たるさんの部屋UPしました。

 

  あけましておめでとうございます。

  また新しい年を迎えました。
 皆様におかれましても今年も健康でどうか幸せが多くきますように、、、、

 只今(1月3日、10:00PM)です。
 津田サッカークラブ40周年記念行事とパーティーを終え帰ってきました。

 幸せな時間でした。
 午前は(ノアフットサルコート)少年たちが歓声をあげフットサルを楽しみ、
 12時には40周年セレモニーで私から挨拶を。
 少年からJrユース、社会人、津田OB、福崎高OB、琴丘高OBなど
 私の大事な宝物であるみんなの前で40年の「思い」を聞いてもらいました。
 午後はJrユースと大人たちのフットサル大会でした。
 1期生が50歳を越えました。オヤジ、いやおじいちゃんにもなっています。
 教え子たちが自分の息子たちと同じユニホームでフットサル。その光景に感動。
 息子に勝てなくなり口だけで対戦する教え子。でもいい顔しています。
 子どもたちが親を越え、後輩たちが成長していく、それが伝統かも知れません。
 久しぶりの教え子たちは子どもの頃と変わらずプレータイル、クセはそのまま。
 見ているだけで笑顔になりガキの頃の出来事が走馬灯のように蘇ります。

  「やってきてよかった、、、続けてきてよかった」

 夕方6時30分からはキャッスルホテルでパーティ。
 「還暦と退職のお祝い」で250名近い生徒らに囲まれてから4年。
 この日は津田の関係者、OBら約120名らと思い出に華を咲かせました。
 うちの家族も全員招待していただき「至福の時」を過ごさせてもらいました。
 教え子たちの母親役として津田の歴史を見守り支えてくれた嫁も満足顔。
 長女家族(娘婿はJrユースの監督/長女はジュニア、キンダーのコーチ)
 長男(16歳)は津田ジュニアとJrユース卒。次男(11歳)ジュニアの5年主将。
 二女家族(娘婿は琴丘卒で現エスト社会人/二女は津田事務局を一手に引受けてます。
 長男(4歳)と長女(2歳)は津田のキンダーコース。
 三女はなでしこのレフリー。
 樽本家も津田のメンバーのあたたかい思いの中でみんなに大事され育ってきました。

 パーティは功労賞、特別賞や懐かしいメンバーとの再会、懇親で大いに盛り上がり
 ました。

 実行委員会を何度も開き打ち合わせを繰り返し準備から当日まで細心をはらって
 完璧にしてくれました。
 津田グッズ、手作りの景品、心のこもった40周年記念誌など教え子たちに
 全てに甘えた最高のお正月でした。
 あらためてありがとう。感謝です。

   津田ファミリーばんざい、最高!!

     これからも続く「夢の循環」

 

 *立ち上げ(23歳)から10年
 「子どもが大好き」という理由だけでサッカークラブを立ち上げました。
 最初の10年はサッカー経験のない私にとって怖いもの知らずにただまっしぐら、、、
 創部3年目で兵庫県少年サッカー大会6年の部で準優勝(2期生)
 4年目も兵庫県少年サッカー大会5年の部で準優勝(4期生)
 5期生は「あわや、、、全国出場か」(全日本少年サッカー県予選準決勝でPK負け)
 7期生も姫路ではタイトル総ナメ。県大会でも大活躍「姫路に津田あり」と。

 *10周年(34歳)から~20年へ
 福崎高に転勤した30歳からは高校サッカーに没頭するあまり少年の朝練も
 土、日曜の定期練習も関わりが少なくなり津田少年の力は急激に低下。
 私の指導信条である「子どもと同じ時を同じ空間を過ごす」ことが少なくなった。
 救いは子どもたちが大人になり戻る居場所のためにたち上げた社会人チームが
 兵庫県リーグ優勝を幾度か重ねる一方全国社会人選手権に二度も出場を果たす。
 20周年直前41歳で大病を患い生死を彷徨う苦しさを味わい絶望の淵に。
 しかし教え子たち、子どもたちに支えられ何とか現場に復帰できました。
 ※「20周年記念行事」は当時Jユースカップ優勝のガンバ大阪ユースを招待。
 中心選手は全日本主将として二度のW杯出場した宮本選手であり即Jリーガー3名が
 ピッチにいるという豪華で試合内容もおもしろく多数の観客をわかせました。
 津田Jrユース(中学)は京都パープルサンガに勝利を納めるほどの力でありました。

 *20周年(44歳)から30年へ
 そして1996年その日はきました。
 私の退院祝いをと「全国クラブチーム選手権で優勝」アマチュア日本一となり
 再び生きる勇気をもらいました。
 津田少年部の主力が当時赴任していた琴丘高校サッカー部に多数入部。
 その琴丘高が兵庫県高校サッカー選手権決勝進出や近畿大会三位まで躍進をしました。
 ただその後つなぐことしかできず少年部は結果も出ずに苦しんでいましたが
 数多くの卒業生がスタッフとなり戻ってきてくれ先に何とか光が見えました。

 ※「30周年記念行事」は教え子の元リーガー、現役Jリーガー3名が華を添え
 交流戦はもちろんたくさんの催し、バザー、親子サッカー、キックターゲットなどで
 保護者もふくめ約400名近い参加者で大いに盛り上がりました。

 *30周年(54歳)から40周年(64歳)へ。
 今年はキンダー25人、ジュニア165人、Jrユース約60人、社会人約45人。
 この10年で多くの卒業生中心のスタッフの尽力で数々の栄光の誇りを獲得しました。
 全日本少年サッカー大会県予選準優勝。関西大会少年サッカー大会出場。
 近畿スポーツ少年団ではここ5年で4度の出場についに今年ついに「優勝」
 姫路市民大会「3学年制覇」の年度や40年の歴史を持つ姫路市友好リーグ戦では
 Aリーグ3~6年まで「全制覇」や「連続優勝」を続けている。まさに絶頂期。
 Jrユースも高円宮杯は姫路地区代表で県大会常連となり、
 ユースも3年間活動し姫路市民大会優勝という実績を残し役目を終えました。
 津田トップ社会人は県リーグ所属をエストレラ姫路に〔姫路にJFLと〕移行。
 そのトップは県リーグに昇格し粘り強く津田の伝統を受け継ぎ未来の少年の指針と
 なるように戦い続けていることが嬉しい限りです。

 それはスタッフ、ファミリースタッフ総勢33名の充実とスタッフが学ぼうとする
 日々の研鑽の積み重ねこそがその大きな要因だと思います。
 たくさんの「津田を愛する気持ち」のお蔭で記念すべき日を迎えられたことを
 感謝したいと思います。

 

樽さんの部屋更新しました。

〔たるさんの部屋〕      <冬の初め号>   H・26・12・11

   何か足りない、魂が伝わらない

  チームで一番大切なデシプリン(規律、約束事)もしっかりしてきた。当然挨拶も
 身形(みなり、服装、歩く姿)も。周りの評価もよくなった。
 会うたびに「市姫が変わりましたね」と声をかけられる。嬉しいことだ。
 でも何か足りない「人のために」「気づく」ことが本当にできているか?、、
 何事も「魂込めて」「一所懸命」やっているか?と言えば、、、そうでもない。
 強い相手に立ち向かう気迫、手を抜かない自分への厳しさはというと明らかにない。
 甘くずるく自分身勝手な面が多々見える。このままではこのチームも、、とその矢先
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 やはり悪い予感があたり周りの人に嫌な思いをさせたり野球部への配慮の無さが出て
 クラブがしまらない。
 ◆そこで11月12日(水)に1・5・3・本・ダ・ッ・シ・ュ・敢・行・
 俺から琴丘高サッカー部卒(152本走った、また主将クラスメンバー)にメールを
 しました。その諸先輩方からのメッセージを簡潔に。
 ・153本ですか、、、すごいですね。当時走ったことでチームが一つに結束した。
  やりとげた自信がプレーに変化した実感がありました。今後の市姫に期待。
 ・先生が市姫に行かれてまだわずか、、、記録を破るには早いのでは?(笑)
  でもやりとげた市姫部員の根性は認めます、やった者でないとわからない。
 ・先生の熱意を感じる生徒は市姫にもいると思います。将来その生徒らとエストや
  津田社会人で福崎、琴丘と同じにしてプレーを一緒にできたら最高だと思います。
  走りきった仲間として待ってます。
 ・メールを見て市姫の生徒が羨ましく、教師生活ラストの先生と一緒に過ごせる
  市姫の部員にジエラシーを感じます。
 ・ついに越えられてしまいましたか!先生の思い、熱意は市姫部員に届いていると
  思います。ひたむきに頑張る積み重ねの大切さにいつか気づき、社会人になって
  高校時代のその積み重ねが今も力となっています。
 ・僕等の記録を超えましたか~~。生徒たちは大丈夫でしたか?
  時代は変わっても先生の教えは変わらずいろんな生徒に伝わっていますね。
 ・僕等の学年はヘタくそでしたがみんなで目標に向かって走ったのは本当にかけがえ
  のない思い出となっています。
 ・社会人となった今でも仕事に行き詰まるとあの100。150。100と走った
  3日間が思い出され力になります。
  自分との闘いと仲間がいないと成しえなかった思い出が蘇ります。
 ・今までも走ったことが何度も何度も支えと自信になっています。
  きっと市姫の部員も何年か後に高校時代の思い出として気づくと思います。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ・(高砂南高吉川先生から)
  9日(日)は雨にもかかわらず相手していただきありがとうございました。
  市姫にいくたびに刺激を受けます。
  実は市姫戦の翌日やり切られた悔しさに高砂南は121本走りました。
  県選手権東播予選であと一歩で出場を逃してからチームの意識が変わりました。
  周り方々も驚いていましたし私自身もそう感じていましたが、、、
  何か足りない軸や芯になるものが「魂」が欠けているモヤモヤ感がありました。
  その思いのベースはやはり私自身が琴丘高での経験でした。その足りない「魂」を
  高砂南の部員に100、150、100の話をし、過呼吸で意識が無くなったり
  走りおえて全員がぶっ倒れたり、すごい声で仲間と励まし続けたり、当時にカゼで
  休んだ者が走れない悔しさに早朝一人で100走り放課後みんなと150走った。
  ことなどを。36歳になった今でも100本ダッシュが魂の中で生き続けてます。
  早速市姫の153本ダッシュの話を生徒にして、そして走ります。

 

 

 

〔樽さんの部屋〕               冬の初め号(その2)

     市姫路高サッカーだより・第51号・平成26年11月26日発

  (部員のレポートより抜粋)
     ◆11月12日を忘れない!!
  ーーーーーーーーーーー<部員の共通の言葉>ーーーーーーーーーーーー
   ・一体感・達成感・魂の声・一致団結・充実感・チームが一つ・自信
   ・価値観が変わった・限界を超える・思い出・やり切った感・感動・絆
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ・いろんな思いのある中での153本。今までのダッシュとは明らかに違っていた。
  大澤の声が変わっていくハルトの声も泣き声に。樽さんのいう「声を出せ」って
  言わなくてもほっといても本気になれば「魂の声」になる。その声が聞けた。
  ミネトの声にも何度も助けられた。こんな時いつも思うのがマネージャーの存在。
  水を用意してくれる、足がつって倒れたらすぐ来てくれる。声まで出してくれる。
  この4人でよかった。部員が一つの「絆」になった。こんな経験は初めて、、、
  最高の日、絶対に忘れない「11月12日」になった。
 ・播戸先輩らを超える153本。スタミナが持つか不安だったが走り始めるとそんな
  こと考えてる余裕もなくハルトが過呼吸で走れなくなったがハルトの必死な声が
  励みとなった。100本を越えてから早く感じて走り切った時なぜか泣いていた。
  今まで生きてきて達成感で泣いたのは初めての経験でした。
  全力で取り組めたのは樽さんやチームメイトのお陰です。心から感謝します。
 ・最後になるにつれドンドン声が大きくなり先生の言われていた「魂の声」に
  みんなが変わっていくのがわかりやりとげたあとの充実感でいっぱいでした。
 ・153本ダッシュしてほんとうによかった。1年生がチームに迷惑をかけて
  罰とかそういうのではなく何かやりたかった時に樽さんから告げられた時に
  「よし!やる、そして自分を変えるぞ!」ととてもやる気が満ちていました。
  50本過ぎた時に団結力が見えてきてハルトが走れなくなったがその叫ぶような声
  に勇気づけられた。あいつの分も走ろう、、、初めて人のために走った気がした。
  100本越えて魂の声が聞こえ「チーム全員が一つになれた瞬間」でした。
 ・「甘い自分から卒業したい。一本、一本、本気で絶対に先頭で走りきるぞ」と。
  最後の方は走りながら涙が流れてきました。このチームで良かった。だからこそ
  このチームでもっと上に行きたいと強く思った。走り終えて全員とハイタッチしな
  がら心が温かくなりました。苦しいことを乗り越えた「達成感」を味わえて
  気持ちが本当に良かった。
 ・過去の樽さんの教え子たち福崎、琴丘の歴史を越えることができたのは大きな自信
  となった。
  153という未知の領域で限界を越える不安の中でみんなも体中痛みで悲鳴をあげ
  ていたと思うけど隣には仲間がいる一人ではない。仲間の大切さも知った。
  走り終えて仲間と抱き合って達成感を共有できたことは言葉ではいい表しようの
  ない「感動、充実感」となった。
  先生の言われる大人になって酒を飲む時に話ができることができた。
 ・自分を変えようと走り始めたが持てる力を出す、自分が走り切ることで精一杯。
  まだまだ甘い。みんなでハイタッチして抱き合うみんなを見ていいチームだなあ。
 ・いろいろあったけど全員で153本走ってよかった。レイヤやハルトにももちろん
  助けられた。あの二人も走りたかったやろうに。
  自分としては途中で過呼吸で声が出なくなったのが心残り。
  亮君が「お前が一番長い距離走っていたな、がんばったな」と声をかけてくれた。
  人より長く走ろうと2、3歩先にゴールをしようと決めていたことを見てくれた。
  みんなに支えてもらいながら走りきれたことは自信になり「宝物」ができた。

   ・先生がよくいうやればきっといいことがある。自分で体験しないとわからないと。
  苦しいはずなのにみんなで走り終わったあとはすごく気持ちがよくやりとげた感動
  をし「これがそういうことだな」と初めてわかったような気がしています。
 ・高校生活で強烈な思い出ができた。自分にとって、とても大きなことだ。
  この思いを練習や試合で出さないと意味がない。きっとこれから頑張れる。
 ・チームを一致団結させるいい機会になった。やり終えてしんどい、疲れたという気
  持ちより達成感、やりきった感でいっぱい。
  その後の1年のミーテングで今後の決意表明をした。
  みんながもっといいチームにしたい勝ちきれるチームにという言葉が嬉しかった。
 ・私たちのせいで何も関係ない人や先輩まで苦しい思いをしなければ、、、と思うと
  とても悩みました。ふだんの100本ダッシュの時は正直「みんなの役に立ててい
  るかな?」と疑問でした。でも153本ダッシュの時はいつもより周囲の気配りに
  心がけ倒れている人がいれば真先に行くことができた。みんなの苦しそうな表情を
  見ると申し訳なくて辛くなりました。心の中で「頑張れ!」と思うがその気持ちが
  届くわけないし、、、でも終わりに近づくと勝手に「声」が出ていました。
  あんなに人に対して「頑張れーっ」と思えたのは初めてでした。
  走りきった部員さんをとてもとても尊敬するし感動をもらったし今後もこの人たち
  の役に立ちたいと思った。市姫サッカー部のマネージャーでよかった。
  樽さんが市姫の監督で本当によかった。とあらためて思える日になりました。
  1年だけの柔道場でのミーテングのあと樽さんと約束したように今まで以上に
  部員みんなを見守ります。
  樽さんの長いサッカー人生の中できっとこの部員のことが心に残ると思いますが
  「あの時のマネージャー4人はすごかった」と語ってもらえるマネージャーに
  なれるよう簡単ではないけど努力します。
 ・ハルトが倒れて抜けた時「きっとあいつも一緒に走りたいやろうな」と思うと
  「まだまだやれる、もっとがんばるぞ」と思え、枯れるくらい大声で叫ぶハルトが
  かっこうよく思えた。走り終わったあとすごく気持ちが良くみんなで支えあって
  「これがチームなんだ」と思えた。このチームでもう1回県で勝負しリベンジを
  したいと強く思った。先生が言っていた「走りきったあとの感動」というのが
  やってみて初めてわかった。
 ・絶対に何があろうが最後まで走りぬくと決めていたのに最後の最後にみんなに支え
  られる形になり情けなく思ったと同時に市姫サッカー部はほんとうにあたたかく
  良いチームであることがあらためて思いました。
 ・今までの未知の100本を過ぎてから足が重く体もきついはずなのに勝手に声が出
  てみんなの声も「力」になり走りきれた。これが先生のいう「チーム」なんだと。
 ・100本を越えてからすごかった。声はもちろんスピードも上がった。
  亮君がハルトのために「154本目行くぞ」とラスト1本。これが「チーム」
 ・ずっとケガで見学しかできないがみんなを見ることができる。
  153本走って琴丘高に負けてから練習の雰囲気が変わった。ゲームのムードが
  すごい。声の大きさ、勢い、あたりの強さ、全員が全力でやっているのがわかる。
  そしてプレーについて色々話す声も聞こえる。これを続けてほしい。
  練習もそうして意識していくときっと変われる。僕は僕にできることで頑張る。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   利他の精神、忘己利他
 自分を犠牲にしてまでも人の利益ために行動をする。
 理事長をしているエストレラの精神を市姫にも伝えたい。
 前任校琴丘高にも22年間居て伝えたつもり。姫路も捨てたもんじやない、
 それぞれが目標とポリシーを持ち姫路にはこんなチームがあると切磋琢磨したい。

 

樽さんの部屋更新しました。

たるさんの部屋                  H26、10、30

                号 外
             
    こんなことがあるのか、、、奇跡か??
    子どもがすごいことを、、、大逆転優勝!!

   「国民共済主催*兵庫県少年サッカー大会姫路予選(6年生の部)」

 ◇予選一次リーグ◇西播/白鳥/夢前/津田*2回総当たり。
  西播に0ー3で破れ白鳥戦も完全にペースを握られて先制される。チャンスが
  ないまま負ければ一次敗退という状況も考えられる中で残りわずかで追いつき
  勝点1を拾いなんとか二次リーグへ。この勝点1で救われた。

 ◇予選二次リーグ◇大塩/余部/妻鹿/水上/津田*2回総当たり。
  同リーグに大塩、余部、妻鹿など強豪がそろいどこが勝っても不思議でない。
  過去の対戦から今まで苦手意識のあった余部に3ー2、4ー2の接戦だが
  ものにできたのが大きく実力チーム大塩と引分けたものの7勝1分けで
  決勝リーグへ。この頃は子どもたちの調子もよくいい感じで戦えていた。

 ◇決勝リーグ◇ルゼル/網干/妻鹿/津田*2回総当たり。
  ルゼルには全日本少年サッカー大会予選決勝1ー2で破れ第二代表へ。
  今年のルゼルは北野コーチが手塩をかけて作られた攻守にバランスが取れた上
  個人でも姫路トレセンに最大の人数を送り込むなど能力の高い選手が数多くいる。
  あきらかに優勝候補No1。
  網干は伝統の早いプレスとゴールに向かう速さは脅威。
  あきらめない粘りも今年も健在で津田が一番苦手とするタイプ。
  もう一チームの妻鹿。スポーツ少年団県大会を津田と同じくブロック優勝を果たし
  近畿大会に出場している。
  各ポジションに好選手がいてFKなどセットプレーにも定評がある。
  ということはどうみても津田は4番手か?
  その上になんとも言えない致命的なアクシデントが起こる。
  エースストライカーでスポーツ近畿大会で総得点17点を一人叩き出した
  得点源の佐々木たかやが骨折。1ヵ月近く離脱。重苦しい雰囲気の中で始まる。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ◇決勝リーグ◇第1戦・●津田 0(0ー1、0ー0)1 ○網干
        第2戦・●津田 1(1ー0、0ー2)2 ○妻鹿

 ・第1戦、第2戦はいい内容ながらまさかの2連敗。

 ※翌日の朝練習で私から6年生へのコメント。
  (すでに県大会出場決めた4年生をお祝いをする一方で以下のように)

 「ラッキーや。トーナメントなら終わってる。2戦2勝しているルゼルとの
  2試合対戦を残している。これまたラッキー。
  台風で試合が延期になって佐々木が治る時間があるラッキー。
  2回負けたことで気が楽になり思い切りやれることもラッキー。
  そうなんや全てにラッキーなんや。
  今日からも一生懸命練習していい方に考えていたらきっといいことが起こる。
  さぁこれからドラマが始まる。奇跡の大逆転のドラマを起こそう」

 

 

 *10月13日(祝)が台風の影響で25日(土)延期となり佐々木の骨折には
  いい状況となり朝練での子どもたちもいい顔でトレーニング。奇跡を待つ。

 ◇決勝リーグ◇第3戦・○津田 6(4ー2、2ー0)2 ●妻鹿
        第4戦・○津田 2(1ー0、1ー0)0 ●ルゼル
   ・4戦終わった時点で・勝点7にルゼルと網干が並び、勝点6で津田が
    追いかけるが残り2試合とも引分けや負けは許されず勝つしか状況。

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 ◆◆◆運命の10月26日(日)

 ◇第5戦・○津田 2(0ー0、2ー1)1 ●網干
   <以下はスタッフ長谷川からの大会進行情報メールから>
 〔網干戦〕
  1ー1で「もう無理か?」という残り30秒。網干のカウンターを津田が
  カウンターで返し左サイドを突破した佐々木からのボールを左DF福本が
  ニアーに飛び込み「劇的勝利!!!」最後の最後にまたも望みをつなぐ。
  ベンチももちろん本部席も大盛り上がりし私(長谷川)も飛び出しガッツポーズ。
  エース佐々木の骨折も治りいい内容のサッカーで2勝あげて望みをつないだ。

 ◇第6戦・○津田 2(0ー1、2ー0)1 ●ルゼル
 〔ルゼル戦〕
  引き分け以下ならルゼルの優勝。
  そんな中で前半ルゼルが先制。後半に入っても時間はドンドン過ぎていく。
  「今度こそ無理か?」だが子どもたちはあきらめずにクロスに3、4人が
  ゴール前に飛び込んでいく。勝ちたい気持ちがこちらにも伝たわってくる。
  残り10分を切ったところで佐々木が抜け出し1ー1。この時点でも引分けで
  いいルゼルが断然有利。誰もがルゼルが、、、、と思う時間帯。
  子どもも楢さんをはじめベンチもあきらめていませんした。
  必死に叫ぶ「声」や戦う姿は感動的でした。
  3分を切ったその時佐々木が左サイドを突破し今度はDFの上野が押し込み
  またもまたも「劇的ゴ~~~~ル!!ゴ~~~~ル!!」
  脚本家が描いたドラマのようなこんな結末が起こるとは、、、
  劇的、感動的、ドラマチックな幕切れで県大会のキップをつかんだ。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ずっと続けてきた朝練。「努力とは決めたことを続けること」
  いろんなスタッフ、ファミリースタッフ(おとうさんスタッフ)に指導して
  もらった土日の定期練習。それに対して「感謝」を覚え仲間との協力を知り
  4年の終わりから5年にかけてさまざまないろんな困難や出来事を乗り越え、
  サッカーというスポーツがこの子たちを大人へと成長させた。

  子どもたちのあきらめない津田のスローガンである「一所けんめいひたむきに」
  がんばる姿に我々大人が感動ができことに感謝!「感謝」の言葉しかない。
  子どもたちに、心から「感動」をありがとう!!

  思い切り県大会を楽しんでこいよ。またパーティしような。

たるさんの部屋UPしました

 

〔たるさんの部屋〕      <秋の初め号>   H・26・10・15

  秋祭りの季節です。
 だが41歳厄年に大病をしてから屋台を担ぐことができず祭りには参加できません。
 悲しいかな、、毎年秋祭りの連休はサッカー三昧で寂しさをまぎらわせています。

◆4年は兵庫県少年サッカー大会姫路予選を優勝して県大会を出場決定!(11月15、16日)
◆6年は夏の終わりに近畿スポーツ少年団大会を制覇して県大会予選でベスト4に残り
 決勝リーグを戦ってます。
◆ヨッシー(吉田)率いる津田Jrユースは県中学選手権に姫路代表として出場。
 1回戦で惜しく負けましたが持っているものを十分出して引退していきました。
◆津田社会人トップは県リーグ後期なんと1引分から5連勝!3位に躍進(想定外?)

◆姫路高校は6月から真剣に高いステージをめざす気になり1、2年新チーム結成
 わずか4ヵ月足らずで兵庫県高校サッカー選手権出場を獲得できました。
 大会初日まで1週間。先日抽選会に2年ぶり出席。やはりいいものです。
 1、2年で選手権独特の雰囲気を味わうこの経験は大きいし今後の財産になります。
 初戦長田高は県リーグ常連(今年は参入戦)の実力校で相手には不足はありません。
 市姫の選手には失う物はなく持っている全て出してどのくらいできるか楽しみです。
 気持ち的には西播地区予選初戦の淳心戦や代表決定の飾磨高戦より気は楽です。
 代表決定戦の対戦校飾磨高主力の3年間の県大会出場にかける思いに負けないように
 対戦日が決まってから2週間「500本」走り込みましたが中学を出たての1年生は
 鍛えてないためボロボロの状態になりましたが苦しんで苦しんで勝ち取りました。
 今回も県大会出場決定から1回戦に向けて3週間余りで「1000本」を走りきって
 チームが「一つ」になり「やり切り(達成)感」を共有し戦いに望もうと思います。

◇まだ市姫サッカー部を指導して短いですが「たるさんイズム」を浸透させたいです。
 うまい選手やうまいチームはどこにでもワンサといます。
 強いチームは意外に少ないです。強いチームは勝つ、すなわち勝つチームが強い。
 「押していたけど、、、うちのペースやったな、、あれさえ入っていれば、、、」
 とよく耳にする。これって、、、負けている言葉(言い訳に聞こえる)だと思います。
 ジュニア(少年)やジュニアユース(中学)の育成年代と違いユース年代や大人では
 勝つことに「こだわり」を持たないとダメだと常々いや一貫して思っています。
 負けたら悔しい(品がよくないがムカツク、腹が立つ、受け入れるのに時間が、、)

◇私は少年やJrユース年代でも「負けず嫌いの子」は育てたいと思っています。
 負けて「あっけらかん」としたり淡白な子はイヤです。負けたら泣かないと、、、、
 恥ずかしいですが(まだまだ人間ができていない私)大きな大会で負けたら部屋を
 真っ暗にして泣いたり何日間も夜通し寝られずに落ち込んだりしています今も。
 「どうして一生懸命に部員ががんばっているのに勝たせてやれなかったのか?」と。
 いやどんな大会でも練習試合でも少年の試合でさえ負けたら悔しいです。
 今の市姫路高サッカー部1、2年にもこの精神(魂)を植えつけたいです。
 さわやかな挨拶を基本に、行動は「きれいで、機敏に」練習は「一所懸命ひたむき」
 をベースに「負けず魂」を浸透させたいです。相手に立ち向かう不屈の精神力を。
 試合開始からずっと競り続ける、拾い続ける、奪い続ける。絶え間なく続けること。
 あきらめない。やり続けるひっつこさ。「畜生、やったる!負けへんで」
 何点取られようが「クソー!!このまま終わらへんで... 」と。
 簡単に引き下がらず「何か」をつかんで将来の人生に役立たせたい。
 相手が「まだ向かってくるか?」と相手が弱音を吐くほどに向かっていく。

※「たるさんのチームやなぁ~」「たるさん復活やなぁ~」と思わせる戦いを
 新生姫路高サッカー部が県大会で印象づけてきます。  乞!期待を!!

 

樽さんの部屋UPしました。

 

<たるさんの部屋>                 2014’夏号

         夏休みを振り返って
             
●ジュニア(少年)
               <大山合宿>
  忘れられないのはやはり「大山合宿」熱中症の心配どころか今年は雨の連続。
  子どもたちが経験したことのない横なぐりで前さえ見えない大雨。
  そんな中でも必死に声を出し水しぶきをあげながら走りまわり、時には
  スライデング、飛び込んでヘデングなど(幸い人工芝で救われたが、、、、)
  甘く、ゆるく、がまんや辛抱なんて全くない最近の子どもたち。
  すぐに「ムリ、できへん」とあきらめてしまう。
  そういう弱い子どもにしてしまったのは我々大人(親)かも知れない。
  ふだんのわがままな生活とは一変。豪雨の3日間。きっと強烈な思い出として
  子どもたちの心に刻み込まれたと思う。この思い出こそ貴重な宝物。
  私にわめかれ「帰れ!」と怒鳴られ投げ飛ばされて(これは体罰ですね)
  その子らが泣きながらついてきた(抱きしめてやりたいくらい頑張ってきた)
  こういう役目こそが私の仕事だと毎年思っている。
  スタッフも一切手を抜かず妥協を許さない。妥協こそ子どもをダメにする。
  こうしたスタッフの頑張りと子どもとのつながりを保護者も理解していただくと
  嬉しいし安心して指導できるしやり甲斐があるものです。
  怒るだけではなく遊ぶ時も「一所懸命に」思い切り楽しむことも津田の特長。
  学年毎に用意したレクレーションの出し物で盛り上がり私と5年との「笑点」や
  たるさんスペシャルライブで事前に十分準備した手品、紙芝居は大いに沸いた。
  風呂桶がそろっている。トイレのスリッパも。食事の準備も片付けも自分たちで。
  ハッキリしたきれいな声で「挨拶」。やらさないと何もできない。やればできる。

      <朝練>と<県予選姫路リーグ>と<姫路市民大会>
  大山合宿の頑張りもそうだが夏休み6時半すぎから日々努力している成果が出て
  兵庫県大会姫路予選リーグで4、6年ともベスト4トーナメント進出を確実に。
  各招待試合でもしっかり結果を出すようになったのはその賜物であると言える。
  県大会姫路予選リーグはベストに近いメンバーで戦っているが
  9月から始まる姫路市民大会は県大会につながらないので頑張りをみせている
  メンバーにもチャンスを与えてやりたい。これも楽しみ。

      <近畿スポーツ少年団サッカー大会優勝!!>
  ここ5年のうち4回目の近畿スポーツ少年団大会出場で念願のブロック優勝。
  津田サッカークラブ創部「40周年」に華を添えてくれた
  特にエース「佐々木貴哉」がチーム総得点17点を全て決めてくれ優勝の原動力と
  なってくれた。
  佐々木貴哉は個人でもUー12ナショナルトレセン(関西地区代表)に選ばれ
  将来性を有望しされ、私の元から巣立った5人目のJリーガー誕生、いや
  播戸竜二に続く日本代表となりうる逸材かも知れない。
  みなさん方もぜひ彼を気にかけていただき見守って下さい。

●ジュニアユース(中学)
  最終目標である「高円宮杯」の姫路代表として県大会へ3チーム出場できる
  ブロック優勝まであと一歩(予選1回戦9ー0、2回戦4ー0)。
  ヨッシー(吉田)コーチが手間ヒマかけて作り上げた個人技中心の意外性のある
  中体連チームにはなかなかみられない創造性豊かでおもしろいサッカー。
  この学年は津田以外の多くの少年チームが26名も登録してくれタレント(才能)
  豊かな子どもたちも多くいる。次の6日(日)には決めてくれずはず、、、、
  そして兵庫県大会で大ブレークを期待している。

 

   ●姫路高校はいうと、、
   5月のゴールデンウィーク時の県総体が終わると3年は引退という伝統。
     (さぁこれから、、というのに勉強?を理由に、よーわからん)
   人生で一番輝く青春に「力一杯何かをやりとげ何かを得ることが大切」と思うが
   親の目(世間、周り)が怖いのかも、、、もったいないし人生やり直せないのに。
   早速5月下旬に1、2年で新チームスタート。私も姫路高校に赴任して1年少し。
   それこそフゥアーとゆったりした仲良し集団にどっぷり漬かってしまった。
   退職(65歳)まであと1年半。このままで姫路高校サッカー部を去ることは
   できない。そして最初のミーテングでは私の「負けず魂」もフツフツと蘇り
   「もっと上へ、高いステージへ行こう、出し切ろう、ついてくるか?」と。
   夏休み一気にとばそうと早めに4回目のペースメーカー交換手術を受けて
   「さぁー」と退院したものの体調が思わしくなく7月末まで再検査の繰り返し、、
   (やはり焦らずボチボチやれと神様が、、、、)
  *全国の強豪校に成長した鳥取県米子北高がお盆休みにもかかわらず
   1、2年のBチームではあるが大山合宿先にまで来ていただき対戦。が6失点。
   長いお付き合いで私の大好きな下山、田淵先生率いる岡山ファジアーノ(J2)
   ユース1年には7失点。長い間苦しんでいたが地道にチームを作られ今や兵庫の
   上位高までに成長された津田SC卒の田村先生率いる明石商業高校に実に9失点。
   余りの大量失点の負け方に笑うしかないが、、、
   「チームの初め頃はボロ負けの連続やったな、あの日があったから今がある」と
   言える日が来るように。さぁこれから、、、期待していて下さい(有言実行)
  *プロレフリー(国際審判)を始め対戦相手の監督や指導に来ていただいた方々から
   試合後生き方、考え方、サッカー論を語っていただいた。
   姫路高の良さは「いい大人」と出会えるとは話が気持ちよく聞ける、吸収できる。
   それを実践する能力が高い。そのあたりは凄いと思う。ぜひ伸ばしてやりたい。
  *9月6日(日)から始まる高校サッカー選手権西播予選。
   1、2年の新チームで県中央大会に出場できたらすっごい経験になる。
   私も32年連続県中央大会出場していたがここ2年悲しいかな、行けていない。
   ぜひ連れていってやりたいが、、、、やるのは生徒。気持ちがどこまで、、、。

 ●社会人
  ◇エストレラ姫路が県1部◇津田サッカークラブトップが県2部に所属。
   前期は中位で低迷している。優勝争いにからんでくると期待をしたいが、、、
   絶対的な練習量が足りない。練習しないで勝ってはいけない。そう甘くない。
   3年たてばチームの「柱、芯、核」が見えてくるがそれが見えない。
   走れて「本気でチームを愛し頑張れる卒業生」が戻るまで県リーグ維持して
   市リーグに落ちないレベルが精一杯のような気がする。奮起を期待したいが、、、

 ●エストレラ姫路ユース、ジュニアユース
  ◇ユースは大好きなサッカーが辞めたくなるほど苦しんだ。たび重なる惨敗で。
   でも松本先生によると「この夏死ぬほど走り込んでいる」と。そうなんです。
   私の40年の持論ですが走らないと何も始まらないし何も生まれないのです。
   苦しんだ分絶対に得るものはあるはず。まじめで一生懸命で練習を見ていても
   気持ちがいい集団。きっと努力は報われる、、、だから信じて戦ってほしい。

  ◇ジュニアユースは清水監督が徹底して個人技を焦らずじっくり指導してきた。
   それが今実ろうとして集大成へ。
   夏は東福岡高(本年度全国総体優勝校)に長期合宿を張って強化をしてきた。
   高円宮杯はシードのため県大会から出場だが久しぶりに「全国」が狙える一番に
   近い位置にいる。ぜひ期待して結果を楽しみに待っていて下さい「夢は叶う」

 

ペースメーカー交換手術を受けて
   「さぁー」と退院したものの体調が思わしくなく7月末まで再検査の繰り返し、、
   (やはり焦らずボチボチやれと神様が、、、、)
  *全国の強豪校に成長した鳥取県米子北高がお盆休みにもかかわらず
   1、2年のBチームではあるが大山合宿先にまで来ていただき対戦。が6失点。
   長いお付き合いで私の大好きな下山、田淵先生率いる岡山ファジアーノ(J2)
   ユース1年には7失点。長い間苦しんでいたが地道にチームを作られ今や兵庫の
   上位高までに成長された津田SC卒の田村先生率いる明石商業高校に実に9失点。
   余りの大量失点の負け方に笑うしかないが、、、
   「チームの初め頃はボロ負けの連続やったな、あの日があったから今がある」と
   言える日が来るように。さぁこれから、、、期待していて下さい(有言実行)
  *プロレフリー(国際審判)を始め対戦相手の監督や指導に来ていただいた方々から
   試合後生き方、考え方、サッカー論を語っていただいた。
   姫路高の良さは「いい大人」と出会えるとは話が気持ちよく聞ける、吸収できる。
   それを実践する能力が高い。そのあたりは凄いと思う。ぜひ伸ばしてやりたい。
  *9月6日(日)から始まる高校サッカー選手権西播予選。
   1、2年の新チームで県中央大会に出場できたらすっごい経験になる。
   私も32年連続県中央大会出場していたがここ2年悲しいかな、行けていない。
   ぜひ連れていってやりたいが、、、、やるのは生徒。気持ちがどこまで、、、。

 ●社会人
  ◇エストレラ姫路が県1部◇津田サッカークラブトップが県2部に所属。
   前期は中位で低迷している。優勝争いにからんでくると期待をしたいが、、、
   絶対的な練習量が足りない。練習しないで勝ってはいけない。そう甘くない。
   3年たてばチームの「柱、芯、核」が見えてくるがそれが見えない。
   走れて「本気でチームを愛し頑張れる卒業生」が戻るまで県リーグ維持して
   市リーグに落ちないレベルが精一杯のような気がする。奮起を期待したいが、、、

 ●エストレラ姫路ユース、ジュニアユース
  ◇ユースは大好きなサッカーが辞めたくなるほど苦しんだ。たび重なる惨敗で。
   でも松本先生によると「この夏死ぬほど走り込んでいる」と。そうなんです。
   私の40年の持論ですが走らないと何も始まらないし何も生まれないのです。
   苦しんだ分絶対に得るものはあるはず。まじめで一生懸命で練習を見ていても
   気持ちがいい集団。きっと努力は報われる、、、だから信じて戦ってほしい。

  ◇ジュニアユースは清水監督が徹底して個人技を焦らずじっくり指導してきた。
   それが今実ろうとして集大成へ。
   夏は東福岡高(本年度全国総体優勝校)に長期合宿を張って強化をしてきた。
   高円宮杯はシードのため県大会から出場だが久しぶりに「全国」が狙える一番に
   近い位置にいる。ぜひ期待して結果を楽しみに待っていて下さい「夢は叶う」

 

たるさんの部屋UPしました!

たるさんの部屋
               「無事帰還しました」

  いっぱいの人に気をつかわせました。無事帰ってきましたので報告を、、、

・1991年:余命を切られ生死を彷徨(さまよ)いペースメーカー埋め込み手術で
       一命を取りとめました。リハビリと長期通院を繰り返しなんとか
       生きる希望を持ち(みんなに助けられながら)今に至ってます。

・1998年:琴丘高を県高校サッカー選手権決勝へ進出させ、少し疲れが、、、
 (1回目) ペースメーカー取り替え手術で一休みまさに「充電」

・2006年:琴丘高が県高校総体決勝延長戦まで。日本代表岡崎にヘッドを決められ
 (2回目) 一方では学年主任を任され、エストレラを立ち上げ5年目で理事長へ。
       津田サッカークラブ少年部も充実しはじめこの頃姫路では敵なしに。
       カウンセリング資格試験にも合格した時期。これまた少し疲れが、、
       ペースメーカー取り替え手術で休養で心も癒し意識を改革。

・2014年:3回目で慣れたとはいえ、、、また今回はややこしく、、、
 (今回)  今は姫路高校という職場になり少しは慣れ定年(65歳)までわずか、、
       「熱くメラメラ燃える戦う魂」に火がつきそうで、そういう気持ちに
       させてくれている市姫サッカー部に何かを返さないと。。。。
       最後の高校サッカー今までにない強烈な「市姫サッカー部」誕生を
       楽しみにして待っていてください。このまま終わりませんので。。、、

◇入院手術をする1週間前の週末には
 津田ジュニアが全日本兵庫県大会予選リーグ「2勝1分」得失点差でわずかに、、、
 現場で見れずビデオで見ても強豪神戸センアーノを2ー1でリードしあとわずかで、、
 子どもも保護者もスタッフも涙、なみだ、ナミダ、、、

◇同日。まじめで一所懸命さで私に力を与えてくれてたエストユースが夢の「全国」
 をかけてヴィッセル神戸ユースに全力でぶつかるも力及ばす1ー3。

◇前日は神戸で「Fの会」という県内の指導者研修会に講師として招かれて40年間の
 「生きざま」をお話させてもらった。こんな私の話を聞いていただけるだけで、、、

◇そして退院日と翌日には津田ジュニアが昨年逃したここ5年で4回めの近畿大会出場
 (スポーツ少年団県大会ブロック優勝)を果してくれ退院祝いをしてくれた。
 さぁ、やるぞ!と元気をくれ確かに成長している子どもたちに姿に感謝。

*津田社会人もトップを中心に老体にムチ打ってがんばっている。
 今春県社会人リーグ2部昇格も前期はいい戦いはすれど結果が出ず下位に低迷。
 平均年齢が高く厳しい状況だが高年齢の者から意欲、意識が高く「有言実行」と
 しっかりトレーニングを積む姿に胸を打たれる。
 努力は「嘘」をつかないし若手、後輩たちに「誠実に生き、まじめにやる姿」を
 見せてくれ大人として男としての生き方を示してくれてのが嬉しく頼もしい。
 きっと若者たちも心が動いて「気づき」続いてくれるものと信じている。

 「津田」が40年間続いているのはきっとこういう者たちの存在があり、
 キンダーから少年、ジュニアユースなどをボランティア精神で育ててくれる
 メンバーが「人のため」にしてくれるからだと思う。

 

たるさんの部屋
               「無事帰還しました」

  いっぱいの人に気をつかわせました。無事帰ってきましたので報告を、、、

・1991年:余命を切られ生死を彷徨(さまよ)いペースメーカー埋め込み手術で
       一命を取りとめました。リハビリと長期通院を繰り返しなんとか
       生きる希望を持ち(みんなに助けられながら)今に至ってます。

・1998年:琴丘高を県高校サッカー選手権決勝へ進出させ、少し疲れが、、、
 (1回目) ペースメーカー取り替え手術で一休みまさに「充電」

・2006年:琴丘高が県高校総体決勝延長戦まで。日本代表岡崎にヘッドを決められ
 (2回目) 一方では学年主任を任され、エストレラを立ち上げ5年目で理事長へ。
       津田サッカークラブ少年部も充実しはじめこの頃姫路では敵なしに。
       カウンセリング資格試験にも合格した時期。これまた少し疲れが、、
       ペースメーカー取り替え手術で休養で心も癒し意識を改革。

・2014年:3回目で慣れたとはいえ、、、また今回はややこしく、、、
 (今回)  今は姫路高校という職場になり少しは慣れ定年(65歳)までわずか、、
       「熱くメラメラ燃える戦う魂」に火がつきそうで、そういう気持ちに
       させてくれている市姫サッカー部に何かを返さないと。。。。
       最後の高校サッカー今までにない強烈な「市姫サッカー部」誕生を
       楽しみにして待っていてください。このまま終わりませんので。。、、

◇入院手術をする1週間前の週末には
 津田ジュニアが全日本兵庫県大会予選リーグ「2勝1分」得失点差でわずかに、、、
 現場で見れずビデオで見ても強豪神戸センアーノを2ー1でリードしあとわずかで、、
 子どもも保護者もスタッフも涙、なみだ、ナミダ、、、

◇同日。まじめで一所懸命さで私に力を与えてくれてたエストユースが夢の「全国」
 をかけてヴィッセル神戸ユースに全力でぶつかるも力及ばす1ー3。

◇前日は神戸で「Fの会」という県内の指導者研修会に講師として招かれて40年間の
 「生きざま」をお話させてもらった。こんな私の話を聞いていただけるだけで、、、

◇そして退院日と翌日には津田ジュニアが昨年逃したここ5年で4回めの近畿大会出場
 (スポーツ少年団県大会ブロック優勝)を果してくれ退院祝いをしてくれた。
 さぁ、やるぞ!と元気をくれ確かに成長している子どもたちに姿に感謝。

*津田社会人もトップを中心に老体にムチ打ってがんばっている。
 今春県社会人リーグ2部昇格も前期はいい戦いはすれど結果が出ず下位に低迷。
 平均年齢が高く厳しい状況だが高年齢の者から意欲、意識が高く「有言実行」と
 しっかりトレーニングを積む姿に胸を打たれる。
 努力は「嘘」をつかないし若手、後輩たちに「誠実に生き、まじめにやる姿」を
 見せてくれ大人として男としての生き方を示してくれてのが嬉しく頼もしい。
 きっと若者たちも心が動いて「気づき」続いてくれるものと信じている。

 「津田」が40年間続いているのはきっとこういう者たちの存在があり、
 キンダーから少年、ジュニアユースなどをボランティア精神で育ててくれる
 メンバーが「人のため」にしてくれるからだと思う。

 

樽さんの部屋更新しました

「たるさんの部屋」より
                          *2014’春号(1)

  また、また悲しい報告をしなくてはなりません。
 琴丘高に残してきた教え子が5月2日に亡くなりました。まだ17歳です。

 一昨年冬に骨肉腫が見つかり1年半闘病の末、帰らぬ人となりました。
  この生徒はいつ見舞いに行っても笑顔で接してくれました。
 葬儀では最後のミーテングとして「弔辞」を読ませてもらいました。
 40年間サッカーを指導してきて一番「芯」の強い部員だったと思います。
 亡くなる前日に「なんで俺がこんな目にあわないといけないのか」
 という言葉を残したそうです。前日にです。それまで一切ぐちを言わず耐えて、、、

 何度もの苦しく抗ガン剤治療に耐えに耐えたのに効果があまりないと知らされる。
 生きるためには片足を切断しなくてはならない最悪の治療をも彼は受け入れました。
 切断後には「たるさんの前を義足を付け颯爽と歩いてみせる」と目標を決めて
 リハビリを頑張っていました。

  母と捜し当てた金沢大学病院への転院で最後の抗ガン剤治療に望みを託しましたが
 ここでも効果はなくついに医者から見放されました。
 それでも「なんで、、、ぼくが、どうして俺が」とグチ、文句を言わない。
 そして医学から別れ自宅へ戻り家族と共に戦うことにしました。
 なんとお父さんと一緒の入浴をしたそうです。
 私は会うたびに「琴丘へ戻るぞ!」「修学旅行へ行くぞ!」と檄(げき)をとばし
 「ペースメーカーを入れた俺と義足のおまえとで少年サッカー指導に回るぞ!」
 「障害者サッカーの選手になり東京でのパラリンピック出るぞ!」と無理難題を
 言い続けましたが彼は「イヤ」とも言わずに作り笑顔で答えてくれてました。
 最後の日すでに会話ができる状態ではなかったがいっぱい涙を流してくれました。
 私が行くのを待っていたかのように息を引き取りました。
 おだやかできれいな顔でした。彼の心の中そのものでした。
 よく戦ってくれました。「お疲れさま」しか言えません。
 一生記憶に残る誇りに思える強い生徒でした。

 昨年は琴丘高サッカー部卒業生が21歳で白血病で世を去りました。
 優しくて人のことばかり気にして気配りができるかわいい俊足のFWでした。
 彼は病魔を伏せて一人戦ってました。いっぱい仲間がいるのに、、、

 一昨年夏の終わり(9月始め)には当時現役の琴丘高サッカー部員が練習後に倒れ
 「生存率1割」と告げられました。まじめで誠実な練習態度と変わらず
 見舞いに行くたびに何度もあきらめない執念で持ち直し「奇跡」を信じていました。
 彼の生命力には医者も驚き、必死に頑張る姿に我々は悔し涙するしかありません
 一週間戦い続けましたが一度も意識が戻ることなく力尽きて「輝く星」となりました
 人が良くて悪口を決して言わないため誰にでも好かれるあたたかい部員でした。
 イジるとニタっと笑う可愛さにずっとそばにおいておきたい奴でした。
 葬儀は多くの部員や先輩たちみんなでお手伝いしてAKBの曲で見送りました。

 亡くなる悲しさももちろんですが家族が辛いのは子どもが忘れ去られていくことが
 一番の寂しさだそうです。

 最近は毎朝手を合わすことが増え悲しいことが数多く起こりますが
 私の役目は教え子を心にとめて語り継いでいくことだと思っています。

 

 

 

                         *2014’春号(2)

  琴丘高校から昨年転勤し姫路高校での2年めが始まりました。
 あたたかい雰囲気と挨拶、礼儀正しい校風に気持ちよく学校生活を送っています。
 姫路高の気づきも琴丘高に負けないくらいにあり自分のポリシーに合っています。

  先日も琴丘高校卒業生のいくつかのグループが姫路高校での生活を気にかけて
 「たるさん元気?」って集まってくれました。
 ここでも琴丘高校の優しさに触れあえます。
 仕事に就いた卒業生は就職の報告と同時に私から受けた授業した内容や配付した
 プリントを部屋内に貼ったり、携帯に取り込み苦しくなったら見直しているとの話に
 嬉しくありがたい気持ちにさせられます。

 今年も姫路高校には福崎高校時代の教え子の子どもが数多く入学し
 似ている顔だちや仕草を見ると教え子を思い出して思わず思い出し笑いが、、、
 「一期一会」。出会った生徒を大切にしないと、、とあらためて思います。

 今年も日々の生活は大きくはかわっていません。
 最近目覚めが早くなり5時半すぎには一日のスケジュールを確認。その日の授業内容、
 練習メニューや出会う予定の生徒や部員、人々に対しての下準備をしてます。
 6時30分すぎに家を出て津田小学校グランドでの少年の朝練へ。
 前を走っていく孫を後ろから追いかけて一日が始まります。
 少年たちはまじめにコツコツと練習を続けている成果が表れ、早速5月の
 全日本姫路地区予選を突破。来週15日(日)に全国かけて兵庫県大会があります。
 今年から地域の大会からリーグ戦を実施するよう指示がありたくさんの試合が増え
 スタッフも大変ですが子どもたちの成長のためにがんばっていきたいものです。
 子どもがたくさん経験をしそれが宝物となりその子が将来人生を幸せに送れるように
 つねに「子どもファースト」でサポートをしたい。
 とにかく子ども一番です。

 今年は勤務がない毎週木曜日には気分転換としてサッカーから少し離れて
 さまざまな所へでかけようと思っています。
 山、花や草木など自然から「癒し」をもらえるように、、、
 また木曜日の夕方からエストレラユースのナイター練習に顔を出しています。
 清水コーチが20分ほど時間をくれて40年間の実録版を伝えています。
 メニューは過去のすごい選手の高校時代や私の体験を語り継ぐことにしています。
 真剣な眼差しで聞き入れてこの子たちが必ず将来へと繋いでくれると信じて。
 一所懸命にイキイキと雑用も準備ももちろんのこと必死に練習にも打ち込む姿に
 自分自身が失いそうになっている「魂」の原点を見せてもらっています
 津田少年時代に全国をめざしずっと一緒に戦った子たちが現ユースに所属し
 少年時代津田でなくとも私が開校していた「J塾」で心を鍛えようと入塾してくれ
 交換ノートや道徳の勉強、冬合宿を共に過ごした多くの子どもたちもユースに所属。
 そのユースが今週日曜日「全国出場」をかけて関西クラブリーグ決勝戦を戦います。
 まじめにやってるエストユースを神様はきっと応援してくれると思います。
 たくさんの楽しみが週末にあってワクワクします。ありがたく幸せな毎日です。

 ユースの練習を見るたびに姫路高校へ転勤後くすぼってた闘争心がメラメラとまた
 マグマのように燃えたぎる熱いものが出始めました。抑えるのはやはりムリです。
 姫路高校サッカー部も長く指導することはなく期間限定ですが自分らしく
 「熱く戦って高校サッカーを終えよう」と決意をしているところです。
 失いかけていた大事なものに気づかしてくれたエストレラユースのナイター練習。
 また子どもたちに教えられました。感謝しなくては、、、

 

樽さんの部屋「気づき」

たるさんの部屋

       「気づき」

  また新学年が始まります。
 いい一年にしたいものです。
 イキイキと楽しく「いい顔」でサッカーに取り組む子どもたちの顔を見ると
 こちらまで嬉しくなります。
  でも子どもたちはいつもどこでも「いい顔」とは限りません。
 子どもたちは子どもたちなりに(子どもの世界)戦っています。それが学校や家庭や
 仲間の中で出てくることも理解しておかなくてはいけまんせん。
 こちらから見て「あんないい子が、、、」と思える子どもが実は学校では
 先生や友だちから嫌われる行動をしていることは多々あるということを。
 子どもたちがスタッフの前で見せる顔と違う顔なんです。
 でも決して我々スタッフに「嘘」をつこうとか「騙そう」としたのではなく
 「いい子でいたい」「好かれたい」一心なんです。
 事前情報で子どものことを知ることは大切ですが偏見や先入観は絶対いけないこと
 あり子どもが一番嫌うことです。
 甘いかも知れませんが子どものいうことを受け止めてやりたいのです。
 表面で見せないからといって疑ったり「こいつは裏では、、、、」というではなく
 見えるまま感じたままを信じて40年間教育現場にいました。
 私の教育スタンスは子どもは悪いことをするものです。でも子どもは悪い子では
 ありません。
 いつもそう思い問題行動をしてきた生徒(子ども)に生徒指導をしてきました。
 我々大人だってズルをしたり誤魔化したりこれぐらいなら?と悪いと思えることを
 やるものです。大切なことは子どもには未来があり将来大人になっていきます。
 悪いことをしたその時に向き合い、認めて直していくために寄り添い信じて
 やりたいのです。
 過去、すんだことは戻りません。大事なことは今その時と未来なんです。

 サッカーを通じて子どもたちが5年後、10年後の「夢」を子どもたちと語り
 子どもたちが目標を定めてがんばり達成感を得るためにイキイキとやり続け
 次世代を生きていくためにサポートをすることなんです。

 我々大人(スタッフ)の役割はいつもどんな時も「子どものために」なんです。
 そのために何より周りのことに気づいて全体のバランスを崩さずきちんと子どもの
 動きを見ることなんです。
 その時一人よがりの感覚でなくまたお節介にならずにさりげなくタイミングよく
 子どもに対応する力を身につけることなんです。
 実に難しいですがそれが「先生、コーチ」と呼ばれるに値する「大人」だと思います。

 上記に書いたように子どもたちが不安とイラだちに中で戦っている時に
 「頼ってもらえる」大人になるように成長したいと思っています。

 ことしは私の大好きな親友(尊敬できる)と子どものために学校作りに精力を
 尽くします。ぜひご期待下さい。

 

たるさんの部屋

<エストレラ津田サッカークラブ・ホームページ>ーたるさんの部屋ーより

    ◆平成26年2月6日(木):大阪ガーデンパレスホテルにて
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  関西地区の往年の大学、高校の監督、報道関係者の「親睦会」がありました。

  現在「静岡:時之栖(御殿場サッカー場)」GM阿部先生(元;大淀高)が

  発起人をされる第一回めにおこがましくも私も参加させていただきました。

  年齢は60歳以上。関西サッカー界ゆかりの「名伯楽」が一同に会されましたが

  やはりその輪の中心は上田先生(大商大)。上田先生ゆかりの名監督たちの

  昔話やサッカーよもやま話で花が咲きました。

  元日本代表監督加茂周(関学)さんをはじめ、28年ぶりに大学日本一に輝いた

  大体大坂本先生。私の教え子である古井が卒業後20余年携わっている京産大の

  また京都サッカー界の重鎮である田中先生。それに大経大の野路先生。

  そして本当にお世話になったびわこ成渓大松田先生(元:守山高、守山北高)。

   高校界では大御所木村先生(作陽)小阪先生(福井丸岡)増井先生(京都洛南)

  今回は事務局としてお世話になった悦勝先生(高槻南)竹内先生(大商学園)らとも

  懐かしい再会になりました。

   播戸(現:鳥栖)増川(現:神戸)らを要した琴丘時代、たびたび遠征に行った

  北陽高野々村先生には長らくのご無礼を許してもらうしかないが上田先生同様に

  繊細な気配りで快く話相手をしていただいた(恐縮の限り、、、。)

   元NHKサッカー岡田アナウンサー、高校サッカー読売TV一丁田アナウンサーや

  報道関係も含めると30名越える大先輩らとかけがえのない一日を過ごしました。

  私にとって大商大遠征に出かけ始めた30歳台半ばから40歳台後半にかけた

  あの「青春時代?」が一気に蘇ってきました。(感激、、、)

  大体大北村コーチ、時之栖;阿山(大商大OB)さんらにはまだ若い年齢にも

  かかわらず準備に奔走され今回の催しにはお心遣いをたくさんいただきました。

  こうした上田先生の信条である「出会い」に(感謝、、、)です。

  振り返ればサッカーど素人の私がこの場に居れることが「摩訶(まか)不思議!」

  ただやってきて「良かった」続けてきて「良かった」、、、とつくづく思う。。。

 

 

ーたるさんの部屋ー

 

    反省、、(後悔はしないが)、、反省、、、

   特にサッカーに関して。

   姫路のサッカーが他地域から大きく「差」をつけられ置いていかれている現実を

   目の当たりにして反省、、、出るのはため息、、、

   姫路でサッカーに関わり始め興した津田サッカークラブが今年で40年周年。

   姫路協会で技術委員長を35歳から20年間任され「何をしてきたのかなぁ~」

   自分では「姫路のため」と思いながら姫路に光が当たるように、結果を残そう、

   他地域に離されないように、、、、と焦っていたのかも知れない。

   少年期に基礎技術を徹底して身につける指導しなかったことが今となっては

   人口55万人の都市に日本で通用する選手がほんの一握りしかいない現実。

   その少年期に身体能力や縦へ早くスピードを生かしたり戦略を教えて姫路で

   勝つために。遠回りでも地道にボールがしっかり持て「奪わない技術」を教え

   周りを見ることが最優先で「奪われず見えたら」あとは子どもたちの判断や

   アイディアに任せばいいものを、、、、その技術の先に結果や勝利があるのに。

   姫路地域で「負けない、勝つ」という狭い了見が40年たった今、

   どうしようもない技術の遅れで少年たちが年齢が進むにつれ他地域へ。

   「変わろう」とにかく自分が。。。。今までやってきた業績、成績とやらは

   一応評価はしても封印して先を見よう。

   ただ救われるのは姫路には素晴らしい若い指導者やたくさんの教え子がいる。

   姫路の少年の中にもいっぱい宝石がいる。宝石を磨き輝かせるのも自分の

   「エゴ」や「こうだ!」というものに捕らわれず指導方針を思い切り

   大転換して今までとまるで違う「間逆」の発想の自分に出会いたい。

   そう考えていたお正月。偶然(必然かな?)教え子が凄い本のプレゼント。

   「教え子、生徒たちのためにも〔目を覚まして下さい〕」という言葉を添えて。

   64歳。さぁこの歳になってワクワクしてきた。新しい自分に出会えそうで、、、

   年の初めにも書いたが、もう一度「新生たるさんに」こうご期待を!!