たるさんの部屋 令和2年10月1日
「古希」になります。
(国民健康保険高齢受給者証が届きました)
*23歳:姫路北高校勤務/津田少年立ち上げ初期~
「見上げてごらん夜の星を」を聞きながら定時制分校(夜間高校)に新着任。
初心者を集めてサッカ-部を結成。これがサッカ-との出会い。
星空(薄暗い照明)を見上げて夢中にボ-ルを追い県定時制大会3年連続準優勝。
昼間働きながら夜は勉学と2足のわらじを履く若者たちの「頑張り」に共鳴し
私も教師だけでなくもう1足履こうと津田校区にスポ-ツ少年団を立ち上げた。
その津田サッカ-クラブが46年今も脈々と続く。それこそが古希の歳まで
やってこれた原動力となり私の人生の主流を占めるに至っている。
*30歳台:福崎高校勤務/津田少年充実期
夢を持ち目標に向かって「一所懸命、ひたむきに」ひたすらにバク進。
経験が乏しく視野も狭く感情が先走る指導で生徒を追い込むだけだったが
「こんな私によくぞ付いて来てくれた」と振り返ると生徒には感謝しかない。
*40歳台:琴丘高校勤務/津田少年低迷期
難病に罹り生死をさまよったが、それでも生きるチャンスをいただいたのは
どこかで誰かが自分を必要とされているかも、、、ならばもう少し生きよう。
「生きているだけで儲けもの、人生人助け」と思うまでに1年半を要した。
これを機に自分を変えたいと思うがなかなか変えることができず苦しむ。
この年代の時も「子どもといて教師、子どもを何とかしたい」という思いは不変。
結果が出た時は生徒の力、ダメな時は自分の力不足と戒めながら部活を指導。
*50歳台:(続)琴丘高校勤務/津田少年(伝統復活)期
教師の幅を広げ教育相談部門を充実させるためにカウンセリング資格習得を
めざし研修を繰り返したが、そのことで自分を見直す絶好の機会になった。
「夢」を繋ぐには人(組織)が不可欠。育てるポイントは付いてくる生徒に
「人のためにイキイキと生きる<後ろ姿>」を見せること。
「子どもは宝」と肝に銘じ子どもから教わることの大切さがわかる年齢に。
*60歳台:姫路高校勤務時代/新しい津田少年時代に、、、
好きなことをやり続けられたのはまわりの人達のおかげにやっと気づく。
「夢」を繋ぐ多くの教え子たちに囲まれ「生かされてる」幸せ感。
生徒たちから「サッカ-を楽しむ」ことを学ぶと肩の力が抜け楽しくなった。
すると考え方まで楽(らく)になり還暦すぎて「新生!たるさんの誕生」
*70歳:今日、明日(人、物、事)の「出会い」
目標を掲げるより、その日一日ゆっくりとまわりを見ながら時には立ち止まる。
すると従来には見えなかった(人、物、事)「出会い」に気づくとおもしろい。
自分が嬉しいより「人を嬉しがらせる一日になりますように」と祈りながら
次にどんな夢「出会い」があるか期待して生きてます。なので
※生徒たち(卒業生)へ:〔こころが動いたら〕また会いに来て下さい。