きれいに、きれいに、さわやかに

高校生が成長する過程を短期間で出会いました。そのことを紹介したくて掲載します。

それは勤務し監をしていた姫路高校サッカー部の出来事です。

赴任して約2年間、6月新チームから取り組んだことです。

それまでは力はありながらなかなか発揮できないクラブでした。

「強くなりつつあった(進行形)」一つめの要因は私はこう思っています。

それは

きれいになっていることだと思います。

グランドが常に軽備してあり鏡のようにきれい。ラインが真っ直ぐ引いてある。

ジャージ類が揃っていてきれいにたたんである。靴も並べてある。

清掃が行き届いてる。練習中ボールをはじめ使用する用具もきれいに集めてある。

見渡すと「きれい」に環境が整っている。

クラブ活動は鍛える場であり、かつ「日本一きれいに」をスローガンとしていました。

二つめの要因は

人(高校生)として「きれい」に「さわやか」になりはじめたこと。

第一印象が大事な挨拶。「挨拶をしてます」というやらされてる挨拶ではなく、あたたかく親しみが感じられる挨拶ができはじめました。

声を出すか、会か、黙礼か、つまり時と場面を考える対応力(感性、気づき)。

試合前後に交わす相手との握手。包み込むように両手で心から相手に敬意を表す。

握手された側もきっと何かを感じていると思われます。

ゲーム中にケガをすると敵味方関係なく治療に走り(私のチームの伝統)

緊急時には担架がわりにベンチを運ぶ姿がまたいい。

そうすると「市姫高と練習試合がしたい」という申し込みが増えてきました。

初めは先生方が私を目で来校したり練習マッチの相手をしてくれていたものですが今は間違いなく市姫部員たちと交流したいと望まれています。

それは相手選手だけでなく先生方、保護者、サッカー関係者も声を揃えて「気持ちがいい」「きれい。さわやか」と評価され始めてることをみてもわかります。

「見ていると親の私たちにベンチや椅子が出てくる、お茶までも、、、」と感謝されている。

県新人戦予全力を出しながら飾磨高にれ県ベスト8の目標を失いました。

PK負けのあとの整列。堂々と胸を張りきれいに挨拶していたのは大崎先輩が築いてくれた(かっこよさ)を継承してくれました。

結果は時の運で、「いさぎよさ」が嬉しかったです。

私の仕事は部員たちの心の中の「汚れ」をきれいに掃除をすることです。

あまりサッカーを教えることはありません。

モチベーションを上げ「やる気」を起こさせることには細心の気配りをします。

生徒は自分自身で気づくと、自分で学ぶことを始めます。自分でやりだすとそれがチームへと伝わってゆるぎのない「いいチーム」へと育ちます。

このことは福崎高でも琴丘高でも実践し、それを市姫高でもやろうとしていました。

過去結果を残せた学年は間違いなく「きれいに」なっていました。

今の市姫高サッカー部員も近づこうとしている(それも自然に)

そのことはきっと自分でも昨年の自分と全く違うと感じると思います。

それが人(高校生)として成長している証であります。

そばでそれを見ている私にも安心感があり「ほっ」とします。

レポートに「感謝」の言葉が増え自分自身を見つめる文書も多くなりました。

内面に潜む自分をさらけ出して書いてくるようになりました。

それと同時に生き方の探究である「人のために」がレポートに出て、行動し始めた。

自分で頑張ってもうまくいかないことが起こる体験をします。

ミスや失敗をして負けて、泣きそうになる、悔しくて眠れない。逃げ出したくなる。

うまくいかないことの連続なのに、いい顔になっていっていきます。なぜ..?それは、嫌なこと苦しいことも「受け入れる(寛容)」能力が付いてきたからです。

しかし人間って学年が上になっても大人になってもわからない者はわかりません。

自分で「気づこう、直そう」としない限り歳を重ねても直らないものです。

「静岡違征」先では、掃除しているおばさんに対し頭を下げ(ご苦労さまですと)

掃除場所を避けて「端(はし)」通る心配りは自分たちが日々掃除をしてるからです。

そのおばさんこそが「時之栖スポーツセンター」を興された施設長=阿部先生の奥様だったのです。

宿泊先「御殿場高原ホテル」周辺での彼らの行動、ふるまい。雰囲気。

みんなを見られた先生、コーチ等から好評価を得ていました。

すると「連れて行って良かった」気持ちがいいものです。するとまた部員たちに「お返しとして何かしてやりたい」と思うんです。

もっと自分を磨いて徹底して心の中の汚れを取ってやりたい、と。

「きれいにする」それに尽きると思います。

西播優勝とか、県でベスト8とか、試合に勝つことも大事ですが「きれいに」なればまわりに「人」が生まれ「人」が集まります。

人生で夢を持って生きていくためには絶対に「人」が必要だと思いませんか?

私が死にそうだった時に、その時こそ「人」がいてくれ共に悲しんでくれました。

今、私の「夢実現」に多くの人が力を貸してくれます。嬉しいことです。

うまくいった時に一人で喜ぶのは寂し過ぎる。涙を流して喜びあう「人」がいる。

そんな人々に囲まれた時こそ「人生の勝利者」だと思うのです。

退職のとき、横断幕を贈呈。

きれいに、さわやかに

の文字で。