキイキと話している「生きてる感」がする姿を
目にするとあらためて結局〔普通〕の子って何?と思わずにはおれません。
高校時にわからなくても大人になって気づいてくれたらという思いが
卒業後の「再会」でその答えが出ていました。
大病以来あまりお酒は飲めないが気持ち良く酔えた「出会いの日」でした。
「生徒に出会って生徒に育てられて」
若い頃にはすぐにカッーとなり怒鳴ったり力で押さえようとしてました。
上から目線や権力、立場を利用し押さえにかかる愚かさが恥ずかしくなります。
「教師力」がないばかりに寝れないほど悩み、その中で生徒たちに気づかされ
成長させてもらったような気がします。
生徒を変えようなど到底ムリ、それはおこがましいことだと気づき、
自分のやれることしかできずそのあとは生徒を信じるしかなかった。
教師として生徒を見る、見つづける。
人(他の教師)とは違う〔普通〕の見方をしないように心掛けてきたつもり。
そうすると生徒の本音(言ってることやってることが違うこと)に気づく。
あえて「ワル」ぶる生徒が実は繊細で友だち思いで弱い者に寄り添い優しい。
学校やクラス行事等で裏方や人の嫌がる掃除、仕事などをこなす姿を見ると
仲間、生徒間(先生には人気がなくとも)には慕われていたことにも気づけた。
「行き場」のない生徒の「行き場」を無くしてはいけない思い、せめて自分の所に
「来てくれたら、、、」とずっと思ってましたが。
たるさんの部屋
お 役 目
歳を取ると体力は落ちますね。仕方のないことですが、、、、
でも嬉しいことに心の方は衰えるどころかまだ成長してる実感があります。
・20歳代:一生懸命やるが、、、(期待に応えたいばかりに)
・30歳代:忙しくて日々必死、、(結果がほしいばかりに)
・40歳代:苦しくて大変、、、、(ステータスを得たいばかりに)
・50歳代:少しは楽しさが、、、(まわりを使う術を知ると、、、)
・60歳代:先、見通しが見えて、(ニンマリとこれも経験から得たかな、、、)
・67歳今:人生はこれから、、、(スタートラインに立った)
退職して規則、枠、時間に縛れないで好きな時に動けるのがいいです。
思い描くことや考えることもうまくまとまり、したいことが「スーッ」と視界が
開けるんです。だから日々楽しいです。
出会いは(必然)で意味があると思えるようになりました。
心が動けば会えばいいし無理して会うこともないとも思えるようになりました。
◇平成29年4月からは
「子育て」で悩んでいる保護者や学校へ行けない子どもとも拙宅で面談を
(カウンセリング)する時間ができました。
学校勤務中ではできなかったことが今はゆったりとできています。
その傍ら、エストレラ姫路や津田では以下のような講座を毎月開いてます。
(1)少年対象:「こころ塾」(2)ジュニアユース対象:「メンタルセミナー」
(3)少年、ジュニアユース年代の母親対象:「子育てママ塾」
また
・4月:姫路市まちづくり振興機構広報誌(パンフレット)の記念すべき第1号に
姫路のまちで活躍している人物として掲載していただきました。
・5月:ケーブルTV「ウインクひめじ」30分独占インタービュー番組
「ひめじのチカラ」に出演させてもらいました。
・7月:市川町で保育士や保育園経営担当者対象に講演
・8月:加古川市並木学園英数学館の職員研修に講師として
・10月:姫路市後援の男女共同参画のコメンテーターとして出演予定。
「子育てママ塾」コーデネーター。
高校のPTA対象の講演会講師。
・12月:神崎郡で講演の依頼が、、、。
上記のようにこんな私にオファーが来るって幸せなことです。
これも神様からいただいた「お役目」だと思っています。
そんな機会(おかげ)で次々と出会いがあります。
あたりまえのことですが自分の出来ることは頼まれたら断らず
必要とされている限りは何歳になっても引き受けるつもりです。
教育という道を選んだ限りは退職しても教育を辞めるわけにはいかないです。
教育は学校だけではなく地域でも子どもや人々と出会え接する機会がある限り
教育を続けたいです。
たるさんの部屋 ・29年夏号
数々の汗と涙と思い出と共に、、、、
最後の夏「大山」の夏
福崎高校赴任30歳台初めの頃「夏の入校訓練」として「大山登山」や
オリエンテーリングを立案、実行。鍛練と称して若気の至りの指導を思い起こす。
当時の生徒ももう50歳前後に、、、、、。
卒業式翌日には「卒業スキー旅行」とサッカー部員やクラス担任の生徒を連れて
冬の大山を楽しんだものだった。
教師として青春を過ごし懐かしの思いを馳せながら
(大病後)ペースメーカーを埋め込み再び大山にお世話になるとは、、、
津田サッカークラブ単独で「大山合宿」を開始したのが20年前。
そして現在の「山香荘」へは当時の施設長からのお誘いを受けて18年が経った。
豪雨、霧、酷暑の中。一致団結敢行した「大山登山」。登り下りの約4時間余りには
数々のドラマが、、、子どもたちは卒団式に「大山登山」の思い出を語る。
私自身も福崎高校教員時代は生徒と先頭を切っての「大山登山」は
この体では「もうできない」とあきらめていたが生徒に励まされ施設長に付き添われ
「大山登山」をやり遂げた感激は一生忘れられない思い出となった。
何より「出来た」喜びと私自身がその後生きる力の大きな源となった。
数年後には琴丘高校サッカー部もジュニアユースと合同で「大山合宿」に加わり
秋の県高校選手権に向けて強化、早朝より鍛えに鍛え恒例の100本ダッシュに
ランパスを繰り返す「大山合宿」ならではの雰囲気と環境に異様な高揚感、興奮が
高まり「できないことが出来る」「一気に変われる」のが「大山合宿」でもあった。
そのお蔭か、、、常に県上位に進出し53歳の時には再び県総体ファイナルへと。
それは大山での強化が大きく影響したのはまぎれもない事実である。
そしてその「魂」は次の転勤先姫路高校サッカー部へと繋いでくれた。
その一方では「レクレーション」では子どもたちの出し物で大いにわき、
私が司会をし子どもたちとの「笑点」で食堂が笑いの劇場に。楽しかった。
「たるさんのスペシャルショー」では手品、クイズ、日本昔はなしなどを披露。
ネタを考え仕込むのも私の夏恒例の楽しみの一つでもありました。
バーベキュー、花火、肝だめしやナイター照明の元で大いに楽しみ歓声を包まれた。
今年もはやりドラマが生まれた。
おとなしく覇気がなく「元気が出せ、声を出せ、自分からやれ!」と言われ続けた
6年生が100本ダッシュ(この夏ついに500本達成)。5年生がランパスを。
5年生は翌日「大山登山」下山後すぐになんと100本ダッシュを。
スタッフ陣も「まさかこの子が、、、」ふだんと違った頑張りを見せてやり切った。
その姿に「感動!感動!!」見ているコーチたちも涙流せずには。。。。
ジュニアユースは全国レベルの強豪米子北高(サブ)が胸を貸してくれたあと
大山締めくくりにと「ランパス30分×2本」を叫び声と必死の形相とでやり切った。
「たるもと=大山」には100本ダッシュとランパスがよく似合う。
母親の介護からオヤジの看病へと長く続き、樽本家を空けれられずいた20年間。
この6月にオヤジを亡くした結果、家族ほぼ全員が大山に揃った。
最後の「大山」と悟りオヤジからの子どもや孫へのプレゼントだったかも知れない。
「大山」最後の夏が終わった。感傷、、、 正直寂しい。。。
20年間「大山」を共にした生徒、スタッフ全てのみんなにあらためて感謝!!。













