◆子育てママ塾◆:テーマ:子どもの「自立」「自信」「意思」

○保護者へ<質問1>
 僕は「不器用だ、にぶいし、どんくさいし、、、絵はヘタだし、才能ないし、
 サッカーはセンスはないし。。。」と何才、いつ頃から言いだしましたか?
<解答>
 親が「あんたはムリ、できない、不器用、にぶい」と否定をしはじめた頃からです。
※人間は生まれながらにやりたいことに〔意思〕を持ち興味のある様々なことに
 チャレンジをして「自信」をつかみながら自らの力で「自立」をしていきます。
*その証拠に赤ちゃんはハイハイして、立つこと、歩くことをあきらめません。
 幼い子どもははじめてのことだらけでいつもチャレンジします。
「失敗がはずかしい、かっこ悪い、自分は才能がない、やめた」とあきらめません。

○保護者へ<質問2>
 大好きなことに目を輝かせていた子どもが〔好奇心〕がなくなり〔無気力〕になって
 好きなことをしなくなったのは何才、いつ頃からですか?
<解答>
 親が「それって勉強に関係ないでしょ」と言いだし点数を意識し評価を求め、
 他人と比較し始めた頃からです。
 それからは人のためにや「感謝」など成績に関係ないことはしなくなります。
※ギヤングエイジ(ガキの頃4~6歳)は「なんで?どうして?」とずっと口にして
 何でもやりたがり「好奇心」の固まりであったはずで「ありがとう」って言うと
 満面の笑みを浮かべてお手伝いや用事や人のことをしていたはずです。

○保護者へ<質問3>
 僕は私は「サッカー選手、パイロット、幼稚園の先生、ケーキ屋さん、お花屋さん」
 になりたいと〔夢〕があったはず。「そんなもんないわ。夢なんかいらんし、、」
 と言いだしたのは何才、いつ頃からですか?
<解答>
「いつまで夢みたいなこというてるん?ガキみたいに、、、」と痛烈な言葉を浴びせ
「何しても、あれも、これも、あんたは中途半端やし、、、、」とバカにして
「現実をみて生きていかないと社会に出たら困るで」「夢ばかりで将来が心配」
「食べていけるふつうの仕事をついて」と親が言いだした頃から夢をあきらめます。
 人間は誰だって成功したい、幸せになりたいと心の中で願っているはずです。

○保護者へ<質問4>
「あれしたい、これもしたい」と何でもやりたがり〔意思〕を示してた子どもが
「別にしたいことないし、、、」と部屋に閉じ籠もりゲームや空想の世界へ、、、
 自分で何も決めなくなったのは何才、いつ頃からですか?
<解答>
 親や周りが「僕のことどう思っているのかなあ?」と気にしはじめ親の指示に従い
「こうしたら、、、」ということに黙って文句も言わずやりはじめた頃からです。
 親も「私に従ってくれる」と安心して嬉しくなるものです。
 そうして子どもは自分で決めずに楽な方法を選びながら〔意思〕を持たず
 親やまわりの友だちのいいなりになって生きていく。
 失敗して叱責をされるのが怖くなりチャレンジしなくなる。
 やがて努力もせずにすぐにあきらめて、うまくいかなくなると
 親やまわりや社会に「せい」にして生きていく。

◆「自立」できず「自信」を失い「意思」をなくし対人関係に嫌気をさしてニートや
  閉じこもりなど非社会的行動を取る子どもを見てやっと親は気づくのかな?

○保護者へ<質問5>
  サッカーはおもしろい、たのしい、大好きって言ってた子どもが
 おもしろくなさように、、暗い顔して出かけていくのはいつ頃からですか?
<解答>
 親も指導者も「勝てば自信になるぞ」とプレッシャーをかけ続け
「よし、いいぞ!次は県大会や、次はトレセンや。選抜に選ばれるぞ」と矢継ぎ早に。
 子どものためだとエスカレート「お前の夢はな、プロや日本代表や」と押しつけ
「そのためには気持ちや。強いハートや。根性や。決して逃げるな!!」
 親の期待が子どもの背中に重くのしかかってきた頃からです。

「なにか違う。。。苦しい、、楽しかった頃が懐かしい」「戻れないのかな?」
 子どもの苦しい胸のうちを聞く(傾聴)するどころか理解しようとすることなく
 さらに指導者が追い打ちをかける「そんなことしている場合か、元気だせ」
「俺の言うことを聞いたら勝てるから、、、パスはこう、、、シュートはこう、、、
 チームの約束ごとはこうだからを守れ!」と勝つための〔戦術〕を教え込む。
 親も「勝つ方法を教えて、、レギュラーに選んで」と指導者に求めていく。

*子ども自らが考えアイデア持ち工夫することを我慢して待つこともなく
 方針と違うプレーをすると「持つな!いらんことするな!使わんぞ、外すぞ」
 あげくに「おまえはハートは弱いし指示通り動かん、サッカーやめろ!」と罵声。
 失敗してミスして家に帰ると親という別の鬼コーチが待っている。
 「おまえのここが悪い、おまえのせいで負けた、甘い、弱い」と説教。
 やがて子どもは「失敗できない。負けることが許されない」と叱られることを恐れて
 チャレンジしなくなり指導者と親の目を見て様子をうかがい
 自らの〔意思〕がなくなり〔自信〕を失い〔自立〕ができず苦しむ。
※「スポーツ」の原点は「遊び」「遊び」はおもしろく楽しいのはずが。
 サッカーは自由な発想で自由にボールを扱い自由に動く「遊び」が原点なのに。

<まとめ>
指導者は時には突き放してリーダーシップや自立を促し自分で考え自らプレーをして
失敗を繰り返しながら習得した技術が少しづつ芽を出して、経験を積みながら
逞しく大きな幹をとなり年代が上がるたびに少年の心を失わずサッカーを楽しめ
イキイキと弾むように躍動する青年になり、それでも焦らずじっくり熟成しながら
(大器晩成) 大輪の花となって咲き日本どころか世界を席巻する選手に育ってほしい。
 少年の頃にスーパーだった子どもが「サッカーをやめた」と聞くほど悲しい
 ことはない。
 指導者や親は未来の宝物を奪ってはいけないことを肝に銘じたいものです。

参考文献:どうせ無理と思っている君へ
植松努著書