たるさんの部屋
<今年を振り返って>
ただただ「ありがとう」しかありません。

3月30日(日)姫路高校サッカー部から家族を招待してのサプライズ「送別会」。
これには(涙、ナミダの)感動!何ともいえないあたたかさの中で43年間の
高校教員生を終えることができました。

・15’11月:エストレラ理事会の承認を受けて「toto助成金」申請手続き。
・16’4月 :「toto助成金」決定。6月:グランド「地鎮祭」
・16’11月27日:エストパーク「竣工式」。

夢のような話が実現した素晴らしい1年になりました。
これには2月に(A先生)との出会いがなければなかったかも知れません。
(先生)は私の邪悪な心、迷い、戸惑い、悩みを聞いていただきました。
手を合わせ常に感謝する生き方をあらためて教わるとともに
「夢実現」の「決断」へ大きな力で後押しをしていただきました。

「人の喜ぶ顔が見たい」その一心で大病もし家族を見返ることもせずに
やってきました
気になる、困っている人や生徒にはできもしないくせに何とかしてやりたいと
「お節介」な性格を43年間通させてもらいました。

(A先生)曰く
「退職後に樽本先生にとんでもなくすごいことが起こります。一気に花が咲きますよ。
そしてそれは11月にやってきますよ」半信半疑の私に。
「樽本先生から多くを学んだ生徒さんが「先生の夢」を今か今かと待ち望んでいます。
そして夢に向かっているとたくさんの人と出会っていきます。
その人たちは「人のために」生きてきた先生の夢に「一緒にやりましょう」と
笑顔で集まり、力の結集が「グランド完成」に繋がっていきます。
「出会い=繋がり」それは偶然ではありません、必然なんですと。
だから樽本先生がやろうとする(他者、社会貢献)ことに失敗は起きないのです。

***まさにその通りでした***

次々と新しい出会いがありその人たちのおかげでグランド完成となりました。
嬉しいのは教え子たちの「喜ぶ顔」が見れることです。
教え子や出会った人たちにただただ「ありがとう」しかありません

※みんなと一緒に夢実現グランドを「祝う」ために
・12月24日(土)「クリスマス
・1月3日(火)「初蹴り」を計画しました。ぜひ来て下さい。
(*詳細は津田HP「エストパークコーナー」に掲載)

この場を借りてですが本当にこの1年ありがとうございました。
でもまだまだほんのスタートですが、、、
今後も笑顔で心豊かに過ごせる居場所作りに邁進します。
どうかよろしくお願いします。
良いお年をお過ごし下さい。

 
私のサッカー人生は少年、高校で「全国」を夢見ながら「あと一つで。。。。」
常に悔しい思いの繰り返しだった。だがあきらめず努力をつづけた結果
1996年「全国社会人クラブサッカー選手権」で優勝を果たすまでに至った。
鹿島スタジアムでのアマチュア日本一に輝いた歓喜の喜びがそこにあった。
「続けていて良かった」と。
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*以下に平成6年度兵庫県高校HR教材用の副読本になった
福崎高サッカー部主将の卒業文集を掲載する。

あと一つで、、、、

高校生活三年間を振り返ってみるといろんなことが頭の中をよぎっていく。
その中でもサッカーで二度兵庫県準優勝をしたことはこれからの長く苦しい人生を
歩んで行く中で忘れることのできない「思い出」として心に刻まれていくだろう。
決勝戦に進出することは前々からの夢であったのでとても嬉しかった。
その日は生まれて最高の日でもあった。
何とも言いがたい高揚感が頭の先から足先まで充満した感じだった。
結果は負けてしまった。「あと一つで。。。。」だったのに。
とても悔しい思いがしたが「自分ながらによくやったなぁ~」の気持ちも強かった。
二度の決勝進出は貴重な体験を与えてくれた。
先輩方の苦労も少し報われた気がしたが、、、「優勝」という地位はほしかった。
先輩の代から血の滲むような練習をしてきた。
毎朝5時に起きて厳寒の中で地面に食いつくトンボでコンクリートの様な固さの
グランドを整備した。今頃、みんなはまだ寝てるやろうな、、、
休憩時間、昼休み、アイスクリームを食べながら楽しそうにくつろいでるみんなを
横目に見ながらグランド整備と石拾い。
真っ暗になるまでボールを追い、帰れば8時はとっくに過ぎていた。
そんな毎日だが少しも苦しいとは思わなかった。
好きなサッカーをやっているんだと思うとどんなことでも我慢できた。
そんな厳しい練習と気づいてやる雑用をやり切っても神様には通じなかった。
こんな福崎という田舎の学校の地道な努力が全国や県内各地から有力選手が
集まる環境抜群の有名私学高校にわかるはずがない。
うちには初心者も多く日本やユースを代表する選手などはいない。
こんなチームが決勝戦に進出することでレベルが低いとされる姫路のサッカーに
風穴を開けて夢と勇気を与えた。
無邪気にボールを追いかける少年までが応援に来て「すごい」と言ってくれる。
このことがうれしい。
自分たちのやったことがいろんな人に影響を与えていると思うと震えが止まらない。
だけど優勝だったらもっと良かったのに、、、、と最近思えてきた。
「優勝」と「準優勝」は雲泥の差がある。「あと一つで。。。。」
でもこれから長い人生を考え、歳を取るたびに壁にぶつかると思うと「準優勝」で
いいのかも知れない。苦しいとき「むちゃくちゃ悔しかった」ことを思い出して
「あと一つで。。。。」ということをなくしたい。
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私はこの生徒の「あと一つで。。。。」の思い、やり残したことこそが
今回のエストパーク完成だと思っている。
43年間私の元で戦ったきた生徒たちの怨念、力の結集だと思っている。
私は大会で負けた夜、卒業していく夜は部屋を真っ暗に一人で泣くことにしている。
「ごめんな、もっといい指導ができたらいい思い出が作ってやれたのに、、、」と。
今年の新春は一人で泣くのはやめて卒業生みんなと喜びあいたい。
その日がやっときた。