たるさんの部屋UPしました

*津田ホームページ* 「たるさんの部屋」

NPO法人スポーツクラブエストレラ
エストパークの基礎工事が進み防柱約40本エスト「みどり色」にみんなで塗装。
徐々に進む現場11月完成が楽しみ。
今回「たるさんの部屋」はエストレラ立ち上げの経緯を掲載したい。

1996年津田SC社会人が全国クラブチーム選手権優勝(アマチュア日本一)
翌97年琴丘高サッカー部が現Jリーガー2名を擁し滝川二高と全国をかけて、、
あと一歩のように感じるが、、、姫路がサッカー後進地であることに変わらず
阪神、神戸地区どころか他地区にも置いていかれる危機感を長年持っていた。
その頃は私が高校に力を注いでいたため津田少年には指導が手薄で低迷。
白鳥(下山理事)安室(当時指導者森、清水:現エスト)が台頭し姫路をリード。
だが折角育てていただいた子どもたちが高校まで繋がらない歯がゆさを感じていた。
ジュニアユース(中学年代)を強化しないことにはその先は、、、、。
西播高校は琴丘高、飾磨高、太子高の三校が兵庫でベスト4~8あたりに位置。
琴丘高、飾磨高は交互に滝川二高に挑み決勝へ進出するが、、、、。
松本(飾磨監督;現エスト)前田(太子監督)両先生も私と同じ悩みを持っていた。
前田先生が琴丘高校赴任。私は高体連(技術委員長)の強化をするので先生には
姫路のジュニアユース、ユースの強化を図ってほしいと懇願。
前田、松本両先生は兵庫県国体監督を歴任するなど指導力はトップレベル。
お二人は設立意義やビジョン、コンセプト作りに夜を徹し丸2年かけて立ち上げへ。
設立メンバーには木村理史(飾磨高卒:現ユースコーチ)森啓三郎、清水靖志
(福崎高卒;現Jrコーチ)そこへ木村祥典(白鳥→福崎高卒:現姫路技術委員長)
中山(福崎高卒)高須(琴丘高卒)前田雅、溝口(太子高卒)らがコーチとして参加。
前田先生の行動力、発想、企画力、加えて人脈から人を動かす力はダイナミック。

※〔2000年〕エストレラ誕生
世代や国境を越えて温かい交流の場と一人一人が目標にチャレンジでき感動できる
機会に出会えるクラブライフを「ビジョン」に掲げて誕生。

〔2001年〕NPO法人化
理事長には当時姫路サッカー協会長宇野津先生に就任していただいた。
先生は生涯プレーヤーでもあり指導者でもある現場主義。気配りが素晴らしく
「たるさん、姫路のサッカーのためにいつもありがとう」と労いの声をいただいた。
市、県協会特に社会人連盟に強いパイプのある前田晋吾氏が副理事長に就任。
理事にはマーケティング、情報、リサーチなどに詳しい小野氏にアドバイスをいただき
高藤氏には「なでしこ」など女子サッカーの情報源として就任を依頼。
事務、裏方全般には藤田ルミ先生にエストを愛しむように支えていただいた。

選手たちは当初悪環境にも「明るさ」を持って「夢構想」に向かっていた。
ジュニアユースは関西大会常連の力を付け全国出場。ユースは二度も全国へ。
選手、人としてチームとしても兵庫を代表するクラブに成長していった。
チームの根幹である「利他の精神」「感謝、リスペクト」の魂は前田、松本先生の
教育のポリシーが選手に浸透している証である。

前田先生のアイデア、企画力は止まることを知らず「フランス遠征」を実現。
トップレベルの海外指導者や全国屈指の指導者を招き研修会、講習会を開催。
スポーツ探検隊では子どもに「夢」を与え、障害者スポーツ支援にも展開
それがパワーズ(知的障害者サッカー)誕生へと繋がる(福本理事監督)
総合型スポーツとしてはテニスクラブ、お散歩クラブも充実(水田理事)
健康を願う人々には健康教室(矢野さん、高田理事、久呉さんら)を開講する一方
医学講演会(中村理事:脳外科医、久呉理事:小児科医)を開催し地域貢献も実現。

エストの現場に携わることできない私はエスト誕生の年(50歳)に
自分を変えるために「カウンセラーになりたい」と老体にムチ打ち勉強を開始。
同時に「子育てママ(塾)教室」開講。白鳥FC、津田SCの保護者たちに支えられ
カウンセラーの実技として研鑽。その様子が各方面に広がりPTA、あすなろ教室、
地域教育講演会、指導者研修会や学校内の研修会講師として招かれるようになった。
資格を6年かけて修得。今は様々なユースチーム対象にメンタルセミナーを実施。

※こうした15年以上のエストレラの活動、取り組みに対しての評価結果が
toto助成金」平成28年度全国で最高額を受けることとなる。

「プロ」作るものでなく生まれるもの
〔プロ〕とは人から尊敬される人物、チームであるべきというのが私の持論。
自分の楽しみ、趣味、鍛練は自前の「会費」アマチュア精神で。
日本サッカー界のアマチュア最高峰がJFL。だからエストレラの目標はJFL。

理念は「姫路のサッカーを何とかしたい」
私はキッズ、少年、ジュニアユース、ユース、高校、社会人のカテゴリーを自ら
立ち上げ、指導し今も実践し続けている。
その時間43年余り。かけた時間と情熱は誰にも負けないつもり。
「たるさん、姫路にプロ誕生はまだか?、、、」とよく聞かれる。
私はまずはサッカーファミリー(サッカー家族)を作ること。
そのファミリーを大家族にすること。
サッカー少年の親、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、仲間、友だち
近所のおっちゃん、おばちゃんたちが「あんたらやったら応援したるで」と。
立ち居振る舞い、言葉、挨拶、「きれいな心」で町の方々との心の交流が最優先。
「魂込めて」プレーして見る側が感動していただくことで地域の方々に理解され
ファンになっていただき支援が始まってこそ〔プロ設立〕の権利が得られる。
これがないと単なるアマチュア〔プロ〕として続くわけがない。
「少ししかお金出せないけど、、、」とポケットマネーから出資してもらえる。
そんな人が徐々に徐々に増えていき「エストレラはわが町のシンボル」となると
おのずとその先は〔プロ〕へと誕生となる。
お城の石垣のように一つづつ一つづつ、丁寧に丁寧に土台から積んでいき、
世界遺産天下の名城「姫路城」がそびえ立つようにたくさんの人に支えてもらう。
決して「あわてない、あせらない、でもあきらめない」

私には2000人近い(津田、福崎、琴丘、市姫など)たるさんファミリーがいる。
教え子たちには「一生懸命にひたむきに」「人のために」と伝えてきた。
そこへエストレラも加わってくれれば5年後に1万人会員の大家族(ファミリー)に。
10年後に2万人会員、、50年、、、、ひょっとすると100年以上かかるかも。
だが何年かかろうがそんなことは問題ではない。
みんなが「夢」を受け継いでさえくれれば、、、、繋がっていく。
ヨーロッパでは人口4、5万人規模の小さな町に愛される〔プロ〕が山ほどある。
姫路もサッカー文化にしたい。まずは姫路から日本各地へ発進したい。

人と人が「」でつながると本当に強い絆になる。
退職して4ヵ月の今思うことは人とのつながりをあらためて気づかされる。
次はどんな人と、、、(ワクワクの日々)
今まで大変な苦労をされたエストレラスタッフ、関係者へ「感謝とお礼」を込めて
エストパーク建設や環境整備、組織、人の集まりなどに全力を尽くしたい。
そしてエストレラ立ち上げの「ミッション」である
サッカーを通して姫路に笑顔を増やし、姫路を愛し誇りに思える町に変えたい。

たるさんの部屋UPしました

たるさんの部屋

ゴールデンエイジ(小学高学年)

琴丘高勤務時代、平成17年からゴールデンエイジ児童対象に「J塾」を開校。
心身とも輝き成長する時期に「人間のプロめざして」月2回琴丘高サッカー部員と。
整列から「黙想!」きれいな「挨拶」から約100人が一つにランニング。
まわりからはよく「たるさん、自衛隊か!」とイヤミを言われるランニング。
決して「並べ!そろえろ、声を出せ」と訓練したり強制はしない。
走ってる前の部員を直視し列を揃え、気づき、息づかいを感じ、足音に耳を澄まし
五感を生かして「心」を一つにして走る(福崎、琴丘から市姫へと伝統に)
少年、高校関係なくグランドでは「一所懸命、ひたむきに」戦う姿勢を感じさせる
というのが目的。最後に整列、黙想!挨拶、グランド整備やトイレ掃除を学ぶ。
メンタルセミナーも不定期に開催「気づきや振り返り」を。
夏は「海体験」冬には「年末合宿」で裏山登山。寒さの中で日の出を迎える。
J塾卒業メンバーのほとんどがエストJrや津田Jrへ進む。
高校でも姫路地区で中心選手となり活躍。「J塾やってよかった」と。
残念だが姫路高校勤務中は一時中断となったが本年度「こころ塾」として復活。
津田以外の他のチームのゴールデンエイジもぜひ参加し「心の鍛練」を。
*詳細は津田HPの「こころ塾」参考に

「J塾」では交換ノートもおこない2年間で多い者で5、6冊になっていました。

 

「おかあさん特集」*J塾交換ノートから

*カレー
おかあさんが仕事から帰ってきたが、かぜひいて熱が出てねこんでしまった。
ぼくはせんたく物をとりいれてからカレーを作ろうとがんばった。
おかあさんが気がついて起きてきた。「おいしい」といってくれたけど
ぜったいにおかあさんのカレーの方がうまい。
夜ねていてもおかあさんのかぜが気になった。

*母の日
「おめでとう」といおうとしたけどおとうさんとおにいちゃんがいてはずかしいので
いえなかった。寝る前にふとんの中で「おめでとう」と言ってねたら
夢の中におかあさんが出てきた。

*ごめんね
ぼくが宿題もせずにおそくまで遊んでいておかあさんにしかられた。
「ごめんなさい」がいえずなかなかねられなかったが、おかあさんがそーっと
部屋に入ってきたのでねたふりしてたら「今日はおこってごめんね」と
頭をなでてくれた。おかあさんが部屋から出たあと「ごめんなさい」といえた。

<裏話>
この子のおかあさんが私が主宰している「子育てママ塾」に来てくれました。
「怒りすぎた、感情で怒った」と、あとで「しまった!」と思ったら
可愛い寝顔見て「ごめんね」と言って下さいっと話をしたら、
早速実行されたそうです。(いいですねぇ)

 
*J塾交換ノートでは週末おかあさんが書くコーナーがあり、以下は
心あたたまる親子のやりとりです。今もこのおかあさんと3人の子どもが
私の誕生日を祝ってくれるなど交流があり「この親ありてこの子あり」です。

<おかあさんから>
前から時々、自分でユニホームを洗ってくれていたけど
「J塾」に入ってからより一層自分で進んでユニホームを洗うようになったね。
きれいに洗えてるストッキングを見ておかあさんは涙が出ました。
一生懸命洗ったんだろうな、、、手は擦り切れていないやろうか、、、
おかあさんが洗うより数段きれいになっていたんで恥ずかしくなった。
この気持ちこれからも大切にね。

<子どもから>
けさ、4時に両親は法事で静岡へ行ってしまった。
おかあさんがいないので大いそがしでした。
おかあさんがいないと「たいへん」だと思い知らされました。
朝のうちに昨日のせんたく物を洗濯機に入れてまわして学校へ行きました。
帰って急いでせんたく物をほしました。「夜には帰るから、、」と言ってたけど
思ったよりおそく本当に忙しい一日でした。

<おかあさんから>
「家はどうなってるんだろう?」と心配でしたが、
朝ご飯をタイマーで炊いてくれたり洗濯物を干してくれてたね。
干した洗濯物を一つ一つながめながら「工夫して考えながら干したのだろうなあ」
と思いました。
残りご飯をボウルに入れてきっちりラップして冷蔵庫に入れてたのを見たときは
感動しました。おとうさんが「おかあさんいなくても大丈夫やな」って。

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ゴールデンエイジ(小学高学年)の子を持つ
*おかあさんへ*

・子どもを深く思い過ぎると苦しめるかも知れませんね(負担、プレッシャー)
・「正しい」からって子どもに何を言ってもいいはずないですね。
・「嘘」をつくの子は:いい子でいたい:親を悲しませたくないことからの嘘も。
ふだんから安心して良いことも悪いことも話せるような家庭の雰囲気作りを。
・「あんた、なんでそんな性格?」と言わないで、、、だってお母さんの子どもです。
・お母さんだからこそ、他人にわからない我が子のことを見極められます(か?)
・子どもの苦しみはお母さんの「支えと優しさ」に触れて乗り越える。
・もし自分の子どもが誰かに何かしらで「問題児」扱いされても一切気にしないで。
そう言った人(尊敬に値しない)が逃げ出すために作った言葉に過ぎないから。
そんな人や噂話、信用のおけない話で我が子を責めることは絶対にしないで下さい。

★私が生徒と向き合う時心に決めてること★
*「悪い子はいない、悪い子にする大人はいっぱいいる」
性善説とか性悪説とかの問題ではなく子どもはいいものに決まってる。
誰一人「悪いまま一生終わりたい」と思う子どもはいない。
子どもが悪いことをするのは「教師力」や「親の愛情」のお試し期間。
悪いことやってみて、その時無視したり頭ごなしに押さえ感情だけで怒ったら
(あぁ、この先生、うちの親はあかんわ、むり)と思い本格的に「ワル」に走る。

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たるさんの部屋

*雨などで体育実技ができない時に「メンタルセミナー」をよくやりました。
内容は生徒からの意見、アンケート、レポートが中心でした。
特に「最近むかつくこと、腹の立つこと」書かせるテーマにしました。

○アンケートのうちに一つ
「題:家がおもしろくない、帰りたくないと思うときは、、、」
そのうちの「ベスト5」をまとめてみると
・夫婦げんか ・家でホッとできない ・おかんのぐち
・最後まで話を聞いてくれない    ・誰のために(おまえのために)

●今回の生徒のレポート「家族をテーマ」で括ってみました、特に「母親」で。
まずは少しご紹介します。
*「ようわからんけど、、(会いたい)」
親が離婚して3年。
お母さんの手料理の味が忘れつつある。
すごくさびしい。
いっしょに暮らしているおとうさんが「最近お母さんの味ににてきた」と。
うれしいやら、、、かなしいやら、ようわからん。

 

*「抱きしめて」
おかあさんは小さい時から、なにかあると「ぎゅー」とだきしめてくれた。
大きくなって恥ずかしいから「やめて」と言っても「ぎゅー」と。
「おかあさんは、あんたをこうするのが一番好き」
最近おかあさんはおとうさんやおねえちゃんとよくケンカしている。
学校から帰ったら、せんたく物たたみながら泣いていた。
後ろから「ぎゅー」とおかあさんをだきしめた。
やっとおかあさんに返せた気がした。

 

*「いっしょにいたいのに」
おかあさんはふつうに話しててもいつの間にか説教にかわる。
「いつまでも、そうしとらんと二階へ上がって勉強しぃ」
もう少しいておかあさんと話ししたいのに。
だんだん最近いっしょにいたいと思わなんようになってきた。
「はよ、帰ってきぃ」と言われるけど寄り道したくなる。
こんな気持ちおかあさんはわからへんやろうな。高校になって必要なこと以外
話さんようになってすぐに自分の部屋へ上がる。でも一人はさびしい。

 

*「おはよう」
おかあさんは、朝「おはよう!」ってどんな時も明るい声で。
家を出る時は「いってらっしゃーい」と大声で。高校生になり近所に恥ずかしい。
今日も「寒いけど、がんばれー」って手を振って。
「しんどいなぁ、行きたくないなぁ」と思うけど背中を後押しくれる。
返事はしないけど、私の気持ちはわかってくれてるよね。
私の夢は恥ずかしくて言えないけどおかあさんみたいになること。

 

*「大切なもの」
私の家は自営業です。
おかあさんはおとうさんの仕事を手伝っています。
働くだけでもたいへんなのに家事を絶対に手を抜きません。
どんなに疲れていても手作りで食事を作り洗濯機をまわし掃除機かけて。
「今日は何かあったん?」といつも私の話を聞いてくれるし
特に「今日は学校でたるさんどんな話したん?」と聞いてきます。

ダメなことをしたら真剣に本気で怒ってくれます。
でも「あぁしろ、こうしろ」と命令されたことがない。家事を手伝おうとすると
「これはおかあさんの仕事、気ぃ使わんとき」といつも返してくる。
おかあさんのそばにいたいのに。
おかあさんは幼い頃に両親と死に別れ「おとうさんと出会ったから
今の幸せがあり、あこがれの家庭というものができた」と。
おかあさんは「私の一番大事なものはおとうさんとあんたらやで」が口癖。
たるさんに「会いたいわ」っておかあさんが。。。

 

*「いつまでも」
恥ずかしいけど、時々おかあさんと寝ています。やっぱし落ちつく。
ただ一緒に寝てるだけやど、その時間がサイコー。

 

*「家族会議」
兄弟けんかして、そのせいでおとうさんとおかあさんが大げんか。
おかあさんが「私は家を出る」。
泣きながら兄弟でおかあさんを止めた夜。みんなの思いやふだん言えなかった
ことをいっぱい兄弟で話して、おとうさんとおかあさんに聞いてもらった。
おとうさんとおかあさんも泣きながら黙って聞いてくれた。
おかあさんが「冗談でも家を出るって言ってごめん。私は絶対にあんたらとおる」
その日以来家族が一つにまとまった気がする。その日が今までで一番。

 

*「特効薬」
最近のおかあさんとのベストディ。
ちょっと前、熱だして学校休んだ。おかあさんは仕事休んでそばに一日いてくれた。
「大丈夫?何か飲む?食べれる?」ずっと気にかけそばにいてくれた。
久しぶりにおかあさんに甘えられた。おかあさんの「大丈夫?」が一番の薬。

 

*「おかえりー」
私が帰ってもみんな仕事やから「おかえりー」って言ってくれる人はいない。
おかあさんが仕事がなく休みの日は「おかえりー」って言ってくれるので嬉しい。
朝「おかあさんな、今日休みやで」って聞いた日は帰るのが楽しい。

 

*「バースディーケーキ」
誕生日の朝、わざわざ「もう大きくなったんやからケーキ買ってこんからな」と。
家に帰って冷蔵庫開けると「おめでとう」とプレートに書いてあるイチゴのケーキ。
いっつもこうしてしぉーもないことするんやから。でも大好きや。

 

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たるさんの部屋      「生徒という名の先生」
ーー「母親特集「笑顔」その1」ーー

高校時代の教え子「A子」との出会い。
A子が中学2年生。母親が4人の子どもを残してこの世を、、、、
それから年老いた祖母とともに幼い3人の弟の母親代わりをして家族を支える。
なのに不幸に不幸が重なり今度は父親の仕事中に大事故が襲い下半身不随になり
長期のリハビリ入院を余儀なくされる。

そんな中でもA子は学校生活を誠実に過ごし一度家へ帰宅して夕飯の用意をして
再びクラブ活動に参加しその上生徒会活動もこなしていた。

「A子」との交換ノートの一節です。
私はもっと年をとりたいです。
弟たちよりもっともっと年が離れていたら、、、とよく思います。
でもいくら努力しても母親にはなれないんです。姉でしか。それが悔しいです。
弟たちの前ではしんどそうな顔や暗そうにはしないと心がけています。
学校でいろいろあってもできるだけ笑顔でいます。
私が疲れた顔やイヤそうな顔をすれば弟たちは不安に感じるからです。
長男(B男)の高校の入学式と三男(D男)の入園式は同じ日でしたが両方
出てきましたよ。
日曜日は(D男)の運動会でした。(D男)の好きなエビフライを弁当に入れて
親子の演技も一緒にやりました。添い寝もします。
二男(C男)の野球部のユニホームに背番号を縫い付けました。
やっとレギュラーになりました。いつも2人の弟の弁当は入れます。

(B男)も(C男)も時間があれば(D男)と一緒にお風呂に入ってくれます。
できるだけ兄弟力を合わせておばあちゃんを助けます。
ところでたるさん。話は変わりますが私は私自身の中に「甘え」がなくなると
どれだけ「楽」になるかとよく思います。もっと強くなりたいんです。
高校から行った「勉強合宿」みんな「おもんない、しんどい、はよ帰りたい」と、
ずっと言ってました。
でも私はもっともっといたかった。弟やおばあちゃんには悪いけど、、、
勉強ができる、家事をしなくていい、ご飯の準備や献立を考えなくてすむ。
自分のことができる時間が貴重であり、ありがたかった。
早く30歳ぐらいになり看護婦として働きおとうさんのそばにいてやりたい。
そして弟たちの成長がみたい、だから時が早くすぎてほしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*交換ノートの冒頭「A子」の言葉
たるさん。このノートには私の「ぐち」を書いてええやろうか、、、
親や家族の文句、「ぐち」言える(相手がある)って幸せやなぁ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「A子」との交換ノートは3冊続き、何度涙して読んだかわかりません。
当時私は30歳半ば教師力の乏しい頃。この交換ノートで何度も救われました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「A子」は私のクラスでも学年でもなく生徒会の美化部長として清掃点検し
得点化して優秀クラスを表彰をするというシステムを決めて実施した生徒。
完璧オール100点をめざした私はある日「96点」という点数に激怒して
納得できず生徒会室へ。
「A子」:「ゴミ箱にメモ用紙が丸めて捨ててあった」私:「自分で確認した
掃除後確認し生徒会が点検見回りの間に誰かが捨てた、、」とひつこく文句。
「A子」は泣きだしたが(大人げない)、そのあと「A子」:「ここまで
必死にいう先生おらんわ」と。そこから交流が生まれ交換ノートへと。

 
ーー「母親特集「笑顔」その2」ーー

少年や高校の朝練がない時や早く終わった時は天気が良ければ廊下の窓や
教室のカーテンも窓も開ける。教室は「きれいに」というのが私のポリシー。
黒板やごみ箱を確認し、後ろの黒板の落書き(ほとんどないが)を消して
掲示物は4スミきちんと止める。ようするに「きれいに」して生徒を迎える。

早く学校に着く生徒もいて一緒にきれいにする。それがクラスに広まっていく。
その中にいつも「笑顔」で迎えてくれる生徒〔A子〕がいた。
朝から気持ちのいい「笑顔」での挨拶。いつもどんな時もサイコーの「笑顔」

*卒業式〔A子〕からの手紙

私はたるさんがいうほどがんばっていなかったですよ。
でも「笑顔」でいることは少しは気をつけていました。
「笑顔」でいないと「大丈夫」と言っていないとまわりのみんなが心配するから。
私はみんなに心配されるとどこまでも甘えてしまうから。
でも、こうしてたるさんに手紙を書いてる時点で甘えてますが、、、

たるさんは悲しく辛いのに、、、と書いてくれたけど私よりずっと辛いのは
おかあさんだから。病気に負けないで笑顔で頑張ってるのはおかあさんだから。
おかあさんは本当は辛いはずなのに「ありがとう、おかあさんは幸せだよ」
暗くなるはずなのに「ありがとう、こうして〔A子〕や家族といて幸せだよ」

だからお葬式で別れる時も笑顔で送りました。
おかあさんの手を握り「おかあさん大丈夫!私は大丈夫だからね」と。
それは自分に言い聞かせていたかも知れません。
でもそれはそれでよかったと思っています。
だっておかあさんの子どもだしそうすることでおかあさんが喜んでくれるから。

でもうまくいきません。悲しいです、耐えても次々悲しい波がやってきます。
いつもいた場所におかあさんがいません。「ただいま、、、」と帰っても。
優しい妹が大ピンチです。いくら私ががんばっても妹の母親にはなれません。
悔しいですがおかあさんの存在は大きくおかあさんの代わりはできません。

たるさんはよく「〔A子〕らしさを大事にしろよ」と言ってくれたけど
「私らしさ」ってどういうことかまだわからないけどおかあさんと行った大好きな
場所で短大生活を過ごしてみます。
長々とすみません。返事はいいですよ。誰かに聞いてほしくて書いてみました。
3年間ほんとうにお世話になりました。
たるさんも病気なのだから無理をせず多くの生徒やみんなを悲しませないように。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
〔A子〕が朝早く来ていたのは遠い所から本数の少ないバス通学のため。
高校を選んだのはおかあさんが入院している病院が近いから。
行きも帰りも病院でおかあさんの看病し身の回りのお世話を。
家へ帰っては家事仕事を。でも毎日「笑顔」。
お通夜当日も目を真っ赤にしても「笑顔」(泣くだけ泣いたらいいのに)

おかあさんは〔A子〕に「笑顔」という遺産、財産、宝物を残しました。
〔A子〕の「笑顔」が今もよく出てきます。「ありがとう」と手を合わします。
〔A子〕は元気かな?きっとあの「笑顔」で周りを幸せにしていると思います。

 

ーー「母親特集「心配性」」ーー

〔A男〕の反省文

さきほどはすみませんでした。
たるさんは一言も僕に怒らずに(※)「言いたい」こと言って出たけど
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(※)私の言った「言いたい」こととは、、、
俺な(私)、つい最近おかん亡くしたんや(H16、冬)
俺のおかんは心配性でずっとイチイチ何か言ってくる、口うるさいし。
この年(50歳半ば)になっても〔素直〕になれずおかんに文句ばかり言うとった。
でもな、おかん亡くして、子どもの親になってわかったことがいっぱいある。
今朝もな、小学生がまだ暗い中、ランドセルの上にサッカーバッグ背負って
寒いのに白い息を手に吹きかけ6時半ごろ子どもが朝練に向かってるんや。
「たるさん、おはようございますー」と明るく元気な挨拶してくれる。
遅刻した子どもが走って来て「遅れてすみません」と実に〔素直〕に頭を下げる
そんな〔素直〕な子どもにグチグチ怒れると思うか?

朝練が終わって車に乗って行こうとしたら「たるさん、いってらっしゃーーぃ」
おかん亡くして落ち込んでいても子どもに元気と勇気をもらうわ。
俺が子ども、学生時代はこんなに〔素直〕じゃなかった。今は恥ずかしく思う。
〔素直〕になってたらどれでけ「楽」か。
「おかん、悪かった。ごめんな、ありがとうな」と今なら言えるわ。遅いけどな。
〔A男〕がなんで怒られたか知らんが、これがつい最近のたるさんの出来事や。
子どもから教えられるわ。ええ年してオヤジぶっても先生ぶってもあかんな。
書きたくなったら書いて、書きたくなかったらそのまま教室へ行けな。

ーーーーーーーーーーー〔A男〕の反省文(続き)ーーーーーーーーーーー

少し落ちついたので書きます。

最近、家でおかんにぐじぐじ文句を多く言われる。
心配してくれるのはわかるけど、、、毎日や。
昨日はオヤジに言いつけて、なにもわからないくせにオヤジにわめかれた。
あまり腹がたったのでオヤジに言い返したら。つかみ合いになった。
ムカついて家をとび出して友だちの所へ行って夜遅く帰った。

朝学校へ行こうとしたら、またおかんに見つかり、おかんは泣きながら
「おとうさんになんてことするん」「あんたを心配してるから言ってるのに」
僕は「もう、どうでもええ、、、」と思って家を出た。
行く途中、○○高校のやつと自転車でぶつかりそうになりメンチ切られた。
遅刻して学校に来たけど鑑札がついてない違う自転車乗ってきたから
違う置き場所に止めようとして見つかって怒られた。
ムカついてたから「素直」になれず謝れへんかったから怒られた。
遅刻届けもらいに職員室に行こうとしたらたるさんに会った。
今日帰っておかんになんとかがんばってあやまってみます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当日遠くから〔A〕の行動、叱られてる様子を見てて
「たぶん、こういうことかな?」と思って自分の最近の様子を話してみたら
ドン、ピシャ、あたってた(ビンゴ!)。
次の朝、校門当番で立っていたら〔A〕がやってきた。
いつもより明るく見えたけど、、、おかんに「あやまれたかな?」

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たるさんの部屋
(久しぶり)昭和の良き匂い

今回は「出会った生徒」ではなく、お話していて久しぶりにワクワクする
昭和の良き匂いがプンプンとする同世代(同年代)人物お二人を紹介します。

学生(日体大)時代。健さん(高倉)文太さん(菅原)を観て映画館を出ると
なぜか?背筋が伸び「正義」「義理や人情」が生まれ「男」になれる瞬間でした。
昭和40年半ば。世はまだ暗い時代でしたが戦後復興の兆しも見え将来が明るく
希望が持てそうな時代でもありました。
大学で出会い、同じ職(教員)に就いたすごい同志(F)と出会い今もつながっています。
当時は学校紛争がまだ色濃く残る難しい教育界でした。
(F)とは「生徒中心」に考え、共に悩み、時には体制に歯向かったものでした。
教育について夜を徹して語り、それを形にし行動し実践した大親友です。
私は(F)を人生で只一人尊敬ができ、教師としても「師匠」であると思っています。
退職後も共に進むべき道は変わらず未来の子どものために「夢」に向かってます。

ここからは失礼であり、該当の職業に関わる人々にはたいへん申し訳ない
文章ですが、どうかお許しいただき本音を書かせてもらいます。

私の嫌いな体質はお役所仕事。行政。教師を含めた公務員です。
「慣例に従い」「前例がない」「それは無理」という言葉が飛び交う職場。
やれるやろ!!」「ただやるか?やらないか?」だけでしょ。と言いたい。
上の顔色を見る。会議のための資料やデータ作りに時間を割き、つねに机上の空論。
面倒な問題が起これば逃げ、社会や生徒側や保護者、他の部署のせいにする。
教師(公務員)は現場主義。生徒といてナンボ、グランドに立ってナンボです。
起きた事はメモして整理。生徒との交換ノートで情報を得て互いに信頼関係を構築。
眠れないほど悩み、考えては書き、書いては消し、、、、。決めたら「やる!
(30歳台はほぼ3、4時間睡眠。その結果は死に直面する難病になったが、、)
人間相手だから予定や計画通りいかずハプニングだらけ。ほぼうまくはいかない。
だからおもしろい。うまくいかないからこそ悩み、考え、工夫するものです。
意味なく、何をするかわからないのが生徒。それが子どもなんです。
子どもをバカにしてはいけません。子どもは(損得抜きの)「純粋」だからです。
「純粋」だからこそ全力で真っ正面からぶつかれば受け入れてくれます。
いろんな生徒が(私と同じ匂いが)いるから学校っておもしろいんです。
停学が解除した自分のクラスかクラブの生徒とは、うちで一晩過ごします。
一緒に食事をして時には泊まり起こした事件の背景や家庭環境、友人関係を把握、
「今後はどうするか?」本音を聞かないことには「謹慎解除」とはいえないんです。
こんな私が無事?(クビにならず処分も受けず)退職できたのが不思議です。

6月ある日。グランド、自然パーク建設「地鎮祭」出席の依頼で地元、地域を
回っている時にCゴルフ場のA社長と出会いました。
大親友に出会った以降、団塊世代ではいい人物に会えないまま時が過ぎていました。
久しぶりにA社長は同年代、同期で「男気(おとこぎ)」の匂いがしました。
だがA社長は元役所の局長クラス人物で私の大嫌いな職業の方。
最初は??、、(すみません私の悪いところで先入観、固定観念でみてしまう)
だが話出し出すとおもしろい。挨拶かねて30分面会の約束が、、、なんと2時間。
どんどん二人の間での「人のつながり」が広がる。卒業生の驚きの話から
姫路の浜手育ちから、生い立ち、しがらみまで。話は尽きない。
A社長の市民のために敢えて嫌われ役の仕事を引受けやろうとする心意気がいい。
人に押しつける前に自ら先に身を切る「改革断行」(世の政治家よ、よく聞け!)
初めて会った私にA社長がぜひ紹介したいと人がいると。この社長の紹介なら、、。

 

その人なりは行政の元ナンバー2。姫路市まちづくり振興機構のトップN氏。
A社長の紹介なのでお役所仕事の「先入観」でみることだけはよそうと、、、。
約30分の面会時間。会ってほんの5~6分。A社長が言われたように「いい男」
N氏の心の裏側がわかり読める。互いに同じ感覚で響き匂う、腹立ちまで同じ。
乾いたスポンジの如く吸収して私の中へ話が入ってくる。
初めて会った気がしない。
固いイメージの行政トップがこんなに人間臭く、昭和(任侠)の匂いが。
体育会系。今や死語となりつつある「辛抱、忍耐、我慢」と「根性」をベースに
「やったらんかぇ!やってみなわかるかい!」という「魂」の持ち主。
互いに交わす言葉は「もっと早く出会いたかったなぁ」
でも、今なんです。これからなんです。
N氏とポジションこそ違いますが私は現場で残る人生
「夢のある姫路のまちづくり」のために一緒にやっていきたいと思いました。
2時にお会いして帰る時は〔あっ〕という間に時は5時になっていました。
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◆姫路市まちづくり振興機構のメールシステムによって送信された文です。
・・件名ー   C理事長からのメッセージ

<情熱と信念>
先日、久しぶりに「情熱と信念」を持った人物の訪問を受けた。
NPO法人「スポーツクラブ・エストレラ」のT氏である。
聞くところによると23歳で少年サッカーチームを立ち上げ、F高校やK高校の
教師時代には想像を絶する熱血指導で「Jリーガーや日本代表」まで育てた人物で
ある。感動したのはサッカー経験のない彼が常に講習に参加し積極的に先輩から
指導を仰ぎながらスキルアップしレベルの低い姫路地区から「全国出場」の目標を
かかげついに「アマチュア日本一」を実現したことにある。

また現在は「禍」あってペースメーカーを埋め込みながらもNPO法人を仲間と
立ち上げ大塩地区を拠点に「大きな夢」に向かって歩み続けていることである。
65歳になった現在、監督時代に培ったネットワークなどにより行政に頼らず
自力で「toto(サッカーくじ)」から助成を受けてグランド整備を始めている
と聞いた。その行動力たるや姫路市にとってもサッカー界にとっても貴重な人財
あると思う。
その熱い思いをぜひ姫路市長の前で語ってほしいと願い先週機会を作らせてもらった。
今後、姫路市と「スポーツクラブ・エストレラ」の「隙間」を埋める必要があれば
当機構も積極的に関わっていきたい。

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「裏話」
市長に面会前にN氏に事前に会って打ち合わせをお願いしたところ。
N氏:「そんなことを気にするなんて樽本さんらしくない。
この前私に話したとおり熱い思いと信念を市長に話せばいい」
「樽本さんの熱い思いが気にいって市長とコンタクト取ったのだから。。。
夢、ビジョンを思いのまま語ればいい」と。

ありがたい言葉です。

15年間一緒にやってきたエストレラの仲間の「夢の思い」を「魂込めて」
姫路市長に語ってきました。

たるさんの部屋UPしました

たるさんの部屋

カウンセリングの技法「傾聴」

門を開けて耳を澄まして人の話を「聞く」
耳へんに十四の心と書いて「聴く」

相手(生徒)がどんな思いで話をしているか、、、しゃべっている内容もしかり
その思いの裏側は?心とはうらはらに、うまくしゃべれずに思いと違うことを言って
ないか?それこそ一つの話に十四通りの思いで「聴く」こと。
それを心して人と接して対応している。それが、、、

 

出会った生徒その(3)

「技法」なんかくそくらえ、、こっぱみじん、、、

〔A子〕はハキハキと明るく活動的。典型的な体育委員。
実際体育も安心して任せられて「集合!」で始まり「準備体操」ももう完璧。

その〔A子〕が二人きりで話がしたいと(教師と生徒が密室で二人きりでの会話は
原則禁止)でもそんなことは言ってられないことも多々あるもの。

体育館の西北側にある階段で。昼御飯終えて12時35分に会う約束。
話始めた〔A子〕。私はいつもの様に十四の心で、、、がしかし、、、
話の内容がきつい。「ええっ!!こんなことがこの子に起きていたとは、、、」
今までの長い教員生活で大概の経験をして少しのことでは驚かない私だが、、、

それはない。そんな大人が〔A子〕の周りにいるなんて、ましては肉親の中に、、、
話はじめてすぐに聞き入り、のめり込み、あまりにも〔A子〕が不びんで哀れで
涙が止まらない。止まらないどころか溢れ出てくる。。。
その時昼休み終了1時のチャイムが、、、、、
〔A子〕の心の奥にある叫び、魂に対して
私は一言も発せずに泣いているだけの25分間であった。
〔A子〕は立ち上がって
「たるさん、午後の授業が始まるから私行くな、ありがとう、聞いてくれて」

その後の〔A子〕は
いつも通りの明るく活発なまま。そのことに触れることもなく、、、
卒業式前日〔A子〕からの手紙が、、、
「たるさん、ありがとう。あの日はほんとうにうれしかった。親にも言えず
もちろん他の人や友だちにも言えなかった。
誰にも言えないことをたるさんに言えた。
たるさんは私に「ごめん、何も言えず、してやれず」と言ってくれたけど、、、
聞いてくれるだけでよかったんやで。
自分でがんばらなあかんことはわかっていたけど、、、
ただ聞いてほしかったんや。
明日から卒業やけどがんばれそうな気がする。ほんまにありがとう。」

カウンセリングの技法なんか全く通用せず。
〔A子〕どうしてるかな?幸せかな?

 
◆出会った生徒その(4)

「向き合ってるか!?」
〔A子〕は吹奏楽部。
進路希望は保育士か介護福祉士。
理由はおかあさんが少し耳が不自由でそばで助けることができたら、、、と
いうことでした。
〔A子家」は手話でなく学校や出掛ける時は向かい合ってゆっくりと
「い・っ・て・き・ま・す」帰るとまた向き合って「た・だ・い・ま」との約束。

おかあさんは〔A子〕の定期演奏会やコンサートによく行くそうです。
「今日はよかったで!」「今日はいまいちかな?」と感想を言うそうです。

私のバカな質問「えぇ、聞こえるの?」
「お・は・よ・う」から「お・や・す・み」まで一日に何度も向き合い我が子の
心情を察し喜怒哀楽を感じ取り、演奏中も楽しそうか乗っているか弾んでるか
読み取っておられるのでしょうね。

では我々はどうしてるのでしょう?
一日、いや何日も会話がない。帰ってきても別々に食事し自分の部屋に入り
携帯で過ごす。まるでホテル家族。
いつゆっくりと親子が、家族が、向かい合ったのでしょうか?

子どもの頃、早く伝えたくて喜び勇んで靴を脱ぎ捨てて
「なぁなぁ、おかあさん~聞いてぇー」と帰ってもおかあさんは仕事で不在。
居たとしても「もう、忙しいのに、、、あとにして」
抱っこして膝に乗せて今、今聞いてほしいのに。あとで聞いてくれたこともなく。。。

親に言っても聞いてはくれないと育った子どもはあきらめだんだん無口に。
子どもが成長し思春期になると親が急に「非行に走るとまずい」とあれこれと
(親の都合、タイミングで)聞きはじめるが子どもの反応は冷たく覚めてきてる。
「めんどう臭い、ほっといてくれ、うざいんじゃ、顔も見たくない」ってことに。
それでも「これだけ心配してるのに、、、」とひつこく、何度も何度も、、、
あげくは事情をしらない父親までがそんな時だけ「オヤジずら」して参戦。
子どもの態度に感情的になり「言ってはいけない禁句を」やってはいけない体罰も。

神様は人間に口は一つだが耳を二つも与えてくれたのに。
(しゃべることより2倍聴くようにしてくれているのに、、)
「あ~ぁ言い過ぎた」「また言ってしまった、言わなければよかった、、」と親。
「あの一言で。この親はあかんと思った」と子ども。
*言い過ぎて反省する話はあっても*聞きすぎて反省したって聞いたことないけど。

〔A子親子〕はどうしてるかな?、、おかあさんこそ「母の原点」ですね。
最高のカウンセラーです。

樽さんの部屋リニューアルしました!

たるさんの部屋
リニューアル!!

たるさんの部屋の内容を変えますね。
今は退職後、夢実現(エストパーク建設)に向かう一方で
時間があれば43年間を振り返り整理してます。
出会った生徒の話(実録)を書こうと思います。
その時々出会った生徒の手紙、メモ、整理ノートを見て思い起こしながら。
プライバシーもあり該当生徒には了解をもらうと同時に個人的な問題の部分は
一部変えていますのでご了承下さい。

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◇第1回目として2題
30歳台。教師力がなく、いつもこれでいいのか?こんな教師でいいのか?
悩んでなかなか寝つかれず、その日の「出来事メモ」もネガティブなことばかり
今読み返しても「暗いなぁ~」と思えることばかり。
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◆その(1) 「最高のラーメン」
クラブ(サッカー)を終えて夜8時に〔A〕の家庭訪問が予定に入ってます。
問題行動を2回起こして無期家庭謹慎の〔A〕が私を待っています。
(*謹慎中の生徒への家庭訪問は時間が許す限りほぼ毎日行くのが私の方針)
ところが腹が減って減って。〔A〕の家に近づくと最近出来たであろう新装の
「ラーメン屋」が気になっていました。
〔A〕の家に到着すると玄関先に正座をして(正座の強要はしてませんよ)
反省文と課題のノルマを前に置いて待っていました。
いつもおばあちゃんが迎えてくれます。
(*理由は詳しく書けませんが家庭の事情で両親は不在)
〔A〕に「おい、○○○(愛称)俺、腹減ったわ、そこのラーメン食べにいこー」
「どうせ、晩めし食べてないやろ、、、おばあちゃんも誘えや、、、」
さすがにおばあちゃんは遠慮されて二人でラーメン屋へ。
ラーメンを食べ始めると感じの悪い音が横でズルズル、、、ズルズルと。
「汚い食べ方する奴やなぁ~~」と見ると、ラーメンをすする音に混じって
涙と鼻水があふれ、それを見た私ももらい泣き。二人そろってズルズルと汚く、、、。
その間一言も話をすることもなく食べ終えてラーメン屋を出る。
車の中で〔A〕は一言。
「たるさん、俺がんばるわ。絶対にもうちゃんとやる!」
それだけで十分に気持ちが伝わってきた。もうこいつは大丈夫と確信。
教師づらして説教や説諭なんかいらないし、もちろんいい言葉など浮かばない。
反省文と課題をチエックして帰ろうとすると
「たるさん、ラーメンめちゃくちゃ美味しかったです。ありがとうございました」
ーーーーあれから30年近くがすぎたーーー
久しぶりに会った〔A〕も50歳に近づいた。
再会で言った私の言葉「おい、○○○(愛称)、ラーメン代450円返せや」(笑)
お互い、その一言だけで高校時代が一気に蘇りました。

 

◆その(2) 「おまえは俺の先生か!?」
〔A子〕はクラブB部のマネージャー。クラスの副委員長。人望は厚く仕事ができ
責任感があり高校生と思えない落ち着き。「ふわっ」とした日本の母という
雰囲気(ごめんなぁ、これたるさんのほめ言葉ですので気を悪くしないで)
家庭の事情から家から通える地元企業への就職希望。
推薦書も書きたいことがいっぱいありワクワクしながら合格を念じつつ思いを込めて。
午前中に入社試験のあと報告のため体育教官室にやってきた。
しかし一瞬〔A子〕が普段なかなか見せない不安そうな顔。そこで
私 :「何かあった、できなかった?」
A子:「試験はできたけど、面接が、、、」
私: 「どうしたん?」
A子:「家族のこと聞かれた、、」
私: 「えぇーツ!!」怒り、むかつき、腹立ち。
私はすぐに体育教官室を飛び出し進路指導室へ。だが担当の先生は不在。
次に校長室へ移動しようとした時
私の異変を感じたA子は追いかけてきて校長室の前で私をつかまえ
A子:「たるさん、どこへ行くん??」
私 :「もちろん受けた会社や!おかしいやろ、その面接って(怒)」
A子:「ええんや、たるさん。そんな会社なら合格してもきっと辞めることになる。
今わかって良かったんや、そんなとこへはいかへんから」
その言葉に 私、意気消沈
*以前A子はおばあちゃんと三者面談へやってきました。手を引いて。
その面談で私もおばあちゃんのこと大好きになっていました。

A子の「残念会」(祝賀会?)とおばあちゃんの「バースディ」をうちで計画。
おばあちゃんをサプライズで招待し、樽本家みんなで「誕生会」を楽しみました。
A子はその後も勉強をやり続け「公務員」に見事合格しました。
その変な面接のおかげで地元で「公務員」仕事となりました。めでたしめでたし。
「さすが!A子」というか、まるでA子は私の先生、進路指導、人生の師匠です。

 

たるさんの部屋UPしました

ふたるさんの部屋                   H28,6月特別号
    1663名の教え子へ
福崎高OBー217人 ・琴丘高OBー404人 ・津田OBー842人
津田現役ー200人(少年162人+ジュニアユース38人)

 

◇NPOスポーツクラブエストレラ主管◇
「エストパーク」
「地鎮祭」が挙行されました。
サッカー人工芝グランド(最高のグレード)と自然パーク〔おかげの森〕の
「地鎮祭」が多くの来賓をお迎えして盛大に執り行われました。
場所は山陽電車「大塩駅」南へ徒歩5分(大塩小南、大塩天満宮西隣)です。

私の長年の夢のキックオフです。嬉しくて嬉しくて、、、、。
そこは私がかかわった多くの生徒たちの「居場所、再会、憩いの場」に。
そこへ来て旧友、先輩、後輩交えてボールを蹴りながら「思い出話」に花を
咲かせてほしいです。また家族そろっての団欒の場にもしてほしいです。
完成予定は10月末。11月には「こけら落とし」を盛大にやります。
来年度の「初蹴り」は新装エストパークを予定しています。
案内をするので楽しみに待っていて下さい。絶対に会おうな!!

 

1663名へ依頼(助けて下さい)

そこでエストパーク建設に伴う協賛金を募っています。
◆1口=5000円   よかったら助けて下さいね。

詳しくは後日郵送される手紙や住所が不明な者はインターネットなどを
見て協力をお願いします。

「たるさんの部屋」4月1日更新にも私のグランドや自然パークへの思いや
将来構想図なども掲載してます。検索して夢を共有してほしいです。

3月退職して現在夢実現に突き進んでいますが、私の一番の願いは、、、、、
厳しく叱ってばかりいた頃のメンバーに会い謝りたいしお礼も言いたい。
昔話もしたい(こう思うのも歳のせいかな?)ぜひ叶えさせて下さい。
この機会に同窓生同士に声をかけ、再会のつながりと縁を復活して広がり
「たるさん」の43年の一大勢力が結集することを祈ってます。

今。結構ヒマです。リバーの買い物帰りや仕事中にうちを覗いて下さい。

<追 伸>
教師生活最後の3年は姫路高校でした。市姫メンバーたちも大事なたるさんの
教え子です。同窓会や新年会で集まる場所がなければ使って下さいね。
みんなに連絡をお願いします(まだOB会や連絡網がないので、、、)

 

※懐かしいメンバーの声が聞きたい/携帯090ー8759ー7778

 

たるさんの部屋「つながり」UPしました

たるさんの部屋                   H28,6月号

 

5月の「出会い」のお話から「つながり」のお話へ。

*「夢実現」への「夢プラン」は着々というより出会う人出会う人の強力な後押しで
もの凄いスピードで進んでいます。
福崎高監督時代に当時近畿大会で交流のあった奈良県大淀高校監督の阿部先生が
静岡県御殿場市時之栖(ときのすみか)裾野スポーツセンター施設長時代にお世話に
なりその後現;施設長となった阿山さんが長年話していた私の「夢プラン」に
賛同いただき姫路に縁の深い人を紹介方々連れて来てくれました。
その人も「まさか!」の「つながり」(必然か?)人工芝業者が決定しました。
今は施工業者入札の段階で11日(土)には地鎮祭を催して着工にかかります。
いよいよです。
5月のたるさんの部屋に「出会い」のお話を掲載しましたが「出会い」は止まらず、
今度は「出会う人」から「つながり」いわゆる「縁」に驚きの日々です。

「夢」から実現へ向かおうとした時に躊躇し、悩んでいたときに出会った先生が
「先生(私=樽本)の後ろにはお徳を持った人々が先生の後押しして応援したいと
今か、今かと待っています。
ですから先生がやろうとする(社会貢献=夢実現)に向かって迷わず進んで下さい」
現在私の精神的主柱としてそばにいてくださるその先生からは
「まだまだこれからです、もっとご縁が広がりますよ」と言ってもらっています。
ですから「やりますね!!」
全力で夢をめざす若者を支援する拠点作りとさまざまな人々が集う「おかげの森」
(一大自然パーク)を築きますね。
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*3月に退職した市姫路高校サッカー部は県総体(インターハイ予選)4回戦。
現在県リーグ所属で昨年秋の県リーグ入れ替え戦で0ー4で完封された伊丹西と。
全力を出し切って勝利した結果、教え子田村先生率いるシード明石商業とベスト8を
かけて戦えました。念願が叶いました。そこまで連れてきてくれた市姫路に感謝。
立ち上がりから堂々としてひるむことなくひたむきに、そして最後まで戦い切り
ましたが1ー0で敗退しました。「もう少しわずか1点」と思われるでしょうが
苦節15年近く手塩にかけて育てられた明石商(その実態を見てきたもので)と
1、2年間の俄(にわか)仕立ての市姫路とは打ち込んだ歴史の「差」は大きいです。
でも高校監督として最後に戦うピッチは楽しくも嬉しくもありました。
神様からの「つながり」のご褒美でした。その「つながり(縁)」は次々と、、、、

前の第1試合に25年以上の「つながり」で琴丘高を含め一番多くの交流があり
育てていただいた鍵野先生の北須磨高が登場。先生とは友が丘高時代から互いに
全国をかけて戦ったこともあり播戸竜二が国体出場の時の監督でもありました。
その北須磨高の対戦相手が鴻谷先生の三田祥雲館。実に30年近いお付き合い。
北摂三田高時代から長期休業中は必ず練習試合を。会えば「ほっ」とできる間柄です。
次の第3試合は昨年兵庫県選手権決勝の再来:神戸弘陵(対)芦屋学園の好カード。
弘陵の谷先生は弘陵が一時期不遇の時代を情熱で立て直し今や全国レベルへと導き
夏休みには弱い市姫路を相手していただき県トップレベルを肌で感じさせて
いただいた経験は市姫路にとって凄い財産となり5回戦まで進出できたと思います。
一方芦屋学園のホテマン監督は姫路出身で正に純粋でまっ直ぐな情熱家。
幾度か遠征に出かけ冬場に鍛えていただきました。
芦屋学園サッカー部員に「人として」のお話をさせていただいたメンバーが昨年度
決勝のピッチに立っている姿を見て感動を覚えました。
私が関わった市姫路の短い年月に少しは歴史が刻めたのも先生方のおかげです。
私の最後の大会の花道の会場にはかくも「つながり」のある先生方に集まって
いただいた「偶然」いやこれは神様の(必然)に感謝した県総体でした。

 

樽さんの部屋UPしました

たるさんの部屋                   H28,5月号

 
やはり出会い

退職後1カ月がたちました。

・教師という仕事は最高でしたが生徒対象で世間とは狭く限定されてました。
ところがこの1ヵ月は教員生活では考えられないほど人々との「出会い」でした。
卒業生たちが各年代別に「退職慰労会」をほぼ2、3日おきにしてくれました。
懐かしい慣れ親しんだメンバーたち、、と昔話に花が咲き時には涙するすることも。
ゴールデンウイーク中のある日などは「慰労会」のはしごでした。ありがたいです。
・買い物に行く先々で。お茶しているとそこへ。食事に入ると教え子が
「昨日先生の夢を見ました」その翌日に「まさか!」の「出会い」など。
少年や高校の試合を観戦に行くと懐かしい教え子、その親御さんに関係者らにも。

・エストの「夢実現」にグランド、自然パーク建設など協力いただくべき訪問先でも
私を何らかの形でつながってる人々と「出会い」に和やかな雰囲気に話が
トントン拍子に進む。嬉しいことです。
建設予定の自然パーク「おかげの森」では莫大な「徳」を持った人たちとの出会え、
また新たな「出会い」が待っているんですね。
そこへ行けば「たるさんがいる」と来ていただければ最高です。
私が動くたびに教え子や教え子の関係者(親、子、親族)と「出会い」が。
学校勤務では絶対に出会えなったことが。驚くほどの偶然が、、(必然かな?)
1カ月でこの「出会い」の数だと、、、、これから先が。。。ワクワクしてます。
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◆津田SCの平成28年度新登録者◆
〔社会人〕57名〔ジュニアユース〕37名〔ジュニア(少年)〕186名
(ジュニア内訳)キンダー21名と1年生が32名新加入。
「スタッフ」コーチ20名/GKコーチ2名/トレーナー1名/メンタルコーチ1名。
「ファミリー(少年)スタっフ」10名。<総勢34名>で指導、育成します。

■4月には姫路市民大会が以下のようにありました
〔6年の部〕は32名がほぼ出場、決勝は延長で惜敗しましたが「悔しさ」を得ました。
今後全国を狙うには「悔しさ」が力になります。6年は津田43年の歴史の中でも
上位にランクされるほど「サッカー好き、仲間好き、練習好き」です。
兵庫県トップ1部リーグでも大健闘中!この1年ぜひあたたかく見守って下さい。
〔ジュニアユース〕は1回戦完勝。2回戦は身体能力の高い選手がいる優勝候補が
相手でしたがあわてず、しっかりとゲームを作り、持っている力を出しましたが
少し運から見放されPK負けでした。津田少年時代のトップメンバーはエストレラへ。
長年共に育ててきたメンバーは他の街クラブや中体連へ。その中でも津田を選んで
少年時代になかなかレギュラーになれなかったメンバーが中心となって堂々と戦う姿に
少し感動です。スタッフ総力をあげてこの子たちをじっくり育成していきたいです。
それが我々スタッフの使命ですし私も高校退職した今かかわっていきたいと思います。
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■5月5日恒例になった「V神戸」スタッフ(21名)が津田にやってきて
少年たちとの触れ合いやスタッフとベーベキューや「研修会」で研鑽した一日でした。
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@市姫路高校(3月退職)は県総体(インターハイ予選)が始まりました。
1回戦6ー1・2回戦4ー0・3回戦4ー2、ベスト8シード明石商業と戦いたい。
明商監督は津田の教え子。1年半前には9失点。その後の市姫の成長を教え子相手に。
ーーーーーーーーーー<アナウンス>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※今年から少年相手に「こころ塾」おとうさん相手に「オヤジ蹴球塾」を開講しました。
「子育てママ塾」同様、ご参加いただきぜひ勉強しませんか?!
*詳しくは津田のホームページに掲載しています。