たるさんの部屋                    H28、4、11
(市姫高)「 離 任 式 」

「夢」は見るものではなく「叶える」もの。しかしほぼ「叶わないもの」でもある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・大学卒業後すぐ定時制の分校勤務、同時に飾磨の津田校区にサッカークラブ創部
※「10年後の夢プラン」
(1)3年後に少年で全国出場(2)10年後に社会人チーム作り県NO1をめざす。
<実際には>
☆3年後に県準優勝、翌年準優勝、翌々年は3位。結局は全国へはいけず。夢は、、、
<夢が叶わない理由>サッカー経験のない私の指導力不足が原因。
┳これは子どもに悪いと指導勉強、資格獲得のために全国各地を回って学んだ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
○29歳に福崎高へ転勤(津田少年時代に2位、2位、3位だった子どもたちが
はるばる山陽本線や山陽電車、播担線乗り継ぎ福崎高校へついてきた。
※30歳台「10年後の夢プラン」
(1)5年後に高校で全国へ出場(2)全国社会人大会出場(3)日本リーガー。
<実際には>
・3年後に西播で優勝、4年後に県ベスト8、5年後に県で3位、近畿大会ベスト
☆6年後にやっとファイナル(決勝)だが2位、近畿大会3位(1の夢)は叶わず。
☆☆☆日本リーグ(当時の最高峰)最終戦(ヤンマーVSトヨタ)の審判を担当。
*サッカー経験のない私が、、苦しく大変だった。やりとげた自分に(★夢)マーク。
〔個人〕国体選手5名。マルセイユ(仏)へ行った者。日本ユース代表候補が生まれ
日本リーガーが誕生(3の★夢)が叶う。
☆全国社会人サッカー選手権出場(2の★夢)が叶う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※40歳台「10年後の夢プラン」
(1)5年後高校で全国へ出場(2)全国社会人サッカー選手権出場
(3)個人としてJリーガーや日本代表を作る。
○41歳:琴丘高転勤。同時に難病から心停止(あと3週間との命と宣告される)
ペースメーカー埋込(1級身障者に)
・42歳:入院、手術、リハビリから生活から復帰
〔退院祝いとして〕
☆☆☆全国クラブサッカー選手権優勝(アマチュア日本一/鹿島)(2の★夢)が叶う。
・琴丘高とはいうと3年後に西播で優勝、4年後に県ベスト4
☆6年後にファイナル(決勝)。だが2位、近畿大会3位。(1の夢)は叶わず。
〔国体選手4名、Jリーガー4名、日本ユース代表でWユース決勝戦でスペイン
(シャビがいた)と対戦。日本代表が生まれる(3の★夢)が叶う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
○50歳台「10年後の夢プラン」
(1)高校で全国出場(2)姫路地区強化のためにもう1つクラブチーム創設
(3)新たな自分の挑戦としてカウンセラー資格をとること。
☆☆社会人チームが第4回めの全国サッカー選手権出場(2の★夢)が叶う。
☆琴丘高再びファイナル(決勝)へ、、だがまたも2位(1の夢)は叶わず。
☆挑戦していたカウンセラー資格を6年かかって獲得(3の★夢)が叶う。
☆少年チームが県大会準優勝。(またも2位)
◆サッカー人生「シルバーコレクター」と言われるほど2位、準優勝が多かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
○60歳「還暦」の夢プラン*グランドと自然夢パーク建設
・3年前の63歳姫路高校転勤。
・3年後に琴丘高西播地区準優勝/少年チームが県大会準優勝。
※いよいよ退職をした今日から
「10年前に描いた夢プランの継続から夢実現へ向かいます」
<市姫のみんなへ>
今たるさんがみんなに話したように。
「夢」持つと「目標」ができる。「目標」ができると「計画」が立てる。
「計画」ができれば、あとは「実行(やるだけ)」やりつづけるだけ。
そのことを「努力」という。「努力」の才能を磨き「努力」の天才をめざすこと。
「思い」を続けて、「やり(実行)」続けると「夢」は近づく。
「言うこと、思うこと」は誰でもできる。あとはやるか、どうかは自分の問題。

 

<市姫のクラブ員へ>
先日サッカー部の「たるさんへの送別ビデオレター」にサッカー部ともに
「ありがとう」の人文字を作ってくれたソフトボール部。陸上部。
野球部のみんな「ありがとう」同じグランドでみんなの成長を見させてもらった。
テニスコートの横を通ると必ず声をかけてくれた女子テニス部「ありがとう」
すれ違うと優しく接してくれた女子バレー、バスケ部のみんな「ありがとう」

 

<市姫で授業したみんなへ>
保健の授業3分前の開始。
黒板を完璧にきれいにして机を真っ直ぐに並べて待ってくれた。
気持ち良く授業をさせてもらえたことに「ありがとう」
体育の授業チャイムが鳴る前に体操が始まる。
授業開始初めの「5分間」俺のしょうもない話に真剣に耳を傾けてくれ、
ときどき涙して聞いてくれたみんなに「ありがとう」

 

<市姫で苦しんだみんなへ>
人には言えない、家族にさえ言えないことを「たるさん聞いて」っと苦しい
胸を内を明かしてくれたみんな。いい応えを返せず「ごめん」でもこんな俺に
話してくれたみんなに「ありがとう」

 

<市姫のサッカー部へ>
みんながいてくれたから教員生活最後の3年間気持ち良くすごせた。
がんばることができた。みんながいなかったら今のたるさんはない。
おまえたちの素直に吸収し、それを実行する能力の凄さにびっくりした。
だからこそ伸びた、成長したと思うよ。
とにかく「ありがとう」しかない。「ありがとう」しか、、、、。

 

<最後にもう一度市姫のみんなへ>
サッカー部に「きれいに、さわやかに」の横断幕を贈った。
放課後、グランドに掲げているので市姫のみんなにも見てほしい。
市姫は「きれいな、さわやかな」学校。そういう生徒の集まりだから、、、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆43年間のことは今日終わりました。もうすんだことです。
過去の実績や栄光などとは「おさらば」です。
前へ、未来へ、夢に向かって行きたい。
その「夢実現」を果たすべき
たるさんがこれから作ろうとしているサッカー場とおかげの森、自然パークを
きっと作って「待ってるから、、、、」と言えるようにやっていく!!
ぜひ来て下さいね。

*繰り返すけど「夢」は見るものではなく「叶える」もの。
3年間「ほんとうにありがとう」
市姫は最高でした。