樽さんの部屋、(市姫高)「 離 任 式 」更新しました

たるさんの部屋                    H28、4、11
(市姫高)「 離 任 式 」

「夢」は見るものではなく「叶える」もの。しかしほぼ「叶わないもの」でもある。
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・大学卒業後すぐ定時制の分校勤務、同時に飾磨の津田校区にサッカークラブ創部
※「10年後の夢プラン」
(1)3年後に少年で全国出場(2)10年後に社会人チーム作り県NO1をめざす。
<実際には>
☆3年後に県準優勝、翌年準優勝、翌々年は3位。結局は全国へはいけず。夢は、、、
<夢が叶わない理由>サッカー経験のない私の指導力不足が原因。
┳これは子どもに悪いと指導勉強、資格獲得のために全国各地を回って学んだ
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○29歳に福崎高へ転勤(津田少年時代に2位、2位、3位だった子どもたちが
はるばる山陽本線や山陽電車、播担線乗り継ぎ福崎高校へついてきた。
※30歳台「10年後の夢プラン」
(1)5年後に高校で全国へ出場(2)全国社会人大会出場(3)日本リーガー。
<実際には>
・3年後に西播で優勝、4年後に県ベスト8、5年後に県で3位、近畿大会ベスト
☆6年後にやっとファイナル(決勝)だが2位、近畿大会3位(1の夢)は叶わず。
☆☆☆日本リーグ(当時の最高峰)最終戦(ヤンマーVSトヨタ)の審判を担当。
*サッカー経験のない私が、、苦しく大変だった。やりとげた自分に(★夢)マーク。
〔個人〕国体選手5名。マルセイユ(仏)へ行った者。日本ユース代表候補が生まれ
日本リーガーが誕生(3の★夢)が叶う。
☆全国社会人サッカー選手権出場(2の★夢)が叶う。
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※40歳台「10年後の夢プラン」
(1)5年後高校で全国へ出場(2)全国社会人サッカー選手権出場
(3)個人としてJリーガーや日本代表を作る。
○41歳:琴丘高転勤。同時に難病から心停止(あと3週間との命と宣告される)
ペースメーカー埋込(1級身障者に)
・42歳:入院、手術、リハビリから生活から復帰
〔退院祝いとして〕
☆☆☆全国クラブサッカー選手権優勝(アマチュア日本一/鹿島)(2の★夢)が叶う。
・琴丘高とはいうと3年後に西播で優勝、4年後に県ベスト4
☆6年後にファイナル(決勝)。だが2位、近畿大会3位。(1の夢)は叶わず。
〔国体選手4名、Jリーガー4名、日本ユース代表でWユース決勝戦でスペイン
(シャビがいた)と対戦。日本代表が生まれる(3の★夢)が叶う。
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○50歳台「10年後の夢プラン」
(1)高校で全国出場(2)姫路地区強化のためにもう1つクラブチーム創設
(3)新たな自分の挑戦としてカウンセラー資格をとること。
☆☆社会人チームが第4回めの全国サッカー選手権出場(2の★夢)が叶う。
☆琴丘高再びファイナル(決勝)へ、、だがまたも2位(1の夢)は叶わず。
☆挑戦していたカウンセラー資格を6年かかって獲得(3の★夢)が叶う。
☆少年チームが県大会準優勝。(またも2位)
◆サッカー人生「シルバーコレクター」と言われるほど2位、準優勝が多かった。
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○60歳「還暦」の夢プラン*グランドと自然夢パーク建設
・3年前の63歳姫路高校転勤。
・3年後に琴丘高西播地区準優勝/少年チームが県大会準優勝。
※いよいよ退職をした今日から
「10年前に描いた夢プランの継続から夢実現へ向かいます」
<市姫のみんなへ>
今たるさんがみんなに話したように。
「夢」持つと「目標」ができる。「目標」ができると「計画」が立てる。
「計画」ができれば、あとは「実行(やるだけ)」やりつづけるだけ。
そのことを「努力」という。「努力」の才能を磨き「努力」の天才をめざすこと。
「思い」を続けて、「やり(実行)」続けると「夢」は近づく。
「言うこと、思うこと」は誰でもできる。あとはやるか、どうかは自分の問題。

 

<市姫のクラブ員へ>
先日サッカー部の「たるさんへの送別ビデオレター」にサッカー部ともに
「ありがとう」の人文字を作ってくれたソフトボール部。陸上部。
野球部のみんな「ありがとう」同じグランドでみんなの成長を見させてもらった。
テニスコートの横を通ると必ず声をかけてくれた女子テニス部「ありがとう」
すれ違うと優しく接してくれた女子バレー、バスケ部のみんな「ありがとう」

 

<市姫で授業したみんなへ>
保健の授業3分前の開始。
黒板を完璧にきれいにして机を真っ直ぐに並べて待ってくれた。
気持ち良く授業をさせてもらえたことに「ありがとう」
体育の授業チャイムが鳴る前に体操が始まる。
授業開始初めの「5分間」俺のしょうもない話に真剣に耳を傾けてくれ、
ときどき涙して聞いてくれたみんなに「ありがとう」

 

<市姫で苦しんだみんなへ>
人には言えない、家族にさえ言えないことを「たるさん聞いて」っと苦しい
胸を内を明かしてくれたみんな。いい応えを返せず「ごめん」でもこんな俺に
話してくれたみんなに「ありがとう」

 

<市姫のサッカー部へ>
みんながいてくれたから教員生活最後の3年間気持ち良くすごせた。
がんばることができた。みんながいなかったら今のたるさんはない。
おまえたちの素直に吸収し、それを実行する能力の凄さにびっくりした。
だからこそ伸びた、成長したと思うよ。
とにかく「ありがとう」しかない。「ありがとう」しか、、、、。

 

<最後にもう一度市姫のみんなへ>
サッカー部に「きれいに、さわやかに」の横断幕を贈った。
放課後、グランドに掲げているので市姫のみんなにも見てほしい。
市姫は「きれいな、さわやかな」学校。そういう生徒の集まりだから、、、
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◆43年間のことは今日終わりました。もうすんだことです。
過去の実績や栄光などとは「おさらば」です。
前へ、未来へ、夢に向かって行きたい。
その「夢実現」を果たすべき
たるさんがこれから作ろうとしているサッカー場とおかげの森、自然パークを
きっと作って「待ってるから、、、、」と言えるようにやっていく!!
ぜひ来て下さいね。

*繰り返すけど「夢」は見るものではなく「叶える」もの。
3年間「ほんとうにありがとう」
市姫は最高でした。

 

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たるさんの部屋
H28、3、31

ご挨拶

◆3月31日退職辞令をいただき43年の教員生活を(無事?)終えました。
本当にありがとうありがとうございました。
姫路高校への転勤を命じられた時は23年いた琴丘高サッカー部への「思い」が
強すぎて公務員なら転勤はは当然のことなのですが心も重く辛く落ち込んでいた
ことも事実です。

その時に訪れて来てくれた琴丘高の現役女生徒が
「市姫にもたるさんを待ってる子がいるで」の一言が背中を押してくれました。

あれから3年。今は
市姫に来て良かったです。
市姫で素晴らしい部員たちと出会って良かったです。
市姫サッカー部の監督をさせてもらって良かったです。
市姫で教員生活を終えてほんとうに良かったです。

29日、最後の練習後に市姫サッカー部員に「別れの挨拶を、、、」食堂でと
事前に連絡していましたがなんと!?というかまさかまさかの光景が。
そこには孫を含む樽本家族。それに私の大事な大切な知人までいるでは、、、
送別会は主将の別れの言葉から心のこもったビデオレター。手紙。記念品。
最後は花道を作ってくれ全員と家族までハグできました。
鍛練してきたグランドへ出て全員写真撮影。そして「胴上げ」まで。
市姫サッカー部員の優しさ、あたたかさ、心配りを感じました。
家族にはなかなか「お礼」をいうタイミングが難しくどうするか悩んでましたが
部員たちの粋な計らい、サプライズに涙するしかありません。

60歳で還暦祝いを津田、福崎高、琴丘高の多くの教え子たちに祝ってもらえ
65歳退職セレモニーは市姫サッカー部にお世話になりました。
どこへ行っても「幸せな男」です。
「感謝」「ありがとう」しかありません。

津田SC、福崎高、琴丘高のスローガン「一所懸命、ひたむきに」から
市姫では「きれいに、さわやかに」の横断幕をいつか掲げたいと思っていましたが
念願通り掲げるに値するサッカー部となりました。
とくに退職前の市姫が戦った最後の西播リーグ2試合は壮絶でした。
一生わすれられないゲームに。そこには153本ダッシュの魂がありました。
その試合を琴丘OBまでもが見守ってくれました。これも感動です。

たくさんの卒業生からメッセージや花束などいただきました。
今樽本家の玄関は「花屋さん」のように「たるさん魂」が咲き誇ってます。

手を合わすしかありません。

ありがとうございました。

 

43年間の足跡「小史」
●23歳ー姫路北高勤務/津田サッカークラブ創部
※20歳台「10年後の夢プラン」
(1)3年後に少年で全国出場
(2)社会人創設(少年、中学から社会人一貫指導、兵庫県社会人リーグ入り)
・26歳*3年後に県少年6年準優勝(関西大会出場)
・27歳*県少年5年準優勝
・28歳*全日本少年サッカー県予選3位
●29歳:福崎高へ転勤(津田創設時4年生だった子どもと)
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※30歳台「10年後の夢プラン」
(1)5年後に高校で全国へ出場(2)社会人で全国出場
・33歳*西播地区優勝
・34歳*県ベスト8
・35歳*福崎高県で3位、近畿大会ベスト8〔国体選手5名/マルセイユへ派遣〕
・36歳*審判2級審判資格習得(関西リーグ担当)少林寺拳法はじめる。
・37歳*福崎高県で準優勝/近畿大会3位〔日本ユース候補、日本リーガー誕生〕
*兵庫県社会人リーグ優勝
・38歳★全国社会人サッカー選手権出場(第1回め)
・40歳*日本リーグ最終戦(ヤンマーVsトヨタ)審判担当
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※40歳台「10年後の夢プラン」
(1)5年後高校で全国へ出場(2)Jリーガー養成
●41歳:琴丘高転勤/難病から心停止。ペースメーカー埋込(1級身体障害者に)
42歳:闘病生活(リハビリから)復帰
・43歳*西播地区優勝
・44歳*県新人ベスト4シード(神戸淡路大震災)
★全国社会人サッカー選手権出場(第2回め)
・46歳★全国クラブサッカー選手権優勝アマチュア日本一(鹿島)
・47歳*琴丘高兵庫県で準優勝、近畿大会3位〔Jリーガー3名に〕
〔日本ユース代表/Wユース準優勝メンバー/日本代表〕
・49歳★全国社会人サッカー選手権出場(第3回め)
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※50歳台「10年後の夢プラン」
(1)高校で全国出場(2)津田以外のクラブチーム創設(姫路の強化
(3)グランド建設 (4)カウンセラー資格獲得へ(新たな挑戦)
・50歳*スポーツクラブエストレラ創設(のちNPO法人化)
・51歳★全国社会人サッカー選手権出場(第4回め)
・53歳*琴丘高兵庫県で準優勝、近畿ベスト8
・56歳*NPO日本教育カウンセラー協会公認中級カウンセラー資格獲得。
・58歳*全日本少年サッカー県準優勝、県少年6年3位、関西大会出場
・60歳(琴丘高校再任用)
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※60歳台「10年後の夢プラン」
(1)グランド建設と自然夢パーク(2)エストレラと津田の強化、育成。
●63歳(姫路高校再任用)
・64歳*近畿スポーツ少年団ブロック優勝
・65歳*西播地区準優勝/県リーグ参入戦出場*少年5年県準優勝、関西大会出場
◆退 職
※「10年後の夢プランの継続から夢実現へ」

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エストパーク詳細

 

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「たるさんの部屋」                 平成28年3月

卒業って何から卒業するんですかね?
生徒を送り出すという、毎年寂しい思いをする時期がやってきました。

出会った生徒たちを振り返る時期です。
怒ったり、泣いたり、大喜びをしたり、、、思い出をたくさんもらったり、、、
今はサッカーだよりや通信だよりなどを読み返したり元となる気づき書きとめた
メモを整理しまとめ反省する日々です。

ボールにつまづき倒れていた頃に出会った子どもたちが成長する姿を見ると
「思い入れ」が強くなる。そんな子たちともう会えなくなると思うと、、、
こういう思いを繰り返し43年の月日が流れました。

卒業(卒団)とは「旅立ち」過ごした場から「巣立つ」ことですよね。
だからこそ笑顔で明るく送り出さないとと、、思うんですが、、
毎年苦しくなるのですがこの気持ちはなんなんでしょうね?!
(みなさんにはなかなかわかってもらえないでしょうが、、、)
「いつまでも一緒にいたい。将来の「夢」を共にめざそう」と思うと辛くなる。
(いけないとわかっているのですが、、)子離れができないんです。
人のことばかり考えてるこの性格は43年間も続きこれからも直らないと思う。
本当に厄介な人間ですみません。でも、付いてきてくれる生徒も親もいるんです。
津田の〔ぬるま湯〕から飛び出し厳しい世界へ出ないと成長はないと願っている
親もいれば一方ではあたたかくて「ホッ」とする「ええかげん」が好きという方も。

私が43年間教師生活の経験から(断言)できることは
思春期(高校)年代は人として成長する時で絶対に〔教育/心の育成〕が必要です。
プロになるうまくなる試合に勝つことも大切ですが、この年代こそ強いメンタルを
身につけて心の綺麗な大人にならないと長い人生とんでもない将来が待っています。
高校退職しても自分の教職キャリアやカウンセリングマインドなど駆使した
得意な分野を発揮して思春期年代に「人間のプロ」を伝授し養成したいです。
第一は人間性。それが身につけば自然とサッカー技術も身につくものです。
人生「大器晩成」=思春期年代こそじっくり心を熟成する時期です。
でもこの考えも一人よがりかも知れませんね。
自分が自分がという傲慢(ごうまん)奢り(おごり)我がままかも、、、
私よりたくさんの素晴らしい指導者がおられその方々に預ければ人として躾け
育ててもらえますよね。そう祈り送り出すしか私にはできません。
純粋で素直な少年時代を大事に大切に愛(いと)しむように育てた子どもたちが
「しまった。。、こんなはずではなかったのに」と過去にも悩み後戻りできず
やり直しもできないまま一人苦しむ子どもたちを数多くみてきました。
このことが一番辛く悲しいですが、、(子どもの頃は凄かったのに)、、と。

話はかわりますが退職を目前にして今すごいことが私の周りに起こっています。
こんな私の指導方針を理解し信じて子どもを預けていただいた親御さんたちや
付いてきてくれた教え子たちが私の「夢ステージ=教育/心の育成の場」建設を
私の後方から多くの「徳」を持った人たちが支援し応援をしてくれているんです。
「お世話になった先生にせめて何かはできないか。。。」と聞きつけて、、、
(義理堅く恩を忘れない)親御さんたちや教え子たちの「あたたかい思い」を
すごく感じています。この思いがこれからずっと永遠に続くんです。
こんな〔幸せ〕な男がいるでしょうか??涙しながらの感謝の日々を過ごしてます。
65歳。今後の人生「この人たちのために返していこう」とあらためて誓ってます。
持つべきものは親御さんたちと付いてきてくれた教え子たちです。
夢実現に向けて突き進みます。詳しくは次号で、、、、

 

 

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たるさんの部屋            H28・2・1
きれいに、きれいに、さわやかに

高校生が成長する過程を短期間で出会いました。
そのことを紹介したくて掲載します。
それは今勤務し監督をしている姫路高校サッカー部の出来事です。
3年生前に赴任して一昨年6月新チームから取り組んだことです。
それまでは力はありながらなかなか発揮できないクラブでした。

ミーテングの内容を市姫高サッカーだより第92号に以下のように載せました。
ミーテングは次のような問いかけから始まりました。
◆市姫サッカー部が強くなるには何が必要か?
その答えは、、、
・技術(特に基礎技術=止める、蹴る)の向上。
・戦術を理解(チーム一丸)。
・心の強く(メンタル/不屈の闘志、戦い方、あきらめない=粘り強さ)
・試合運び(戦い方)のうまさ(かけひき、ずる賢さ)
・強豪チームとの対戦経験(自信が生まれた)
さまざまな意見どれ一つも間違いではありません。

今「強くなりつつある(進行形)」一つめの要因は
私はこう思っています。それは
きれいに」なっていることだと思います。
グランドが常に整備してあり鏡のようにきれい。ラインが真っ直ぐ引いてある。
ジャージ類が揃っていてきれいにたたんである。靴も並べてある。
清掃が行き届いてる。練習中ボールをはじめ使用用具もきれいに集めてある。
見渡すと「きれい」に環境が整っている。
それがクラブ活動は鍛える場であり「日本一きれいに」がスローガンとしています。
二つめの要因は
人(高校生)として「きれい」に「さわやか」になりはじめています。
第一印象が大事な挨拶。「挨拶をしてます」というやらされてる挨拶ではなく
あたたかく親しみが感じられる挨拶ができはじめました。
声を出すか、会釈か、黙礼か、つまり時と場面を考える対応力(感性、気づき)。
試合前後に交わす相手との握手。包み込むように両手で心から相手に敬意を表す。
握手された側もきっと何かを感じていると思われます。
ゲーム中にケガをすると敵味方関係なく治療に走り(私のチームの伝統)緊急時には
担架がわりにベンチ運ぶ姿がまたいい。

そうすると最近「市姫と練習試合がしたい」という申し込みが増えてきました。
初めは先生方が私を目当てで来校したり練習マッチの相手をしてくれていたものですが
今は間違いなく市姫部員たちと交流したいと望まれています。
それは相手選手だけでなく先生方、保護者、サッカー関係者も声を揃えて
「気持ちがいい」「きれい。さわやか」と評価され始めてることをみてもわかります。
「見ているとベンチや椅子が出てくる、そしてお茶までも、、」と感謝されている。

県新人戦予選全力を出しながら飾磨高に敗れ県ベスト8の目標を失いました。
PK負けのあとの整列。堂々と胸を張りきれいに挨拶していたのは大崎先輩が築いて
くれた(かっこよさ)を継承してくれました。
結果は時の運ですが「いさぎよさ」か嬉しかったです。

2年生が入学したての頃の心の中の「汚れ具合は?」どうだったか振り返ると
・オドオド感=自信のなさ。意見を言わない、後ろへ下がり影から見ている。
・素直でない=物事をまっ直ぐに考えない。力のないのに「エエかっこう」したい。
・違ったプライドが邪魔=ファールでごまかす。悔しさの表し方を間違ってる。
・妙な照れ、恥じらい=前に出て思い通りにしない。そのくせ人のことが気になる。
・正当化=ねたみ、ひがみ、悪口。文句、ぐち、言い訳。
これが減ってきした、いや、ほとんど聞かなくなりました。
私の仕事は部員たちの心の中の「汚れ」をきれいに掃除をすることです。
あまりサッカーを教えることはありません。
モチベーションを上げ「やる気」を起こさせることには細心の気配りはします。
生徒は自分自身で気づくと、自分で学ぶことを始めます。自分でやりだします。
すると強くなりそれがチームへと伝わってゆるぎのない「いいチーム」へと育ちます。
このことは福崎高でも琴丘高でも実践しそれを今市姫でやろうとしています。
過去結果を残せた学年は間違いなく「きれいに」になっていました。
今の市姫サッカー部員も近づこうとしている(それも自然に)
そのことはきっと自分でも昨年の自分と比較して全く違うと感じていると思います。
それが人(高校生)として成長している証であります。
そばでそれを見ている私も安心感があり「ほっ」とします。

レポートに「感謝」の言葉が増え自分自身を見つめる文言も多くなりました。
内面に潜む自分をさらけ出して書いてくるようになりました。
それと同時に生き方の探究である「人のために」がレポートに出て行動し始めた。
自分で頑張ってもうまくいかないことが起ります。
そのことを経験、体験しています。
ミスや失敗して負ける。泣きそうになる、苦しくて寝れない。逃げ出したくなる。
うまくいかないことの連続を。でもいい顔になっていっています。
入学してしばらくのおまえたちはほとんどは上の様に逃げていた。
今では嫌なこと苦しいことも「受け入れる=寛容=受容」能力が付いてきました。

しかし人間って学年が上になっても大人になってもわからない者はわかりません。
自分で「気づこう、直そう」としない限り年がいっても直らないものです。

「静岡遠征」掃除しているおばさんに対し頭を下げ(ご苦労さまですと)
掃除場所を避けて「端(はし)」通る心配りは自分たちが掃除をしてるからです。
そのおばさんこそが「時之栖スポーツセンター」を興された施設長=阿部先生の奥様
だったのです。
宿泊先「御殿場高原ホテル」周辺でのおまえたちの行動、ふるまい。雰囲気。
みんなを見られた先生、コーチらから好評価を得ていました。
すると「連れて行って良かった」気持ちがいいものです。するとまた部員たちに
「お返しして何かしたやりたい」と思うんです。
これからもっと自分を磨いて徹底して心の中の汚れを取ることをさせたいです。
「きれいにする」それに尽きると思います。
西播優勝とか県でベスト8とか試合に勝つことも大事ですが
「きれいに」なればまわりに「人」が生まれる「人」が集まります。

人生で夢を持って生きていくためには絶対に「人」が必要と思いませんか?
私が死にそうな時にこそ「人」がいてくれ共に悲しんでくれました。
今は私の「夢実現」に多くの人が力を貸してくれてます。嬉しいことです。
うまくいった時に一人で喜ぶのは寂し過ぎる。涙を流して喜びあう「人」がいる。
そんな人々に囲まれた時こそ「人生の勝利者」だと思っている。

3月退職に横断幕を贈呈。きれいに、さわやかにの文字で。

 

樽さんの部屋更新しました

                            平成28年元旦

               あけましておめでとう

  昨年1月3日津田40周年記念行事に盛大にパーティを催して一年が経ちました。
 一年がほんとうに早く感じる年齢になりました。
 いよいよこの3月をもってみなさまのおかげで無事43年間の教員生活を終えます。
 退職その日をどう感じるか?楽しみでもあり寂しさでも、、、でも夢は続きます。

 夢実現
  50歳で10年後(当時は60歳で退職)の「夢:プラン」を持ちました。
  NPOエストレラを興しサッカーをメインに総合型のスポーツクラブ運営の中で
  「夢」を持ちつづけ65歳退職を目前にしても夢はブレずに今日まで来ました。

  その「夢」こそ
 ◆自然に囲まれた「笑顔」溢れるコミニティ場の建設。
  (1)姫路サッカーを育成、強化の場。
  (2)サッカーのみならず未来を支える子どもの人としての教育の場。
  (3)キンダーから社会人までさまざまな年代の集団生活、鍛練の場。
  (4)年輩の方々やハンディを持っている人々が元気で活躍ができる場。

 夢の途中
  「夢」があるからこそ目標ができ日々に勇気と希望がわく。
  「どうすれば、どうやれば?」と考え悩むがその先に「夢・」があると感じれば
  「夢の途中」を楽しむことができ、今や生き甲斐となっている。

 夢の循環
   私の「夢」に共感した多くの教え子たちが「夢」を繋いでくれ
   その教え子の子どもまでもが「夢」を引き継いでくれる。
   私の生き様について共感し付いてきて力を貸してくれる。
   まさに「夢の循環」。幸せを感じずにはいられない。

  ーーーーーーーーーー<昨年末の報告>ーーーーーーーーー
〔津田SC〕
 12月末には「姫路市民大会(Uー11)」県大会予選を兼ねて行われた。
 ここ数年は殆どこのタイトルを取っているが今年の5年生は33名の大所帯。
 選手層は厚い上レベルも高く8年前に全日県大会で準優勝し関西大会でも好成績を
 残した学年を上回るのでは、、、と期待している。
 登録変更しながら多くが出場「優勝」を勝ち取った。今年大ブレイクを!!

〔姫路高校サッカー部〕
 「日本一きれいなチーム」目標にがんばっている部員たちへご褒美に。
 12月27日から「静岡遠征」へ。
 21年前に御殿場、裾野スポーツセンターを興された阿部先生と阿山さんとは
 15年以上お付き合いがありその地で市姫路サッカー部の思い出作りを計画。
 3日間快晴で絶景の富士山を背に。17面のサッカー場に最高級ホテルでの食事。
 対戦相手は秋田県と富山県選手権準優勝の全国レベル。だがなんと2チームに勝利。
 東京都選手権第1シード(ベスト8で敗れたが)と静岡県ベスト8チームに大健闘で
 あと一歩まで。市姫路サッカー部の全力でさわやかに頑張る姿や立ち居振る舞いに
 対戦相手の監督さんや阿山さんから高評価を得た。「さすが!俺の生徒」
 遠征先で気持ち良く過ごさせてくれた部員に感謝。ほんとうに行ってよかった!

 

                           平成28年 新春号

        43年間教師生活を終えるにあたって
      
 ・教え子たちや私に関係した人たちが私を評価してくれるとしたら(願望)

 ◆たるさんは「やると決めたら必ずやる」と。そう思われたい。
 *その理由(1)は
  「夢」はいつも持っている。だが「夢」はそう甘く簡単には叶わないもの。
  叶えるには相当の「執念」「死ぬほどの覚悟」がいる。
  死ぬほど努力してやっとうまくいき嬉しいことが起こるものと思っている。
  でもいくら努力してもほとんど(95%、いや99%)うまくいかない。
  だからがんばって、がんばって出来たときがメチャクチャ嬉しい。

  43年間振り返るといつも苦しかった。
  「人生楽しもうとか楽しんで」なんてあり得なかった。
  性格の悪さか楽(らく)なことはうまくいくはずがないと常に戦ってきた。
  また僻み(ひがみ)根性からか辛いこと人が嫌うことをやる時がおもしろい。
  そして「うまくいかない時こそどうするか?」かが自分の力を問われてる気がし
  「ピンチ」「最悪のケース」と思った時こそ勇気が出て立ち向かえた。
  「失敗や挫折、あと一歩で、、、」を何度も繰り返したその結果
  「うまくいかなくてあたりまえ、物はなくてふつう」ということを学んだ。
  手を抜いた時や何とかなると思った時に一気に潰されるのが怖いから(臆病)
  常に考えて予想し見通しを立てておくことに全神経を使ってきた。

 ◆「強烈な個性の持ち主」とも思われたい。
 *その理由は
 「個性」「アイデンティテイ(自分というもの)」を全面に出してきた。
  指導者は書物を読み研修会等に参加し人からのアドバイスも受けるなど常に勉強。
  一番の教材は生徒。教え子から学び、その学びをやめた時が指導者をやめる時。
  だが勉強しても人とは同じことをするのはイヤだった。
  「自分のものにしたい、たるさん色にしたいし自分で判断し決断したい」と。
  それでダメなら自分で責任を取る覚悟を持ってやってきた。

 ◆たるさんは「優しい、いい人」とも思われたい。
 *その理由は
  青春時代から30歳代はとんがって我が儘で自分勝手な頃に戻りたくない。
  41歳で大病をし生死を彷徨い今生きてることが奇跡。生きてるだけで「得」。
  不健康で無理が効かなくなりはじめて今までになかったことに「幸せ」を感じ
  不自由だが「不幸」ではないことも実感できるようになった。
  だからこそ残された命を「人のために」生きたい。
  自分のことだけで生きるのは悲しすぎる。
  人から「偽善者」と言われようがいい人でいたい。好かれたい。優しくなりたい。

  「心配性でそんなに気遣いしたら疲れるでしょう?」とよく言われるが
  心配こそ心配り。気遣いこそ自分が得意とする気を使うトレーニング。
  人が喜んでくれたり感謝してくれたら「心地良い疲れ」になるなら大歓迎。
  幼児からお年寄りまで、一緒にいると明るく、おもしろく楽しいと。
  初めて会ったのに以前から会ってた気がするとも。
  一度会った人からは「もう一度会いたいな」と思われたい。

         本年度もどうぞよろしくお願いします

 

たるさんの部屋更新しました

                             H27・9月号
             「たるさんの部屋」

  夏休みの成果

 まずは少年から
◇6年生のトップリーグ前期は他地域と姫路とレベル大きく大差をつけられ敗戦が
 続きましたが9月後期再開の4戦は何と2勝1分1敗と粘れました。
 1敗はセンアーノでしたが前期は0ー9の大敗から2度追いつきましたが最後には
 突き放されましたが試合になってきました。
 前期終了あたりからメンタルセミナー(学習会)を繰り返し、交換ノートを始めて
 守備の基礎基本を徹底して勉強会やテストして知識を植え込み意識づけしては実践を
 繰り返していけば徐々にできるようになり、できるようになると負かるかも負けたら
 という不安、恐怖から「やれる」という自信が生まれて今は「やる!できる!」と
 断定し言い切るまでになりました。夏の成果が顕著に出てきました。
 子どもの伸び(成長)は凄いです。
 秋の全日本少年サッカー大会県予選は本当に楽しみになってきました。
◇サッカーに対する情熱や意識が低く甘い4年生がなんと姫路市民大会準決勝進出。
 津田は強いものと周りは思っています。そして相手は思い切って向かってきます。
 だが今年の4年はそれを受けるだけの力はありません。
 その4年が大会が始まると戦い始めました。最後は力が及ばす3位に。驚きです。
 負けたあと「涙」を見せてくれたのも嬉しいです。やっと出た「悔し涙」
 これで子どもも親も意識が高まりもっともっとうまくなりたいと思いが出てきます。
 スクールに通ったり自主トレを始めたり練習に意気込みが沸いてくると思います。
 こうなればあとはスタッフの情熱、熱い思いで引き上げてやりたいと思います。

◇姫路高校は兵庫県高校サッカー選手権西播予選を突破し昨年に続いて中央大会出場を
 決めました。代表決定戦は何の因果か23年いた琴丘高校でした。
 ロスタイム4分。FKから決勝点を取り何とか県高校選手権出場を決めました。
  が、取った瞬間「なぜか?」私がピッチの中央にいるのです。わからないんです。
 保護者がそのシーンを動画で撮っていてそれをあとで見ると、、、灰色のシャツを
 着た腰の曲がったおじいさん(家族の言葉)がホロホロとセンターサークルに出て
 手を上げて踊っています。部員は違う所で一つになって抱き合ってますが、、、
 たった一人で。何とも恥ずかしいシーン(退席処分ものですね)
  県西播予選を兼ねた前期西播大会はファイナルまで進出し決勝戦を体験しましたが
 力及ばす準優勝に終わりました。
  準決勝は体育祭当日であり決勝進出を決めて大急ぎで午後から体育祭に参加。
 姫路高の体育祭は伝統があり「応援席」を丸太やパレル板などで組み立てての背後に
 デコレーションを設置し掲げます
 その準備や応援合戦の練習などほぼ西播大会期間の2週間は練習ができません。
 そんな中でクラス行事や準備を平行してやり遂げながらの決勝進出でした。
 やりとげた生徒の凄さには尊敬です。
 神様はそのご褒美に「準優勝」を与えました。私に似合うシルバー(2位)です。
 自分ではシルバーコレクターと思っています。
 県大会で高校で4回、定時制高校で3回、少年で3回もらってます。
  9月末から高円宮兵庫県リーグ入れ替え参入戦が3週間に及んで開催されます。
 すごい経験で思いっきり戦って準備ができます。
 10月17日からある兵庫県高校サッカー選手権中央大会に向かくために。

◇充実の9月でした。福崎高サッカー部の同窓会も何回かあり懐かしさのメンバーに
 会うとギラギラしていた30歳台が蘇ります。
 あと半年教員生活を思い切り楽しみます、、、ご声援よろしく!!

たるさんの部屋更新しました

 <津田ホームページ>
                             H27・夏休み号
             「たるさんの部屋」

  夏休みが終わりました。
 この夏津田ジュニア(少年)は招待大会に数多く参加しました。
 たくさんのチームから招待をしていただくようになりました。感謝です。

 朝練や週末もほとんど休むことなくスタッフにも大変な目に合わせました。
 そのスタッフに常々言い伝えることは、サッカーを通じて子どもの将来まで考え
 「いい大人へ」と願い津田の未来へ向けて「繋げる」子どもに育成してほしいです。
 実際現在の津田スタッフもそうして子どもの頃から育ち今が在ると思います。

 「自分のことだけ自分が一番」と「自己愛」で育った最近の子どもには、特に
 「人のために、利他の精神」で生きることの素晴らしさを教えたいものです。
 「無関心、無感動、無気力」の子どもにはあきらめず「この子を何とかしたい」と
 「情熱こそが人を動かす」と熱い思いで子どもに接するようにも伝えています。
  地道に活動をしていたらこうして多くのチームが招待してくれると信じています。

 6月に〔日本一きれいなチーム〕を掲げ高校生として将来の人として「生きる基礎」
 を作ろうとした姫路高校サッカー部には貴重な体験をさせるべき夏でした。
 今年は全国総体(インターハイ)が兵庫県(神戸や三木市)でありました。
 この機に何チームか全国クラスを見ることがありましたがどうしても私の性格上
 サッカー以外の立ち居振る舞い(行動、服装、姿勢、言葉づかい)が気になります。
 全国出場のチームにも「ウーム?」と思われるチームもかなりいました。
 勝つことが一番、優先なんでしょうね。勝ち結果を出すとステータスが得られますし。
 でもこの年代には何が大事なのでしょうか?
 指導者と懇意にしている大阪桐陰高、高松南高、米子北高の三校を姫路高校に
 来ていただきました。予想通り〔きれいなチーム〕でした。呼ぶ価値がありました。
 指導者の信念がセカンド(サブ)メンバーにも伝わってることが嬉しく思います。
 と同時に「ほっ」としました。岡山ファジアーノへ行った時も味わいました。
 この安らぎに似た安堵感は一体何でしょうか?
 この年代にはこれが大事だと思うのですが、、。やはり古い昭和の人間ですかね。
 現在兵庫の二強である神戸弘陵高セカンドチームと滝川二高には2年生チームが
 来校。同年代、同地域でも少年のころから「全国」を見てる意識の「違い」を
 市姫の部員に感じさせました。同時にチームの雰囲気も実感させてみました。

 この夏の楽しみの一つ「大山合宿」。初日は米子北高に合宿地まで来ていただき、
 二日めには大山登山を挙行。少し大山をなめて悪戦苦闘。やりきる大変さと制覇した
 「達成感」を得てチーム、仲間が「一つになる」実体験をさせました。
 もう1つの楽しみであった「聴覚障害日本代表チーム」が来校。
 世界大会アジア予選が9月にあり、その大事な最終合宿初日にたくさん合宿候補地が
 ある中でグランドは土でしかも実績も実力もないひ弱な姫路高校を選んでくれました。
 試合は強いフイジカルに飛ばされてながら激しい戦いに耐えて何とか引分けました。
 姫路高校の部員を少し見直しました。
 最後の挨拶には「来て良かったです」と言っていただき「ほっ」としました。
 ハンディを背負った上、恵まれない仕事環境の中で愚痴も言わず大好きなサッカーで
 「世界」に向いてる生き方や輝いた目を見た姫路高校部員には強烈なインパクトの
 あった一日だったと思います。サッカーだよりには次のように書きました。
 「体は不自由でも不幸ではない」「体の自由は効くのに頑張らないことが不幸」と。

 あっという間の40日。今年の夏もいっぱい貴重な「思い出」ができました。
 子どもや生徒やスタッフや出会った全ての方々へ感謝です。

たるさんの部屋更新しました

                             H27  7月夏号
             「たるさんの部屋」

  さぁ夏休みが始まります。高体連サッカー最後の夏です。

  津田ジュニア(少年)は毎朝の練習量で兵庫県大会の常連になり、つい先日に
 行われた兵庫県大会予選リーグ突破から決勝トーナメント進出はしたものの、、
 今年から始まった県トップリーグでなかなか勝てず大苦戦。
 他地域と姫路とレベルの差の大きさを痛感する日々です。
  ジュニアユース(中学)年代にもっと大きさ差となり、高校年代となると
 県では全くいっていいほど通用せず春の県総体でもベスト16に皆無。
 遅きにあるが4種から2種(高校)まで一貫として強化を図らないと。
 半年後に退職となしますが姫路全種の指導者が一体となる仕事をやりたいです。

 現場の姫路高校は赴任して2年少し。5月県総体で3年が引退しますが今年初めて
 主将一人が残って1、2年を引っ張ってくれ西播Uー18リーグ戦では相手校は
 3年生主体ではあるのもかかわらず接戦を粘り勝ちし現在2位です。(7/12)
  ダントツ首位はエストレラユース「独り言:早く県や関西でやってほしいが、、」
 1試合を残し目標としていた秋にある県リーグ参入戦に出場を決めてくれました。
 前々任高福崎高では赴任3年めで県ベスト8に翌年ベスト4。6年後には決勝へ。
 前任高琴丘高でも赴任3年めで県新人ベスト4シード。そして6年後に決勝進出。
 姫路高での3年後を見届けることはないのがちょっと寂しいですが、、、
 姫路高校新チームの〔スローガン=日本一きれいなチーム〕を掲げて
 高校生として将来の人として「生きる基礎」を作って去ろうと思います。

  この夏うれしいことがあります。
 私らが強化目的で13年前に立ち上げた「西日本強化リーグ」の同志たちがなんと
 4チーム今年は兵庫県である「全国総体」に出てきます。
 それ以外にも長いお付き合いで今や全国の強豪となった大阪桐陰高も出場決定。
 そのうちの3チームがセンカドチームですが姫路高校に立ち寄ってくれついでに
 練習マッチをしてくれます。全国レベルと対戦というめったにない経験です。
 日程は8月2日大阪桐陰高。8月3日高松南高。8月4日米子北高です。
 時間が許せばぜひ姫路高校に足を運んで下さい。

 お盆には恒例の「大山合宿」前期:8月12~14日津田少年(4、5、6年85名)
 後期:14~16日が津田ジュニアユース(45名)と姫路高校サッカー部(45名)
 大自然と天然芝と人工芝で強化する一方米子北高と対戦「大山登山」にも挑戦します。
 「大山合宿」明けには私が35年間高校サッカーに携わり兵庫高校サッカーの
 目標として背中を追いつづけた二強である〔神戸弘陵高〕と22日に出かけて
 もう一強〔滝川二高〕にはセカンドチームですがが姫路高校で28日に胸を借ります。
 これから私自身が障害サッカーに取り組みたいと思ってますが22日に姫路高校に
 教え子が監督している「聴覚障害日本代表チーム」が来校し対戦します。
 夏の終わり27日にはJ2岡山ファジアーノへ。
 ファジユース監督田淵先生とは笠岡工業や興陽高校時代に、またファジアーノGMを
 されている下山先生には岡山理科大付属時代に共に全国をめざした素晴らしい
 人間性の持ち主です。そうした多くの指導者の出会いがあったからこそ今があります。

 この夏もいつもながら6時30分には家を出て少年の朝練習からスタート。
 あと半年。それぞれお世話になった人々に「お礼」方々姫路高校を体験を積ませ
 「自信」と青春の「思い出」を作ってやりたいと思っています。

 

たるさんの部屋更新しました

 

                             H27、5月春号
             「たるさんの部屋」

  緑がきれいです。5月。新年度が始まり2ヵ月になります。

  65歳。今年で再任用も最後の5年目に入りました
 いよいよ教師生活も最終章へ。43年の歴史に幕を引く年になりそうです。
 姫路北高(定時制)6年。福崎高12年。琴丘高23年。今の姫路高で3年め。

 私のできることは43年間生徒から学んだことを現役の生徒に伝えることだと思って
 います。
 姫路高の生徒も福崎高、琴丘高の生徒と変わらず感受性が強くて優しく、温かくて
 素直です。

 私自分自身常に生徒と接する時にこころがけてることは
 「元々悪い子どもは一人もいない。だが子どもを悪くする大人は山ほどいる」
 だから我々大人は子どもを育てる責任と義務があります。
 私が出会った生徒のジッ体験談の話をすると多く生徒が涙して聞いてくれます。
 それは私の話で涙しているのではなくその生徒の思い出(ストーリー)に涙して
 いることが多いものです。
 ですからその「思い」に立ち入ってはいけないと思える歳(キャリア)になりました。

 また注意して生徒に関わりことは「転ばぬ先の杖(つえ)」という接し方ではなく
 「転んだあとの強(つえー)味方」になりたいと思っています。
 先にやりすぎず「気の効いたお節介」を心がけています。難しいですが、、、、、

 姫路高校サッカー部は新入生は21名(うち2名マネージャー)。
 総勢60名となりました。何名かは私を慕って入部してくれています。
 ですが、、、県総体は早々に負けてしまいました。でも最高のゲーム内容でした。
 気持ちも戦い方も、持っている技術、戦術も全て出し切り戦いました。
 ここが今の市姫路のいいところです。勿論負ければ悔しいしいっぱい反省は出ます。
 40年近く高校サッカーに携わっていますが、これほど負けても「スカッー」と
 した気持ちになれたには過去にありません。全力を尽くし戦った生徒たちに感謝です。
 自分で言うのも何ですが今の姫路高校サッカー部は本当に「きれい」です。
 周りの指導者、保護者、見ていただく人々からも「気持ちが良い」と声をそろえて
 言っていただいてます。これくらいしか私は残せませんが、、。

 津田も40周年後次の50年に向かってスタッフの日々勉強ぶりが目につきます。
 スタッフの意欲、成長、取り組み、子どもへの関わり方を見るのが楽しみです。
 4月には6年が姫路市民大会も制して兵庫県大会出場を決め、今年から始まった
 兵庫県大会トップリーグに毎月参戦し得難い経験を積んでいます。
 新入団生はキンダー約30名、新1年生25名。ジュニアは総勢180名。
 ジュニアユースも新入団生18名。総勢45名。嬉しいことです。

 社会人3チームやエストレラ姫路の試合を観戦に行くことも楽しみの一つです。
 このメンバーの多くがキンダーを経てジュニア、高校サッカー界と私と「夢」を
 共有してきた言わば「同志」ですから。
 いつまでもかわいいし、これからも「追っかけファン」の一人としていたいです。

 本年度も津田、エストレラ、姫路高校はもちろん私のこともよろしくご支援下さい。
 65歳。「大ブレーク」直前。エネルギィーを今確実に蓄えようとしています。
 夏には「たるさんの部屋」にまたいい話が載せれますように、、、ガンバります。

 

樽さんの部屋 UPしました

 

                        H27、2、20
       「たるさんの部屋」

  新しい年からはや2ヵ月が過ぎようとしています。
 今年は寒いですね。
 40周年記念行事とパーティーの余韻に浸る間もなく行事が進んで行きます。

 国民共済主催の兵庫県少年サッカー姫路地区予選が7月から実に半年をかけてあり
 ました。津田は一次、二次リーグを何とか突破し2月8日(日)準決勝、決勝が
 津田小がホームで行われ準決勝は白鷺と大接戦。
 互いの監督は私の福崎高時代の教え子で初めて近畿大会に出場しベスト8に
 入った中心選手の二人の対決で少年(津田ー白鷺(旧白鷺))でもライバルでした。
 また私事になりますが津田5年の主将は2番目の孫です。
 キャンプテンシーが乏しく甘い孫ですが最近急速に自立しはじめその行動、言動に
 目を見張っていました(実は公にはできませんが孫にも孫なりにしっかりしないと
 いけない出来事がありました)試合は一進一退で延長かと思えましたがラスト2分、
 その孫がFKを直接決め決勝へ。決勝は予選リーグでなかなか勝てない苦手の広畑
 でしたがこの試合は孫が3アシスト1得点。その得点もCKで風をうまく使い
 巻いて直接決めた瞬間は恥ずかしくも「鳥肌」が立ちました
 この結果4、5、6年全学年で県大会へ進むことができました

  6年生は41回を迎える姫路市少年サッカー友好Aリーグー戦4連覇。
 5年前まで3連覇をしていましたが一時2位になり連覇が途切れましたが再び
 連覇街道が続いています。嬉しい限りです。
 周りの指導者から津田の子どもたちは「卒業が近づくとよう伸びますね」と。
 こうした結果もその証拠の一つだと思います。
 4年生終わりから5年にかけて子ども自身も苦しんだ時がありましたが
 日々成長し今は落ちついて堂々とした戦い方に目を見張るものがあります。

 私はサッカーに携わって40年余。常々思っていることがあります。
 負けて覚える、挫折して気づく、失敗しても次に向けてがんばる。
 勝ちっぱなしなんてあり得ません。もしいつもうまくいくと多感な時期の子どもは
 勘違いを起こしてしまい壁が来ると乗り越えずに逃げてしまいます。
 世の中うまくいくはずなんてほとんどありません。
 私は兵庫県で決勝(ファイナル)進出は少年で3回、高校で4回。つまり2位です。
 シルバーコレクターです。3、4位なんて数えられないくらいです。
 あと一歩ばかり、、、、そのあと一歩の子どもたちと初めてタイトルを取ったのが
 「全国クラブサッカー選手権」。この日のために続けてきたようなものです。

 最後まであきらめない、がまんがどれだけできるか、粘りはあるか、努力は、、、
 それが人間力を高めると信じて指導してきました。
 卒業生が会うたびに言ってくれる言葉があります。
「高校時代、先生のあの厳しさがあったから社会人となった今でも頑張れる」と。

 「恥」を持って人のために〔利他の精神〕厳しさに耐える精神を身につけること。
 未来の日本を支える子どもに日本の魂(武士道)を植えつけることを我々大人は
 忘れてはいけないと思います。でないと日本でなくなります。