たるさんの部屋UPしました

たるさんの部屋      「生徒という名の先生」
ーー「母親特集「笑顔」その1」ーー

高校時代の教え子「A子」との出会い。
A子が中学2年生。母親が4人の子どもを残してこの世を、、、、
それから年老いた祖母とともに幼い3人の弟の母親代わりをして家族を支える。
なのに不幸に不幸が重なり今度は父親の仕事中に大事故が襲い下半身不随になり
長期のリハビリ入院を余儀なくされる。

そんな中でもA子は学校生活を誠実に過ごし一度家へ帰宅して夕飯の用意をして
再びクラブ活動に参加しその上生徒会活動もこなしていた。

「A子」との交換ノートの一節です。
私はもっと年をとりたいです。
弟たちよりもっともっと年が離れていたら、、、とよく思います。
でもいくら努力しても母親にはなれないんです。姉でしか。それが悔しいです。
弟たちの前ではしんどそうな顔や暗そうにはしないと心がけています。
学校でいろいろあってもできるだけ笑顔でいます。
私が疲れた顔やイヤそうな顔をすれば弟たちは不安に感じるからです。
長男(B男)の高校の入学式と三男(D男)の入園式は同じ日でしたが両方
出てきましたよ。
日曜日は(D男)の運動会でした。(D男)の好きなエビフライを弁当に入れて
親子の演技も一緒にやりました。添い寝もします。
二男(C男)の野球部のユニホームに背番号を縫い付けました。
やっとレギュラーになりました。いつも2人の弟の弁当は入れます。

(B男)も(C男)も時間があれば(D男)と一緒にお風呂に入ってくれます。
できるだけ兄弟力を合わせておばあちゃんを助けます。
ところでたるさん。話は変わりますが私は私自身の中に「甘え」がなくなると
どれだけ「楽」になるかとよく思います。もっと強くなりたいんです。
高校から行った「勉強合宿」みんな「おもんない、しんどい、はよ帰りたい」と、
ずっと言ってました。
でも私はもっともっといたかった。弟やおばあちゃんには悪いけど、、、
勉強ができる、家事をしなくていい、ご飯の準備や献立を考えなくてすむ。
自分のことができる時間が貴重であり、ありがたかった。
早く30歳ぐらいになり看護婦として働きおとうさんのそばにいてやりたい。
そして弟たちの成長がみたい、だから時が早くすぎてほしい。
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*交換ノートの冒頭「A子」の言葉
たるさん。このノートには私の「ぐち」を書いてええやろうか、、、
親や家族の文句、「ぐち」言える(相手がある)って幸せやなぁ。
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「A子」との交換ノートは3冊続き、何度涙して読んだかわかりません。
当時私は30歳半ば教師力の乏しい頃。この交換ノートで何度も救われました。
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「A子」は私のクラスでも学年でもなく生徒会の美化部長として清掃点検し
得点化して優秀クラスを表彰をするというシステムを決めて実施した生徒。
完璧オール100点をめざした私はある日「96点」という点数に激怒して
納得できず生徒会室へ。
「A子」:「ゴミ箱にメモ用紙が丸めて捨ててあった」私:「自分で確認した
掃除後確認し生徒会が点検見回りの間に誰かが捨てた、、」とひつこく文句。
「A子」は泣きだしたが(大人げない)、そのあと「A子」:「ここまで
必死にいう先生おらんわ」と。そこから交流が生まれ交換ノートへと。

 
ーー「母親特集「笑顔」その2」ーー

少年や高校の朝練がない時や早く終わった時は天気が良ければ廊下の窓や
教室のカーテンも窓も開ける。教室は「きれいに」というのが私のポリシー。
黒板やごみ箱を確認し、後ろの黒板の落書き(ほとんどないが)を消して
掲示物は4スミきちんと止める。ようするに「きれいに」して生徒を迎える。

早く学校に着く生徒もいて一緒にきれいにする。それがクラスに広まっていく。
その中にいつも「笑顔」で迎えてくれる生徒〔A子〕がいた。
朝から気持ちのいい「笑顔」での挨拶。いつもどんな時もサイコーの「笑顔」

*卒業式〔A子〕からの手紙

私はたるさんがいうほどがんばっていなかったですよ。
でも「笑顔」でいることは少しは気をつけていました。
「笑顔」でいないと「大丈夫」と言っていないとまわりのみんなが心配するから。
私はみんなに心配されるとどこまでも甘えてしまうから。
でも、こうしてたるさんに手紙を書いてる時点で甘えてますが、、、

たるさんは悲しく辛いのに、、、と書いてくれたけど私よりずっと辛いのは
おかあさんだから。病気に負けないで笑顔で頑張ってるのはおかあさんだから。
おかあさんは本当は辛いはずなのに「ありがとう、おかあさんは幸せだよ」
暗くなるはずなのに「ありがとう、こうして〔A子〕や家族といて幸せだよ」

だからお葬式で別れる時も笑顔で送りました。
おかあさんの手を握り「おかあさん大丈夫!私は大丈夫だからね」と。
それは自分に言い聞かせていたかも知れません。
でもそれはそれでよかったと思っています。
だっておかあさんの子どもだしそうすることでおかあさんが喜んでくれるから。

でもうまくいきません。悲しいです、耐えても次々悲しい波がやってきます。
いつもいた場所におかあさんがいません。「ただいま、、、」と帰っても。
優しい妹が大ピンチです。いくら私ががんばっても妹の母親にはなれません。
悔しいですがおかあさんの存在は大きくおかあさんの代わりはできません。

たるさんはよく「〔A子〕らしさを大事にしろよ」と言ってくれたけど
「私らしさ」ってどういうことかまだわからないけどおかあさんと行った大好きな
場所で短大生活を過ごしてみます。
長々とすみません。返事はいいですよ。誰かに聞いてほしくて書いてみました。
3年間ほんとうにお世話になりました。
たるさんも病気なのだから無理をせず多くの生徒やみんなを悲しませないように。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
〔A子〕が朝早く来ていたのは遠い所から本数の少ないバス通学のため。
高校を選んだのはおかあさんが入院している病院が近いから。
行きも帰りも病院でおかあさんの看病し身の回りのお世話を。
家へ帰っては家事仕事を。でも毎日「笑顔」。
お通夜当日も目を真っ赤にしても「笑顔」(泣くだけ泣いたらいいのに)

おかあさんは〔A子〕に「笑顔」という遺産、財産、宝物を残しました。
〔A子〕の「笑顔」が今もよく出てきます。「ありがとう」と手を合わします。
〔A子〕は元気かな?きっとあの「笑顔」で周りを幸せにしていると思います。

 

ーー「母親特集「心配性」」ーー

〔A男〕の反省文

さきほどはすみませんでした。
たるさんは一言も僕に怒らずに(※)「言いたい」こと言って出たけど
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(※)私の言った「言いたい」こととは、、、
俺な(私)、つい最近おかん亡くしたんや(H16、冬)
俺のおかんは心配性でずっとイチイチ何か言ってくる、口うるさいし。
この年(50歳半ば)になっても〔素直〕になれずおかんに文句ばかり言うとった。
でもな、おかん亡くして、子どもの親になってわかったことがいっぱいある。
今朝もな、小学生がまだ暗い中、ランドセルの上にサッカーバッグ背負って
寒いのに白い息を手に吹きかけ6時半ごろ子どもが朝練に向かってるんや。
「たるさん、おはようございますー」と明るく元気な挨拶してくれる。
遅刻した子どもが走って来て「遅れてすみません」と実に〔素直〕に頭を下げる
そんな〔素直〕な子どもにグチグチ怒れると思うか?

朝練が終わって車に乗って行こうとしたら「たるさん、いってらっしゃーーぃ」
おかん亡くして落ち込んでいても子どもに元気と勇気をもらうわ。
俺が子ども、学生時代はこんなに〔素直〕じゃなかった。今は恥ずかしく思う。
〔素直〕になってたらどれでけ「楽」か。
「おかん、悪かった。ごめんな、ありがとうな」と今なら言えるわ。遅いけどな。
〔A男〕がなんで怒られたか知らんが、これがつい最近のたるさんの出来事や。
子どもから教えられるわ。ええ年してオヤジぶっても先生ぶってもあかんな。
書きたくなったら書いて、書きたくなかったらそのまま教室へ行けな。

ーーーーーーーーーーー〔A男〕の反省文(続き)ーーーーーーーーーーー

少し落ちついたので書きます。

最近、家でおかんにぐじぐじ文句を多く言われる。
心配してくれるのはわかるけど、、、毎日や。
昨日はオヤジに言いつけて、なにもわからないくせにオヤジにわめかれた。
あまり腹がたったのでオヤジに言い返したら。つかみ合いになった。
ムカついて家をとび出して友だちの所へ行って夜遅く帰った。

朝学校へ行こうとしたら、またおかんに見つかり、おかんは泣きながら
「おとうさんになんてことするん」「あんたを心配してるから言ってるのに」
僕は「もう、どうでもええ、、、」と思って家を出た。
行く途中、○○高校のやつと自転車でぶつかりそうになりメンチ切られた。
遅刻して学校に来たけど鑑札がついてない違う自転車乗ってきたから
違う置き場所に止めようとして見つかって怒られた。
ムカついてたから「素直」になれず謝れへんかったから怒られた。
遅刻届けもらいに職員室に行こうとしたらたるさんに会った。
今日帰っておかんになんとかがんばってあやまってみます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当日遠くから〔A〕の行動、叱られてる様子を見てて
「たぶん、こういうことかな?」と思って自分の最近の様子を話してみたら
ドン、ピシャ、あたってた(ビンゴ!)。
次の朝、校門当番で立っていたら〔A〕がやってきた。
いつもより明るく見えたけど、、、おかんに「あやまれたかな?」

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たるさんの部屋
(久しぶり)昭和の良き匂い

今回は「出会った生徒」ではなく、お話していて久しぶりにワクワクする
昭和の良き匂いがプンプンとする同世代(同年代)人物お二人を紹介します。

学生(日体大)時代。健さん(高倉)文太さん(菅原)を観て映画館を出ると
なぜか?背筋が伸び「正義」「義理や人情」が生まれ「男」になれる瞬間でした。
昭和40年半ば。世はまだ暗い時代でしたが戦後復興の兆しも見え将来が明るく
希望が持てそうな時代でもありました。
大学で出会い、同じ職(教員)に就いたすごい同志(F)と出会い今もつながっています。
当時は学校紛争がまだ色濃く残る難しい教育界でした。
(F)とは「生徒中心」に考え、共に悩み、時には体制に歯向かったものでした。
教育について夜を徹して語り、それを形にし行動し実践した大親友です。
私は(F)を人生で只一人尊敬ができ、教師としても「師匠」であると思っています。
退職後も共に進むべき道は変わらず未来の子どものために「夢」に向かってます。

ここからは失礼であり、該当の職業に関わる人々にはたいへん申し訳ない
文章ですが、どうかお許しいただき本音を書かせてもらいます。

私の嫌いな体質はお役所仕事。行政。教師を含めた公務員です。
「慣例に従い」「前例がない」「それは無理」という言葉が飛び交う職場。
やれるやろ!!」「ただやるか?やらないか?」だけでしょ。と言いたい。
上の顔色を見る。会議のための資料やデータ作りに時間を割き、つねに机上の空論。
面倒な問題が起これば逃げ、社会や生徒側や保護者、他の部署のせいにする。
教師(公務員)は現場主義。生徒といてナンボ、グランドに立ってナンボです。
起きた事はメモして整理。生徒との交換ノートで情報を得て互いに信頼関係を構築。
眠れないほど悩み、考えては書き、書いては消し、、、、。決めたら「やる!
(30歳台はほぼ3、4時間睡眠。その結果は死に直面する難病になったが、、)
人間相手だから予定や計画通りいかずハプニングだらけ。ほぼうまくはいかない。
だからおもしろい。うまくいかないからこそ悩み、考え、工夫するものです。
意味なく、何をするかわからないのが生徒。それが子どもなんです。
子どもをバカにしてはいけません。子どもは(損得抜きの)「純粋」だからです。
「純粋」だからこそ全力で真っ正面からぶつかれば受け入れてくれます。
いろんな生徒が(私と同じ匂いが)いるから学校っておもしろいんです。
停学が解除した自分のクラスかクラブの生徒とは、うちで一晩過ごします。
一緒に食事をして時には泊まり起こした事件の背景や家庭環境、友人関係を把握、
「今後はどうするか?」本音を聞かないことには「謹慎解除」とはいえないんです。
こんな私が無事?(クビにならず処分も受けず)退職できたのが不思議です。

6月ある日。グランド、自然パーク建設「地鎮祭」出席の依頼で地元、地域を
回っている時にCゴルフ場のA社長と出会いました。
大親友に出会った以降、団塊世代ではいい人物に会えないまま時が過ぎていました。
久しぶりにA社長は同年代、同期で「男気(おとこぎ)」の匂いがしました。
だがA社長は元役所の局長クラス人物で私の大嫌いな職業の方。
最初は??、、(すみません私の悪いところで先入観、固定観念でみてしまう)
だが話出し出すとおもしろい。挨拶かねて30分面会の約束が、、、なんと2時間。
どんどん二人の間での「人のつながり」が広がる。卒業生の驚きの話から
姫路の浜手育ちから、生い立ち、しがらみまで。話は尽きない。
A社長の市民のために敢えて嫌われ役の仕事を引受けやろうとする心意気がいい。
人に押しつける前に自ら先に身を切る「改革断行」(世の政治家よ、よく聞け!)
初めて会った私にA社長がぜひ紹介したいと人がいると。この社長の紹介なら、、。

 

その人なりは行政の元ナンバー2。姫路市まちづくり振興機構のトップN氏。
A社長の紹介なのでお役所仕事の「先入観」でみることだけはよそうと、、、。
約30分の面会時間。会ってほんの5~6分。A社長が言われたように「いい男」
N氏の心の裏側がわかり読める。互いに同じ感覚で響き匂う、腹立ちまで同じ。
乾いたスポンジの如く吸収して私の中へ話が入ってくる。
初めて会った気がしない。
固いイメージの行政トップがこんなに人間臭く、昭和(任侠)の匂いが。
体育会系。今や死語となりつつある「辛抱、忍耐、我慢」と「根性」をベースに
「やったらんかぇ!やってみなわかるかい!」という「魂」の持ち主。
互いに交わす言葉は「もっと早く出会いたかったなぁ」
でも、今なんです。これからなんです。
N氏とポジションこそ違いますが私は現場で残る人生
「夢のある姫路のまちづくり」のために一緒にやっていきたいと思いました。
2時にお会いして帰る時は〔あっ〕という間に時は5時になっていました。
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◆姫路市まちづくり振興機構のメールシステムによって送信された文です。
・・件名ー   C理事長からのメッセージ

<情熱と信念>
先日、久しぶりに「情熱と信念」を持った人物の訪問を受けた。
NPO法人「スポーツクラブ・エストレラ」のT氏である。
聞くところによると23歳で少年サッカーチームを立ち上げ、F高校やK高校の
教師時代には想像を絶する熱血指導で「Jリーガーや日本代表」まで育てた人物で
ある。感動したのはサッカー経験のない彼が常に講習に参加し積極的に先輩から
指導を仰ぎながらスキルアップしレベルの低い姫路地区から「全国出場」の目標を
かかげついに「アマチュア日本一」を実現したことにある。

また現在は「禍」あってペースメーカーを埋め込みながらもNPO法人を仲間と
立ち上げ大塩地区を拠点に「大きな夢」に向かって歩み続けていることである。
65歳になった現在、監督時代に培ったネットワークなどにより行政に頼らず
自力で「toto(サッカーくじ)」から助成を受けてグランド整備を始めている
と聞いた。その行動力たるや姫路市にとってもサッカー界にとっても貴重な人財
あると思う。
その熱い思いをぜひ姫路市長の前で語ってほしいと願い先週機会を作らせてもらった。
今後、姫路市と「スポーツクラブ・エストレラ」の「隙間」を埋める必要があれば
当機構も積極的に関わっていきたい。

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「裏話」
市長に面会前にN氏に事前に会って打ち合わせをお願いしたところ。
N氏:「そんなことを気にするなんて樽本さんらしくない。
この前私に話したとおり熱い思いと信念を市長に話せばいい」
「樽本さんの熱い思いが気にいって市長とコンタクト取ったのだから。。。
夢、ビジョンを思いのまま語ればいい」と。

ありがたい言葉です。

15年間一緒にやってきたエストレラの仲間の「夢の思い」を「魂込めて」
姫路市長に語ってきました。

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たるさんの部屋

カウンセリングの技法「傾聴」

門を開けて耳を澄まして人の話を「聞く」
耳へんに十四の心と書いて「聴く」

相手(生徒)がどんな思いで話をしているか、、、しゃべっている内容もしかり
その思いの裏側は?心とはうらはらに、うまくしゃべれずに思いと違うことを言って
ないか?それこそ一つの話に十四通りの思いで「聴く」こと。
それを心して人と接して対応している。それが、、、

 

出会った生徒その(3)

「技法」なんかくそくらえ、、こっぱみじん、、、

〔A子〕はハキハキと明るく活動的。典型的な体育委員。
実際体育も安心して任せられて「集合!」で始まり「準備体操」ももう完璧。

その〔A子〕が二人きりで話がしたいと(教師と生徒が密室で二人きりでの会話は
原則禁止)でもそんなことは言ってられないことも多々あるもの。

体育館の西北側にある階段で。昼御飯終えて12時35分に会う約束。
話始めた〔A子〕。私はいつもの様に十四の心で、、、がしかし、、、
話の内容がきつい。「ええっ!!こんなことがこの子に起きていたとは、、、」
今までの長い教員生活で大概の経験をして少しのことでは驚かない私だが、、、

それはない。そんな大人が〔A子〕の周りにいるなんて、ましては肉親の中に、、、
話はじめてすぐに聞き入り、のめり込み、あまりにも〔A子〕が不びんで哀れで
涙が止まらない。止まらないどころか溢れ出てくる。。。
その時昼休み終了1時のチャイムが、、、、、
〔A子〕の心の奥にある叫び、魂に対して
私は一言も発せずに泣いているだけの25分間であった。
〔A子〕は立ち上がって
「たるさん、午後の授業が始まるから私行くな、ありがとう、聞いてくれて」

その後の〔A子〕は
いつも通りの明るく活発なまま。そのことに触れることもなく、、、
卒業式前日〔A子〕からの手紙が、、、
「たるさん、ありがとう。あの日はほんとうにうれしかった。親にも言えず
もちろん他の人や友だちにも言えなかった。
誰にも言えないことをたるさんに言えた。
たるさんは私に「ごめん、何も言えず、してやれず」と言ってくれたけど、、、
聞いてくれるだけでよかったんやで。
自分でがんばらなあかんことはわかっていたけど、、、
ただ聞いてほしかったんや。
明日から卒業やけどがんばれそうな気がする。ほんまにありがとう。」

カウンセリングの技法なんか全く通用せず。
〔A子〕どうしてるかな?幸せかな?

 
◆出会った生徒その(4)

「向き合ってるか!?」
〔A子〕は吹奏楽部。
進路希望は保育士か介護福祉士。
理由はおかあさんが少し耳が不自由でそばで助けることができたら、、、と
いうことでした。
〔A子家」は手話でなく学校や出掛ける時は向かい合ってゆっくりと
「い・っ・て・き・ま・す」帰るとまた向き合って「た・だ・い・ま」との約束。

おかあさんは〔A子〕の定期演奏会やコンサートによく行くそうです。
「今日はよかったで!」「今日はいまいちかな?」と感想を言うそうです。

私のバカな質問「えぇ、聞こえるの?」
「お・は・よ・う」から「お・や・す・み」まで一日に何度も向き合い我が子の
心情を察し喜怒哀楽を感じ取り、演奏中も楽しそうか乗っているか弾んでるか
読み取っておられるのでしょうね。

では我々はどうしてるのでしょう?
一日、いや何日も会話がない。帰ってきても別々に食事し自分の部屋に入り
携帯で過ごす。まるでホテル家族。
いつゆっくりと親子が、家族が、向かい合ったのでしょうか?

子どもの頃、早く伝えたくて喜び勇んで靴を脱ぎ捨てて
「なぁなぁ、おかあさん~聞いてぇー」と帰ってもおかあさんは仕事で不在。
居たとしても「もう、忙しいのに、、、あとにして」
抱っこして膝に乗せて今、今聞いてほしいのに。あとで聞いてくれたこともなく。。。

親に言っても聞いてはくれないと育った子どもはあきらめだんだん無口に。
子どもが成長し思春期になると親が急に「非行に走るとまずい」とあれこれと
(親の都合、タイミングで)聞きはじめるが子どもの反応は冷たく覚めてきてる。
「めんどう臭い、ほっといてくれ、うざいんじゃ、顔も見たくない」ってことに。
それでも「これだけ心配してるのに、、、」とひつこく、何度も何度も、、、
あげくは事情をしらない父親までがそんな時だけ「オヤジずら」して参戦。
子どもの態度に感情的になり「言ってはいけない禁句を」やってはいけない体罰も。

神様は人間に口は一つだが耳を二つも与えてくれたのに。
(しゃべることより2倍聴くようにしてくれているのに、、)
「あ~ぁ言い過ぎた」「また言ってしまった、言わなければよかった、、」と親。
「あの一言で。この親はあかんと思った」と子ども。
*言い過ぎて反省する話はあっても*聞きすぎて反省したって聞いたことないけど。

〔A子親子〕はどうしてるかな?、、おかあさんこそ「母の原点」ですね。
最高のカウンセラーです。

樽さんの部屋リニューアルしました!

たるさんの部屋
リニューアル!!

たるさんの部屋の内容を変えますね。
今は退職後、夢実現(エストパーク建設)に向かう一方で
時間があれば43年間を振り返り整理してます。
出会った生徒の話(実録)を書こうと思います。
その時々出会った生徒の手紙、メモ、整理ノートを見て思い起こしながら。
プライバシーもあり該当生徒には了解をもらうと同時に個人的な問題の部分は
一部変えていますのでご了承下さい。

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◇第1回目として2題
30歳台。教師力がなく、いつもこれでいいのか?こんな教師でいいのか?
悩んでなかなか寝つかれず、その日の「出来事メモ」もネガティブなことばかり
今読み返しても「暗いなぁ~」と思えることばかり。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆その(1) 「最高のラーメン」
クラブ(サッカー)を終えて夜8時に〔A〕の家庭訪問が予定に入ってます。
問題行動を2回起こして無期家庭謹慎の〔A〕が私を待っています。
(*謹慎中の生徒への家庭訪問は時間が許す限りほぼ毎日行くのが私の方針)
ところが腹が減って減って。〔A〕の家に近づくと最近出来たであろう新装の
「ラーメン屋」が気になっていました。
〔A〕の家に到着すると玄関先に正座をして(正座の強要はしてませんよ)
反省文と課題のノルマを前に置いて待っていました。
いつもおばあちゃんが迎えてくれます。
(*理由は詳しく書けませんが家庭の事情で両親は不在)
〔A〕に「おい、○○○(愛称)俺、腹減ったわ、そこのラーメン食べにいこー」
「どうせ、晩めし食べてないやろ、、、おばあちゃんも誘えや、、、」
さすがにおばあちゃんは遠慮されて二人でラーメン屋へ。
ラーメンを食べ始めると感じの悪い音が横でズルズル、、、ズルズルと。
「汚い食べ方する奴やなぁ~~」と見ると、ラーメンをすする音に混じって
涙と鼻水があふれ、それを見た私ももらい泣き。二人そろってズルズルと汚く、、、。
その間一言も話をすることもなく食べ終えてラーメン屋を出る。
車の中で〔A〕は一言。
「たるさん、俺がんばるわ。絶対にもうちゃんとやる!」
それだけで十分に気持ちが伝わってきた。もうこいつは大丈夫と確信。
教師づらして説教や説諭なんかいらないし、もちろんいい言葉など浮かばない。
反省文と課題をチエックして帰ろうとすると
「たるさん、ラーメンめちゃくちゃ美味しかったです。ありがとうございました」
ーーーーあれから30年近くがすぎたーーー
久しぶりに会った〔A〕も50歳に近づいた。
再会で言った私の言葉「おい、○○○(愛称)、ラーメン代450円返せや」(笑)
お互い、その一言だけで高校時代が一気に蘇りました。

 

◆その(2) 「おまえは俺の先生か!?」
〔A子〕はクラブB部のマネージャー。クラスの副委員長。人望は厚く仕事ができ
責任感があり高校生と思えない落ち着き。「ふわっ」とした日本の母という
雰囲気(ごめんなぁ、これたるさんのほめ言葉ですので気を悪くしないで)
家庭の事情から家から通える地元企業への就職希望。
推薦書も書きたいことがいっぱいありワクワクしながら合格を念じつつ思いを込めて。
午前中に入社試験のあと報告のため体育教官室にやってきた。
しかし一瞬〔A子〕が普段なかなか見せない不安そうな顔。そこで
私 :「何かあった、できなかった?」
A子:「試験はできたけど、面接が、、、」
私: 「どうしたん?」
A子:「家族のこと聞かれた、、」
私: 「えぇーツ!!」怒り、むかつき、腹立ち。
私はすぐに体育教官室を飛び出し進路指導室へ。だが担当の先生は不在。
次に校長室へ移動しようとした時
私の異変を感じたA子は追いかけてきて校長室の前で私をつかまえ
A子:「たるさん、どこへ行くん??」
私 :「もちろん受けた会社や!おかしいやろ、その面接って(怒)」
A子:「ええんや、たるさん。そんな会社なら合格してもきっと辞めることになる。
今わかって良かったんや、そんなとこへはいかへんから」
その言葉に 私、意気消沈
*以前A子はおばあちゃんと三者面談へやってきました。手を引いて。
その面談で私もおばあちゃんのこと大好きになっていました。

A子の「残念会」(祝賀会?)とおばあちゃんの「バースディ」をうちで計画。
おばあちゃんをサプライズで招待し、樽本家みんなで「誕生会」を楽しみました。
A子はその後も勉強をやり続け「公務員」に見事合格しました。
その変な面接のおかげで地元で「公務員」仕事となりました。めでたしめでたし。
「さすが!A子」というか、まるでA子は私の先生、進路指導、人生の師匠です。

 

たるさんの部屋UPしました

ふたるさんの部屋                   H28,6月特別号
    1663名の教え子へ
福崎高OBー217人 ・琴丘高OBー404人 ・津田OBー842人
津田現役ー200人(少年162人+ジュニアユース38人)

 

◇NPOスポーツクラブエストレラ主管◇
「エストパーク」
「地鎮祭」が挙行されました。
サッカー人工芝グランド(最高のグレード)と自然パーク〔おかげの森〕の
「地鎮祭」が多くの来賓をお迎えして盛大に執り行われました。
場所は山陽電車「大塩駅」南へ徒歩5分(大塩小南、大塩天満宮西隣)です。

私の長年の夢のキックオフです。嬉しくて嬉しくて、、、、。
そこは私がかかわった多くの生徒たちの「居場所、再会、憩いの場」に。
そこへ来て旧友、先輩、後輩交えてボールを蹴りながら「思い出話」に花を
咲かせてほしいです。また家族そろっての団欒の場にもしてほしいです。
完成予定は10月末。11月には「こけら落とし」を盛大にやります。
来年度の「初蹴り」は新装エストパークを予定しています。
案内をするので楽しみに待っていて下さい。絶対に会おうな!!

 

1663名へ依頼(助けて下さい)

そこでエストパーク建設に伴う協賛金を募っています。
◆1口=5000円   よかったら助けて下さいね。

詳しくは後日郵送される手紙や住所が不明な者はインターネットなどを
見て協力をお願いします。

「たるさんの部屋」4月1日更新にも私のグランドや自然パークへの思いや
将来構想図なども掲載してます。検索して夢を共有してほしいです。

3月退職して現在夢実現に突き進んでいますが、私の一番の願いは、、、、、
厳しく叱ってばかりいた頃のメンバーに会い謝りたいしお礼も言いたい。
昔話もしたい(こう思うのも歳のせいかな?)ぜひ叶えさせて下さい。
この機会に同窓生同士に声をかけ、再会のつながりと縁を復活して広がり
「たるさん」の43年の一大勢力が結集することを祈ってます。

今。結構ヒマです。リバーの買い物帰りや仕事中にうちを覗いて下さい。

<追 伸>
教師生活最後の3年は姫路高校でした。市姫メンバーたちも大事なたるさんの
教え子です。同窓会や新年会で集まる場所がなければ使って下さいね。
みんなに連絡をお願いします(まだOB会や連絡網がないので、、、)

 

※懐かしいメンバーの声が聞きたい/携帯090ー8759ー7778

 

たるさんの部屋「つながり」UPしました

たるさんの部屋                   H28,6月号

 

5月の「出会い」のお話から「つながり」のお話へ。

*「夢実現」への「夢プラン」は着々というより出会う人出会う人の強力な後押しで
もの凄いスピードで進んでいます。
福崎高監督時代に当時近畿大会で交流のあった奈良県大淀高校監督の阿部先生が
静岡県御殿場市時之栖(ときのすみか)裾野スポーツセンター施設長時代にお世話に
なりその後現;施設長となった阿山さんが長年話していた私の「夢プラン」に
賛同いただき姫路に縁の深い人を紹介方々連れて来てくれました。
その人も「まさか!」の「つながり」(必然か?)人工芝業者が決定しました。
今は施工業者入札の段階で11日(土)には地鎮祭を催して着工にかかります。
いよいよです。
5月のたるさんの部屋に「出会い」のお話を掲載しましたが「出会い」は止まらず、
今度は「出会う人」から「つながり」いわゆる「縁」に驚きの日々です。

「夢」から実現へ向かおうとした時に躊躇し、悩んでいたときに出会った先生が
「先生(私=樽本)の後ろにはお徳を持った人々が先生の後押しして応援したいと
今か、今かと待っています。
ですから先生がやろうとする(社会貢献=夢実現)に向かって迷わず進んで下さい」
現在私の精神的主柱としてそばにいてくださるその先生からは
「まだまだこれからです、もっとご縁が広がりますよ」と言ってもらっています。
ですから「やりますね!!」
全力で夢をめざす若者を支援する拠点作りとさまざまな人々が集う「おかげの森」
(一大自然パーク)を築きますね。
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*3月に退職した市姫路高校サッカー部は県総体(インターハイ予選)4回戦。
現在県リーグ所属で昨年秋の県リーグ入れ替え戦で0ー4で完封された伊丹西と。
全力を出し切って勝利した結果、教え子田村先生率いるシード明石商業とベスト8を
かけて戦えました。念願が叶いました。そこまで連れてきてくれた市姫路に感謝。
立ち上がりから堂々としてひるむことなくひたむきに、そして最後まで戦い切り
ましたが1ー0で敗退しました。「もう少しわずか1点」と思われるでしょうが
苦節15年近く手塩にかけて育てられた明石商(その実態を見てきたもので)と
1、2年間の俄(にわか)仕立ての市姫路とは打ち込んだ歴史の「差」は大きいです。
でも高校監督として最後に戦うピッチは楽しくも嬉しくもありました。
神様からの「つながり」のご褒美でした。その「つながり(縁)」は次々と、、、、

前の第1試合に25年以上の「つながり」で琴丘高を含め一番多くの交流があり
育てていただいた鍵野先生の北須磨高が登場。先生とは友が丘高時代から互いに
全国をかけて戦ったこともあり播戸竜二が国体出場の時の監督でもありました。
その北須磨高の対戦相手が鴻谷先生の三田祥雲館。実に30年近いお付き合い。
北摂三田高時代から長期休業中は必ず練習試合を。会えば「ほっ」とできる間柄です。
次の第3試合は昨年兵庫県選手権決勝の再来:神戸弘陵(対)芦屋学園の好カード。
弘陵の谷先生は弘陵が一時期不遇の時代を情熱で立て直し今や全国レベルへと導き
夏休みには弱い市姫路を相手していただき県トップレベルを肌で感じさせて
いただいた経験は市姫路にとって凄い財産となり5回戦まで進出できたと思います。
一方芦屋学園のホテマン監督は姫路出身で正に純粋でまっ直ぐな情熱家。
幾度か遠征に出かけ冬場に鍛えていただきました。
芦屋学園サッカー部員に「人として」のお話をさせていただいたメンバーが昨年度
決勝のピッチに立っている姿を見て感動を覚えました。
私が関わった市姫路の短い年月に少しは歴史が刻めたのも先生方のおかげです。
私の最後の大会の花道の会場にはかくも「つながり」のある先生方に集まって
いただいた「偶然」いやこれは神様の(必然)に感謝した県総体でした。

 

樽さんの部屋UPしました

たるさんの部屋                   H28,5月号

 
やはり出会い

退職後1カ月がたちました。

・教師という仕事は最高でしたが生徒対象で世間とは狭く限定されてました。
ところがこの1ヵ月は教員生活では考えられないほど人々との「出会い」でした。
卒業生たちが各年代別に「退職慰労会」をほぼ2、3日おきにしてくれました。
懐かしい慣れ親しんだメンバーたち、、と昔話に花が咲き時には涙するすることも。
ゴールデンウイーク中のある日などは「慰労会」のはしごでした。ありがたいです。
・買い物に行く先々で。お茶しているとそこへ。食事に入ると教え子が
「昨日先生の夢を見ました」その翌日に「まさか!」の「出会い」など。
少年や高校の試合を観戦に行くと懐かしい教え子、その親御さんに関係者らにも。

・エストの「夢実現」にグランド、自然パーク建設など協力いただくべき訪問先でも
私を何らかの形でつながってる人々と「出会い」に和やかな雰囲気に話が
トントン拍子に進む。嬉しいことです。
建設予定の自然パーク「おかげの森」では莫大な「徳」を持った人たちとの出会え、
また新たな「出会い」が待っているんですね。
そこへ行けば「たるさんがいる」と来ていただければ最高です。
私が動くたびに教え子や教え子の関係者(親、子、親族)と「出会い」が。
学校勤務では絶対に出会えなったことが。驚くほどの偶然が、、(必然かな?)
1カ月でこの「出会い」の数だと、、、、これから先が。。。ワクワクしてます。
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◆津田SCの平成28年度新登録者◆
〔社会人〕57名〔ジュニアユース〕37名〔ジュニア(少年)〕186名
(ジュニア内訳)キンダー21名と1年生が32名新加入。
「スタッフ」コーチ20名/GKコーチ2名/トレーナー1名/メンタルコーチ1名。
「ファミリー(少年)スタっフ」10名。<総勢34名>で指導、育成します。

■4月には姫路市民大会が以下のようにありました
〔6年の部〕は32名がほぼ出場、決勝は延長で惜敗しましたが「悔しさ」を得ました。
今後全国を狙うには「悔しさ」が力になります。6年は津田43年の歴史の中でも
上位にランクされるほど「サッカー好き、仲間好き、練習好き」です。
兵庫県トップ1部リーグでも大健闘中!この1年ぜひあたたかく見守って下さい。
〔ジュニアユース〕は1回戦完勝。2回戦は身体能力の高い選手がいる優勝候補が
相手でしたがあわてず、しっかりとゲームを作り、持っている力を出しましたが
少し運から見放されPK負けでした。津田少年時代のトップメンバーはエストレラへ。
長年共に育ててきたメンバーは他の街クラブや中体連へ。その中でも津田を選んで
少年時代になかなかレギュラーになれなかったメンバーが中心となって堂々と戦う姿に
少し感動です。スタッフ総力をあげてこの子たちをじっくり育成していきたいです。
それが我々スタッフの使命ですし私も高校退職した今かかわっていきたいと思います。
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■5月5日恒例になった「V神戸」スタッフ(21名)が津田にやってきて
少年たちとの触れ合いやスタッフとベーベキューや「研修会」で研鑽した一日でした。
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@市姫路高校(3月退職)は県総体(インターハイ予選)が始まりました。
1回戦6ー1・2回戦4ー0・3回戦4ー2、ベスト8シード明石商業と戦いたい。
明商監督は津田の教え子。1年半前には9失点。その後の市姫の成長を教え子相手に。
ーーーーーーーーーー<アナウンス>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※今年から少年相手に「こころ塾」おとうさん相手に「オヤジ蹴球塾」を開講しました。
「子育てママ塾」同様、ご参加いただきぜひ勉強しませんか?!
*詳しくは津田のホームページに掲載しています。

樽さんの部屋、(市姫高)「 離 任 式 」更新しました

たるさんの部屋                    H28、4、11
(市姫高)「 離 任 式 」

「夢」は見るものではなく「叶える」もの。しかしほぼ「叶わないもの」でもある。
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・大学卒業後すぐ定時制の分校勤務、同時に飾磨の津田校区にサッカークラブ創部
※「10年後の夢プラン」
(1)3年後に少年で全国出場(2)10年後に社会人チーム作り県NO1をめざす。
<実際には>
☆3年後に県準優勝、翌年準優勝、翌々年は3位。結局は全国へはいけず。夢は、、、
<夢が叶わない理由>サッカー経験のない私の指導力不足が原因。
┳これは子どもに悪いと指導勉強、資格獲得のために全国各地を回って学んだ
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○29歳に福崎高へ転勤(津田少年時代に2位、2位、3位だった子どもたちが
はるばる山陽本線や山陽電車、播担線乗り継ぎ福崎高校へついてきた。
※30歳台「10年後の夢プラン」
(1)5年後に高校で全国へ出場(2)全国社会人大会出場(3)日本リーガー。
<実際には>
・3年後に西播で優勝、4年後に県ベスト8、5年後に県で3位、近畿大会ベスト
☆6年後にやっとファイナル(決勝)だが2位、近畿大会3位(1の夢)は叶わず。
☆☆☆日本リーグ(当時の最高峰)最終戦(ヤンマーVSトヨタ)の審判を担当。
*サッカー経験のない私が、、苦しく大変だった。やりとげた自分に(★夢)マーク。
〔個人〕国体選手5名。マルセイユ(仏)へ行った者。日本ユース代表候補が生まれ
日本リーガーが誕生(3の★夢)が叶う。
☆全国社会人サッカー選手権出場(2の★夢)が叶う。
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※40歳台「10年後の夢プラン」
(1)5年後高校で全国へ出場(2)全国社会人サッカー選手権出場
(3)個人としてJリーガーや日本代表を作る。
○41歳:琴丘高転勤。同時に難病から心停止(あと3週間との命と宣告される)
ペースメーカー埋込(1級身障者に)
・42歳:入院、手術、リハビリから生活から復帰
〔退院祝いとして〕
☆☆☆全国クラブサッカー選手権優勝(アマチュア日本一/鹿島)(2の★夢)が叶う。
・琴丘高とはいうと3年後に西播で優勝、4年後に県ベスト4
☆6年後にファイナル(決勝)。だが2位、近畿大会3位。(1の夢)は叶わず。
〔国体選手4名、Jリーガー4名、日本ユース代表でWユース決勝戦でスペイン
(シャビがいた)と対戦。日本代表が生まれる(3の★夢)が叶う。
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○50歳台「10年後の夢プラン」
(1)高校で全国出場(2)姫路地区強化のためにもう1つクラブチーム創設
(3)新たな自分の挑戦としてカウンセラー資格をとること。
☆☆社会人チームが第4回めの全国サッカー選手権出場(2の★夢)が叶う。
☆琴丘高再びファイナル(決勝)へ、、だがまたも2位(1の夢)は叶わず。
☆挑戦していたカウンセラー資格を6年かかって獲得(3の★夢)が叶う。
☆少年チームが県大会準優勝。(またも2位)
◆サッカー人生「シルバーコレクター」と言われるほど2位、準優勝が多かった。
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○60歳「還暦」の夢プラン*グランドと自然夢パーク建設
・3年前の63歳姫路高校転勤。
・3年後に琴丘高西播地区準優勝/少年チームが県大会準優勝。
※いよいよ退職をした今日から
「10年前に描いた夢プランの継続から夢実現へ向かいます」
<市姫のみんなへ>
今たるさんがみんなに話したように。
「夢」持つと「目標」ができる。「目標」ができると「計画」が立てる。
「計画」ができれば、あとは「実行(やるだけ)」やりつづけるだけ。
そのことを「努力」という。「努力」の才能を磨き「努力」の天才をめざすこと。
「思い」を続けて、「やり(実行)」続けると「夢」は近づく。
「言うこと、思うこと」は誰でもできる。あとはやるか、どうかは自分の問題。

 

<市姫のクラブ員へ>
先日サッカー部の「たるさんへの送別ビデオレター」にサッカー部ともに
「ありがとう」の人文字を作ってくれたソフトボール部。陸上部。
野球部のみんな「ありがとう」同じグランドでみんなの成長を見させてもらった。
テニスコートの横を通ると必ず声をかけてくれた女子テニス部「ありがとう」
すれ違うと優しく接してくれた女子バレー、バスケ部のみんな「ありがとう」

 

<市姫で授業したみんなへ>
保健の授業3分前の開始。
黒板を完璧にきれいにして机を真っ直ぐに並べて待ってくれた。
気持ち良く授業をさせてもらえたことに「ありがとう」
体育の授業チャイムが鳴る前に体操が始まる。
授業開始初めの「5分間」俺のしょうもない話に真剣に耳を傾けてくれ、
ときどき涙して聞いてくれたみんなに「ありがとう」

 

<市姫で苦しんだみんなへ>
人には言えない、家族にさえ言えないことを「たるさん聞いて」っと苦しい
胸を内を明かしてくれたみんな。いい応えを返せず「ごめん」でもこんな俺に
話してくれたみんなに「ありがとう」

 

<市姫のサッカー部へ>
みんながいてくれたから教員生活最後の3年間気持ち良くすごせた。
がんばることができた。みんながいなかったら今のたるさんはない。
おまえたちの素直に吸収し、それを実行する能力の凄さにびっくりした。
だからこそ伸びた、成長したと思うよ。
とにかく「ありがとう」しかない。「ありがとう」しか、、、、。

 

<最後にもう一度市姫のみんなへ>
サッカー部に「きれいに、さわやかに」の横断幕を贈った。
放課後、グランドに掲げているので市姫のみんなにも見てほしい。
市姫は「きれいな、さわやかな」学校。そういう生徒の集まりだから、、、
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◆43年間のことは今日終わりました。もうすんだことです。
過去の実績や栄光などとは「おさらば」です。
前へ、未来へ、夢に向かって行きたい。
その「夢実現」を果たすべき
たるさんがこれから作ろうとしているサッカー場とおかげの森、自然パークを
きっと作って「待ってるから、、、、」と言えるようにやっていく!!
ぜひ来て下さいね。

*繰り返すけど「夢」は見るものではなく「叶える」もの。
3年間「ほんとうにありがとう」
市姫は最高でした。

 

たるさんの部屋UPしました!

たるさんの部屋
H28、3、31

ご挨拶

◆3月31日退職辞令をいただき43年の教員生活を(無事?)終えました。
本当にありがとうありがとうございました。
姫路高校への転勤を命じられた時は23年いた琴丘高サッカー部への「思い」が
強すぎて公務員なら転勤はは当然のことなのですが心も重く辛く落ち込んでいた
ことも事実です。

その時に訪れて来てくれた琴丘高の現役女生徒が
「市姫にもたるさんを待ってる子がいるで」の一言が背中を押してくれました。

あれから3年。今は
市姫に来て良かったです。
市姫で素晴らしい部員たちと出会って良かったです。
市姫サッカー部の監督をさせてもらって良かったです。
市姫で教員生活を終えてほんとうに良かったです。

29日、最後の練習後に市姫サッカー部員に「別れの挨拶を、、、」食堂でと
事前に連絡していましたがなんと!?というかまさかまさかの光景が。
そこには孫を含む樽本家族。それに私の大事な大切な知人までいるでは、、、
送別会は主将の別れの言葉から心のこもったビデオレター。手紙。記念品。
最後は花道を作ってくれ全員と家族までハグできました。
鍛練してきたグランドへ出て全員写真撮影。そして「胴上げ」まで。
市姫サッカー部員の優しさ、あたたかさ、心配りを感じました。
家族にはなかなか「お礼」をいうタイミングが難しくどうするか悩んでましたが
部員たちの粋な計らい、サプライズに涙するしかありません。

60歳で還暦祝いを津田、福崎高、琴丘高の多くの教え子たちに祝ってもらえ
65歳退職セレモニーは市姫サッカー部にお世話になりました。
どこへ行っても「幸せな男」です。
「感謝」「ありがとう」しかありません。

津田SC、福崎高、琴丘高のスローガン「一所懸命、ひたむきに」から
市姫では「きれいに、さわやかに」の横断幕をいつか掲げたいと思っていましたが
念願通り掲げるに値するサッカー部となりました。
とくに退職前の市姫が戦った最後の西播リーグ2試合は壮絶でした。
一生わすれられないゲームに。そこには153本ダッシュの魂がありました。
その試合を琴丘OBまでもが見守ってくれました。これも感動です。

たくさんの卒業生からメッセージや花束などいただきました。
今樽本家の玄関は「花屋さん」のように「たるさん魂」が咲き誇ってます。

手を合わすしかありません。

ありがとうございました。

 

43年間の足跡「小史」
●23歳ー姫路北高勤務/津田サッカークラブ創部
※20歳台「10年後の夢プラン」
(1)3年後に少年で全国出場
(2)社会人創設(少年、中学から社会人一貫指導、兵庫県社会人リーグ入り)
・26歳*3年後に県少年6年準優勝(関西大会出場)
・27歳*県少年5年準優勝
・28歳*全日本少年サッカー県予選3位
●29歳:福崎高へ転勤(津田創設時4年生だった子どもと)
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※30歳台「10年後の夢プラン」
(1)5年後に高校で全国へ出場(2)社会人で全国出場
・33歳*西播地区優勝
・34歳*県ベスト8
・35歳*福崎高県で3位、近畿大会ベスト8〔国体選手5名/マルセイユへ派遣〕
・36歳*審判2級審判資格習得(関西リーグ担当)少林寺拳法はじめる。
・37歳*福崎高県で準優勝/近畿大会3位〔日本ユース候補、日本リーガー誕生〕
*兵庫県社会人リーグ優勝
・38歳★全国社会人サッカー選手権出場(第1回め)
・40歳*日本リーグ最終戦(ヤンマーVsトヨタ)審判担当
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※40歳台「10年後の夢プラン」
(1)5年後高校で全国へ出場(2)Jリーガー養成
●41歳:琴丘高転勤/難病から心停止。ペースメーカー埋込(1級身体障害者に)
42歳:闘病生活(リハビリから)復帰
・43歳*西播地区優勝
・44歳*県新人ベスト4シード(神戸淡路大震災)
★全国社会人サッカー選手権出場(第2回め)
・46歳★全国クラブサッカー選手権優勝アマチュア日本一(鹿島)
・47歳*琴丘高兵庫県で準優勝、近畿大会3位〔Jリーガー3名に〕
〔日本ユース代表/Wユース準優勝メンバー/日本代表〕
・49歳★全国社会人サッカー選手権出場(第3回め)
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※50歳台「10年後の夢プラン」
(1)高校で全国出場(2)津田以外のクラブチーム創設(姫路の強化
(3)グランド建設 (4)カウンセラー資格獲得へ(新たな挑戦)
・50歳*スポーツクラブエストレラ創設(のちNPO法人化)
・51歳★全国社会人サッカー選手権出場(第4回め)
・53歳*琴丘高兵庫県で準優勝、近畿ベスト8
・56歳*NPO日本教育カウンセラー協会公認中級カウンセラー資格獲得。
・58歳*全日本少年サッカー県準優勝、県少年6年3位、関西大会出場
・60歳(琴丘高校再任用)
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※60歳台「10年後の夢プラン」
(1)グランド建設と自然夢パーク(2)エストレラと津田の強化、育成。
●63歳(姫路高校再任用)
・64歳*近畿スポーツ少年団ブロック優勝
・65歳*西播地区準優勝/県リーグ参入戦出場*少年5年県準優勝、関西大会出場
◆退 職
※「10年後の夢プランの継続から夢実現へ」

エストパーク

エストパーク詳細

 

たるさんの部屋UPしました

「たるさんの部屋」                 平成28年3月

卒業って何から卒業するんですかね?
生徒を送り出すという、毎年寂しい思いをする時期がやってきました。

出会った生徒たちを振り返る時期です。
怒ったり、泣いたり、大喜びをしたり、、、思い出をたくさんもらったり、、、
今はサッカーだよりや通信だよりなどを読み返したり元となる気づき書きとめた
メモを整理しまとめ反省する日々です。

ボールにつまづき倒れていた頃に出会った子どもたちが成長する姿を見ると
「思い入れ」が強くなる。そんな子たちともう会えなくなると思うと、、、
こういう思いを繰り返し43年の月日が流れました。

卒業(卒団)とは「旅立ち」過ごした場から「巣立つ」ことですよね。
だからこそ笑顔で明るく送り出さないとと、、思うんですが、、
毎年苦しくなるのですがこの気持ちはなんなんでしょうね?!
(みなさんにはなかなかわかってもらえないでしょうが、、、)
「いつまでも一緒にいたい。将来の「夢」を共にめざそう」と思うと辛くなる。
(いけないとわかっているのですが、、)子離れができないんです。
人のことばかり考えてるこの性格は43年間も続きこれからも直らないと思う。
本当に厄介な人間ですみません。でも、付いてきてくれる生徒も親もいるんです。
津田の〔ぬるま湯〕から飛び出し厳しい世界へ出ないと成長はないと願っている
親もいれば一方ではあたたかくて「ホッ」とする「ええかげん」が好きという方も。

私が43年間教師生活の経験から(断言)できることは
思春期(高校)年代は人として成長する時で絶対に〔教育/心の育成〕が必要です。
プロになるうまくなる試合に勝つことも大切ですが、この年代こそ強いメンタルを
身につけて心の綺麗な大人にならないと長い人生とんでもない将来が待っています。
高校退職しても自分の教職キャリアやカウンセリングマインドなど駆使した
得意な分野を発揮して思春期年代に「人間のプロ」を伝授し養成したいです。
第一は人間性。それが身につけば自然とサッカー技術も身につくものです。
人生「大器晩成」=思春期年代こそじっくり心を熟成する時期です。
でもこの考えも一人よがりかも知れませんね。
自分が自分がという傲慢(ごうまん)奢り(おごり)我がままかも、、、
私よりたくさんの素晴らしい指導者がおられその方々に預ければ人として躾け
育ててもらえますよね。そう祈り送り出すしか私にはできません。
純粋で素直な少年時代を大事に大切に愛(いと)しむように育てた子どもたちが
「しまった。。、こんなはずではなかったのに」と過去にも悩み後戻りできず
やり直しもできないまま一人苦しむ子どもたちを数多くみてきました。
このことが一番辛く悲しいですが、、(子どもの頃は凄かったのに)、、と。

話はかわりますが退職を目前にして今すごいことが私の周りに起こっています。
こんな私の指導方針を理解し信じて子どもを預けていただいた親御さんたちや
付いてきてくれた教え子たちが私の「夢ステージ=教育/心の育成の場」建設を
私の後方から多くの「徳」を持った人たちが支援し応援をしてくれているんです。
「お世話になった先生にせめて何かはできないか。。。」と聞きつけて、、、
(義理堅く恩を忘れない)親御さんたちや教え子たちの「あたたかい思い」を
すごく感じています。この思いがこれからずっと永遠に続くんです。
こんな〔幸せ〕な男がいるでしょうか??涙しながらの感謝の日々を過ごしてます。
65歳。今後の人生「この人たちのために返していこう」とあらためて誓ってます。
持つべきものは親御さんたちと付いてきてくれた教え子たちです。
夢実現に向けて突き進みます。詳しくは次号で、、、、