おっさんたちの「涙、ナミダ、、、」
        
  小春日和の中、紅葉が美しい三木防災公園サッカー場でおっさんたちが涙した。
 記念すべきその日の試合のスタートメンバー(GKを除く)の平均年齢は33歳。

  県下社会人都市リーグ決勝大会で県リーグ復活をなし遂げた。
 姫路社会人1部リーグを圧倒するも決勝大会では初戦から苦戦の連続。
 特にベスト4からのリーグ第1戦は後世に語り継ぐ死闘だった。運良く2ー0と
 リードはしたもののピンチの連続。疲れがピークの時間帯に肇(中村)が前線からの
 チエシングが相手GKミスを誘って3ー1。勝ったか?、、だが力は相手が一枚上。
 すぐに3ー3に。引き分け勝点1点が精一杯か、、時がすぎるのが長い、、苦しい。
 体を張って守っていた梅崎と一磨(三木)。一磨からのピンポイントのロングパスが
 裏へ走ったイケ(池内)に合い、イケの見事なトラップからGKかわして決勝点。
 県リーグ昇格のために仕事の合間をぬって必死にトレーニングをしていたイケ、一磨、
 ウメ(梅崎)、肇たちの執念がみれた。よかった。県リーグ昇格につなげた。

  その最終戦は立ち上がりいい時間に一磨のFKが決まり全体が落ちついた。
 後半10分に木下の追加点。点を取りにくる相手に対して県リーグ所属10年以上の
 経験を生かし熟練されたうまい試合運びに安心して見ていれた。
 30分にショートカウンターから逆サイドへ展開し肇(中村)が決め勝負あった。
  勝志(小島)の試合後の話では
 「最後10分あたりから過去の先達たちの顔が浮かび涙が止まらなかった」と。
 勝志に落ちていくチームの監督に指名したものの貧乏くじを引かしたようで、、、
 でも勝志の人間性(人のために生きる)に部員が魅かれいつしか「勝志を男に」と
 戦っているのが感じられた。勝志だからこそ一つになれた、ほんとうにありがとう。

  イケ(池内)には感謝以外ない。津田の生え抜きでも俺の直接の教え子でもない。
 ナイターで会うたびに「先生!絶対上がりますよ」と声かけてくれ幾度のゲームを
 イケが救ってくれた。イケと約束通り抱き合えて喜べた。よく津田に来てくれた。

  次に抱き合えた浜チャン(浜田)。浜チャンの涙も感動的。きれいな涙。
 琴丘高の黄金時代(播戸、増川ら)の副将。華やかで個性豊か、というより時には
 我がママな連中の中一人縁の下の役割、雑用、嫌な仕事を黙々とやりつづけていた。
 兵庫県準優勝、近畿大会3位などの栄光も浜チャンなくしてはなかったと思ってる。
 その浜チャンが高校卒業後15年余ずっとズット変わらずそばに居つづけてくれた。
 姫路市リーグに落ちようがベンチ暮らしになろうが週末いつも大阪からかけつけた。
 津田のために俺のために最大の功労者だと思う。浜チャンに何か返さないと、、。
 やはり栄光の陰ではこういう男が必ずいるもの。世の中こんな男で救われる。

  琴丘高黄金期からチームが一つになれず力を出し切れずいた2学年下。
 秋の選手権まで残ったのが肇(中村)、渡辺弟、竹村の3人。
 この3人が琴丘高時代やり残していたものを津田社会人に求め努力してくれた結果
 「全国社会人大会出場」で夢を共有できて喜び合い、一方では関西リーグ昇格を
 めざした関西府県リーグ決勝大会を幾度もあと一歩で逃し続けた悔しさをも体験。
 10年以上も津田を支えてくれた3人がこの日も再び栄光を取り戻してくれた。

  昨年苦しい状況の中ウメ(梅崎)の決断でエスト姫路から津田へ移籍。
 そのウメに賛同するように多くが市リーグレベルに過去の栄光を捨てて来てくれた。
 ウメは勝志に負けない人間性、声とリーダーシップはチームを引っ張った。
 ウメ(梅崎)と同期で「全国社会人大会出場」を経験し、持ち前の運動量と
 激しいプレスで県リーグではなくてはならない存在だったタカ(小林)が津田に
 戻っても活力を与えていた。

 

 チームの中核年齢としてはスピードが売りの白国とシャープなドリブルを武器な
 さとし(木下)が躍動感を提供してくれチームに明るさをくれた。
 どこでもこなせる浩介(橋本)もスタートでは一番若い(でも26歳)が存在感が
 あった。新婚旅行を延ばして津田のために、、、浩介もいい涙を見せてくれた。
 浩介と同期のなかちゃん(中谷)も長い間ケガで苦しみ、一時はサッカーから
 離れるかに見えたが、なかちゃんのキャラ、試合中の声は欠かせなかった。

  一番キャリアがいるGKが21歳の井上たくじ。たくじもイケ同様に津田卒でも
 琴丘卒でもない。でもここまで来れた道のりに「たくじ」なくしてはあり得ない。
  キーパーグローブの中は近日仕事でケガをし4針縫った状態だったとは試合後に
 聞いた話。一人しかいない責任感。経験不足、年齢が一番下など不安さは想像
 しがたいほど緊張感の中の戦いだったと思う。ありがとう「たくじ」これからも、、、

 当時岡山へ通う高校生として津田サテライトに入団。その後ニシ(西村)は努力で
 トップチームに上がりついにはH15年全国社会人大会では埼玉スタジアムに居た。
 生え抜き中の生え抜き。忙しい仕事の合間に顔を見せてくれ得意の右からのアーリー
 クロスやシュート力を発揮してくれた。

 卒業後長く顔を見せなかった琴丘高主将だった大崎が「まさか、、」津田に入団を
 希望してくれこのチームの一員で戦ってくれたことも嬉しいことの一つ。

 琴丘高時代「誠実」でまじめ、人望の厚かった加藤がその人柄をそのまま発揮し                                       「人のために」やるチームコンセプトを貫いてくれた。

 たかゆき(藤本)が得意のボールコントロールの確かさをみせてくれる一方                                     表現力に乏しいたかゆきの頑張る姿は仲間にも大きな影響を  与えたのは嬉しい。                                        

 そして陽介(統括部長)ジュニア・俊吾(三木)
 チームの得点源として大暴れして相手に脅威を与えたドリブルとキープ力は通用。
 これから大いに楽しみ。この先どこまで通用するか大きな夢を持ってほしい。
 それとこれからはもう俊吾の同期、年代あたりの時代がやってくる。
 こういう経験を同年代に伝えてこれからの津田の希望、「灯」になってほしい。

 琴丘高から関西学院で活躍。関西学生代表からサンガへ。栄光も挫折も味わい津田に
 戻ってきた一磨(三木)。帰ってきた時の若さ、サッカーのギャップの大きさに
 イラダチを隠せない日々。味方に主審に浴びせる痛烈な言葉。これももっと津田を
 上へ引き上げたい一心。それが年を重ねるごとにいい意味で大人になっていった。
 そして今年は年齢が一番上の自分が先頭で立って身を持って頑張ることでまわりを
 引っ張った。体はあらゆるところに故障があるのに一磨はつねに全力で体をはった。
 最も目についたのは後輩の言葉や指示に耳を傾ける一磨に姿だった。
 一磨の成長が見れたのが嬉しい。ほんとうに一磨ありがとう。お疲れさま。

 最後はナベ(渡辺智朗)
 県リーグでは長き監督を務め、退いたあともトップ(今のエスト姫路)を気にかけて
 くれ、一方では自分で津田トップのプレーヤーとしてこの日のチャンスを待った。
 少年のスタッフにも着任。何かで津田に返そうとしている姿。
 みんなが集える場所、なごむ場所、議論する場所、喜びを共にする場所を提供してくれ
 多くのメンバーがお世話になった。ナベ抜きでは今回のストーリーは語れない。
 ありがとう。ナベ。これからも「人のために」「子どもたちのために」
 俺もナベに負けずに頑張る。いつまでも、、、、今の少年たちが戻って来るまで。。

 一昨年JFL(J3)めざして津田からエストレラ姫路を立ち上げたものの県1部
 降格という今までにない屈辱を味わう。そんな中で今年は2部で優勝し1年で1部
 復帰しあらためて関西リーグ入りをめざす。この1年でエストレラ姫路も確かに
 大きく成長した。違ったエストレラ姫路が誕生する予感。これまた楽しみである。

 みんなありがとう!
 苦しくて悲しい出来事の多い一年だったが、、、救われた。