たるさんの部屋 令和元年、盛夏
あまりの暑さに、、、、でも。
エストレラのグラウンド(エストパーク)とクラブハウスの完成。
慣れないことが続き少し疲れも、、、ここでもう一度原点に戻ろう。
それは子どもとおること。子どもと遊べる日々に期待に胸をふくらませること。
その原点は毎日朝練にやってくる子どもを迎えるために校門を開けて
子どもより大きな声で挨拶し迎えること。
そして今は夏休み「子どもと一緒に居れる幸せ時間が多く取れる」
夏合宿では寝食を共にし汗を流し、がんばる子どもの「思い出作り」の一助となる。
義理の息子作の秘密基地では幼児や低学年と幼児用プール、平均台、跳び箱、すもう、
ターザンロ-プ、さまざまな遊びを工夫して共におおはしゃぎして童心に戻る。
サッカー以外の川遊びに連れて行く、また遠征先での自然遊び。
何か理由をつけてパーティを開催。手品、日本昔バカ話、紙芝居、お笑いなどの
企画を考えるだけでワクワクする。
一方では子どもに対しては体調を整え、年寄りくささが出ないようにみなりを
きれいにして接する。
一人一人を見落とすことがないよう目配り、声をかけ続け、うまくいったり
がんばったら褒めて褒めまくっては触れ合いスキンシップをはかる。
特に準備や、かたづけ、人のためにやれば全員の前で称賛の拍手とほめ言葉。
しかし約束を破ったりダメなことをやれば本気で(余裕を持って)叱り飛ばす。
だが怒ったあとは倍返しでほめる、抱きしめる。怒ったままでは帰さない。
生きている限りは少しでも人の(子ども)ために役に立ちたい。
子どもが失敗しミスするたびに心の中で「ヤッタァ~」と喜んでしまう。
それは意地悪ではなく子どもは失敗しミスするもの。失敗しない人間なんかいない。
そこから成功にどうつなげるかを楽しみに見守る、、、、
だが時間がかかる。が、待つ、我慢する、あの手この手をその子に
(出すぎないように)アドバイスしながら、、、、そしてうまくいって
楽しそうに帰る後ろ姿を(よかったな)と見送るとこちらまであたたかくなる。
サッカーに勝って喜び、選ばれて社会から評価を求める子ども(いや親かな?)が
多くなった今日この頃
人のために喜んだり、悲しんだり、人との交わりの中で<生き甲斐>を見つける
子どもでいてほしい願う。
グラウンドを見渡すと45年前に出会った子どもがいて、私自身が夢を追い続けた
各年代の教え子たちもスタッフとして同じ道を子どもと共に歩んでる姿を見ると
なんとも言えない安堵感(繋がり、絆)を感じる。それはサッカーを通じて
「子育て」を「一途に迷わず続けてきた結果かな」とも思う。
これからも体の続く限りつつましく一所懸命に〔子どものために〕生きていきたい。