たるさんの部屋UPしました

たるさんの部屋             29年、4月、春号。

 

高校を退職して2年めに入りました。
初々しい制服姿の小学生、中学生、高校生を街角で見ると新鮮になり我が身まで
清められる気がします。

※「感謝」
人生「出会い」が全てです。「出会い」に「感謝」です。
生徒には「感謝」を持って「人のために」「一所懸命ひたむきに」生きることを
伝えてきましたが、あらためてこの季節は自分自身に言い聞かせる時期です。

3月は「別れ」の季節でした。
別れの生徒たちには今後素晴らしい(いい大人や仲間と)「出会い」があることを
祈り送り出すしかできません。
私は「別れ際(ぎわ)」を大事にしたいです。でも、、、、。
(1)「最後だから言わせてもらう」と。出会いに最後はありませんよね。
どこかで誰かと繋がってます。本人ではなくても子や孫と繋がるかも知れません。
(2)「この際だから言わせてもらう」と。どの際なのでしょう、、、、。
「この人はそうだったのか?」とその人自身の見方が変わってしまいます。
(3)「飲まないと言えないから」と。酒の勢いで、、、、。
「やはり、この人の本音はそこか、、、」と信じることさえも難しくなります。
いずれにせよ一度口に出した言葉が相手の心に入ると消えずとも残るものです。
しかも言い過ぎたり、思いが伝わらないことも多々あります(言葉は難しいです)
だから「別れ際」は全て「感謝(ありがとう)」でいいと思います。
でないと再会した時が気まずいですよね。
それが証拠に
卒業生や教え子の家族、親族などが企業や自営業など幅広く活躍しています。
43年間のサッカー人生でJクラブ、大学、もちろん高校、ジュニアユースから
少年まで多種、様々な「出会い」があり私もサッカー観や人生観にも大きな影響を
いただいて家族のような付き合いをさせてもらっている数多くの人たちがいます。
その人たちに私の教え子たちがお世話になるケースが非常に増えてきました。
「先生、A君はどんな生徒でしたか?」とよく聞かれます。
これは偶然の「出会い」ではなく「必然」なんですね(繋り)

4月新たな出会い。
津田サッカークラブの少年部新1年生が申し込みが約30名(23日確定)
ジュニアユース新1年が23名。
エストレラ姫路ジュニアユース新1年が34名。
「必然」的な「出会い」に感謝するとともにこの子たちには
私自身が様々な人と出会い、学んだ大切なことを(繋いで)いきたいと思っています。

※「一所懸命ひたむきに」
人生を一生かけて「一生懸命」。その時その所(場所)で「一所懸命」に汗を流し
目を輝かせ頑張る姿に人々は感動をするものです。

私は卒業生によく言うのは、
人生を10年プランで計画し目標を定め方針を立てるようにアドバイスしています。
私も40年が過ぎてやっと方向が決まってきました。
次の10年が集大成かとも思っています。
常に考え、気づいたことをメモ(枕元、TV横、車の中、カバンの中等)をして
まとめて整理する。文書にしたら今度は口に出して広言する(有言)
できない理由があるならどこにあるか探しながら前に進むことを優先します。
そして決めたらやる、やり続ける(有言→実行)
先が見えず目標を見失った時は<目の前>のことを「忠実にていねいにやれ」と。
やり続けることが大事で続けていたら視界が広がる時がきっと来る。(と、信じて)
人生「あせらず、あわてず、あきらめず」

※「人のために」
生徒に「人間関係がうまくいく」秘訣は
「自分のことより相手のことを考え、気づき、察してあげること」と答えます。
私事で恥かしいですが最近「うまく歳を取れてるなぁ~」と思えます。
その理由は
「させてもらう、してあげる」ことが今まで以上に楽しくなってるからです。
さらに嬉しいことは
教え子たちが私の生き方を各方面で繋いでくれる姿を目にすることが増えたこと。
人を育てて世の中に送りだし「社会へお返しができてるなぁ~」と感じています。
教え子や出会った人たちと共に「人のために」生きることが結束できれば
大きな力となって住みよい社会になり、さらに将来の日本を支える子どもたちも
育っていきます。
我々大人も子どもに恥ずかしくないように生きていきましょう。

*この1年私と「たるさんサッカーファミリー」をあたたかく見守って下さい。
またどこかで「必然」的な「出会い」を祈りつつ。。。。

樽さんの部屋Upしました

たるさんの部屋                    平成29年3月1日

また、また「別離」の季節。
(続;わがまま編)

津田、福崎高校の教え子たちの「仲人」を28組させてもらいました。
披露宴のあとの二次会を拙宅で開いたり今も家族同然に付き合っています。
その多くが社会人でも一緒に夢を追い現在は津田のスタッフへと繋がっています。
まさに「夢の循環」津田、樽本ファミリーです。
今も結婚式に数多く招待され新郎と多くの教え子たちに囲まれて同窓会的
雰囲気も漂い幸せな場をいただいています。

*「津田のぬるま湯」に浸かると「プロになれない、有名な強豪チームに入りたい、
うまくなりたい」と過去にも津田から旅立った少年も多くいます。
それも世界に目を向ける時代であり自然な成り行きでもあります。
サッカーブームや情報があふれる中で親のさまざまな考えがあるのも事実です。
わが子をそばに置いておきたくても親から離れる時期が必ずやってきます。
それまでは友だちや家族やいい大人に囲まれ「愛情」をいっぱいに優しさを知り
「思いやる心」を身につけ「自立」ができてからでも遅くない。
「長い人生そんなに急いで、、、」じっくりゆっくり、、と親も指導者も
子どもの「大器晩成」をめざすべきだと思います。

*私はたいしたサッカー指導(技術、理論、戦術など)はできません。
子どもが「好き」子どもと一緒に居たいと思うことしかできません。
その思いだけで勤務先(福崎高や琴丘高、市姫高)である程度の結果も出せました。
個人でも普通の能力の子たちが5名Jリーガーに、日本代表や日本ユース代表や
代表候補にもまた国体代表としても数多くの者が出場していきました。
津田少年からジュニアユースへ。そして高校から卒業後は社会人へとつないで
「社会人サッカー選手権」に全国出場4度という夢を叶えましたし
「全国クラブチーム選手権優勝=アマチュア日本一」という輝かしい結果も出ました。
少年や中学時代は技術や能力ばかりを高め結果だけを求めることより
「人としての成長(人間のプロ)」が基礎、基本だと思っています。
「指導者(コーチ)は教育の伝導者」でないといけません。
手塩にかけて育てた子どもたちが良き指導者や教師に出会え成長することを
心から願っています。でないと私も少年の指導者も親も救われません。

*今年の6年生は県トップリーグも全日県予選もベスト4という輝かしい結果を
出しましたがそれ以上にあたたかく好感が持てる学年でした。
優しくて友だちを思える「気づき」がいいんです。
この良さはアマチュア日本一、全国社会人出場や各高校で結果を出した年代の
少年時代とよく似ていて「一緒にいてホッ」とできるメンバーです。

*私は高校サッカー監督を終えてグランド建設に奔走した1年間でした。
一方ではピッチで教え子と夢を追いかけることができない寂しさもありました。
その時今年の6年を見るたびに(大切な物=触れ愛)に気づき勇気づけられました。
だからこそ今年の6年の「夢実現」のためにそばにいて叶えてやりたいのです。
多くの経験、体験させ必ずやってくる思春期には親に言えない悩み、苦しみに
寄り添ってやることが私の役目であり津田スタッフも総動員で守ってやりたいと
思っています。それこそが43年間も続いて津田の伝統なんです。
仲間の結婚をみんなで祝い次代の子もみんなで育て今後展開するエストパークで
津田、樽本ファミリー夢の循環を巨大な揺るぎないものにしたいと願っています。
これってやはり「わがまま」ですかね。

 

 

 
 

たるさんの部屋UPしました

たるさんの部屋                    平成29年2月

また「新しい出発」が、、、

突然ですが、、、
平成29年度、エストレラ姫路社会人チームの監督になりました。
(えっ?えーーッという驚きと、何を今更、、、の声が聞こえてきます)

*社会人チームの経緯
・1974年:津田サッカークラブ少年部創部。
少年部に所属して10年経過したメンバ-が社会人となった
・1984年:津田社会人チーム結成(監督に就任)
~:姫路市3部リーグからスタート。
・1987年:兵庫県リーグ入り(監督三木陽介へ)
~:県リーグ優勝9回。全国社会人サッカー選手権出場4回。
・1996年:全国クラブチームサッカー選手権「優勝!!」
・2000年:エストレラ姫路ジュニアユース創部。当時のメンバーが社会人となった
・2012年:津田トップチームから→エストレラ姫路へに改名。

*来期監督就任決定までの経緯
今期監督:高田博元(エスト1回生/関西学生1部リーグ優秀主将受賞)は
エストレラへを愛する熱さは彼の右に出る者はいないほどの存在感。
明るく積極的で監督(兼)選手としてチームを大声で叱咤激励し鼓舞する一方
人情味があり仲間を思う優しさを兼ね備えた好人物でした。
その高田が夏に突然の東京転勤となり前期絶好調で走っていたがチームは
主柱、司令塔を失い後期は迷走しわずかの差で夢の関西リーグ入りを逃しました。

私はエストレラフットボール部門センター長(兼)理事長として
新年度編成(監督や三役、スタッフ)を開いて発表する立場にありました。
そのためにヒアリングを実施し意見を聞こうと招集したところ
思いもよらない「まさか!」の意見というより(嘆願)に近い申し出が、、、
私への「監督要請」でした。

選手たちと2時間近く話を聞くうちに悩み苦しみがヒシヒシと伝わってきて
彼らにもう一度大好きなサッカーを苦しみから開放し本来の楽しむべきもの、
思い切り熱中させてやりたいと強く感じました。
そう思うと心底「メラメラ、、」と燃えるものが、、
「2、3日間考える時間をくれ。。。」と即答は避けたが、、、、

退職してこの1年。
新しい出会いと多くの方々のお蔭を持って完成した「エストパーク」。
その完成に向けて慣れないことへの奔走で少し疲れたのも確かです。
嬉しいことの連続で感謝、感謝なんですが何かちょっと違う1年でした。
やはり私はピッチで生徒や選手のことを考え、共に戦うのが合いそうです。
夢であったグランドが完成し正夢に。次の夢「関西リーグ昇格」めざして
津田、福崎、琴丘、市姫の監督を経て今度はエストの監督としてがんばります。

兵庫県社会人リーグ戦ホームゲームをほぼエストパークで行う予定です。
ユース県トップリーグ戦もジュニアユースの大会も開催され念願であった
エストレラ各カテゴリー様々なゲームをぜひ足をお運び観戦の上、
応援よろしくお願いします。

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たるさんの部屋                    平成29年1月3日

あけましておめでとう
雨男には珍しく晴れた、、、卒業生、その家族、現役社会人、Jrユースに
少年、その保護者合わせて約400余人のあたたかい思いが天に通じた。。。。
(だが午後から一瞬曇って小雨が、、「さすが雨男」と周囲の声)

*1月3日は「初蹴り」。今年で44回目。今までで最高の「初蹴り」でした。
教え子に会える喜びに今回はグランド完成の「祝い」の「喜び」もありました。
新年「おめでとう」の返礼挨拶とエストパークの完成に
「ありがとう」の言葉が返せました。

*「嬉しい」まさに感動、感激一日。ほんとうに本当に嬉しかったです。
「たるさんの部屋」にどんな言葉を使おうかとうまく文にならず今困っています。
わかってもらえるでしょうか?

*福崎高、琴丘高、姫路高のグランドを使ってやってきた「初蹴り」から
今回からホームグランドであるエストパークで開催できる。
最高グレードの人工芝では現役中にはなかった笑顔。
思うように動かない体にミスの連発。
それを笑いでごまかしながら楽しそうにプレー。
昔懐かしい「クセ」そのままの姿に爆笑、歓声が絶えなかった。
教え子の最高年齢は53歳。孫もいるおじいちゃんになっている者。
嫁や家族、子どもを紹介してくれる。仕事、就職、転職、家を建てた者、、、など。
教え子たちの人生を聞くのもまた楽しい。
久しぶりにあって嬉しそうに昔話や懐かしい話を交わす教え子たちの姿に
「やはり仲間はいいな~」と。「人っていいなぁ~教え子っていいなぁ~」

*この場を借りて感謝(お礼)を二つ。
一つめのお礼は家族へ
この日エストパークには妻と三人の娘と教え子である娘の主人たち。
この春社会人になる初孫。エストレラ姫路Jrユースの2番目の孫。
津田ジュニア、キンダーの2人の孫たちも同じ場で迎えられたこと。
家族の支えがあったからこそ今がある。あらためて心を込めて「ありがとう」

二つめのお礼は教え子たちへ
わが子、孫たちを含めた樽本家は教え子たちに守られて今がある。
本日こうして樽本家も教え子たちの仲間と一員として同じ輪の中に居させて
もらえることに感謝。ほんとうに「ありがとう」

*教え子のみんなへ。
先生と呼ばれる限りは「先に人生」を行かないとね。背中を見てもらわないと。
次の「夢実現」に向けてこうしてみんなと喜び合える日が脈々と続くように
前へ前へ行く。
人生辛く苦しいことばかりではない。
今あったとしても「利他の精神」でいたらきっと「いいこと」が待ってる。
どうせ生きるなら楽しく明るく夢と希望を持っていこう。

本年もどうぞよろしく

また「たるさんの部屋」もよろしく。
教師時代のおもしろ?実話がまだまだあります。随時掲載していきます。
今日のあまりの嬉しさに眠れそうにありません。

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たるさんの部屋
<今年を振り返って>
ただただ「ありがとう」しかありません。

3月30日(日)姫路高校サッカー部から家族を招待してのサプライズ「送別会」。
これには(涙、ナミダの)感動!何ともいえないあたたかさの中で43年間の
高校教員生を終えることができました。

・15’11月:エストレラ理事会の承認を受けて「toto助成金」申請手続き。
・16’4月 :「toto助成金」決定。6月:グランド「地鎮祭」
・16’11月27日:エストパーク「竣工式」。

夢のような話が実現した素晴らしい1年になりました。
これには2月に(A先生)との出会いがなければなかったかも知れません。
(先生)は私の邪悪な心、迷い、戸惑い、悩みを聞いていただきました。
手を合わせ常に感謝する生き方をあらためて教わるとともに
「夢実現」の「決断」へ大きな力で後押しをしていただきました。

「人の喜ぶ顔が見たい」その一心で大病もし家族を見返ることもせずに
やってきました
気になる、困っている人や生徒にはできもしないくせに何とかしてやりたいと
「お節介」な性格を43年間通させてもらいました。

(A先生)曰く
「退職後に樽本先生にとんでもなくすごいことが起こります。一気に花が咲きますよ。
そしてそれは11月にやってきますよ」半信半疑の私に。
「樽本先生から多くを学んだ生徒さんが「先生の夢」を今か今かと待ち望んでいます。
そして夢に向かっているとたくさんの人と出会っていきます。
その人たちは「人のために」生きてきた先生の夢に「一緒にやりましょう」と
笑顔で集まり、力の結集が「グランド完成」に繋がっていきます。
「出会い=繋がり」それは偶然ではありません、必然なんですと。
だから樽本先生がやろうとする(他者、社会貢献)ことに失敗は起きないのです。

***まさにその通りでした***

次々と新しい出会いがありその人たちのおかげでグランド完成となりました。
嬉しいのは教え子たちの「喜ぶ顔」が見れることです。
教え子や出会った人たちにただただ「ありがとう」しかありません

※みんなと一緒に夢実現グランドを「祝う」ために
・12月24日(土)「クリスマス
・1月3日(火)「初蹴り」を計画しました。ぜひ来て下さい。
(*詳細は津田HP「エストパークコーナー」に掲載)

この場を借りてですが本当にこの1年ありがとうございました。
でもまだまだほんのスタートですが、、、
今後も笑顔で心豊かに過ごせる居場所作りに邁進します。
どうかよろしくお願いします。
良いお年をお過ごし下さい。

 
私のサッカー人生は少年、高校で「全国」を夢見ながら「あと一つで。。。。」
常に悔しい思いの繰り返しだった。だがあきらめず努力をつづけた結果
1996年「全国社会人クラブサッカー選手権」で優勝を果たすまでに至った。
鹿島スタジアムでのアマチュア日本一に輝いた歓喜の喜びがそこにあった。
「続けていて良かった」と。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*以下に平成6年度兵庫県高校HR教材用の副読本になった
福崎高サッカー部主将の卒業文集を掲載する。

あと一つで、、、、

高校生活三年間を振り返ってみるといろんなことが頭の中をよぎっていく。
その中でもサッカーで二度兵庫県準優勝をしたことはこれからの長く苦しい人生を
歩んで行く中で忘れることのできない「思い出」として心に刻まれていくだろう。
決勝戦に進出することは前々からの夢であったのでとても嬉しかった。
その日は生まれて最高の日でもあった。
何とも言いがたい高揚感が頭の先から足先まで充満した感じだった。
結果は負けてしまった。「あと一つで。。。。」だったのに。
とても悔しい思いがしたが「自分ながらによくやったなぁ~」の気持ちも強かった。
二度の決勝進出は貴重な体験を与えてくれた。
先輩方の苦労も少し報われた気がしたが、、、「優勝」という地位はほしかった。
先輩の代から血の滲むような練習をしてきた。
毎朝5時に起きて厳寒の中で地面に食いつくトンボでコンクリートの様な固さの
グランドを整備した。今頃、みんなはまだ寝てるやろうな、、、
休憩時間、昼休み、アイスクリームを食べながら楽しそうにくつろいでるみんなを
横目に見ながらグランド整備と石拾い。
真っ暗になるまでボールを追い、帰れば8時はとっくに過ぎていた。
そんな毎日だが少しも苦しいとは思わなかった。
好きなサッカーをやっているんだと思うとどんなことでも我慢できた。
そんな厳しい練習と気づいてやる雑用をやり切っても神様には通じなかった。
こんな福崎という田舎の学校の地道な努力が全国や県内各地から有力選手が
集まる環境抜群の有名私学高校にわかるはずがない。
うちには初心者も多く日本やユースを代表する選手などはいない。
こんなチームが決勝戦に進出することでレベルが低いとされる姫路のサッカーに
風穴を開けて夢と勇気を与えた。
無邪気にボールを追いかける少年までが応援に来て「すごい」と言ってくれる。
このことがうれしい。
自分たちのやったことがいろんな人に影響を与えていると思うと震えが止まらない。
だけど優勝だったらもっと良かったのに、、、、と最近思えてきた。
「優勝」と「準優勝」は雲泥の差がある。「あと一つで。。。。」
でもこれから長い人生を考え、歳を取るたびに壁にぶつかると思うと「準優勝」で
いいのかも知れない。苦しいとき「むちゃくちゃ悔しかった」ことを思い出して
「あと一つで。。。。」ということをなくしたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私はこの生徒の「あと一つで。。。。」の思い、やり残したことこそが
今回のエストパーク完成だと思っている。
43年間私の元で戦ったきた生徒たちの怨念、力の結集だと思っている。
私は大会で負けた夜、卒業していく夜は部屋を真っ暗に一人で泣くことにしている。
「ごめんな、もっといい指導ができたらいい思い出が作ってやれたのに、、、」と。
今年の新春は一人で泣くのはやめて卒業生みんなと喜びあいたい。
その日がやっときた。

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たるさんの部屋
甘えたいけど、、、

1時間目が始まり(A子)が遅刻し職員室に入室許可のために入って来ました。
少し離れた席から(A子)と担当教師とのやりとりを見てました。
教師A:「最近よく遅刻してるなぁ~」  教師B:「遅刻の理由は、、、」
教師C:「ちょっとA子最近おかしいぞ」
黙ったままの(A子)に教師2、3人が声をかけてます。
やがて遅刻届けを持って職員室を出るが「ドーン」とドアを閉めた音が響く。
あきらかに(A子)不機嫌。
このまま授業に参加させると(A子)の性格上授業に支障が出そう。
このままでは、、、、違う出口から出てソーっと(A子)の背後から声を、、、
(A子):「なんやぁ 、、たるさんか、、、」
(私):「ちょっと話しょう」 (A子)「いやや、ほっといて」
(私):「いや、ほっとかへん」とカバンをひっぱり体育館に通じる廊下へ
連れていこうとすると意外と抵抗が少ない。卓球場入口にある段差に座らせた。
(私):「おかん、大丈夫か、、、」(A子)「なんで知っとん?」
「(A子)のこと何でも知ってるわ(笑)」
遅刻が多く授業中もぼーっしてると聞いていたので(A子)の友だち2、3人から
情報を集めていた。
それによると最近お母さんが倒れ入院。家事の全てを(A子)がやり毎日病院へ。
友だちは「たるさんA子の話聞いてやって、あの子は頑張り屋で私らには
甘えてなかなか本音を話してくれへん」
(私):「大変やなぁ~~」と言うとフゥーッと長い息を吐いて、
いつも強気な(A子)が今にも泣きだしそうな顔になりしばらく沈黙が、、、、。
やがてたまっていたものが出るように一気に話し始めた。

家はお父さんと弟。
生活が一変し学校を終えて病院へ寄り帰りに買い物して帰宅し洗濯物取り入れ
夕飯の用意をしてあと片付けをすませると勉強する時間も遅くなり寝不足。
朝は早くから起きて3人分の弁当を作るが時間がうまく使えず遅刻になる。
(A子)の性格から徹底してやらないと気がすまないタイプ。
今朝も3人分の弁当を作り掃除も終えてお父さんを起こしにいく。
だが「あほか!今日は早出じゃ。はよ起こさんかえ、遅刻やんかぇ」とわめかれ
お父さんは仕事へ家を飛びだす。作った弁当を渡そうと追いかけたが、、、
腹が立つやら悲しくやら           、
「学校休もう、でも、、行かな、あかんし」と遅刻する。

話を要約すると
お母さんの手術が近い。弟は受験。お父さんも仕事の合間に病院へ。
みんな頑張ってる、私も頑張らな。
そしてやがて(A子)から
(A子)「人に言ってもわかってもらえヘんし、わかってもらおうとも思わんし、
言うたら甘えそうやし、、、」
(私):「(A子)らしいな、でも(A子)のこと心配してくれる人がいることは
ありがたいな。感謝せな。その人たちにも少しは話をしてみてわ。
友だちも(A子)から悩みを言ってもらえたら嬉しいもんやで。
互いに苦しみを伝えあって「親友」になれると思うけど、、、
少しは楽になるで。人に甘えるってたまにはええと思うけど、、、」
*5、6分沈黙が、、、
その間、なんとも言えない(A子)のあったかい雰囲気が伝わってくる。
(A子)「そやな。。。そうしてみようかな、、たるさんありがとー、授業行くわ」

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たるさんの部屋                   H:28、11、27
ついについに夢実現が叶った!!

いつも重要な行事には必ず雨が降る「雨男」の私の真骨頂か、、、
朝から冷たい雨が、、、嬉し涙の結集ということにしょう。
時は11月27日(日)。神棚に向かい「感謝の心」で手を合わせ家を出る。
1年前の11月に計画を始めて1年後の今日。ついにこの日を迎えました。

降り注ぐ雨対策用テントが設営されシートが敷かれている。
ずぶ濡れになりながらの準備作業にかかる方々やユースの選手に心が痛みます。

◆9:00~ 「神事」大塩天満宮の宮司により無事執り行われました。
◆10:00~「式典」は雨天のため大的市民センターへ移動。
急な会場変更で大変だったと思われるが見事に準備が完了されていました。

ーーー私の祝辞は津田HP、エストパークコーナーに掲載しましたーーー

式典は地元選出の井川市議会議員の乾杯の発声で開始されました。
エストレラのコンセプトに賛同され支援をいただいてる石見姫路市長の祝辞。
応援いただいてる松本衆議院議員のお祝いの言葉。
来賓方々は西村健稔衆議院議員(代理)。姫路まちづくり振興機構南都理事長。
土地を提供していただいた山陽電気鉄道(株)米田取締役。
活動提携を結ぶ予定のシーサイドゴルフ新井社長と姫路大学野畑副学長。
地元からは自治会、漁業組合支所長、老人会、子ども会、公民館長。
大塩小学校及び大的中学校長とPTA会長。スポーツクラブ21。
JA大的支店、大塩ゴルフリンクス社長。
お力添えをいただいている播磨大塩病院。井野病院。隣接する地主梶原様に山本様。
その他の数多くの方々にも列席していただきました。
グランド建設に大いに助けていただく一方、親しくお付き合いさせていただいてる
関西電力の多田所長や面々の方々。きんでん。神鋼エンジニアの皆様。
最高のグレードの人工芝を入れていただいた住友ゴムの井坂常務。
その人工芝工事に携わったいただいたスポーツテクノ和広の皆様方。
難工事だったと土地をものの見事に完成していただいた施工業者の皆様。
参列者は総勢100人を越える人々で祝賀会会場は埋まりました。
ほんとうにありがとうございました。

◆11:00~パネルデスカッション(前田先生司会進行)
パネラーは日本サッカー協会グラスルーツ推進松田部長。
ブラインドサッカー釜本理事長。ろう者サッカー鈴木会長。
地元大塩出身で元プロ野球選手(現在野球評論家)黒田氏の方々。
デスカッションは非常に有意義で聞く者の心を引きつける熱いお話に感動し
この地を障害スポーツの拠点にしなくてはとあらためて思い直しました。

◆11:30~ブラインドサッカー
雨にも関わらず行われ多くの見学者が目の不自由さを感じさせない選手のプレー
一つ一つに感動し見入っていました。
子どもも、初めて目にする大人も何かを感じていただけたと思います。

◆12:30~「昼食会」
大的市民センターへ戻り
大宮アルティジャーから教え子である播戸竜二(元:日本代表)がかけつけてくれ
懇親会では来賓の方々の交流でおおいに盛り上がりました。

◆1:30~サッカー教室
人工芝グランドではLEDナイター照明を点灯。
指導講師は関東からわざわざかけつけていただいた
・山口泰弘氏(元日本代表主将、元横浜FC監督、TV解説者など)と
・羽戸康弘氏(元日本代表、横浜マリノスアンバサダー、淡路出身)でした。
共に横浜フリューゲル時代解散直前の天皇杯を制覇したメンバーです。
約50名の4、5年生対象に雨をも吹き飛ばす熱気で歓声が沸きました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※5年前に教え子たちに「還暦のお祝い」をしてもらった日の挨拶で
サッカーグランドと自然パークを作ると
話した通り思いは念ずれば「夢は叶う」有言実行ができた一日でした。
正直疲れました。でも心地よい疲れでした。
妻(みっちゃん)と二人で静かに「お祝い」を「ありがとう」の感謝を込めて。
その夜は予想通り朝方まで何度も何度も目が覚め幸せ感がよみがえりました。
お世話になったお一人お一人の顔を思い浮かべながら手を合わせました。

でもほんの第一歩です。
今日大塩で産声を上げたにすぎません。
皆様の愛情という肥料で地ができました。これからはこの地に種をまき芽を出させ
その芽を大切に粘り強く耕し(育て)続け、多くの人々に大きな花と咲くように
見守っていただき健常者、障害者一体となってこの地がスポーツ文化の町と
と呼ばれるように次に進むスタートの日でもあります。
人に喜んでいただけるように頑張ります。
今後ともよろしくお願い致します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*なおこの度「竣工式」の様子をメディアに取り上げていただきました。
「竣工式」予告:11月24日付の神戸新聞一面に掲載され
(*紙面は津田HP、エストパークコーナーに掲載)
「竣工式」の模様
・11月27日当日サンTVでニュースとして。
・11月28日付の神戸新聞と毎日新聞の姫路、播磨版を載せておきます。

神戸新聞

 

毎日新聞
・Winkが後日放映していただくようです。
機会がありましたらご覧下さい。

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生徒という名の先生
*各年代のメモから
「自立、なぜ?」

大学を出て新卒教師の着任先が今思えば「ラッキー」な定時制高校分校。
生徒数約100人足らずで1~4学年まで1クラス。専任教師は7名。
規模は丁度いいが何もわからないままスタート。
いきなり2年生担任。体育主任(体育教員私1名)。生徒指導主担当(私1名)
当時教育界は紛争が大学から高校に移りまさに学校は「荒れた」状態。
高校は大手、中小企業が連なる姫路南西部(網干地区)の播磨工業地帯。
生徒の仕事内容は何千度という溶鉱炉内で汗や油まみれの作業。早朝出勤をして
職場の準備から清掃や片付けなどに精を出す職業訓練生や初心者労働が多い。
進学理由は高卒免許取得希望者。勉強だけでなく仕事をして家計を支える者。
遠く離れた地から来姫し仕送りをしている者などすでに「自立」ができている
生徒相手に新米の私が進路指導、キャリア教育、生き方指導などできるはずがない。
だが私の職業は「教師」。教師として何もできず悩み苦しんだ。

生徒から学びながら自分らしく自分しかできない自分のできることをしよう。
自分ができることは生徒と一緒に楽しんでやることと決めた。それしかできない。
するとメチャクチャ楽になった。
週末になるとうちに集まり「HR合宿」まがいなことをやり同じ時を過ごした。
夕食を作って食べて職場や上司、同僚、家庭、故郷などのたわいもない話から
整備士、タイヤ関係、販売、セールス、大工、飲食店、銀行など仕事は多種に
渡って仕事の話(仕事内容やしくみ)大人社会での生き方などを話し込んだ。
私にとって全てが新鮮で尊敬に値する生徒たちであり多くのことが学べた。
この生徒たちには私の「結婚祝賀会」を手作りで催してもらい感謝感激。
その結果この6年で自分の「教育指針」を見つけ退職するまで43年間通した。
その(教育指針)とは自立。見つけることができまさに「ラッキー」だった。

「なぜ?」
一方でもう一つ「ラッキー」だったことは昼間は講師として播州地区で
有数の進学校姫路西高、姫路東高と私学の賢明女子学院で教鞭をとれたこと、
早朝と週末には地元で少年サッカーを指導できたことである。
定時制高校の生徒たちの経済的なこと、アパートでの一人暮らし、寮、住み込み等
の生活ぶりが上記三高校とは圧倒的なこの違い。これは生徒のせいだろうか??
そこから「なぜ?」と常に考える機会となった。
もし定時制の高校生の実態を知らずに普通高校に新任として勤務をしていたら
校訓を掲げ校則を厳守させ「学力向上」を目標に進路実績を上げ世間から
「いい学校」と評価を得るための教育指針に重心を置いて「勉強=高学歴」こそが
人生の勝利者だとしたら「勉強しろ!有名大学に進めないぞ、一生困るぞ!」と
ハッパをかけ学習や教科を厳しく指導し親や世間からも評価の拍手を送ってもらえる
教師をめざしていたかも知れない。
一人一人の生徒と向き合い「なぜ?」とは考えない教師になっていたかも。。。

学校でしか通用しない勉強(知識)は「学力」ではないと思う。
「学力」とは自立(社会性)を養うために身につけることだと思う。
そして得た「学力」を社会貢献に使うことこそが人間として幸福に生きること。
「自立」=「決断」であり学校の指導や職場上司の指示を待って決めるのではなく
自分で堂々と意思表示し自分で「決断」し行動できることこそ「自立」。
福崎高ではサッカー部や授業、クラスで徹底して「なぜ?」と考えられる人間と
して鍛えたつもりだがなかなかうまく伝えられず時には反発されたり反骨心を
持たれたりした。あきらかに教師力不足。また悩んだ。

勉強せずに遊んでばかり道徳心も乏しく秩序を乱し問題行動を起こす生徒と出会う。
教師や周りの大人は「ホンマにこいつらは、、、」と眉をひそめ冷たい目で見る。
(正論)を言い上から目線で説教を続ける。高校生にもなれば(正論)が正しいことは
わかっているはず。

「なぜ?」と生徒の気持ちをわかろうとせず生徒に「わかったか」と従属させ
「ハイ」と返事がないとボロくそに文句を言い続け「なんやその態度は、、、」
思い通りに素直にならないと怒鳴り、あげくの果て「もういい、帰れ!」と。
荒れる生徒にはなおも強権な手段、力で抑えにかかる。
生徒が「ハイ」と黙ると「よし」と教師の自己満足。
一時的に収まったように見えるが「もうこの教師に言ってもムリ、あかんわ」と
嵐が通りすぎるのを待ってるだけ(実は生徒は見抜いてる)
かたや「注意しておきました」といっぺん通りの指導しかしない教師。
親まで「先生のいうことをまじめに黙ってよく聞け!勉強さえすればいい」と。

新米で赴任した定時制高校ではそういう指導が全く通じず意味をなさないことが
わかったことがほんとうにラッキーだった。
生徒の心の奥底に隠れてるなぜ?に気づこうと。

不遇な家庭生活(離婚、別居、死別、経済的、虐待)が原因として生徒が荒れ、
問題行動をたびたび起こし教師が解決できる教育レベルではないと判断すると
教師は踏み込まない、いろんな理由をつけて(教師は理由付けがうまい)
私はなぜ?を心に問題行動を起こし反抗、逆らうのはこちらを試してる
私に向かってのメッセージである。
それを知らせるための問題提起であり私に助けを求めている行動と真っ正面から
受け止める。うまくいかずとも気持ちは絶対に通じるはずと信じて。
この生徒はこの世の中にたった一人しかいない必ずいいところがある。
見落さず注意深く(気づき)受け入れた。
そうすると出会ったほとんどの生徒が心を開いてくれ今も付き合いが続いてる。
それどころかそういう生徒は定時制生徒と同じく尊敬に値する能力、優しさ
男らしさ、気配りを持っている。やはり尊敬は年齢に関係ない。
だが私の若さや経験不足、不安、余裕のなさからうまくいかないと感情的になり
たくさん迷惑をかけ反省の連続の(30歳~福崎高)12年間だった。

琴丘高へ転勤が決まったが無理にムリがたたり生死を彷徨い「寿命」を切られ
恐怖と不安の入院生活。社会復帰できるか、、万が一できたら。。。。
琴丘高でも「人のために(社会貢献)」と自立を教育指針にして
「一所懸命ひたむきに」目の前のことを手を抜かず頑張ることと
「気づき」をテーマにして職場復帰をした(41歳)

授業では体験談を語り、サッカーを通じて体験させミーテングやサッカーだよりで
思いを伝え生徒にはレポートを書かせては気づかせてきた。
テーマ通りできたかどうかは23年間ともに過ごした琴丘高生が出してくれるはず。
その答えを福崎、琴丘の卒業生と食事会を持って聞かせてもらっている。

最後の教員3年間は姫路高。そこには多くの教員志望の生徒がいた。
子どもが親以外に初めて出会う大人=「先生」子どもにとって重要で大切なので
「きれいにさわやかに」を掲げ人に愛される人間形成を求めた。
一方で枠や型にはめず、手取り足取り指導をしないで生徒になぜ?と。
また本物の大人と多く出会わせ感性を磨き、問題を投げかけ答えを待った。
「自分はどうするか?どうあるべきか?」と考えさせることに重点を置いた。
サッカー部員も数多くが教員志望。いつの日か教育論を語りあいたいものだ。

たるさんの部屋UPしました
 たるさんの部屋

         「監督」ではなく「教師」

 卒業式や送別会で「ありがとう」って言ってもらえること。
 卒業後もサッカーで「夢」を一緒に追いかけてくれること。
 教え子がうちを訪ねて来てくれること。これこそが教師冥利に尽きます。
 退職した今、各年代の卒業生らと食事会を持てる幸せ感満載。
 「監督」は結果(勝利優先)を出さないといけないから大変。
 結果が出ると「すごい監督」と周りから称賛を受けることもあります。
 だが自分がやったかのように勘違いや錯覚を起こし人格まで変わるのはイヤですね。
 結果が出なかったからと生き方まで否定されたくはない「たかがサッカーです」

 私は自分の<生き方=方針>を変えてまで勝ちたいとは思いません。
 少年前期(養成期)⇒少年後期、思春期(育成期)⇒高校、ユース(強化期)と
 輝く貴重な年代に寄り添えるだけで幸せなことです。
 養成、育成期間から心身共鍛えないといけない強化(ユース)年代で出会い
 子どもたちが成長した結果勝てればいいんです。

        <生き方、方針(コンセプト)>
 〔1〕やる気(モチベーション)
 チーム一体感(たるさんファミリー)を出す作るメニューを緻密に考え実施時期を
 うまく図り決めたら「やる!」チームのために粘り強く「やる!やり続ける」
 私は褒めたりアドバイスはほぼしない主義だが「努力」は見落とさない。
 日々の活動に手を抜かず「努力」する子どもを信じて疑わず接し「信頼関係」
 を作っておくことが「やる気」を起こさせる基本中の基本。
 そのためには繊細な気づきで一人一人を把握し日常生活(仕事、掃除、準備、整備、
 片付け、裏方、雑用、学校生活など)を見逃さずメモして記憶に留めておくこと。
 そして「利他の精神=チームのために」行動した時は褒め讃えて出場機会を与える。

 〔2〕気づき
 高校入学すでに「気づき」を持っている者(将来のキャプテン、主要ポジション候補)
 高校3年間(ミーテング、サッカーだより、経験、体験など)で気づく者。
 高校3年間で気づかない者は卒業後、社会で、家庭で、さまざまな人間関係の中で
 「ああ、これが高校時代にたるさんが言ってたことか、、、」と気づけばいい。
 サッカーを指導する「監督」より「気づき」を知らせる「教師」でいたい。

 〔3〕人知れず
 少年、Jrユース、ユース年代はスーパースターは不要。作るとチームが崩壊する。
 サッカーだけで注目を浴びて強化(高校、ユース年代)に来た選手は厄介。
 注目を受け目立ちたいと「自分が、、俺が、、」と一人よがりのプレーの連続。
 そういう奴は褒めないとしないし自分が注目されないとやらないパターン。
 (コーチ=権威)にはいい顔(機嫌をとり)擦り寄り裏表を作る人間になっていく。
 人知れず雑用や裏方の仕事はまずしない。こんな子がやがてサッカー生活を終え
 一般社会に出て大人になるとどうなるか?、、、、想像がつく。
 プライドをなくし「自己中」を消して「他者貢献」の大切さを説いてやりたい。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 「監督」が結果を得るために子どもを特別扱いやゴネ得を許してはいけない。
 「監督」は結果を得るために子どもを利用してはいけない(プレイヤーズファースト)
 結果を出したいと思う「監督」より選手の将来を考え指導する「教師」でいたい。
 だが最近親も「子どもの将来を考えてるか?」と疑問に感じることが多くなった。
 親が目先の結果(勝利優先)を選ぶ傾向にあるとしたら、、、子どもたちの未来は?



                理不尽?

  各年代の卒業生らと食事会で出る話は、 、、「厳しかった、辛かった」という
 思いで話が中心。苦しかった時代を笑顔で話してる。
 出てくる話をまとめると、、、今思えばやはり「理不尽かな?」
 少年、中学とあまり技術が高くない者と多くの初心者を抱えたメンバーで高校で
 兵庫県でトップレベルと対等に戦うには「普通のことしていては、、、」
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 *思い出話は必ず「100本ダッシュ」。走ったことしか記憶にないとは、、、、

 *福崎高校のロードワーク。グランド使えない日、走り込みシーズンには
  高岡小往復(4km)か金剛城寺往復(8km)か甘地経由(16km)か、、、

 *市川高校への「練習試合へ行くぞ!」は地獄だったらしい。
  市川高へ走って(約5km)行って試合。あと坂ダッシュして走って帰る、、、、
  ある日あまりに帰りが遅いので車で様子を見にいくと街角で座り込んでいた。

 *新舞子での春強化合宿。御津中(約3km)までランニングで行って練習。
  練習後宿舎まで走って帰る。そのあと約200mの砂浜ロングダッシュ。
  「この手の中にいくつか小石がある。小石がなくなったら終わり」と本数知らせず
  全てが無くなり「終わり!」と言った途端全員砂浜に顔から伏した(47個)

 *校内合宿(練習練習開始夜中3時)
  「近所に迷惑かかるから静かに黙ってやれ!」だが朝方お巡りさんがやってきて
  「ポンポン音がし、タッタッタッと不気味な足音」と近所から苦情が。
   当時は私に質問できる状況になく食事会でやっと質問が「なぜ夜中3時?」
  私:「滝川二高が夜練習してる夢を見たから」

 *雨対策
  次の対戦は技術は関西でもトップクラスの相手。対戦日の天気予報は雨。
  カンカン照りでもないのに1週間グランドに水をまいて雨対策練習。
  当日大雨に「やった、勝った!」相手は当然イヤな顔。結果は勝った。

 *真夏の遠征(宿舎につくと必ず探すところ=坂ダッシュができる場所)
  練習マッチ前相手の監督が「たるさん、多くの生徒が手に何か巻いてるけど?」
  私:「いや、知らん」。聞くと試合の合間に坂ダッシュを「上半身も鍛えろ」
  坂ダッシュの合間に手押し車を指示。ところが猛暑の中アスファルト道路の坂の
  温度はハンパじゃない高温。結局原因は「やけど(火傷)」だった。

 *ランパス
  私の得意のメニューの一つ。2人組で延々走ってパスして走るランパス
  (ふだんは約10~15分)始めてしばらくして「電話です」と校内放送が。
  長話になりすっかりランパスを忘れていて戻るとまだやってる(約40分)
  「長電話で遅くなった、すまん」とは素直に謝れない30歳台半ばの頃。
  「休憩したら後半や」結局、前後半40分ハーフのランパス。

 *オールコートプレス(バスケットからヒント)
  前線からボールを追う(プレス)ボールに近い者は何人でも激しく寄せる。
  ボールがパスがされればまたそこへ猛ダッシュでアプローチして囲い込む。
  引いて下がって守る(リトリート)時間をかけ遅らせ守るのはタブー。
  うちのサッカーでない。それでバテるようなら走り込みを増やせばいい。
  強烈なプレスをかけ続ければ普通の高校生ならミスしてボールは取れるので。

 *縦一本
  試合開始後、相手監督が「蹴ってくるぞ」相手選手も「蹴るだけやで」と余裕。
  でもうちはそれしかできず延々シンプルに単純にゴールめがけて縦へ蹴る。
  後半になると相手が「また蹴ってきたぞ、、」と不安そうな声になっていく。
  相手が「バテた」と見るや「そろそろ、走らんかぇ」と外から檄。
  「残り時間ランパスや、やり切って終わるぞ」でさらにヒートアップ。
  雨やロースコアーのゲームや延長になれば「しめた!」もの。

 *起きろ!
  100本ダッシュや時には150本超ダッシュをすると足がつる、過呼吸など
  さまざまなことが。走り終えた後倒れ込みなぜか半笑いの顔で眠ってる。
  ある日、自転車で一人で帰るのがやばそうな者が出て車で送ることに。
  家の近くまで来たが家がわからず本人は寝込んでる「起きろ!」でもなかなか、、

 *吐くまで走れ!
  学校裏に墓地があり旧中学跡地まで「坂」が続く。ダッシュには最高の「坂」。
  本数を決めて「吐くぐらい走れ!」でノルマが終わったが「誰も吐いてない、
  やり直せ」すると墓場のそばの溝で吐く者が「バチあたり!墓の周りで吐くな」

 *整備とは居場所作り(手間をかけきれいにすると鍛練の場に愛着がわく)
  やせこけたグランド、小石が多く砂地も少なく固い。朝練整備後や休憩時間に
  石拾い(長い間やってると石が無くなり砂を拾っていたとの証言)をやる。
  鉄工所に依頼し重くて頑丈な鉄のトンボに代え整備しながら筋トレをさせる。
  トンボを押す者は(相撲の)股割りのように腰を深く落とし摺り足で下半身強化。
  引く者も時には鉄トンボに人を乗せて引き整備しながら上半身強化。

 *水抜きのチャンピオン
  グランド状態が悪いので少々の雨ですぐに水がたまる。だから「水抜き」は常。
  一致団結誰もさぼらないので「水抜き」があらゆる道具を駆使して異常に早い。
  年末に強豪高校が関東遠征帰りに練習試合にやってくるその日は薄氷が張ってる。
  スポンジを有るだけ広げ、足りない所は部室や教室からありったけの雑巾を敷く、
  それでも足りない。時間がない。すると自分のウインドブレーカーやピステを敷く。
  同時にベンチ、テント、真っ直ぐにライン。ものの見事に間に合わせた。
  2階体育教官室から進行状況を見て私も感動、少し胸が震えた。さすが!!

 *ライン一本のこだわり
  フェスティバルや大会などの会場準備、当番をよくわが校が担当にとお願いする。
  仕事をすると将来役に立つので。ある日私が到着するとまだ準備ができていない。
  主将らを呼び「何でこんなに遅いんじゃーー」「すみません、すぐにやります」
  そこへ中学校の顧問から「昨日の大会があり使ってもらおうとそのままに」
  しかし部員がライン一つ分(約5cm)内だと気づき全てを消して整備し引き直し、
  これには会場にいた先生方や大会役員らが感動されたが、うちにとってはふつう。
  ライン一つのこだわりは当然でしょ。それが仕事。社会に出て役に立つ。

 *怒ってもらえない。
  周りに見られない場所に集合し試合前の檄(ゲキ)ビンタ。
  久しぶりの食事会で「自分だけビンタされない日があり悲しかった」と語ってる。
  わめかれ怒鳴られ、メチャクチャやられた部員に「ええなあ~たるさんに本気で
  怒ってもらえて、、、」と羨ましく怒ってもらえない寂しさを口にしてましたが
  これって今の時代「体罰」ですよね。

たるさんの部屋UPしました

たるさんの部屋                H28、10、1(66歳誕生日)

週末になると各赴任高校先だったサッカー部の教え子と自宅で食事会をもっている。
この再会が今の私の「楽しみ」であり教師としての確認でもある。
久しぶりに会ってもその時、その頃、その時代に一気に戻れるのは不思議。

福崎高校に(30歳)転勤しサッカー部を持った時に決めたこと。
うまくなる、勝つ、全国出場などはモチベーションの一つにすぎない。
サッカーを通じて「自立性」「社会性」を身につけさせる。
*自立性 (1)逞しく生きる=生命力
(2)乗り越える力=忍耐
(3)はねかえす力=挑戦
*社会性 (1)人間関係でもまれて育つ。
(2)人のために(利他の精神)
そしてサッカー部のスローガンに「人のために」を掲げた。
「偽善者」「きれいごと」などと思われているかも知れないが、、、。
赴任した各高校サッカー部のスローガンにして現在も続けている。

人のために
(チーム、仲間のために)
・生きてる限りは人助け  → 何かしてあげたいと思う気持ちでワクワク生きる。
・他者、社会貢献     → 見返りを求めないでさせてもらう
・気配り         → 気配を感じ相手の思いを馳せる。
・心配り         → 心配性になるほどに相手のことで悩む。
・気遣い         → 気を使うトレーニングを習慣にする。
・人が喜ぶ顔がみたい   → 人と共に喜ぶと楽しさ倍増。
・困っている人をみたら  → ほっておけない、お節介でもいいので関わる。
・出会った全ての人に   → 感謝の「ありがとう」。出会いは奇跡。
・他人、相手の幸福を祈る → 相手は敵でない。敵など世の中にいない。
・自分のことは別にして  → 「人のために」動く、まず動く。

◇人間関係をうまくやるには上下関係、年齢、地位、立場はあるとしても
相手を尊敬、信頼して相手から学ぶ気持ちで接すれば絶対にうまくいく。

◇自分を犠牲にして「人のために」するとよくない。なぜなら、見返りやねたみ、ひがみが出て自分の
ためにしてしまうから。まずは自分が幸せになること。

◇自分が幸せになるために「居場所」を作ること。
「居場所」をきれいにして「ありがとう」を言いつづけることで「居場所」が
好きになり愛着がわく。「居場所」ができれば「人のために」できる。
※「居場所」=クラブ(部活)家庭、家族、会社、仲間、サークル、、、。

*再会して生徒たちが現役時代も卒業後も「人のために」したことをイキイキと
話してる姿を見ると嬉しい。
教師としての思い(教え)は通じていることが確認できた。
これからも「人のために」生きてくれることを念じて生徒の幸福に手を合わせる。