たるさんの部屋 ・30年3月
◆「自立」の定義
子育てのテーマは「自立」。社会に出ても子ども自身が「意志」をしっかり
持って一人で強く逞しく生きていく力を付けることです。
人は生まれて何度も親離れ体験(反抗)を繰り返して成長します。
「10歳」(★半成人式迎えて)から本格的に「親離れ」を開始します。
思春期(中学生)に入る頃には子ども自身が意志表示をする力を持たないと
サッカーをしても・勝負弱い・逃げる・顔色を見て助けを求め指示を待つ
・失敗を恐れる・自分で向かわない・泣く、すねる(幼児退行)を起こします。
意志が弱く解消できずに続くと神経系や身体に異常な症状が出てきます。
◆「自立」を始めた時親は後方からサポート
子どもは経験不足のため情報が少なく判断する材料が乏しいものです。
親は情報を集めて子どもに知らせて一緒に解決策を考えることが不可欠です。
それには親の押し付けではなく子どもが意見がいいやすい環境を作り
「これはどう?これもあるよ」と子どもに問いかけ(親子の信頼関係)を
作ることです。
そして子ども自身が決めることが大切。そこで始めて「自立」が始まります。
あくまでも親は後方支援からのサポーターになり先導や誘導をしてはいけません。
特に思春期(中学)年代は子どもが「判断して決定する」ことが重要なんです。
*15歳で慣れ親しんだ「友との別離=自立」を経験して
18歳で「家族との別離」をして「真の自立=大人」へと旅立ちます。
◆親の敷いたレールに乗って子どもは何処へ行く?
多くの親は「子どもが将来困らないように幸せに暮らしてほしいから」と。
「親の言うことを聞いていれば大丈夫、だからこうして、、、」とレールを敷き
「勉強して○○高校に大学は○○へ、そして会社は○○あなたの終着駅は○○」
「まわりから笑われないよう(世間体)すごいと思われるように(見栄)」とも。
「はい!」と付いて来る子は可愛いくて「素直な子」だと勘違いします。
子どもも親の言うことを聞いていれば親も喜ぶし自分も悩まず「楽(らく)」です。
親離れができず「自立」が遅れていくものです。
◆レールは子ども自身が敷くものです。
親に敷かれたレールに乗せられ問題なく一時は進んではいくように見えるが、、、
やがて「僕の思いは?やりたいことは実は、、」と「何か違う?」と気づく。
その時期が*思春期?高校?社会人?いつでしょう?
親に意見も言えず我慢し耐えていたのが不満が<マグマ>のように溜まり
やがて爆発して反抗、暴言、暴力、非行等の反社会的行動に。
それでも親が怖くて外へ出せず内へ、中へ。
苦しんで無口、孤立、閉じ込もり、社会から閉鎖して非反社会的行動に。
自分の意志を持ち旅立てる日は来るのでしょうか?
◆人生、各行停車あり、途中下車あり。
子どもには新幹線や急行ではなくゆっくりと各行停車で進ませたいものです。
乗り換えをしてもいい時には降りて途中下車でも寄り道もいいものです。
「壁、失敗、挫折」という停車駅で止まりながら、もがき、苦しみ
「経験」というキップを手にして「自立」という駅へ向かってほしいです。
各駅で「気づき」「夢」「人と出会い」をお土産品を手にして遠回りだが
自分の手でつかんで心豊かな人生を楽しんでほしいものです
※わが子は自分の子どもであっても一人の人間として尊重すべきだ
◆親の敷いたレール「終着駅」名は
サッカーに携わって45年。いろんな親子と出会いました。
幼児なのにすでにうまい。リフテングもドリブルも群を抜いて目立つ。
「すごい、天才」「将来は、、、プロ」こう言われると子ども以上に親も嬉しい。
ビデオを撮り、親が手取り足取り家で自主トレ、居残り練習を指導。
〔小学低学年〕子どももそうしてくれる親の姿が嬉しい(いじらしい)
子ども以上に親はだんだんエスカレート。中毒のごとくもっともっと。
親の敷いた(夢)レールの「終着駅」名はプロ、日本代表、世界進出か。
*どうみても他の子より先に徹底して教え込まれたに過ぎないと思えるが、、、
〔小学中学年〕になると親は(子どものために)と必死に。
そこに遊びのサッカーで育ち自分で考え工夫してじっくり基礎を身につけて
力を付けてきた仲間が追いついてくる。
それをみた親は「ウム、これは、、、いかがなものか」と焦りだす。
その結果親は自分の子が伸びてないと子どもへ文句や愚痴、罵声が増える。
◆親の敷いたレールから外れた子どもは、、、、
思う通りにならない親は子どもに「なぜ?俺のいうことを聞かないんじゃ!」
「まだ甘い!もっとやれ!!俺が子どもの頃にはもっとやったもんだ!」
「これだけ言ってもおまえは出来ないのか!」「いい、もう知らん!」
親は子どものためだと言うが果して「子どものためかな?」とも思える行動に。
親のエゴ、プライドが見え隠れしその結果子どもが犠牲に(かわいそうに、、、)
「これだけしてやったのに(恩に着せ)誰のためにしてると思ってるんや」
ついに興奮のあまり言ってはならない言葉(禁句)が子どもの心に突き刺さる。
◆親の敷いた違うレールに乗り換えて
「津田にいると伸びない。全国には行けない、トレセンに選ばれない」からと
同じ思いの人たちとの情報交換をしてチームを移籍。
私は子どもとふだんからコミニュケーションを取ってるので本音が聞ける。
元気がないので「どうした?」と聞くと
「試合に負けた日やうまいこといかない時に親と帰る車の中が一番イヤ」
「叱られる、親が怖い」「家に帰ったらまた練習が待ってる」
親は子どもの苦しい思いを知るよしもなく次へ次へと急行列車を探す。
「親が敷いたレールに乗り親の〔夢〕という「終着駅」に着かなかったこの子は
今はどうしてるかなぁ~~」
子どもは自分で「何か違う?」と*気づくのは思春期?高校?社会人?
<参考>気づいたらどういう行動になるかは*印で先述しました。
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◎話は変わりますが。いよいよ卒団式が近づいてきます。
ここ1ヵ月は子どもと過ごしたメモや日記を見て涙してます。
卒団式には「さよならは言わない、また会おう」といつも言います。
でもほとんど生徒とは会えません。それどころか卒団後たまに会うと私を見て
避けます。子どもごころに「会わす顔がないんかな?」胸が痛みます。
「中学になってもたるさんらとサッカーがしたい」と
泣きながら話してくれる「思い」を宝物として大切にします。
この子たちともっと一緒にいてそばで力になりたいと思います。
この「思い」が起こるには共に過ごした子どもへの「礼儀」であり
一生懸命子どもに対してやれたという「証」だと思っています。
これは私の毎年のわがままですが、変えるつもりはありません。
人のことをこう思うのが私であり津田サッカークラブだと思うからです。
悲しい別離ができたことが私の幸せでもあると言い聞かせていますが、、、