たるさんの部屋
          (前号の「普通」って、、、)に続く
           「普通」でまじめな子危ない!!

*「普通」でまじめな子は
  苦しくても一生懸命がんばっていればいつかいいことがある。
  汗水流して必死にやればやっただけ報われるもの。
  おかあさんやまわりの人の喜ぶ顔が見たいからがんばる!
 「人のために」何ができるか工夫し考えがんばる!
  できないのは「自分が原因」と自分を責め悩む。
  弱さや甘さを出さずもっとがんばらないと、、、と自らを叱咤激励。

*「普通」でまじめな子は手を抜いたり休むことはしない。
  授業をさぼったり、宿題や課題も忘れることもなくきちんと提出する。
  言い訳、校則違反、遅刻、ズル休み、適当でええかげんなことなどもできない。
  まじめに必死にやって親に認めてもらいたいが「もっとできるやろう」と。
  それどころか「卒業後は、夢は、将来は、、、」と次々と期待される。
  まわりも「あの子はまじめやから大丈夫!!」と勝手にレッテルを貼られる。
 「何が大丈夫なん?、、私もさぼりたいし、休みたいわぁ~~
  時にはワーッと叫んだり、助けを求めたり弱音も吐きたい、、、しんどい。
  でもおかあさんを悲しませたくないから、、、、我慢しか。。。」

 「友だちは大切。何でも相談できる子を選びとよく言うけど、、、、
  その友だち関係が難しく厄介なんや」
  携帯やラインのやりとりなど周りからは「孤立」し無視されないことが一番。
  仲間外れやイジメにあうなど一人ぽっちが最大の恐怖。
  甘えたりわがままを言い許しあい安心できるのが親友のはずが
  周りに同調し作り笑顔で対処して無事平穏に過ごすこととなると疲れる。

*「普通」でまじめな子は
  さまざまなことをきちんとやらないとと自らを追い込んでいく。
  それがうまくいかず解消できず抱え込んでいくとストレスとなる。
  寝不足になり徐々に疲れがたまり心身共ボロボロに。
  やがて、、、、
  誰もいない世界へ行きたい、現実から逃げ出したい。
  鍵をかけ家に閉じこもり一人になりたい。
  親もまわりも「えぇ-突然どうしたん?今までふつうやったのに、、」
  と驚くが突然ではなく積もり積もったものがマグマのように、、、
  そんなに苦しいなら「言えよ」と簡単に言うけど
*「普通」でまじめな子は「言えない」
  心が折れ、我慢の限界に、やがて起きれない、アレルギー、喘息、自律神経など
  さまざまな症状となり出てくる。そして「鬱(うつ)」に。
  こんなに苦しいなら死んだほうが「楽」かな?って考え始める。
  悲痛な心の叫びのサインを何度も何度も出すが、、、
  親は気づいてくれるかな??
  親は「あの時気づいておれば、、、」とはならないようにと願う。

*一番苦しんでいるのは「普通」でまじめな子かも知れません。
※世の中「命より大切なもの」はありません。

  たるさんの部屋
              おかあさんの後ろ姿(1)

    躾け(しつけ)・・・親の(おしつけ)・・・子どもに(つけ)が、、、

  子どもが起きる前朝早くから仕事へでかけるおかあさんからの書き置き。
 朝食の食卓に「おにいちゃんへ。帰ってきたらおやつを買って」とお金が。
 帰ると近くの駄菓子屋で妹と弟の分を買うが自分の物は買わず貯めておく。
 理由は時として「このお金でおやつを、、、、」の書き置きがない日のために。

 大人になって振り返ると僕は好きなサッカーができるからしんどいと
 思ったことがない。
 辛く苦しかったのはおかあさんかも知れない。
 それでもおかあさんのグチや文句を聞いたことがない。
 そういうおかあさんを見て育ってきた。妹も弟もきっとそうだと思う。

 授業参観や運動会。サッカーの試合も見に来てくれることはなかったが
 寂しいとは思わなかった。おかあさんの大変さを知っているから。
 僕には先生や友だちがいたし、なにより好きなサッカーがあったから。
 特に先生や友だちにはよく家に呼んでもらって「おやつ」などいっぱい
 食べさせてもらったし。
 そんな話をしたら、おかあさんが「ごめんね」と言われるのが辛かった。

 おかあさんはほんとうに優しかった。
「勉強しぃ」とか「お手伝いしろ」とか絶対に言わなかった。
 おかあさんが家で休んだりTVを見たりゆっくり新聞や雑誌を読んでる姿を
 見たことがない。
 家事をしてるか仕事で疲れて帰っても内職をいつも物静かにやっていた。
 そういうおかあさんがそばにいてくれるだけでよかった。

 僕はいつも全力でがんばった。
 自分でできることは自分でしようと思っていた。
 友だちやみんなに「あれしろ、こうしろ」とえらそうに言ったことはないし
 文句も言ったことがない。
 自分ががんばっていればみんなもわかってくれる仲間だったから。
 それはおかあさんがそうだったのを見てきたから。

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*彼はいつも笑顔で厳しい練習も雑用も何一つ文句を言わず黙々とひたむきに
 打ち込む生徒だった。だから仲間も後輩も先輩までもが、また他のチームからも
 尊敬され慕われていた。未だかって彼を悪くいう人物に出会ったことがない。

 私の人生訓である「一所懸命、ひたむきに」は彼がくれたのかも知れない。

             おかあさんの後ろ姿(2)

  その生徒は練習前や遠征中、部室前でもスパイクを磨いて手入れを怠らない。
 雨、芝生、固いクレー、その時々にスパイクが違う。
「こだわりか、、、?」ここまでやるにはある意味プロ意識か、、、

 ある日、大雨の泥田のようなグランドでの試合後女子トイレから出て来た
 おかあさんたちの会話が聞こえてきた。
「すっごい雨やったね、田植えみたいや。さぁ~今日はいっぱいの洗濯物の
 お土産があるわ、、、」と楽しそうに。
 そんな会話を耳にすると誰のおかあさんか気になるものです。

 引退試合でそのおかあさんと話す機会がありました。
「先生、これで子育ても終わりました。
 子どものおかげでほんとうにサッカーが好きになり楽しませてもらいました。
 好きなことに打ち込んでる姿を見るのが誇らしく親として幸せでした。
 あの子らに感謝です。これからも子どもたちは好きなように生きてほしい。
 2年後主人が退職です。
 子どもに迷惑をかけたくないのであとは主人の実家で暮らします。
 子どもらは姫路がいいらしいので先生あの子たちを頼みます」

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 卒業後、うち(自宅)で打ち上げ。少し酒が回った時その生徒との会話。
「子どもの頃から几帳面?きれい好き?いつもスパイク磨いていたしグランドに
 よって履き替えていたし、、、」と質問すると
 (返答は意外にも、、)
 自分の部屋は片付けないし、おもちゃもほったらかし、全て出しっぱなしでした。
 それでも学校へ行くときは「靴」がピカピカに綺麗に拭いてある。
 泥だらけで遊んで帰っても(母)「泥だらけやな、靴も服も、何して遊んだ?」
 と楽しそうに聞いてくれたらしい。
 一度だって「汚いなあ、もう、、汚すなよ」と怒ったことがなく次の朝は綺麗。
 スパイクを買い初めの頃はいつも(母)が拭いて磨いてくれたそうで
 「このスパイクで何点取った?今度点取れるようにお祈りしながら磨くわ」と
 おかあさんが言った日からサッカーの話をしながら一緒にスパイクを磨いたと。

 ある日「雨や芝生やグランドによって違うわ」と言うとおかあさんが
「一足履きつぶすよりいろんな形を2、3足使ったようがええんと違うか?」
 と、すぐに一緒に買いに行ってくれた。
 その日なんと3足も買ってもらったが子ども心に「うちはお金持ちでもないのに
 すごい金額や、悪いなぁ~」その日から「物は大事に使おう!」
 手入れもして用具を粗末にしたりほったらかしにしなくなった。
 その日からいろんな物を大切にする気持ちが大人になった今でも続いている
 おかあさんから「物を大事にしなさい、もったいない、綺麗にしなさい」って
 言われた記憶はないが大人となって今生活していても掃除、洗濯、料理など
 苦痛ではなく何でも一人でできる。

 そういうふうにさせてくれたのはやっぱりおかあさんかな。