たるさんの部屋                   ・29年夏号

     数々の汗と涙と思い出と共に、、、、
                最後の夏「大山」の夏

 福崎高校赴任30歳台初めの頃「夏の入校訓練」として「大山登山」や
 オリエンテーリングを立案、実行。鍛練と称して若気の至りの指導を思い起こす。
 当時の生徒ももう50歳前後に、、、、、。
 卒業式翌日には「卒業スキー旅行」とサッカー部員やクラス担任の生徒を連れて
 冬の大山を楽しんだものだった。
 教師として青春を過ごし懐かしの思いを馳せながら
 (大病後)ペースメーカーを埋め込み再び大山にお世話になるとは、、、
 津田サッカークラブ単独で「大山合宿」を開始したのが20年前。
 そして現在の「山香荘」へは当時の施設長からのお誘いを受けて18年が経った。

 豪雨、霧、酷暑の中。一致団結敢行した「大山登山」。登り下りの約4時間余りには
 数々のドラマが、、、子どもたちは卒団式に「大山登山」の思い出を語る。
  私自身も福崎高校教員時代は生徒と先頭を切っての「大山登山」は
 この体では「もうできない」とあきらめていたが生徒に励まされ施設長に付き添われ
 「大山登山」をやり遂げた感激は一生忘れられない思い出となった。
 何より「出来た」喜びと私自身がその後生きる力の大きな源となった。

 数年後には琴丘高校サッカー部もジュニアユースと合同で「大山合宿」に加わり
 秋の県高校選手権に向けて強化、早朝より鍛えに鍛え恒例の100本ダッシュに
 ランパスを繰り返す「大山合宿」ならではの雰囲気と環境に異様な高揚感、興奮が
 高まり「できないことが出来る」「一気に変われる」のが「大山合宿」でもあった。
 そのお蔭か、、、常に県上位に進出し53歳の時には再び県総体ファイナルへと。
 それは大山での強化が大きく影響したのはまぎれもない事実である。
 そしてその「魂」は次の転勤先姫路高校サッカー部へと繋いでくれた。

 その一方では「レクレーション」では子どもたちの出し物で大いにわき、
 私が司会をし子どもたちとの「笑点」で食堂が笑いの劇場に。楽しかった。
 「たるさんのスペシャルショー」では手品、クイズ、日本昔はなしなどを披露。
 ネタを考え仕込むのも私の夏恒例の楽しみの一つでもありました。
 バーベキュー、花火、肝だめしやナイター照明の元で大いに楽しみ歓声を包まれた。

 今年もはやりドラマが生まれた。
 おとなしく覇気がなく「元気が出せ、声を出せ、自分からやれ!」と言われ続けた
 6年生が100本ダッシュ(この夏ついに500本達成)。5年生がランパスを。
 5年生は翌日「大山登山」下山後すぐになんと100本ダッシュを。
 スタッフ陣も「まさかこの子が、、、」ふだんと違った頑張りを見せてやり切った。
 その姿に「感動!感動!!」見ているコーチたちも涙流せずには。。。。
 ジュニアユースは全国レベルの強豪米子北高(サブ)が胸を貸してくれたあと
 大山締めくくりにと「ランパス30分×2本」を叫び声と必死の形相とでやり切った。
 「たるもと=大山」には100本ダッシュとランパスがよく似合う。

 母親の介護からオヤジの看病へと長く続き、樽本家を空けれられずいた20年間。
 この6月にオヤジを亡くした結果、家族ほぼ全員が大山に揃った。
 最後の「大山」と悟りオヤジからの子どもや孫へのプレゼントだったかも知れない。

 「大山」最後の夏が終わった。感傷、、、 正直寂しい。。。
 20年間「大山」を共にした生徒、スタッフ全てのみんなにあらためて感謝!!。