たるさんの部屋             令和元年、9月

            竜二(播戸)が引退しました

  竜二が9月13日吹田シタジアムで長年在籍したG大阪と一日契約ををして
 「引退セレモニ-」で盛大な別れをG大阪、鳥栖ファンらと催してもらった。
 そのあとサプライズに立ちあえた。
 多くの人々に囲まれ幸せなサッカー人生のフィナーレを見ることができた。感無量!

 ※竜二と出会い
  福崎高から琴丘高に転勤が決まり、むりに無理がたたり医者から寿命を切られ
 ペースメ-カ-を埋め込み何とか命を繋ぐ有り様。
 サッカーや体育教師を続けるより生きることさえ不安な日々。
 そこから1年半何とか「夢」を持ち直して前へ歩みだせた。
 津田卒である前田、柳川、三木一、赤木や他中学から渡辺、古井らが入学して3年目。
 兵庫県でベスト4シードを獲得(阪神淡路大震災で大会中止)ができて少しづつ
 「生きる希望」が出始めた頃の24年前。
 香寺中学から「何かやりたい」と目を輝かせて飢えた「ガキ(飢鬼)」そのもので
 第一印象。「この子はおもしろくなる」と予感が、、、、
 「夢は?」と聞くと即、「ガンバ大阪入団」とキッパリ答えたのも鮮烈。

 ※竜二の琴丘高時代
  積極的で常に前へポジティブ。振り返らない。落ち込まない。私とは真逆の性格。
 彼らの頑張りで姫路の琴丘高が兵庫の琴丘へ(県総体3位、県選手権準優勝)。
 近畿大会で3位になり兵庫の琴丘から関西の琴丘へまっすぐに突き抜けるように。
  朝の自主練習は一番先に、居残り自主練習は最後に学校を出て夜9時過ぎの
 播但線で帰ってうた。今思えばプロ向きの性格に練習好きの日頃から地道な
 所謂「努力の天才」であったからこそ中学年代まで無名だった子が3年間で大化けし
 兵庫国体代表として輝き出した原動力だったのかも知れない。

 ※「夢実現」・・・ガンバ大阪入団
  近畿大会や国体で注目の浴び数多くの大学からの勧誘を受ける中、なんと夢を叶える
 「G大阪入団!!」ただ練習生で月額10万円、しかも香寺から弁当持ちで約2時間を
 かけて万博練習場まで通った。「そこから苦しむかな?」と思えたがすぐにJデビュー
 半年も経たないうちに「プロ契約」をするや否や、今度は「U-20の日本代表」に。
 アジア大会予選でも活躍し一躍シンデレラボーイに。そして世界への舞台に立つ。
 ユースメンバーは小野、高原、小笠原、遠藤、中田ら日本の黄金世代の一員に。
 ワールドユースでも決勝に進出。なんとシャビらのスペインに戦う姿に我を疑った。

 ※50才を迎えた私は
  日本から世界で戦う竜二をみて刺激を受け「このままでは、、、」と考えはじめ
 これ先は教育界やサッカー指導も大きな変化を迎え、絶対に変革が必要な時期が来る。
 古い時代を踏襲していては取り残される予感がし違う角度から指導をしなくてはと、、
 心理学の勉強を始め、6年かかりで教育カウンセラー資格の取得までこぎつた。
 そして誰もが楽しめる体育の授業をめぜし、学年主任を引き受けながらサッカー部も
 やり方を変えながら取り組んだ結果、竜二ら以来の県総体準優勝を果たした。
 かたや代表を務める津田SCも30周年を経て4度の全国社会人大会へ出場すると
 クラブチーム選手権では優勝!ついに〔アマチュア日本一〕になれた。
 その一方で姫路の中学年代をなんとかしたいと仲間らとエストレラの立ち上げに
 サポートさせてもらい現在も理事長として側面から支えさせてもらっている。

 ※ワールドユース後の竜二は
  G大阪から元全日本岡田監督に請われJ2札幌へ。得点ランキング2位の実績を。
 そして大好きな憧れの三浦カズ氏と一緒にサッカーがやりたくてV神戸へ。
 V神戸では得点ランキング上位に位置し不動のスタメンを勝ち取るまでに、、、
 カズさんが移籍すると当時Jトップレベルにいた敢えて競争の厳しい古巣ガンバへ。
 宮本、橋本、遠藤、加地、山口、明神、今野、マグノ、ルーカスやそうそうたる
 メンバーと水を得た魚のようにここでも得点上位の実績を積み上げる。
 6試合連発ゴールや幾度かのハットトリックなどニュースには事欠かず
 国立競技場で延長決勝ゴールを決めて「天皇杯制覇!」
 横浜国際競技場「トヨタクラブ選手権準決勝」ではルーニ-、ロナウドの
 マンチェスターUの一戦を真近で家族や孫らと観戦し大興奮。
 ACL(アジアチャンピオンリーグ)でもアジアクラブNo1に。
 その活躍がオシム監督の目にとまり、ついについに「日本代表入り!〕を果たす。

 ※30才(2010年)からの竜二とその頃の私は、、、
  当時J1復帰したC大阪ではチームを上位に押し上げ、鳥栖に移籍すると
 ネームバリューを上げるとともにJ1の強豪チームの一助に。
 大宮をJ1に琉球をJ2の昇格に貢献。「昇格請け負い人」の面目躍如。
 その頃私は還暦を迎え、津田、福崎高、琴丘高らの卒業生らを祝ってもらう前で
 「退職後にサッカー場(人工芝)建設」を公言、平成28年に完成し竣工式の
 ゲストには竜二に参列してもらった。

 ※竜二の人なり、、、とこれからの竜二
  45年近くサッカーに携わり多くのサッカー関係者(監督、指導者)と交流ができ
 あらためて人生「出会い」ということを痛感する年代になった。
 その中でも著名な大御所と言われる指導者が竜二への「人なりの評価が高い」
 何時会っても積極的で熱く、日本のサッカーの将来などを多方面から考え、
 それを有言実行する行動力は凄い、人としても義理堅く、人を大切にして
 とくに同期や後輩への気遣いなどは素晴らしいと語っていただける。
 嬉しいことです。

 これからの竜二は日本のサッカーの「応援団長」として寄与、貢献し
 盛り上げてほしい。
 今後の第二のサッカー人生の活躍をおおいに楽しみにして影から応援したい。
 本当に楽しませてもらった。
 お疲れさまでした。