たるさんの部屋

★星になった教え子★(3)
*琴丘高サッカーだより第84、85、86号、神戸新聞記事から

「先生よかったね。準々決勝進出やね」と夕陽がきれいな練習後。
「さよなら」と笑顔で別れたマネージャー〔めぐ=藤井恵〕がその帰りに
交通事故に巻き込まれ瀕死の重体に。
びっくりして緊急搬送された病院へ。すでに集中治療室(ICU)内で危篤状態。
生死を彷徨いながら〔めぐ〕の戦いが始まっていた。
医者からは「いつダメになっても不思議ではない」と。

〔めぐ〕は暑い中でも凍えるような寒い日でも部員のためにグチや文句一つ言わず
黙々と裏方の仕事をコツコツやるタイプ。
料理や掃除、かたづけが好きで家庭的。洗剤負し皮膚がただれても口には出さない。
物静かで誠実。私の話やミーテングも一生懸命聴いてくれる。
オカッパ頭で背筋を伸ばして膝を軽く曲げて歩き「~~ですよねぇ」が口癖。
うつむいて歩く姿勢がふだんと違うと気になって「〔めぐ〕何かあった?」
と私に読まれる。だがどんな時も「いえ、大丈夫です」と心配かけまいと。
逆に私がちょっと疲れ気味の時は必ず「大丈夫ですか?」と。
自分が気を使われることは嫌うがマネージャーの仕事の合間にさりげなく
後方にいてくれ私に気づかい。
熱すぎず冷たすぎず季節に応じたお茶が絶妙のタイミングで出てくる。
1年時は私のクラスで集団訓練や文化祭も体育祭もよく遊んだ。
イジッても女生徒特有の「気づかい」も〔めぐ〕には無用で話しやすい。

*事故翌日10月29日
〔めぐ〕の状況を部員に伝える。
部員の驚きは計り知れずショックでボールを蹴るどころではなかった。
部員は私に内緒で〔めぐ〕の両親と病院に懇願(ICU)に入り〔めぐ〕の戦う姿を
見て、病院が閉まるまで待合室で手を合わせ立ちすくんでいたとのこと。
朝7時から5分間三女好美(琴丘〔めぐ〕の一つ下のマネージャー)と面会に。
毎日〔めぐ〕の笑顔がもう一度見たいと祈るように。だが進展はない。

*11月5日
朝いつものように面会に行くと家族がそろっていた。状況は予断を許さない。
そして1週間戦い続けた〔めぐ〕が一度も意識が戻ることなく力尽きた。
朝練をしている部員に「訃報」を伝える。
グランドは紅葉と澄みきった青空。それを〔めぐ〕は見ることが、、、、。
その日の放課後部員は部室で泣く崩れて練習に出てこないと思われたが
部室の中から「〔めぐ〕のために戦うぞ」らしき部員たちの声が響く。
きっと〔めぐ〕も部員へ
「大事な大切な大会が8日にある。なのにここ数日私のせいで練習できてない。
それはマネージャーの私が困る、練習してくださいよぉ~」と〔めぐ〕が
独特の口調で言ってるはず。〔めぐ〕の意志に応えるように部員はグランドに
整然と整列をし大声でアップ。気持ちがいつも以上に入る感じの練習。

練習後に好美とみっちゃん(嫁)を連れて〔めぐ〕の実家に。
そこには1週間戦った形相はなく薬と延命補助器具から解き放された
お人形さんのようなきれいな〔めぐ〕。
人を包み込みそうな「仏さん」のような安らかな顔で眠ってた。
クラブ中「先生~お茶です」と差し出してくれたいつもの〔めぐ〕の顔が。

●11月7日 永遠の別れ
出棺前、柩(ひつぎ)にいっぱいの花を入れてる時きれいに化粧された〔めぐ〕の
目から頬へ一筋光るものが、、キラキラ輝く宝石の涙をみんなに見てもらった。

弔 辞◇                  ー藤定るみ子ー
こんなかたちで〔めぐ〕ちゃんに手紙を書くのはつらいです。
思い出を話すときりがないね。高校入学してずっーと私の隣にはあたりまえのように
〔めぐ〕がいた。あたりまえのようにサッカー部に入ってあたりまえのように
同じ時を過ごしたね。お互いの口癖は「家族より長くいっしょにおるよな」
つらいことも一緒。楽しいこともいっぱい、いっぱい笑って、いっぱい泣いて。
〔めぐ〕の隣が私の最高の居場所でした。言葉で言い表せないほど大切な人です。
いっつも笑顔でからかいたくなる性格やから誰からも好かれ思いやりが人一倍あって
頼まれると「イヤ」と言えない。
でも私らの最後の頼みを〔めぐ〕は聞いてくれなかった。       .
「卒業式後にまた会おうな、一生の友だちでいような」と誓ったのに。

人を思いやる〔めぐ〕だからこれからも〔めぐ〕らしい笑顔で家族や私たちを
見守ってくれると信じています。
藤井恵という人と出会えてことを心から感謝してます。
なのにこんなに早く別離れなくてはならないことが悲しくくやしいです。
知り合えてよかった、親友でいさせてもらってほんとうによかった。
ありがとう!!大好きな〔めぐ〕ちゃんへ。

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<11月10日・神戸新聞記事>
琴丘、初の決勝進出!!
〔県高校サッカー〕神戸弘陵のV3阻む

○琴丘イレブンはユニホームのそでに「喪章」を着けてプレーした。
3年生女子マネージャー「藤井恵さん」が今月5日交通事故で亡くなった。
7日の葬儀にはサッカー部員がひつぎを運んだ。
その悲しみを乗り越えての決勝進出である。
後半神戸弘陵の猛反撃に耐え1点差を守りきった。
「マネージャーの分まで頑張ろうとみんなで誓い合った。しんどくなったら
喪章を握って自分を奮い立たせた」と播戸主将。
神戸弘陵の連覇を阻んだ裏には亡きチームメートの後押しがあった。

<11月16日・サンTV放映・神戸中央球技場(現ホムスタ)で>
琴丘、全国へあと一歩
〔県高校サッカー〕滝川二高に逆転で敗れる。

○ベンチには私と好美の間には笑顔〔めぐ〕の遺影が。
サンTV放映では〔めぐ〕の紹介が。
琴丘イレブンはユニホームのそでに準決勝と同じ「喪章」が。
ユニホームの下のアンダーシャツには部員から〔めぐ〕へのメッセージが。
〔めぐ〕のおかげで滝川二高相手に実力以上のサッカーが展開できた。
〔めぐ〕ほんとうにありがとう!!

◆エストパーク建設の中、神様〔めぐ〕からの御告げがあった。
「心からエストパークができること喜んでます」とのこと。
〔めぐ〕とその場に一緒にいたい。         ーー合掌ーー

 

★星になった教え子(卒業生編)★

高校を卒業し、さぁ人生これから、、というのに。生きたかったはずなのに。
教え子の葬儀に出るほど辛いことはない。

〔A男〕
琴丘が一番強く結果が出た学年。60人余りの部員の年代。
背が高くいつも胸を張って姿勢がいいものだから余計に大きく見える。
パワーにもあふれ激しい守備には迫力があった。
もう少し柔さと技術があればレギュラーを奪え近畿大会にも出場できたのに。
優しすぎる性格で一歩も二歩も下がって前に出ない。全てに遠慮勝ち。
笑うといつも細い目がなくなってしまうほど優しい笑顔が今も消えない。
ーー合掌ーー

 

〔B男〕
琴丘が県の上位の常連となり伝統高となりつつある時代。
毎年大人数が入部するがその年わずかに10名。姫路市民大会すら取れない
弱小チーム。その学年に〔B男〕は少年、中学と姫路を代表するGKとして入学。
だが弱小学年が「まじめさ」を武器にして兵庫県新人戦でベスト4に。
<1回戦>1ー1(PK勝)<2回戦>1ー0<準々決勝>1ー1(PK勝)
*3試合で得点3点、わずか2失点で。しかも2試合はPK勝ち。
まさにゴールを死守した〔B男〕の存在が奇跡のベスト4の原動力となった。
かわいい子どもが生まれ幸せの絶頂にいたはずが、、、勤務途上中バイク事故。
残された子どもがあまりに、、、本人が一番悔しいやろうな。
ーー合掌ーー

 

〔C男〕
遠く校区外からはるばるJRを乗り継いで。英文科(当時)に成績トップで入学。
出身中学校の監督二人はともに私の教え子。その先生がそろって
「明るくて性格も抜群によく、その上頑張り屋」まさにその通りの生徒。
シャープでスピード豊かなプレーと同じく「ハイ!」と気持ちのいい返事。
私のジョークにはいつも真顔で(通じない)まじめ。バカがつくほどまじめ。
うまくいかないとすぐに顔に出る何度も悩み、落ちては何とかしないともがく。
プレーも性格もまっ正直で不器用そのもの。その必死さで何度も胸が打たれ感動する。

本当に気持ちのいい「スカッ」とする印象が強烈に残った生徒であった。
難関私学も合格し将来悠然とした人生が待っていたはずが、、「・・病」に。
残念ながら闘病生活は一切知らされずそのことが私や同級生を苦しめた。
〔C男〕のことだから病魔とも正面から向き合い戦ったであろうと想像がつく。
もちろん聞いたところで何もできないのだが、、、
せめてせめてそばには居て苦しみを分かち合いたかった。
仲が良く私の大好きな学年の一人であっただけに卒業後何度も何度も会えるものと
信じていただけに、、、。
ーー合掌ーー