たるさんの部屋                   ・H29年12月末
             (1年間の)お 礼

  はや1年が経とうとしています。
 昨年は退職直後、エストパーク建設のために教員生活と全く違う分野などで
 たくさんの人たちに恵まれた出会いのおかげで「あっ」という間に「完成」の
 運びとなりました「強運」を感じた1年でした。

 今年は多忙な昨年と比べゆったりとした自由な時間が過ごせました。
 穏やかなこの1年を待つかのように2つの大きな出来事がありました。

*1つめ:6月父親が他界。
 父は昭和初期を代表する職人気質(かたぎ)の生き方。
 人が好きで私の友人や教え子が来宅すると「上がって飯でも食べていけ」
 「ゆっくりしていけ、わしが送ったる」遅くなると「泊まっていけ」が口癖。
 津田小学校で試合があるとメジャーやラインカー、石灰、ロープなどを軽トラに
 積み込んでライン引き。ゴールネットや整備用具の修理にとおお助かりでした。
 弔問客の多くが「お父さんには本当にお世話になった」の声にあらためて尊敬。
 オヤジの性格(DNA)がそのままに私の中に脈々と生きています。
  死の前日。歩けなくなった父が私のおんぶに初めて甘えて乗っかってくれた。
 最後の夜は家族がオヤジと二人っきりにしてくれ、夜中手を握りさすっていたら
 悟ったかのよに旅立っていった。眠るように、、、、
 残念なことはエストパークを見てもらいたかった。
 「よくがんばったな」と言ってもらえたかな?

*2つめ:11月三女好美が結婚
 家族を失う一方で新たな家族も出来ました。
 琴丘高サッカー部のマネージャーとして通学。卒業後はエストのスクールコーチを。
 審判活動では私の夢を追うように史上最年少(21歳)で日本最高峰の1級資格を。
 丁度なでしこが「Wカップ優勝!」など日本女子サッカーが最高潮の時期でした。
 だが度々の病やケガに手術、入院等を繰り返し10年近く苦しみどん底を味わう。
 その経験から自己と向き合い幾度か断食を繰り返し全国の神社仏閣を巡るかたわら
 「食」の大切さから自然食マイスターの資格を取る。また心理カウンセラーや
 ヒーラーとして終末施設で末期ガン患者に寄り添い「人のために」過ごしていた。

 その好美が※大塚晴弘さんと挙式を。
 結婚式当日は生徒や部員ではなく「娘:好美」に涙する一日でした。
 現在は人の体と心に優しい「※オーガニックカフェ」の開店準備に向けて
 奔走中です。また覗いてやって下さい。

*私の1年は45年目になる津田少年の朝練(6時30分出)から一日が始まり
 地域や学校、施設関係などから講演依頼を今までの実体験を中心にお話させてもらっています。
 ずっとやりたかった教育カウンセラーを生かせた活動もいい感じでできました。
 1年間ほんとうにありがとうございました。
 来年度も樽本家、津田、エストレラをどうぞよろしくお願い致します。

 ※「カフェ(AMETUTI)」(1月11日オープン)
  大津イオン南500m(大津小学校東道路を大津イオンに向かって右側すぐ)
 ※「大塚晴弘=ハルさん」は昨年までプロレフリー、国際審判として活躍。
  週末はJリーグ担当の傍ら好美と次の人生(似顔絵書き)を歩み始めました。