*津田ホームページ* 「たるさんの部屋」

NPO法人スポーツクラブエストレラ
エストパークの基礎工事が進み防柱約40本エスト「みどり色」にみんなで塗装。
徐々に進む現場11月完成が楽しみ。
今回「たるさんの部屋」はエストレラ立ち上げの経緯を掲載したい。

1996年津田SC社会人が全国クラブチーム選手権優勝(アマチュア日本一)
翌97年琴丘高サッカー部が現Jリーガー2名を擁し滝川二高と全国をかけて、、
あと一歩のように感じるが、、、姫路がサッカー後進地であることに変わらず
阪神、神戸地区どころか他地区にも置いていかれる危機感を長年持っていた。
その頃は私が高校に力を注いでいたため津田少年には指導が手薄で低迷。
白鳥(下山理事)安室(当時指導者森、清水:現エスト)が台頭し姫路をリード。
だが折角育てていただいた子どもたちが高校まで繋がらない歯がゆさを感じていた。
ジュニアユース(中学年代)を強化しないことにはその先は、、、、。
西播高校は琴丘高、飾磨高、太子高の三校が兵庫でベスト4~8あたりに位置。
琴丘高、飾磨高は交互に滝川二高に挑み決勝へ進出するが、、、、。
松本(飾磨監督;現エスト)前田(太子監督)両先生も私と同じ悩みを持っていた。
前田先生が琴丘高校赴任。私は高体連(技術委員長)の強化をするので先生には
姫路のジュニアユース、ユースの強化を図ってほしいと懇願。
前田、松本両先生は兵庫県国体監督を歴任するなど指導力はトップレベル。
お二人は設立意義やビジョン、コンセプト作りに夜を徹し丸2年かけて立ち上げへ。
設立メンバーには木村理史(飾磨高卒:現ユースコーチ)森啓三郎、清水靖志
(福崎高卒;現Jrコーチ)そこへ木村祥典(白鳥→福崎高卒:現姫路技術委員長)
中山(福崎高卒)高須(琴丘高卒)前田雅、溝口(太子高卒)らがコーチとして参加。
前田先生の行動力、発想、企画力、加えて人脈から人を動かす力はダイナミック。

※〔2000年〕エストレラ誕生
世代や国境を越えて温かい交流の場と一人一人が目標にチャレンジでき感動できる
機会に出会えるクラブライフを「ビジョン」に掲げて誕生。

〔2001年〕NPO法人化
理事長には当時姫路サッカー協会長宇野津先生に就任していただいた。
先生は生涯プレーヤーでもあり指導者でもある現場主義。気配りが素晴らしく
「たるさん、姫路のサッカーのためにいつもありがとう」と労いの声をいただいた。
市、県協会特に社会人連盟に強いパイプのある前田晋吾氏が副理事長に就任。
理事にはマーケティング、情報、リサーチなどに詳しい小野氏にアドバイスをいただき
高藤氏には「なでしこ」など女子サッカーの情報源として就任を依頼。
事務、裏方全般には藤田ルミ先生にエストを愛しむように支えていただいた。

選手たちは当初悪環境にも「明るさ」を持って「夢構想」に向かっていた。
ジュニアユースは関西大会常連の力を付け全国出場。ユースは二度も全国へ。
選手、人としてチームとしても兵庫を代表するクラブに成長していった。
チームの根幹である「利他の精神」「感謝、リスペクト」の魂は前田、松本先生の
教育のポリシーが選手に浸透している証である。

前田先生のアイデア、企画力は止まることを知らず「フランス遠征」を実現。
トップレベルの海外指導者や全国屈指の指導者を招き研修会、講習会を開催。
スポーツ探検隊では子どもに「夢」を与え、障害者スポーツ支援にも展開
それがパワーズ(知的障害者サッカー)誕生へと繋がる(福本理事監督)
総合型スポーツとしてはテニスクラブ、お散歩クラブも充実(水田理事)
健康を願う人々には健康教室(矢野さん、高田理事、久呉さんら)を開講する一方
医学講演会(中村理事:脳外科医、久呉理事:小児科医)を開催し地域貢献も実現。

エストの現場に携わることできない私はエスト誕生の年(50歳)に
自分を変えるために「カウンセラーになりたい」と老体にムチ打ち勉強を開始。
同時に「子育てママ(塾)教室」開講。白鳥FC、津田SCの保護者たちに支えられ
カウンセラーの実技として研鑽。その様子が各方面に広がりPTA、あすなろ教室、
地域教育講演会、指導者研修会や学校内の研修会講師として招かれるようになった。
資格を6年かけて修得。今は様々なユースチーム対象にメンタルセミナーを実施。

※こうした15年以上のエストレラの活動、取り組みに対しての評価結果が
toto助成金」平成28年度全国で最高額を受けることとなる。

「プロ」作るものでなく生まれるもの
〔プロ〕とは人から尊敬される人物、チームであるべきというのが私の持論。
自分の楽しみ、趣味、鍛練は自前の「会費」アマチュア精神で。
日本サッカー界のアマチュア最高峰がJFL。だからエストレラの目標はJFL。

理念は「姫路のサッカーを何とかしたい」
私はキッズ、少年、ジュニアユース、ユース、高校、社会人のカテゴリーを自ら
立ち上げ、指導し今も実践し続けている。
その時間43年余り。かけた時間と情熱は誰にも負けないつもり。
「たるさん、姫路にプロ誕生はまだか?、、、」とよく聞かれる。
私はまずはサッカーファミリー(サッカー家族)を作ること。
そのファミリーを大家族にすること。
サッカー少年の親、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、仲間、友だち
近所のおっちゃん、おばちゃんたちが「あんたらやったら応援したるで」と。
立ち居振る舞い、言葉、挨拶、「きれいな心」で町の方々との心の交流が最優先。
「魂込めて」プレーして見る側が感動していただくことで地域の方々に理解され
ファンになっていただき支援が始まってこそ〔プロ設立〕の権利が得られる。
これがないと単なるアマチュア〔プロ〕として続くわけがない。
「少ししかお金出せないけど、、、」とポケットマネーから出資してもらえる。
そんな人が徐々に徐々に増えていき「エストレラはわが町のシンボル」となると
おのずとその先は〔プロ〕へと誕生となる。
お城の石垣のように一つづつ一つづつ、丁寧に丁寧に土台から積んでいき、
世界遺産天下の名城「姫路城」がそびえ立つようにたくさんの人に支えてもらう。
決して「あわてない、あせらない、でもあきらめない」

私には2000人近い(津田、福崎、琴丘、市姫など)たるさんファミリーがいる。
教え子たちには「一生懸命にひたむきに」「人のために」と伝えてきた。
そこへエストレラも加わってくれれば5年後に1万人会員の大家族(ファミリー)に。
10年後に2万人会員、、50年、、、、ひょっとすると100年以上かかるかも。
だが何年かかろうがそんなことは問題ではない。
みんなが「夢」を受け継いでさえくれれば、、、、繋がっていく。
ヨーロッパでは人口4、5万人規模の小さな町に愛される〔プロ〕が山ほどある。
姫路もサッカー文化にしたい。まずは姫路から日本各地へ発進したい。

人と人が「」でつながると本当に強い絆になる。
退職して4ヵ月の今思うことは人とのつながりをあらためて気づかされる。
次はどんな人と、、、(ワクワクの日々)
今まで大変な苦労をされたエストレラスタッフ、関係者へ「感謝とお礼」を込めて
エストパーク建設や環境整備、組織、人の集まりなどに全力を尽くしたい。
そしてエストレラ立ち上げの「ミッション」である
サッカーを通して姫路に笑顔を増やし、姫路を愛し誇りに思える町に変えたい。